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2.真夜中の不法侵入者

 





 真夜中、ふと目を覚ます。妙な胸騒ぎがした。私の勘はよく当たるから……。体を起こせば、レナード殿下の腕が滑り落ちていった。


(起こしてない? 大丈夫かな)


 ハラハラしつつ顔を覗き込んだら、すうすうと寝息を立てて熟睡していた。良かった。殺したらうるさく騒ぎそうだから、起きる前に侵入者を殺しておきたい。でも、今、裸だ。着替えている最中に、敵が来たら最悪。


 音を立てないよう、ベッドから降りて長椅子に置いてある、レナード殿下とお揃いの青色パジャマに袖を通す。しっかり準備しないと。こういう時、平和ボケした自分が嫌になる。刃物や弾丸を通さない戦闘服、ベッドの下にでも置こうかな……。パジャマのボタンを留めている最中、ふと窓を見たら、大きな翼が横切った。


「まさか、ドラゴン?」


 声が自然と震える。落ち着いて。魔術が突破された形跡はない。だったら一応、敵意はないはず。レナード殿下の血を狙う人は弾かれて、入れないはずだから。でも、どんな強固な魔術にも抜け穴はある。過信するのは禁物。分かっていたはずなのに、気が緩んでいた。


(モリスさんに比べて、ノーマンは腕が悪い。弟子だから当たり前なんだけど)


 モリスさんには敵わない。私が何とかしなくては。どうしよう? レナード殿下を起こす? 多分、起こすのが正解だと思う。でも、レナード殿下を戦いに巻き込みたくない。戦闘から一番遠い場所にいて欲しい、大事な人。最後になるかもしれないから、眠っているレナード殿下に近付き、おでこへキスした。


「行ってきます」


 私は弱くなった。死ぬのを覚悟して挑まなくちゃいけない。ベッドから離れ、窓際へ足を向けた瞬間、床からバーデンが現われた。黒い液体のようなローブが揺らぐ。


「相手はドラゴンだ。すぐに殺すなよ」

「分かってる。面倒臭いことになりそうだから、気絶させて叩き出す」

「俺の体を貸してやろうか?」

「……負けそうになったらね。よろしく」


 静かに窓を開け放って、飛び降りる。どういうつもりなのか、さっき見たドラゴンは人型になって、こっちをまっすぐ見上げていた。暗闇の中で目が一瞬だけ光る。まったく敵意が感じられない。


 殺せば、親族がうじゃうじゃやって来そうだから、気絶させるのが一番無難な方法よね。地面に着地し、立ち上がる。続けて、バーデンが私の横に降り立った。人影が戸惑ったように動き、ゆっくりと近付いてくる。肌が粟立つのを感じた。


「殺気がすごいな……。警戒しないでくれって言いたいところだけど、余計、怪しまれるか」

「不法侵入者に何を言われても響きません」

「……もしかして、裸足?」

「え?」


 そんなことを言われるとは思っていなくて、戸惑う。ドラゴンは卑怯なことをしないって言われてるから、こうやって話している間は安全、なのかな……。あまりにも敵意がないから、どうすればいいのか分からなくなってきた。ドラゴンが両手を上げつつ、慎重な足取りで近付いてくる。バーデンが警戒し、私の前に立った。


「この匂い、ああ、人外者か。大丈夫だよ、何もしない」

「昼間ならまだしも、こんな夜更けに堂々と侵入したドラゴンに言われてもなぁ。帰れ! 翼をもぐぞ」

「昼間、伝手を辿って会いに行けるのならそうする。だけど、貴族の知り合いなんていないし……」


 のんびりした口調でぼやいたあと、なぜか急に、目の前で靴を脱ぎ出した。こんなことは初めてで、呆気に取られる。でも、気絶させるって決めたから。指の腹を擦り合わせ、魔力の糸を生み出す。


 武器は使わない方がいい、激昂されたくない。頭の中でより強靭に、鉄のように硬く、髪のようにしなやかな糸を想像する。魔術は自分の魔力と術語を使い、想像によって、物体を創造するもの。


(これだけは誰にも負けたくない。魔術を制する者は戦いを制する)


 筋肉が衰えたって問題ない。私なら大丈夫。相手が油断している隙に、反応できないスピードで糸を巻きつけ、動きを封じよう。さりげなく両手で糸を持ち、思いっきり引っ張る。その動きで糸が瞬く間に伸びた。


