青い目の梟
アデラが亡くなってから幾日が過ぎたのか、セリーヌには分からなかった。小屋の窓から見える景色は、変わらず白い雪に覆われている。時折、風が吹き荒れ、屋根の上の雪が音を立てて落ちてくる。その音に驚くこともなく、彼女は暖炉の前に座り込み、じっと灰になりかけた火を見つめていた。
「どうして私だけが…」
呟いた言葉は、誰にも届くことなく、暖炉の微かな熱に溶け込んだ。セリーヌは記憶を失っている。それでも、胸の奥にぽっかりと空いた何かを感じ続けていた。アデラがくれた愛情は温かかったが、それでも満たしきれない何かが彼女の中に残っていた。
ある晩、セリーヌは小屋の中でアデラが残した遺品を整理し始めた。小さな棚の奥から、古びた布に包まれた箱を見つける。その箱を開けると、中にはアデラの日記が収められていた。興味を引かれるようにしてセリーヌはその日記を手に取り、そっとページをめくった。
「今日、この子を拾った。雪の中で倒れていたこの子を、どうしても見過ごすことができなかった。小さな体に秘められた強い意志が、私を引き止めたのだ。」
最初のページに書かれた言葉を読んだ瞬間、セリーヌの目に涙が浮かんだ。アデラの優しい文字から、彼女がどれだけ自分を気にかけてくれていたのかが伝わってきた。
さらにページをめくると、アデラがセリーヌに名前を与えた日の記録があった。
「名を持たないことは孤独だと思った。この子には“セリーヌ”と名付けることにした。この広い雪原で輝く星のような存在になってほしいと願いを込めて。」
その言葉を読んだ瞬間、セリーヌの心の中に小さな光が灯ったように感じた。自分には名前がある。そして、その名前には深い想いが込められている。アデラの祈りが、自分を今も支えている気がした。
翌朝、小屋の扉を開けると、冷たい風がセリーヌの顔を容赦なく打ち付けた。白銀の世界は静寂そのもので、アデラがいたときとは異なる無音の寂しさが漂っている。それでも、彼女は振り返らずに一歩を踏み出した。自らの足で歩き出すのはこれが初めてだった。
足元に積もる雪は深く、歩くたびにぎゅっと音を立てた。その音が、彼女の決意を少しずつ確かなものにしていく。過去を探す旅ではなく、未来を見つけるための旅へと変わりつつあった。
旅立ってから数日が過ぎた。セリーヌは森を抜け、凍てついた湖のほとりを通り、そして雪原を越えていった。途中、森の果実や雪解け水で命をつなぎ、夜には空を仰いで星々にアデラの面影を重ねていた。
ある夜、セリーヌは荒れ果てた廃墟のような場所に辿り着いた。雪に埋もれたその場所には、古い石碑がいくつも立ち並んでおり、その一つには奇妙な文様が刻まれていた。触れると冷たさだけでなく、微かに温かい脈動が指先に伝わるような感覚があった。
「何…これ…」
その石碑の前でセリーヌはじっと立ち尽くし、不思議な感覚にとらわれていた。突然、背後から風を切る音が聞こえた。振り返ると、雪の中から白い影が舞い降りてくるのが見えた。
その白い影は梟だった。真っ白な羽毛が月明かりを反射して輝き、その青い瞳はどこか人のような深い知性を秘めているようだった。その梟はじっとセリーヌを見つめると、ふわりと降り立ち、彼女のすぐそばに身を寄せた。
セリーヌはその梟を見つめながら、自分の胸の中で何かが引き寄せられるような感覚を覚えた。恐れは全く感じず、むしろどこか懐かしいような、不思議な安堵感があった。
「あなたは…誰…?」
もちろん梟が答えることはなかったが、彼女の問いに応じるかのように、石碑に刻まれた文様が一瞬だけ青白い光を放った。そして、その光が消えると、セリーヌは胸の奥で囁くような声を感じた。
「行け、彼と共に…」
それが誰の声なのか、何を意味するのか、セリーヌには分からなかった。ただ、梟が自分にとってただの動物ではないことだけは確信できた。そして、まるでその梟も自分についてくるのが当然だというように、何の躊躇もなく彼女の肩に飛び乗った。
「あなたも…一緒に行きたいの?」
梟は静かに青い瞳で彼女を見つめた。その目には確かな意志が宿っていた。セリーヌは微かに微笑み、そっとその頭を撫でた。