10.クズは殺す
はっと目を覚ます。意識の遠く彼方でシェリーの絶叫を聞いた。全身が嫌な汗で湿っている。かつてないほど、心臓が早鐘を打っていた。ベッドから飛び起きてすぐ、傍らにいたバーデンが焦って話しかけてくる。
「おい! 気絶させていたのに、どうして起きるんだよ!? ありえないだろ!」
「シェリーは!?」
「シェリー? ……今、侵入者と対峙してる」
「何か、何かあったんだ。今すぐ行かないと!」
「落ち着け。行ってどうするんだ、シェリーよりも弱いくせに」
いつも感じられる気配がない。静まり返ってる。意識のすぐそばに、いつも、シェリーの気配が寄り添ってくれていたのに。それがない。突然、断絶された。無理やり魂を引き裂かれたら、こんな感じだろうか。苦しくて、例えようもないほど淋しい。孤独感が一気に押し寄せてくる。手足が震えた。部屋から飛び出そうとする俺を、バーデンが力尽くで引き止めた。
「頼む!! 行かせてくれ、バーデン! シェリーは絶対危ない目に遭ってるんだ、俺には分かる、叫んでた!」
「落ち着けよ! どこにいるのかも分からないのに」
「落ち着きなさい、レナード」
「王妃様?」
そうか、ここは王妃様の寝室だったのか……。それすら分からないほど、混乱していた。花の形を描くウォールランプがぼんやりとした光を放ち、重厚な調度品を照らしている。暗がりの中、いつも几帳面にまとめている金髪を下ろした、白いネグリジェ姿の王妃様が近寄ってくる。
ああ、どいつもこいつも煩わしい。早くシェリーのもとへ行きたいのに。よくよく目を凝らして見れば、王妃様の背後にサムとロダンが控えていた。嫌悪感が胸の中に広がっていった。
「あなたが行ってどうするの? 落ち着きなさい」
「……見殺しにしろと!?」
「いいえ、そんなことは言ってないわ。まず、人外者であるバーデンに助けに行って貰いましょう。人外者はちょっとやそっとじゃ、死なないのだから」
「俺も、助けに」
「向こうの狙いはレナード、あなたよ。勘弁してちょうだい。私、友達の子まで亡くしてしまうの?」
震える声で言われ、何も言い返せなかった。母上と王妃様は仲が良い友達だった。口さがない者はみんな、王妃様が母上を蹴落として、亡くなった直後に王妃の座を奪い取った性悪女だと言うが、俺は知っている。喪が明けない内から王妃様を王城に呼び寄せ、大々的な結婚式を挙げた父上が悪い。
母上が亡くなったショックに包まれる城内で、悪役に仕立て上げられたのは王妃様だ。針の筵の中でつらかっただろうに、何を言われようとも、塔の中にいる俺を気遣ってくれた。
(今すぐ駆け出してシェリーのもとへ行きたい!! でも、俺に一体、何ができる……?)
王妃様には逆らえない。昔はよく口にしていた。あの子の代わりに私が守るから安心して、と。何も悪くないのに、罪悪感に満ちた青い瞳で俺のことを見つめていた。あの目を思い出すと、心配している王妃様を振り切って、シェリーのもとへ行けない。
違う、足手まといになるのが分かっているから、こうして、ベッドの上で膝を抱えていることしか出来ない。自分が情けなくて、苦しくて、呼吸もままならなかった。ベッドの近くに椅子を持って来て、腰かけたロダンが明るく笑う。
「まあまあ、いいじゃないですか。バーデン、でしたっけ? 人外者が助けに行ってくれたんだから」
「……呼びかけに応じてくれないんだ。気絶しているのか、それとも」
「沈んでいるレナード殿下に余計なことしか言えないのなら、今すぐ出て行ってくれ。叩き出すぞ」
「ええっ!? 余計なことではないでしょ、励ましているんだよ!」
「どけ。俺が座る」
「はあ~? ろくに話したことがないのに、お前、一体何なの? 敵意をぶつけてくるなよ……」
ロダンが文句を言いつつも、仏頂面のサムに椅子を譲った。正直言って助かった。ロダンが苦手と言ったこと、覚えていてくれたのか。どうも、ロダンは倫理観が一部欠けているうえに、デリカシーが無くて、思ったことを何でも口にする。悪いやつじゃないけど、一緒にいると疲弊してしまう。サムが椅子にどっかり腰かけ、低く、穏やかな声で話しかけてきた。
「大丈夫です。あの子は強い。やすやすと殺されるようなタイプじゃありません」
「分かってはいるけど……。返事してくれないんだ。それと、自分が情けなくて腹立たしい」
「もしも、レナード殿下が救出に向かったら全力で止めますよ。俺達二人を相手にして、勝てるほど強いのなら止めません」
「止めているんだか、逃げるのを勧めているんだか、よく分からないことを言うのはやめてくれ……」
「暇なら、手合わせでもしますか?」
「夜だぞ。迷惑になる」
隣の部屋で王妃様が眠っているんだ。起こすような真似はしたくない。ただでさえ、普段、迷惑をかけているのに……。椅子の背後に立つロダンが大きなあくびをして、サムに強く睨まれた。そうだ、カイとエナンドは!?
