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3.ドラゴンの背に乗って

 








「ごめん、すがって泣いてしまって」


 夜風が私の黒髪を乱してゆく。毛先が絡まりそう。耳の後ろへ髪を流す。ほのかに肌寒い夏の夜風に当たってすっきりしたのか、瞳の白い部分は赤いけど、晴れやかな表情を浮かべている。ドラゴンの翼が力強い音を立てた。翼が大きく動かされるたび、鱗に覆われた背中が揺れる。


「大丈夫ですよ。どうして謝るんですか?」

「……プライドの問題? 泣くのは悪いことじゃないけど、気が引ける」

「足の裏が痛いです」

「ごめん、帰ったら手当てしよう。今、帰らなくて本当に大丈夫か?」

「大丈夫です。そうじゃなくて、レナード殿下は気をつけたらいいんですよ。怪我しないように、注意深く動けなくてごめんって。それだけでいいんです」

「ありがとう。シェリーの慰めはいつも独特だな」

「だって、悩まなくてもいいことで悩んでいるから……」


 私の片手を強く握りしめ、レナード殿下が笑う。笑うと、蜂蜜色の瞳が綺麗に細くなるところが好き。つられて笑いかけたら、頬にキスされ、抱き寄せられた。私を膝の上に乗せるつもりだ。まあ、寒いから別にいいんだけど。


 攻撃されたら、すぐ反応できない体勢で落ち着かない。ふわっと、優しいぬくもりに包まれる。普段、意識してないけど、胸元や鎖骨がしっかりしているから、男性って感じ。私の体とはぜんぜん違う。さっきのことを思い出すと、心臓が変になる。


 照れ臭くなって、レナード殿下のごつごつした肩へもたれたら、粉砂糖をまぶしたような星空が視界いっぱいに広がった。綺麗。夜空に浮かぶ星は小さいけど、眩しい煌きを放っている。レナード殿下が私のお腹に手を回し、耳元でささやいた。


「綺麗だね。足はどう? 痛まない?」

「……はい。止血したから、もう大丈夫です」

「バーデンに治して貰った方がいいかな」

「どうなんでしょう。んー、でも、足だから治して貰います。昔から治癒魔術を沢山使ってるせいで、びっくりするぐらい、治りが遅いし」

「可哀相に。もう戦わなくていいから」

「いいえ、戦います。だって、この中で私が一番強い!」

「うーん、否定できないのがつらい……」


 悩みつつ、首筋にキスしてくる。びっくりした! 吐き出す息さえも、甘いような気がして落ち着かない。体の関係を持ったから? いつもよりべたべた度が高くて、表情と視線が甘い。動揺したせいで心の声が筒抜けになった。レナード殿下が肩を震わせながら笑い、抱きしめてくる。


「ごめん、ごめん、嫌だった?」

「分かって聞いてるでしょ!? 性格が悪い!」

「照れ隠しも可愛いね。シェリーは何をしていても可愛いけど」

「他の女性にも言ったんですか? 使い古した言葉じゃない?」

「違うよ! ……さてはエナンドの仕業だな? 嘘を吹き込まれた?」

「言いませーん」

「言ってくれよ。弁解したいのになぁ」


 レナード殿下が穏やかに笑う。今まで沢山の女性とふれあってきたのかもしれないけど、真夜中、ドラゴンの背中に乗って、レナード殿下と夜景を見たのは私だけだと思う。そう思えば、清々しい気分になれた。


(私だけだからいいの! 一緒にこの景色を見ているのは私だけ……)


 背の高い建物と低い建物が混在している街並みは、ところどころオレンジ色の光が灯っていて美しい。精巧な街の模型に光を灯したかのようだった。現実という気がしない。見上げれば、ささやかな煌きを放つ星が、真っ暗闇の空を彩っている。冷たい夜風が吹き渡った。夜の匂いが、ここは現実だって知らせてる。


「綺麗ですね。街並みがどこまでも続いてる」

「……海まで行きたいなぁ」

「行ってみるか!? 楽しいぞ!!」

「うるさっ……」

「夜だから静かにしてくれ、カーティス!」

「悪い! 聞こえないかと思って……」


 人の姿でいる時よりも声が低くて、うるさい。ちょっとだけガラガラ声が混じってるかも。話すたび、胴体が揺れる。鱗がでこぼこしていて助かった。大きく揺れた瞬間、レナード殿下が私のお腹に手を回したまま、出っ張っている鱗を掴んで、必死に姿勢を保ってくれる。一番揺れなさそうな、背中の真ん中を選んで座ったけど、揺れちゃうなぁ。


