水華のお家へお邪魔しました
雀の鳴き声が、まだ活動し始めていない住宅街に響く。眩い朝の光が窓から差し込み、僕の部屋を照らしていた。
今日は、ついに全体コラボの日。昨日の夜は、期待や不安など悲喜交々の感情が渦巻いていてよく眠れなかった。最終的には、僕の正直な体が眠気を訴えて、こてんと寝てしまったけれど。
「んぁ〜………」
まだ寝ぼけている目を擦り、ぐいっと伸びをする。
僕は低血圧だからか、起きてすぐ後は頭が痛い。しばらくじっとしていたら治るんだけど、痛いしなんとかなんないのかなぁ、と思いながら、階段を降りソファへ直行。頭痛が治るまで、ソファでぽけーっとする。
横目でカレンダーをちらっと覗くと、大きく赤文字で「コラボ!」と書かれてあった。マネージャーの花月さんから、連絡を受けたその日にすぐ書いたものだろう。
なんとなくテレビでN◯Kをつけて、トースターで焼いたパンを食べる。今日のパンのお供は、ブルーベリージャムだ。ジャムの味を選ぶのが、毎朝の楽しみだったりする。
コラボは18時からだから、事務所には16時には着きたい。午前中は暇になるので、どうしようか、と頭の中でスケジュールを立てる。
そうだ、最近行けてないし、図書館行こう。パンをサクッと齧る。
「あむあむ」
図書館は無料で本読めるし。……うん、決して貧乏という訳ではないんだけど。今月は浪費をしすぎた気がするので、出費を抑えたいのだ。
バイトのシフトは来週からだし、貯金大事。
「あむあむ」
ブルーベリーの甘さが最高に美味しい。
トーストを食べ切って、お皿を流しへ。時計を見ると、時刻は9時だった。
そういえば、女の子になっちゃってから食事のスピードが落ちた気がする。
「まぁ支障ないしいっか」
さっさと皿を洗い、ソファで食休み。
「そういえば水華ってLIMEやってるのかなぁ」
LIMEでやりとりできたら、もっと一緒にいられる時間が増える。スケジュールを合わせられるし、本を読了したその瞬間の感想をコメントすることもできる。
「うん、アリ………今日きいてみよ」
◇◇◇
「あっ、水華。おはよう」
「玲!」
いつもの隅の席に、水華はちょこんと座って本を読んでいた。
「なに読んでるの?」
そう聞きながら、僕は水華の隣へ腰掛ける。ここは僕の定位置。
「最近ロシア文学読み始めたの!……今読んでるのは、レールモントフの『現代の英雄』っての!」
「おぉ〜…ロシア文学………ちょっと長くて小難しい印象があるけど…実際どんな感じなの?」
「短編とかもあるし、読みやすいやつもあるよ?」
水華は顔を輝かせてロシア文学について語り始めた。
「やっぱり深い人間描写が一番魅力的で、私たちの人生観を揺さぶるような問いかけがすごいんだよ、でもね私はハッピーエンドとか大好きだし、明るい雰囲気の小説が好きだから、こういうどろどろとした雰囲気の小説は苦手なんだよね。この『現代の英雄』も全体的に暗くて救いがない感じだし……だけど内容はラノベみたいで読みやすかったから、全然長くないよ!」
近い。顔が近いです、水華さん。
かわいいお顔が目の前に迫りつつ、ロシア文学について力説されるというとてもシュールな体験をしてしまった。
その後、結局水華にぐいぐいと押された僕は、読みやすいとお勧めされた小説をいくつか借りることになった。水華も何冊か分厚い本を借り、僕たちは図書館をそろって出た。
むわっと熱気が押し寄せてくる。だが、今日は風が吹いていてそこまでキツくはない。
「あ、そうだ。水華、LIMEってやってる?」
「LIME?やってるけどどうして?」
水華は分厚い本を両手に、こてんと首を傾げる。彼女の長い髪が僕の左手にかかり、思わずビクッと肩が跳ねる。
「っ……その、ID交換したいなーって……」
僕の動揺を悟られないように平成を保つようにそう言うと、水華の顔がぱあっと輝いた。
「えっ!?いいの!!?……………あ……でも、スマホお家にあるや」
がくーっと項垂れる水華。
「玲……次、いつ会える?」
「えーっと………明日…は図書館定休日か……だから………来週の…夜とかはどう?」
スケジュールを思い浮かべ、水華にそう提案する。来週からは学校とシフトが始まるので、困ったことに休日以外に空いている時間が少ないのだ。
「夜は私行けないの……お母さんに危ないからダメって言われてて……」
「えっと、じゃあ………来週の土曜日ならいつでも行けるよ」
「来週の土曜ね、それでいいんだけど………」
「どうしたの?」
「実は……玲とLIME交換したいな、って私もずっと思ってて……でもなかなか言い出せなくて……」
水華は、途切れ途切れの言葉を一生懸命紡いで、僕へ投げかける。
「だから………えっと……なんて言えばいいんだろう…………」
「ふふっ」
「あー!?玲、今私のこと笑ったでしょー!?もーひどいよー!」
「ご、ごめんごめん!その……なんていうか微笑ましいというか可愛いというか……」
「か、可愛い!?もう、冗談きついよー!……えへへ…………じゃなくて!………私、今すぐLIMEを交換したいの!」