「ロダン! ここはもういいから、カイとエナンドの様子を見に行ってくれないか?」
「え? 無理ですよ……。陛下に王妃様を守るようにって、命令されているんです」
「血を提供するのやめようかな」
「またそんなこと言って! 霧の貴婦人にもう一度、脅されたいんですか?」
「バーデンをぶつけよう。おそらく、バーデンの方が強い」
「霧の貴婦人……?」
サムが訝しげな表情で呟き、薄い青色の瞳を細める。まあ、知らなくて当然か。俺も知らなかった。そんなことよりも、今はエナンドとカイが気になる。カイはいざとなれば、砂に変身出来るから心配いらないだろうけど……。問題はエナンドだ。
あまり強くはないし、何よりも高値で取引されている幻獣。獣人とは違い、動物の耳や尻尾が出ていないから、バレにくいものの、応戦したら幻獣の特徴がはっきりと出る。たちの悪い連中に見つかれば、売り飛ばされるだろう。
「じゃあ、サム、見に行ってくれないか? ロダンと二人きりになるのは嫌だけど、仕方ない」
「ええっ!? 二人とも、俺に冷たいな~」
「……契約している人外者に見に行かせます。それでよろしいでしょうか?」
サムが腕を持ち上げた瞬間、白く、美しい鳥が舞い降りる。ふわっとしていながらも繊細な白い冠羽、輝きを放つ細長い尾、最高級品の生地のようになめらかな胸元。美しい。鳥を見て感激したことはないが、あまりの美しさに感激してしまった。鳥に興味が無い人物でも、一気に魅了される美しさ。ロダンが平然とした様子で鳥を指差し、声を上げる。
「本当に!? 本当に人外者か? それ。魔生物じゃないの!?」
「違う。普段は美男子だ」
「びっ……!?」
「男だったのか」
「シェリーに言いつけますよ、レナード殿下。美女ではなく、美男子と知ってがっかりしていたと」
「やめてくれ! 仕返しされる……」
「リーリア、頼む。俺の影から見ていただろう? カイとエナンドを探しに行ってくれ」
白い鳥が高らかに、美しい鳴き声を発した。翼を広げ、天井付近まで飛んでいった瞬間、雪のような白い光を散らして消える。あれほど美しい鳥、いや、人外者と契約していたとは……。サムが何食わぬ表情で椅子へ腰かける。サムの人外者が気になって仕方ないのか、ロダンがそわそわした様子で近付く。
「なあ、どこで出会ったんだ? 有名な人外者じゃないよな?」
「違う。レナード殿下、何度も呼びかけてみたらどうですか。通じるかもしれません」
「そうだな、試してみる」
「無視か? 男なのに、どうしてリーリアって呼んでるんだ?」
「……最初、女だと思って名付けたんだ。本人がこのままでいい、リーリアと呼んでほしいと言うから、呼んでいる」
「へ~! てことは、中性的なイケメンか。いいなぁ、金欠になったら羽根が売れるじゃん。高く売れそう」
「叩き出すぞ」
「なんで!?」
サムがロダンの相手をしている隙に、ベッドへ寝そべる。シェリーはまだ死んでいないはずだ。かすかに気配を感じる。必死で呼びかけ続けるしかない。俺に出来るのはこれだけだ。悔しくて、歯を食い縛る。
集中しろ、繫がるまで呼びかけるんだ。まぶたを閉じ、ありったけの気持ちをこめて呼びかける。視界が覗けたらいいんだけど、覗けないだろうな……。気絶しているのなら、暗闇しか見えないだろう。
シェリー、頼むから返事をしてくれ! シェリー、シェリー、聞こえるか? 死んでないよな? 届くはずだ。絶対に俺の声は届く。シェリー、起きて。呼びかけに答えてくれ。君はここで、俺の犠牲になってもいい人じゃないんだ。