「私、降りた方が……」

「寒いだろ? 足の裏、怪我しちゃってるし。このままの方が絶対にいい」

「私とくっつきたいだけでしょう?」

「バレたか。実は俺も寒くて……」

「じゃあ、変なところを触らないでくださいよ!!」

「ぐっ!? ま、待って、ごめん! 暴れないで、落ちるから」

「何!? 大丈夫か!」

「だ、大丈夫、大丈夫……」

「内臓にくる声! うるさい~」


 鼓膜がやられちゃいそう。両耳を塞いで唸っていたら、もう一度、ぎゅっと抱きしめられた。頭突きしたのに、まだ懲りてない。


「ごめん、シェリー。俺が悪かったから暴れないで。危険だから」

「……はい。もう帰りましょうよ」

「んー、あと少しだけ夜景を楽しみたい。ドラゴンに乗るのが夢だったんだ」

「えっ?」


 そんな話、聞いたことない。やけにモヤモヤしちゃった。レナード殿下はあまり自分のことについて話さないから……。自分をなだめようとしたけど、無理だった。


 私がカイやエナンド、その他大勢と同じ扱いされるのって変じゃない? せっかく付き合ったのに。モヤモヤが増してきた。柔らかい光が点在する夜の街並みを見ても、気が晴れない。


「レナード殿下の弱点って何ですか?」

「ごめん、眠たい? それとも足が痛くなってきた? 治そうか」

「いいです、別に。痛みに慣れる訓練をしている最中なので」

「知らなかったよ……」

「そんなことよりも、弱点は何ですか? どんなことを言われたら傷付きますか!?」

「嫌いって言われるのが一番悲しいなぁ。でも、俺を弱らせたいのなら、大好きって言えばいい。あっという間に弱る」


 このうえなく甘い声でささやかれた。飛び跳ねる心臓の音が、レナード殿下に聞こえてしまいそう。妙な汗が背中に滲む。違うんだけど……。私が欲しかった情報じゃない。色んなことが知りたい。誰も知らないレナード殿下の脆い部分や悲しかったこと、夢とか、やってみたいことが知りたいだけなのに。


 特別扱いされたい。他の人と一緒は嫌だ! 答えをはぐらかしたレナード殿下が笑い、今度は私の髪の毛をいじり出した。器用に、指先へ巻きつけてゆく。


「どうしたんだ? 急に。もう帰りたい?」

「……カイとエナンドに圧勝できないのが悔しくて」

「ん? してるだろ? 二人よりも強い」

「レナード殿下に」

「うん。どうした?」


 言えなくなった。特別扱いして欲しいって言っても、お得意の優しげな微笑みできっとこう言う。大丈夫、シェリーは特別な存在だよ、心配する必要はないって。ぐだぐだ言おうとしても、口で口を塞がれる。いつだってそう! あ、イライラしてきた。もしかして、私、いいように操られてる……?


「何でもありません。嫌い!」

「悲しいな、俺は好きなのに」

「嘘臭い……」

「シェリー! 一体どうしたんだ? 俺がドラゴンに乗ってはしゃいでるから?」

「違います。言っても、丸め込まれるだけだから言いません」

「はあ。シェリーを丸め込んだことなんて一回もないのに?」

「私の目を見て、言えますか?」

「……」

「顔と声でどうにかしようとするでしょ、いつもいつも!」


 キスされると、もういいかなって思っちゃう。だから、今日こそ流されない。眠って、ご飯食べて、運動したら、特別扱いされていないことを忘れられる。それまで待たなくちゃ。レナード殿下が無言で、私の髪の毛を梳かし、小さく息を吐いた。


「丸め込もうとしてるわけじゃない。シェリーの照れる顔が見たくて、やってしまったんだ。悲しい思いをさせてごめん」

「……」

「悩んでいる理由が知りたいんだけど……。絶対に教えたくない?」

「う~」

「じゃあ、気が向いたら教えて。きちんと謝りたいから」

「明日になれば多分、忘れるので気にしないでください」


 早くも負けそうになっちゃってる。レナード殿下、すごい。落ち着いた悲しげな声でじっくり質問されると、あ、言わなきゃって思っちゃう。拷問で口を割らない自信はあるんだけど……。悲しそうに聞かれたことがないから、だんだん、いたたまれない気持ちになってきた。どうしようかな、言った方がいい?