「へっ?」
「私、玲に交換しようって言ってもらえて、すーーっごく嬉しかったの。だから、……その……来週の土曜まで待てない、っていうか……」
予想外の水華の発言に、目を点にして水華を見つめていると、水華は顔をぷいっと横に逸らしてしまった。心なしか、耳が赤い。
………僕は驚いたけど、同時に嬉しかった。こんなに僕と交換したがってたなんて、はっきり言ってすーっごく嬉しい。
「………そうだ!玲、うち来て!!」
「……………うん?」
「うち来てもらえば、すぐにID交換できるじゃん!しかも、うちここからすぐなんだよね〜」
私っててんさい1?と楽しそうに僕の手を引く水華。僕はただ、この急な展開についていけないまま水華のお家へ連れて行かれるのだった。
「ここが私のお家!ささ、入って入って」
「お、お邪魔しま〜す」
水華になされるがまま、僕はするりと玄関を抜け、水華のお家へ入った。水華のお家は、僕のお家とあんまり変わらない感じの一軒家だった。ちょっと失礼な物言いだけど、本当に似てたんだもん。
「私スマホとってくるから、そこの椅子に座って待ってて!」
「あら、お客さんかしら?」
「あ、ママ!?」
洗面所の方から、ヌッと顔を出したのは、おそらく水華のお母さんだろう。水華がママと読んでいたし、何よりお顔がすごく水華に似ている。こんなにわかりやすい母娘っているんだ。
「お邪魔してます。水華のお友達の玲です」
お母さんの登場に慌てて、その場でぺこりと一礼。
「礼儀正しい子ね〜。私は水華の母よ。……あなたが玲さんね」
両手で洗濯籠を抱えている水華のお母さんは、微笑みを絶えず浮かべながら、僕にそう言った。
水華は「ママ変なこと言わないでねっ」と言い残し、階段を駆け上り、スマホを自室へ取りに行った。
「僕のこと知っていたんですか?」
「ええ。水華がここ最近、ずっとあなたの話をするのよ。『本友ができた!』ってね」
「本友………それは言い得て妙ですね」
ふふっと思わず笑みが溢れてしまう。
ちょうどその時、2階から、バタン!と扉が閉まる音がした。
「れ〜い〜!とってきたよ〜!!」
水華は階段から滑るように、髪の毛を浮かしてスマホ片手に降りてきた。
しかし、あまりに勢いが強すぎたためか。最後の四段目くらいで踏み外してしまい………
「あっ」
「水華!?」
水華の体が一瞬宙に浮く。水華ママの悲痛な声が聞こえた。
脳が理解するより前に、僕は咄嗟に駆け出す。
「危ないっ!」
ぽすっと水華が僕の腕へダイブ。僕の体が水華を離すまじと、彼女の背中を両手でがっちりとホールドする。
「っとっと………水華、大丈夫!?」
「だ、大丈夫………」
僕の胸の中から、彼女の呻くような声が聞こえた。………うん?ちょっと待って……今の状況って、しっかりまずいのでは……?
抱きしめるような形になっていたので、瞬間的に僕は彼女をホールドしていた腕を離す。
「ご、ごめん……!」
「……柔らかい………天国?」
ひぇ!しかも、僕精神は男だから余計にタチが悪いじゃないか!……もしかして、お縄にかかっちゃう!?脳内ではすでに、ウーウーとサイレンの音が響き渡っていた。
水華はというと、顔を赤くして息を荒げていた。ほら、絶対怒っちゃってるってこれ……!
「水華!あなた階段では走るなってあれほど……」
「ひぇええ!すいません!!」
「ママ!ご、ごめん!!」
「………?なんで玲さんも謝るのかしら……とりあえず、怪我がなくてよかったわ」
水華ママに反射で謝ってしまったが、特にお咎めはないようで安心した。
「玲さんもありがとうね、水華を助けてくれて。……ほら、水華もちゃんとお礼を言いなさい?」
「もちろん。玲、本当にありがとう。命の恩人だよ」
「どういたしまして〜」
二人に頭を下げられて、むず痒い気持ちになる。命の恩人は言い過ぎな気がするが、四段の落差とはいえ、確かに頭から落ちてでもしたら、最悪の事態もあったのかもしれない。
その後僕と水華はしっかりLIMEのフレンドを交換した。水華はスマホを両手に抱え、喜んでくれた。
水華は、僕とのトーク画面を開いては閉じを繰り返し、僕が目の前にいるのにLIMEで会話をしようとしていた。
僕が「そんなに喜んでくれて、僕も嬉しいよ」って言ったら、僕が目の前にいるのに。水華は、LIMEを慣れない手つきで操作し、「私も嬉しいです」とメッセージを送ってきたのだ。あまりの純粋無垢な可愛さに、思わず頭を撫でてしまった。
しまった、勝手に触っちゃった、と思ったが、当の本人は気持ちよさそうに目を細めていた。よかった。
「あなたたち仲良いわねぇ。……ねえ玲さん、よかったらうちでお昼食べていかない?」
「えっ………いいんですか?」
「ええ、もちろん。水華もいいよね?」
「えっ!?玲と一緒にご飯食べるの!?もちろん良いよ!」
かくして、僕は水華ママと水華と一緒にお食事することになった。この前、ノアのお家で朝ごはんをいただいた時とはまた違う緊張が僕を包んだが、水華のこの屈託ない満面の笑みを見ると、なぜか体の力が抜けるのだった。