 一歩踏み出して、素早く、相手の首に向かって糸を投げつける。私が派手な動きをする必要はない。勝手に糸が動いて、肌に吸いつき、ぐっと相手の首を締め上げた。


「わっ!?」

「動かないで! 気絶させて放り投げるだけだから……」

「困った。手荒な真似はしたくないのに」


 バーデンがとっさに、私と相手を繋いでいる糸を断ち切った。胃がおえっとなるスピードで抱き上げられ、後ろへ飛び退く。意外なことに、相手は何もしてこなかった。バーデンが私を抱き上げたまま、空中に光る球体を生み出す。


 白い光に照らされた男が、眩しそうに、目を細めながら見つめてきた。ぎらりと輝く、明るいグリーンの瞳。ふさふさした赤い髪の毛を束ね、鎖骨の辺りに垂らしている。黒いニットの上に、茶色い薄手のトレンチコートを羽織っていた。


 いかにも長身の一般人という感じで、戸惑ってしまう。気迫がない。肌を刺すような雰囲気がなかった。あきらかに表社会の人よね……。光に照らされる中、私が首に巻き付けた糸の隙間へ、無理やり指を捻じこみ、苦しそうに呻いていた。


「あー、びっくりした! ぜんぜん反応できなかったよ、すごいなぁ」

「……」

「何の用だ? こっちに危害を加えるようなら」

「心配いらないって! 糸が、切れないんだけど、なんで?」

「丈夫な糸にしたからです。糸から指を離した方がいいですよ。切り落とされます」

「っごめん、何もしない、苦しいから早く……!!」


 まあ、今、気絶させなくてもいっか。首を押さえて、悶え苦しむ男を指差し、糸に命令を出す。緩んだ瞬間、大きく息を吸い込んだ。弱い! 弱いのなら大丈夫かな、少しぐらい喋っても。


「焦った……。小さいのにかなりの腕前だね」

「……」

「ごめんごめん!! 大丈夫だよ、その年ならまだ伸びるからっ!」

「おそらくもう伸びません。気絶させます」

「っぐ!?」

「指を失わずに済んで、幸運だと思ってください」


 このまま気絶させちゃおう。指を動かし、糸で締め上げる。バーデンも異論はないみたいで、私を抱き上げたまま、静かに佇んでいた。男が地面へ崩れ落ち、首を掻きむしる。あともう少しで気絶させられる。


 ドラゴンの姿に戻って抵抗するかなと思っていたけど、案外大人しい。一気に片をつけよう。指先を下へ向けて、さらに締め上げた瞬間、窓が音を立てて開く。夜の静寂を、凛とした声が破った。


「シェリー! そこで一体、何をしている!?」

「……レナード殿下」


 いけない、やめないと。指を握りしめ、中断する。男が地面に這いつくばったまま、咳き込んだ。どうしよう、怒られちゃうかも。殺そうとしたわけじゃないってこと、信じて貰えるかな……。でも、真夜中に侵入したドラゴンと私、どっちが悪いのか聞かれたら、ドラゴンが悪いって言ってくれそう。レナード殿下が慌てた様子で、窓枠に足をかける。


「バーデン! 迎えに行ってあげて、怖い!」

「はいよ。手がかかるなぁ、どいつもこいつも」

「私は手がかからないでしょ?」

「嘘だろ? 冗談だよな。冗談であることを祈ろう……」


 バーデンがローブを黒い両翼へと変えて、飛んでいった。全身真っ黒の鳥人間みたい。あ、油断していた。男の両手足を縛っておこう。やっとの思いで立ち上がった雰囲気を漂わせてる男に糸を投げ、縛り上げる。ふいに、エナンドが豚肉の塊に糸を巻きつけていた光景が思い浮かぶ。


(ドラゴンって美味しいのかな……)


 大きな鳥人間風バーデンの背中に乗ったレナード殿下が、芝生へ降り立った。怒られるかな? 逃げたい気持ちでいっぱいになっちゃった。怯えている私を見て、寝起きのレナード殿下が柔らかな苦笑を浮かべる。私の両手を掴み、引き寄せた。