「分かった、諦めるよ。無理に言わせたくない」

「……」

「言いたくなったらいつでも言って。向き合うし、ちゃんと謝るから」


 うー、口がもぞもぞしてきた。全部言ってしまいたい。我慢しようと思ったけど、レナード殿下が夜空の星を見てはしゃぎ、うっとり夜景を眺めていたから、腹が立ってきた。私だけ悩んでいるのがバカらしくなって、話しかける。


「あのですね、レナード殿下?」

「うん? あっ、流れ星! 見えたか? 今の」

「……」

「ごめんごめん、眉間にシワが寄ってるよ~。可愛い」


 ぐりぐりと、指先で私の眉間をほぐした。嬉しそうな笑顔を見ていたら、緊張やプライドがどこかへいった。この際、全部話しちゃおう。特別扱いされてる気がしないってこと、はぐらかされたくないこと、レナード殿下の夢やしたいことが聞けなくて、寂しかったって、休みなく喋ってみた。そのせいで頭がくらくらする。


「大丈夫? シェリー。止めれば良かった、ごめん」

「いえ、だっ、大丈夫です。教えて貰えませんか? 全部」

「うん。……したいことを話せば、エナンドやカイ、モリスを困らせると思っていた」

「どうしてですか?」

「だって、危ないだろ? なるべく塔から出るなって言われてたし」


 嘘がない、本音だと感じた。先程とは打って変わって、レナード殿下の声は低く、微塵も優しさがない。どこか渇いてる声を聞いていると、胸の奥が痛むような気がした。冷たい夜風が肌にしみる。


「いつからだろう。将来のことを話さなくなった。小さい頃は塔から出たい、海へもう一度行ってみたいって、大勢の人を助けたいって言ってたような気がするけど」

「無駄だから、諦めたんですか?」

「違うよ。周囲に心配をかけたくなかったから、演じていた。本当はまだ諦めがついていない。病院へ行って血を配りたいし、旅行にも行きたい」

「……こっそり、行きましょうか?」

「っはは、ありがとう。我慢してるわけじゃない、諦めがつかないだけ。もう十分だ。シェリーと綺麗な満月が見れたから」


 いつの間にか市街地を通り過ぎて、海上へ踊り出ていた。カーティスが咆哮を上げ、体をくねらせる。湿っぽい海の匂いを含んだ潮風は強くて、目が開けられないほど。レナード殿下が両手を広げ、歓声を上げた。


 風が少し弱まった時、こわごわ目を開けてみるとそこには、大きい満月に照らされる漆黒の海が広がっていた。言葉が出てこない。黄金色の月光。柔らかく、静かな月明かりに照らされた海面が、激しい潮風に吹かれ、躍動的に波打っていた。波がぶつかる音と強い風の音。


「わぁ……」

「特等席だな! 綺麗だ」

「いつか、行きましょうよ。沢山の綺麗なものを一緒に見に行きたいです」

「そうだね。いつか……」

「陛下を暗殺するしかないですね」

「落ち着いて! 別にいいんだ、塔から出れなくても。俺にはシェリーがいる」

「でも、行きたいでしょう? 外を見て回りましょうよ」

「はいはい、この話はもう終わり! いずれ、諦めがつくから。その時慰めて欲しい」

「もーっ」


 またはぐらかされた。レナード殿下が私のお腹に手を回し、首筋へ吸いつく。悲しそうだから、あれこれ聞くのはやめよう。私の手に負えない問題が沢山あって、歯痒い。


「あーあ! 全員、殺して問題を解決できたらいいのになぁ」

「だめだよ。俺と一緒にいられなくなるから」

「はい……」

「聞いてくれてありがとう。心が少し軽くなった」

「本当ですか?」

「うん。……言っても、無駄なことを言って何になる? 自分の気持ちやしたいことを積極的に話すつもりはない。これからも、相手が誰であれ」

「レナード殿下」

「ごめん、シェリー。悩みたくないんだ。一秒でも長く、現実を忘れていたい」


 ぶわっと涙があふれ出てくる。違う、これ、私の涙じゃなくて……。振り返ったら、レナード殿下に優しく微笑みかけられた。両手で目元をぺたぺた触ってみたけど、何もつかない。指先は乾燥したまま。黙っている私を見て、優しい微笑みを深める。


「子どもみたいだね。なんで小さい子はよく人の顔を触るんだろう」

「あ、泣きたいのに泣けないんですか? 私のために泣いてくれたのに、自分のためには……」

「おいで。慰めてくれよ」


 私の腰へ手を回し、無言でこっちに体を向けるようにと指示を出す。言う通りにしたら、突然、キスされた。レナード殿下はふれあうことで傷を癒そうとする。じゃあ、我慢してあげようかな。本当は、見ていると吸い込まれそうな、漆黒の海を眺めていたいんだけど……。