目の前で風船が弾ける。それは気のせいで、辺りは薄暗く、何も見えなかった。誰かが私の名前を狂ったように呼んでいる。シェリーって、悲痛な叫び声を上げている。
胸が締めつけられるほど悲痛な声なのに、どうしてか、嬉しかった。止まっていた心臓がふたたび動き出し、死肉になろうとしていた肉の中に熱い血が流れ込む。そんな感覚に陥って、意識が浮上する。
『シェリー、お願いだ! 目を覚ましてくれ。シェリー、シェリー……』
レナード殿下が私の名前を呼ぶたび、意識が揺れる。絶えず、激痛に苛まれていても、胸の痛みが気になって仕方ない。胸の奥が痛くて苦しい。嬉しいけど、泣き出しそうになった。早く呼びかけに応じないと。
喉が潰れるまで、私の名前を呼びそうな勢いだった。目元から、涙が一筋流れ落ちる。ふいに、誰かが私の頬を撫でた。ゆっくり目を開けてみると、そこには、愉快そうな笑みを浮かべるロック・シュトナーが立っていた。
「さすがだな。痛みに耐える訓練をしていたと聞いたが……。目を覚ますのが早い」
「一体、私に何の用?」
「まだ寝ぼけてんのか。ここはお前の寝室じゃない、俺の部屋だ。拉致監禁されたんだよ」
「悪趣味ね、この部屋。狙いは私じゃなくて、レナード殿下でしょうに」
突然、ぶん殴られた。トゲトゲのグローブ? をはめた拳で殴られたから、皮膚が裂け、くちびるの端が切れた。生ぬるい血が頬を伝って、顎から滴り落ちる。身をよじれば、無数の針が体内を攻撃し始めた。血管の中で炭酸が弾けているみたい。全身に突き刺さった針が、体内で小さな衝撃を生み出している。
まじまじと自分の体を見下ろしてみたら、椅子に座っていて、腕や胸、足の甲、太ももに細長い針が突き刺さっていた。手のひらの中心にも、針が突き刺さっている。だけど、手の甲が板に当たっている。ざらざらした木の感触。数十秒かかったけど、自分の手が、針で板に打ちつけられているのが理解できた。背後は板張りの壁? 暗くて見えないうえに、針のせいで動けない。
「私、メモ用紙じゃないんだけど……」
「おいおい、他にもなんか言うことがあるだろ? 躾けようと思ったのにな。骨が折れそうだ」
「躾なら、もう終わってるからご心配なく。解放して」
「するわけないだろうが! 減らず口を叩くようなら、こいつらと同じ目に遭うぞ。いいのか?」
「先客がいるの……?」
薄暗くて、やたらと広い空間にガラスケースが並べられていた。それしか分からない。天井は高く、豪華なシャンデリアが吊り下がっていて、目を凝らして見ると、部屋の隅に立派な柱が何本もあった。多分、足元には絨毯が敷き詰められている。もしかして、エドニアの王宮? 個人の家にしてはあまりにも豪華。
「あくどいことして稼いだお金で立派なおうちを建てたの?」
「これを見ても、まだそんな口が聞けるのかよ……。あ、忘れてた。俺、夜目が利くんだった」
「よめ?」
「見せてやるよ、ほら。特別に明るくしてやる」
たかだか、照明を点けるだけで偉そうに……。眩しい光がぱっと炸裂する。目の奥に痛みが走った。見上げれば、シャンデリアが太陽のように燦々と光り輝いている。遠くの方でレナード殿下が私の名前を呼んだ。体中痛むせいで、きちんと返事できない。
「これ、は……」
ガラスケースに収められているのは死体だった。黒い花に埋もれ、まぶたを閉じている老婆の死体。綺麗にまとめられた総白髪の頭、未亡人が着ているような、装飾がついていない黒のロングドレス。左隣は金髪の小さい女の子。白のカチューシャをつけて、おそらく生前と変わらない、金色の巻き髪をおろしていた。白で統一したいのか、真っ白なレースワンピースを着せ、白い花で飾り立てている。