「怪我はないか? 大丈夫?」

「は、はい。怒らないんですね」

「もう、シェリーが考えなしに誰かを殺すとは思っていないよ」

「……」

「裸足じゃないか! これ、俺のスリッパだけど、良かったら履いて」


 肩へ手を置くようにと言われ、その通りにしてみたら、ひざまずいて、土まみれの足にふわふわスリッパを引っかけてくれた。あの人も、私に靴を履かせようと思っていたのかもしれない。悪いことしちゃったような気がするけど、でも、不法侵入者だから……。ぐるぐる巻きにして正解。振り返ったら、バーデンが不法侵入者を見張っていた。


「……あの人、意外と良い人かもしれません。靴を履かせようとしてくれました」

「何だって? 要注意人物だ。下心があるかもしれない」

「気のせいです。土まみれの足に興奮するんですか? ほらっ」

「こらこら、俺のパジャマが土で汚れる……」


 スリッパを脱ぎ捨てて、土まみれの足を見せつけたら嫌がられた。どこからどう見ても興奮しそうにない足。首を傾げつつ眺めていると、無言でもう一度、スリッパを履かせてくれた。


「おい! 気は済んだか? そこのバカップル。早く来い!」

「悪かった、バーデン。ありがとう」

「レナード殿下がね、急にひざまずいてスリッパを、」

「言い訳はよせ。早く帰って寝たいんだ」


 人外者は睡眠をとらなくても死なないのに、イライラした様子で腕組みしている。残念、説明しようと思っただけなのに。しぶしぶレナード殿下に手を引かれ、歩いて向かうと、ぐるぐる巻きの男がほっとした表情で見上げてきた。近くで見ると、鮮烈なグリーンの瞳。バーデンがさっきとは違い、月光のような、目に優しい光の球体を呼び寄せてくれた。


「あんたがもしかして、癒しの血を持つレナード殿下?」

「そうだ。貴族じゃないよな? 貴族なら、王妃様や父上にかけあうはず。それとも、法外な値段を提示されたか」

「違う。以前、前の王妃様に会ったことがある」

「……母上に?」


 良かった、殺さなくて正解だった! ものすごくほっとして、胸を撫で下ろしていると、バーデンが胡乱な目つきで眺めてきた。仕返しが怖いから、殺すつもりはなかったんだけど。殺すつもりだったよなって、バーデンが表情で問いかけてきた。もちろん、無視する。


「どういうことだ。母上の知り合い?」

「いいや、違う。静養先で会った。知り合いと言えば、知り合いか。気さくな方だったよ。崖から海に飛び込む俺を見て、話しかけてくださった」

「静養、先で……」

「まだ幼いあんたを連れて来ていた。覚えちゃいないよな? すごく小さかったから。息子にドラゴンを見せてあげたくて、と笑いながら話していた」

「待って、ドラゴン!?」

「首に鱗があるだろ?」


 男の首に残った糸を見て、レナード殿下が顔をしかめる。殺そうとしてないもん。軽く睨まれたから、目を逸らす。


「シェリー! 糸を消してくれ。話しづらい」

「分かりました。レナード殿下に危害を加えようとしたら、はじき出されるのでお気をつけて」

「何もしないよ! 疑り深いお嬢ちゃんだな~」

「お嬢ちゃん……」


 レナード殿下の手前、我慢する。だけど、むかつくから強引に糸をほどいてやった。そんな私を見て、レナード殿下が止めに入る。


「落ち着いてくれ、よしよし。もう大丈夫だから」

「帰りませんよ!」

「……ゆっくり話したいから、少し離れてくれないか」


 声と表情は優しい。でも、突き放されたような気がした。いつだってそう。大事なことは教えてくれない。昔、どんなことがあったのか、つらかった出来事を訊ねるくせに、自分について何も言わない。私の話を聞くだけ聞いて終わり。


 むかむかした。揚げ物をかごいっぱい食べたって、こんな気持ちにはならない。少しでも不快さを何とかしたくて、首を擦っているドラゴンを蹴り飛ばす。


「うおっ!?」

「シェリー、だめだって!」

「あなたが来なかったら、あなたが来なかったら私は、今頃、レナード殿下とぐっすり眠れていたのに! 追い払われることもなかったのに!!」


 すごく悲しい。小さい頃、会っていたというだけで贔屓する。怪しい不法侵入者なのに! 涙がじわっと出てきた。悔しくて、悲しくて、どうすればいいのか分からない。追い払われそうになった。私、いらないんだ。


 泣きながら蹴り飛ばしていると、レナード殿下と私の間に割って入ったドラゴンが突然、肩を掴んできた。人の手とは違う。グリーンの鱗が手の甲に、数枚浮かんでいる。たやすく折れそうにない、太い指と鋭い爪。