 いつものキスじゃない。息が苦しくなってきた。甘い砂糖水の底へ沈められるような感覚。肩にしがみついて、爪を立てる。やめてくれなかった。今度は肩を叩いてみる。嘲笑うかのように、ぐっと腰を抱き寄せてきた。


(もーっ!! ここが海の上じゃなかったら、もう少し……)


 どんなに強くしがみついても、怯まない。ベッドの上でもそうだった、びくともしない。甘い熱を帯びた蜂蜜色の瞳が脳裏に浮かんで、焦る。しがみつくしかなかった。抵抗できない数時間。だけど、抵抗しようとは思わなかったし、どんなに翻弄されても、プライドは傷付かなかった。


 自分の鼓動がはっきりと聞こえる。ベッドの上でされたことを思い出すたび、胸の奥が詰まる。これ以上、キスを続けたら脳みそが破裂しちゃいそう。思い出さなくてもいいのに! もう限界、無理って感じた瞬間、離れていった。見られるのが嫌で、レナード殿下の肩へ顔をぶつける。いつもと同じ、涼しげな声で話しかけてきた。


「ごめんごめん、大丈夫?」

「ゆっ、許すつもりはありませんからね……!!」

「息も絶え絶えだ。ごめん、元気になったよ。ありがとう」

「……思い出したくないことまで、思い出しました」

「えっ!? 過去の男の話?」


 私の背中を擦りながら、とんちんかんなことを言う。悔しい。レナード殿下は調子を乱さず、いつものまま。激しいキスなんてしたことありません、って言いたげな表情で私の背中を擦っているはず。無性にイライラしたけど、体に力が入らない。体に力が入らないと、怒る気が失せるって、この時初めて知った。


「嫌だなぁ。誰とも付き合ったことはないはずじゃ、」

「違います!! さっきのことを思い出しちゃったんです!」

「さっきのこと? ……ああ、帰ってから続きをしようか」

「明け方になりますよ」

「心配いらない。昼寝すればいい」

「だめです、却下!」


 立ち上がって座り直し、レナード殿下に背中を向ける。ひどく残念そうな溜め息を吐いて、私のお腹へ手を回す。雄大な景色が熱を冷ましてくれた。このまま途切れることなく、ずーっと、地の果てまで続いていそうな漆黒の海。


 月明かりがやけに眩しく感じた。波の狭間で揺れる月光。眩しい輝きを凝視していると、まるで、月の光が海の上で遊んでいるかのよう。躍動的な輝きが、私に幻を見せてくれる。


「綺麗だな、本当に。昼間の海よりも綺麗だ」

「星もあってロマンチックですね。っぐしゅん!!」

「慣れないことを言ったせいか? くしゃみが出たな」

「うー、せっかくの雰囲気が!」

「どれ、温めてあげよう」

「唐突にいきいきするの、やめてください。引き返して! お城へ帰して!」

「分かった! 旋回するぞーっ!」

「旋回……?」


 カーティスの返事を聞いて、レナード殿下がとっさに私を抱きしめ、出っ張った鱗へ手を伸ばす。ゆっくりと旋回し始めた。どんどん海面から遠ざかってゆく。必要あった? 旋回しながら高度を上げて、飛ぶつもりらしい。意味分かんない。翼を力強くはばたかせ、さっきよりも速度を上げて飛ぶ。猛烈な潮風が、私の顔にぶつかってきた。


「ぶぅっ!?」

「少し耐えろ、今、使うから……」

「おっ? 楽になりました、ありがとうございます!」

「最初からこうすれば良かったな。風を感じたくて、使わなかったけど」


 ばつが悪そうに、レナード殿下がもそもそ喋る。快適だった。多分、魔術で壁を作ってくれた。髪がぐちゃぐちゃにならないし、落ち着いて景色が見れる。そのうえ、ほんのり暖かい。


「手先がぽかぽかしてきました……」

「寒そうだったから。よしよし、上手くいってる」

「暖かくなったからもう、手を握る必要はありませんよ?」

「俺の手はまだ冷たい」

「なるほど。私の手のひらで暖を取るつもりですね」

「そういうこと」


 おかしそうに笑い、骨ばった両手で私の手を包み込む。くすぐったい。なんだかふわふわする。さっきみたいに、頭突きしちゃおうかな……。怪我しない程度に。私の顎が傷付いちゃうから。あ、でも、そんなことしなくても大丈夫。他の方法があった。