右隣のガラスケースに収められているのは、頬にそばかすがある若い女性。赤毛は丁寧に編み込まれ、くちびるはオレンジがかった赤色の口紅を塗りたくられている。彼女はオレンジとピンクの花で彩られ、焦げ茶色のワンピースを着せられていた。
眠っているような表情のマネキンに、綺麗なドレスやワンピースを着せて、花で飾り立てたかのよう。ふつふつと、腹の底で静かな怒りが燃え滾る。赤毛の若い女性とローザ様の姿が重なった。これは私の怒りじゃない、レナード殿下の怒りだ。
私は人の死体を見て、怒るような人間じゃない。今までもそうだった。私が初めて手をかけたのは、叔父さんに指示され、仲良くしていた友達。同じ年齢の女の子だった。私に怒る資格も無ければ、心もない。無残に殺された人を見ても、私は動じない。だけど、声が震えた。
「……どうして? 目的は一体なに」
「知ってるだろ? 俺の趣味だ。最近は手当たり次第、集められないんだ……。ここに、役立たずになった王子様を飾ったら、どんな雰囲気になると思う?」
「やく、たたず」
「ああ。血を奪い続けたら、弱って死ぬかもしれないじゃん? 精神的におかしくなったりして。自国とそう変わらない扱いだから、平気か」
頭の中が真っ白になる。レナード殿下はまだ、私の名前を呼び続けている。怒りに気がついたのか、戸惑った声で「シェリー? 深追いするなよ、戻ってこい!」と話してる。
「丈夫だといいなぁ。国民には虚弱体質のへっぽこ王子だって、嘘吐いてるんだろ? 聞いたぜ、ノーマンから。でも、血を奪われすぎて、使い物にならなくなったらここに飾ってやるか」
老婆が飾られたガラスケースへ近付き、表面を叩いた。私を怒らせるためではなく、ただ、思ったことを口にしている。そんな雰囲気だった。私には目もくれず、青ざめた肌の老婆を見上げている。
「本当は女しか飾りたくないんだ。でも、王子様が綺麗な顔立ちだったら、丁寧に加工して飾ってやるよ。女装させるのもありだな」
「……殺すのが目的じゃないでしょ、ねえ」
「役立たずになった王子様を飾る。人の話、ちゃんと聞いてたか? 血を提供できないのなら、価値は無い。頭がおかしくなったやつの血なんて、誰も欲しがらないだろ! 俺なら絶対嫌だね。病んだ思考が注入されそうで怖い」
エドニアも、シープ王国も変わらなかった。ここへレナード殿下を連れて来なくてよかった。エドニアには有力な一等級国家魔術師候補がいない。ロック・シュトナーさえいなければ、大丈夫。老いた一等級国家魔術師なら、余裕で追い払える。私が命がけでこいつを駆除したって、レナード殿下の未来は何も変わらない。でも、この先、私がいても誘拐されちゃうかも。
「まあ、いいさ。病まないように、お前と呑気にイチャついてればいい。レナード殿下がじゃじゃ馬娘に飽きたら、他の女をあてがえばいいか。エドニアは美人が多いぞ! お前の国とは違う」
殺す。私が全力で動いたって、レナード殿下は幸せにならない。でも、いつかまともな国に逃亡できるかも。頭がおかしいクズを排除すればきっと、レナード殿下の現状が少しだけ良くなる。生かしてはおけなかった。
レナード殿下を使い潰したあと、ガラスケースに飾ろうとする狂人なんて……。死んだ方がいい、私が殺す。魔術で、全身に突き刺さっている針を溶かした。液状になり、絨毯へ落ちて広がる。まだガラスケースをのんびり眺めているロックに襲いかかったら、嘲笑ってもう一度、私を針で固定した。