「落ち着け! 大丈夫だ。俺は敵じゃない」

「あなたさえ、いなかったから」

「これに関してはレナード殿下が悪い。もっと丁重に扱うべきだ」

「丁重に……」

「そう! 分かるよ、恋人がいる間中、ずっと情緒不安定になるよな。俺も彼女に言い寄ってきた人間を食い殺しそうになったことがある」

「……」

「ドラゴンは基本的に恋愛至上主義なんだ。恋で狂う。情熱的なんだけどね」


 私が無表情になったのを見て、すかさずレナード殿下が説明してくれた。私、大人しい方かも。さすがに今、目の前にいるドラゴンを食べて、消化して、トイレに流そうとは思わない。勘違いした様子のドラゴンが、眩しい笑顔で頷いた。


「安心してくれ。奪うつもりはないから。それと、レナード殿下は間違っている! 彼女は咲きかけの薔薇のように愛らしく、雨に濡れた子犬よりも繊細でか弱い。追い払うような真似をしたらだめだ。たとえ、俺と二人きりで話したくても」

「やっぱり、殺して埋めてもいいですか? レナード殿下、許可をください」

「落ち着いてくれ……。俺が全部悪かったから。追い払おうとしたわけじゃないよ」


 私のことを後ろから抱きしめ、頬へキスする。ごまかそうとしてるでしょって、文句を言いたくて振り返ったら、優しく微笑みかけられた。口元がひん曲がる。レナード殿下はずるい人だと思う。言いたいことが消えるような感覚に襲われた。


「次はありませんからね! でも、追い払おうとしたんでしょ?」

「違うよ。攻撃するんじゃないかなと思って、心配になったんだ」

「しません! 蹴り飛ばすだけなのに」

「だめ~。あっ、そうだ、名前、まだ聞いてなかったな……」

「不法侵入者さん?」

「違う! 俺の名前はカーティスだ! 二人とも、話を真面目に聞く気がないようだから言っておく。血が欲しい。一滴でいいんだ」


 深刻そうな顔をして、トレンチコートのポケットから小瓶を取り出す。どうする? 追い出す? 殺気立って身構える私を強く抱きしめ、レナード殿下がそっと優しくささやいた。


「大丈夫だから落ち着いて。心配いらないよ」

「……はい、分かりました」

「カーティス。どうして俺の血が欲しいんだ?」

「叔父が、翼が腐り落ちる病気にかかって……。手術が成功したって生きていられるかどうか分からない。全身に毒が回っている状態だと聞いた」

「毒が」

「そうだ。金なら払う、助けて欲しい。最後は内臓も皮膚も腐り落ちて、痛みにもだえ苦しみながら死ぬそうだ。文字通り、何でもしよう。頼む!」


 声を震わせながら、地面へ這いつくばる。嘘を言ってるようには見えない。でも、次々と病気の親類縁者を連れてこられでもしたら……。レナード殿下が一瞬だけ、私の肩から手を離す。でも、手を彷徨わせ、もう一度私のことを抱きしめてくれた。嬉しい。私、このドラゴンに勝てたんだ!


「顔を上げてくれ。そんなことをする必要はない」

「じゃあ……」

「ただし、条件がある。母上が癒しの血について話したのか? 貴族のみならず、もしかして、一般市民にも血の話が」

「それはない! 大丈夫だ。幼いあんたが俺の体によじ登ってる最中、手に怪我をしたんだ。俺の鱗は鋭い。なめらかにする加工なんてしていなかったし」

「待ってくれ。なめらかにする加工!?」

「人間と結婚したら、スキンシップするたび、柔らかい皮膚に傷が付いて、血が出ちまうだろ? だから、鱗を削ってなめらかにする。コーティング剤も塗って貰うんだ」

「へ~」


 レナード殿下が興味深そうな声を出す。苛立って、私が両腕をぐいぐい引っ張ったら、はっと我に返り、苦笑しつつも抱きしめてくれた。満足。カーティスが笑って、猫みたいだと言ってきた。失礼ね。でも、我慢、我慢……。