「一つだけ聞きたいことがあります」

「いいよ、どうぞ」

「大丈夫ですか?」

「大丈夫! シェリーは特別な存在だから、何を聞かれても答えるよ。拒絶しない」

「……どうしてローザ様に不気味だって言われたこと、私に隠してたんですか」


 そりゃ、私だってレナード殿下に言ってないこと、沢山あるけど……。過去にあったつらいことを、私だけ言うのは間違ってる。情報を吸い取るだけ吸い取って、何も言わない情報員のよう。付き合ってるんだから、特別なら、私の過去を暴かないで、少しぐらい、つらかったことを話して欲しい。


 心の中だと上手く言える。心の声をそのまま変換できなかった。上手く説明できたらいいんだけど、難しい。レナード殿下が私の手から手を離して、ぎゅっと抱きしめてくれた。


「ごめん、シェリー。わざわざ言うようなことじゃないと思って黙ってたんだ」

「傷付いたでしょう?」

「いや、というか、初対面でそんな話を……?」

「話の流れで!」

「話の流れね。どんな話をしていたんだ?」

「忘れました。明確に思い出せません」

「言うと思ったよ……」


 レナード殿下が私を抱きしめたまま、苦笑する。海辺の街は都会よりも真っ暗で、わずかな明かりが点在しているだけだった。綺麗とは言いがたい夜景を横目で眺めながら、続けて質問する。


「どう思いましたか? 不気味だって言われて」

「シェリー」

「何でも聞いていいんでしょ! さっきの仕返しです」

「仕返し?」

「はい。聞かれたら嫌な気持ちになるでしょう? だから、今まで黙ってたけど」

「そうか……成長したなぁ! 嬉しいよ、人の気持ちが分かる子になってくれて」

「前々から分かっていましたよ」

「んー、ああ、なるほど?」


 言葉を濁された。振り返って文句を言おうと思ったら、わざとらしく咳き込み、早口で説明し出した。


「彼女は良くも悪くも深窓の姫君なんだ。母親が潔癖症、いや、こういう言い方はよろしくないな! 周囲を困惑させるほどの綺麗好きだから、血は汚いものだと思い込んでいるんだ」

「……じゃあ、ローザ様にとって、うんちはどういう存在なんでしょうか?」

「気になるところはそこ!? まあいいや。彼女はお嬢様だし、汚い血を飲ませて治す、俺の力が不気味だったんだろう……。いちいち気にするほど繊細じゃない、どうでもいいよ」

「血がだめなら、うんちはもっとだめですよね」

「ショックだったの? もしかして」

「はい。血なんてぜんぜん汚くないのに……」

「まぁね。でも、それは俺達二人の価値観だ。ふかふかの畑の土だって、汚いから触りたくない、踏みたくないって考える人間もいる」


 振り返ってレナード殿下を見てみたら、澄んだ眼差しで遠くの夜空を眺めていた。暗がりの中でも光を放ちそうなほど、綺麗で澄んだ蜂蜜色の眼差し。そこに怒りの欠片や淋しい影が映っていなくて、ちょっとだけ安心した。


「でも、レナード殿下は畑の土じゃありません! 汚くないし、不気味じゃない……」

「ありがとう。十分すぎるほどだよ、その言葉だけで」

「ん?」

「また遊びに行くんだろ? 彼女の屋敷に」

「はい! 約束したので」

「行かなくても、」

「行きます。ローザ様はレナード殿下と似たところがあって、放っておけないんですよ」

「待った、どこが似てる!?」


 綺麗なところと、本の挿絵から出てきそうなところ、品があるのに鬱々していて、ちょっぴり怖いけど、繊細で落ち込みやすくて、人間不信なのにかまってちゃんなところ、って伝えたら落ち込んだ。ほらね、似てる。


 それからずーっと、ぐだぐだ文句を言いつつも私の頬や首筋にキスして、やめておけばいいのに、古傷を抉り出すようなことを言って、さらに落ち込んでいた。わざわざ自分の心を傷付けてる。


「シェリーが嫉妬してくれないのは、最初、俺の態度が悪かったから? なんでローザと仲良くしようとする?」

「もーっ、いい加減にしてください! そろそろお城に着きますよ!」

「帰りたくないな~……」

「帰ったら、一緒に寝ましょうね」

「よし、帰るか。やる気が湧いてきたぞ」




















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