床に縫いつけられる。殺すつもりはないようで、髪の毛、手と足の裏に太い針が突き刺さっていた。鋭い痛みが襲いかかってくる。でも、平気。あと少し、あと少しだけだから。ロックが私の頭の上に、足を置いて踏みつけた。
「ん? どうするつもりだったんだ、お前はよ。魔力が空っぽのくせに、無茶しやがって。死んだら、レナード殿下をおびき寄せられないだろうが!」
「うぁっ!?」
「大人しくしておけよ……。無駄だって。反抗期か? なぁ」
「これが反抗期というのなら、一生死ぬまで反抗期でいる!」
「……バカって、話が通じなくて面倒臭いな。俺、いつまで子守をしなくちゃならねぇんだ?」
油断を誘うために、じたばたもがく。突き刺さった針を引き抜いて、ロックの足首に噛みつき、何もない空間を目指して走った。静かに眠る彼女達を、争いに巻き込みたくなかった。クズのおもちゃにされて、家族のもとへ帰れないのに、攻撃が当たって傷付くなんて嫌でしょ。私なら絶対嫌。
「はいはい、やめような~? 大人しくしててね~」
「反抗期だから無理!! 放して!」
私が悔しそうな顔でもがいていたからか、逃亡を諦め、駄々をこねてるじゃじゃ馬娘認定された。少しずつ、魔力が回復してゆく。微々たる量しか回復できないけど、これでいい。物体を引き寄せるほどの、魔力さえあれば。
私の背中に足を置いたロックが油断して、大きなあくびをする。チャンスだ。すぐさま、シャンデリアと天井を繋ぐコードを切断。慎重にシャンデリアを引き寄せたあと、素早く動き、ロックの足から逃げ出す。予想通り、ロックが転んだ。手を振って、頭上にシャンデリアを落としてやる。
「まっ、お前、うわあぁっ……!?」
思いの外、情けない声を出してシャンデリアの下敷きになった。痛みと衝撃のせいで、今は魔術が使えないはず! 駆け寄って、芋虫のようにうごめいているロックの頭を掴む。魔術で脳みそを破裂させればいい。ようやく殺せる。息を止めた瞬間、衝撃波を食らう。シャンデリアの破片が額と目元に突き刺さった。でも、まだやれる、間に合う!!
手を伸ばして、シャンデリアの下から這い出てきたロックの顔面を掴む。反射的に私の手首を握って、のけぞった。そのせいで奪えたのは、片方の眼球だけだった。血塗れのロックが立ち上がり、がらんどうになった穴を押さえる。鮮血がだくだくと、顔面を伝って流れ落ちていた。でも、すぐに止まる。
「あ~……目を、失っちまったか。どこにも落ちてねぇな? くそ」
「ここまでやっても、眼球一個だけって。化け物!」
「いやいや、化け物はお前の方だろ? 俺から目を奪ったんだ。自慢に思ってくれなきゃ困る」
肌を、突き刺すような殺意に圧倒された。もうだめ、今度こそ動けない。床に崩れ落ちたまま、今から私を殺す男の顔を見上げるしかなかった。最後に一度だけ、レナード殿下に話しかけたい。必死で名前を呼ぶレナード殿下に伝えたい。
『今までありがとう、幸せでした』
心の中で唱えた瞬間、自覚して涙が滲み出る。そっか、私、幸せだったんだ。じゃあ、もういいよね。諦めたって。レナード殿下が絶望に満ちた声を上げる。怒りのあまり、虚ろな表情になったロックが私の頭へ手を伸ばす。指先が触れる直前、扉を叩く音が響き渡った。
「誰だ? こんな時間に」
ロックの動きがぴたりと止まる。助かった……。こうしている場合じゃない、早く逃げないと。最後の力を振り絞って、床から起き上がる。レナード殿下の慟哭が聞こえた。私、だめだ。諦めちゃだめだ。努力しないと、生きるために。もう一度、誰かが扉を叩いた。飴色に輝く、重厚な両開きの扉を見つめ、ロックが表情を歪める。怯えているように見えた。