「あんたの血の匂いを嗅いで、只事じゃないと感じた。血液の病気にでもかかっているんじゃないかと」

「変な匂いがする!? 俺の血!」

「変というよりも……。嗅いだことがない匂いがした。煮詰めた薬草と蜂蜜みたいな匂いだ」


 前の王妃様ことレナード殿下のお母様は、笑いながら「何でもない、大丈夫よ」としか言わなかったそう。家に帰って今日の出来事を、今は亡くなってしまったひい祖父に話してみたところ、癒しの血を持っているんじゃないかと言い出した。血が貰えると決まったわけじゃないからか、どこか怯えた眼差しで私を見ながら話す。


「ありえないと思ったんだ。どんな病気も治す血なんて……。でも、ひい祖父の言う通り、代々集めてきた書物がこれでもかって言うぐらい、詰まった書庫を漁ってみたら、とある本が出てきた」

「本か。ドラゴンは宝飾品を集めてるイメージがあったけど」

「俺達にとっての宝は本なんだ。家によって違う。……そこにはこう書いてあった。癒しの血を持つ少数民族が、山岳地帯で暮らしてるって」

「山岳地帯で?」

「人目を避けて暮らしているそうだ。髪の色は黒から焦げ茶色。能力によって瞳の色は変わるけど、大体は薄い黄色か茶色、薬草みたいな色合い」


 レナード殿下の特徴とほぼ一致している。黒い髪に蜂蜜色の瞳。この国じゃ見かけない色の組み合わせだと思っていたけど……。なんか嫌だな。レナード殿下は私の恋人。それだけでいいのに。妙な不安が胸に広がっていった。


「能力って一体、何のことだ?」

「嘘か本当か知らねぇけど、それぞれ得意分野があって、確か、疫病を治す力に特化したやつ、先天的な病を治す力に特化したやつがいるみたいで……」

「結論から言ってくれない? レナード殿下とあまり喋らないで!」

「分かった、すまん」

「シェリー……。嬉しいような、悲しいような、複雑な気分だよ、俺は」

「喜んでください」


 まだあれこれ聞きたそうな顔をしていたけど、私がレナード殿下の腕を強く握りしめたら、諦めてくれた。カーティスが改めてもう一度、敵じゃないと口にする。


「本に、癒しの血は薬草を煮詰めたような香りがすると書いてあったから……。来て正解だったよ。俺が住む島では、誰もこのことを知らないから安心してくれ」

「そうか、ほっとした。ありがとう」

「条件ってのは何だ? 金も払う」

「金なんていら、」

「貰っておきましょうね! 国王陛下はレナード殿下の味方じゃないでしょ?」

「そうだな……。じゃ、ある程度貰うか」

「とりあえず、ありったけ持って来た。足りるか?」


 やけに膨らんだ黒い革財布を受け取って、レナード殿下が顔を引き攣らせる。何枚かお札を抜き取って、突き返した。甘い!! 私が横から奪っちゃおうかな。くれるって言ってるんだから、いざという時のために、貰って貯めておけばいいのに。でも、レナード殿下の蜂蜜色の瞳が決意に満ちていたから、やめておいた。仕方ない。


「他に何がある? 出来る限り、要求に応えるつもりではいるけど」

「背中に乗せてくれないか? 空を飛んでみたいんだ」

「……バーデンを、ドラゴンへ変身させましょうか?」

「おい、やめろ! 乗り物じゃねぇぞ、俺は」

「えー? だって」

「申し訳ないが、バーデンはちょっと……」

「乗せてやると言った覚えはないぞ、王子様。お前らに付き合ってられるか!」


 バーデンがぷんぷん怒って、カラスへと変身し、飛び去っていった。何がだめだったんだろう。まあ、別にいいや。白く光る球体は置いていってくれたし。おもむろに、カーティスが満更でもなさそうな表情で咳払いする。


「背中に乗せてやるのは二度目だな。喜んで、その条件をのもう」

「大丈夫か? ドラゴンは親しい人しか乗せないと聞く」

「んー、大丈夫だ。背中の安売りはしない主義だが、こういうのは歓迎だ」

「背中の安売り……?」

「シェリーはどうする? 俺と一緒に乗る?」

「乗ります! 大きいトカゲがレナード殿下のことを落としたら大変です」

「落とさないようにするから、大丈夫だって……」


 無視、無視。不法侵入者の言うことなんか信用できないもん。誘拐されたら大変。バーデンが残した明かりの下で、カーティスが元の姿へ戻る。つややかに煌く鱗はディープグリーンと、黄色が混じったグリーン。部位によって鱗の色が違う。


 逞しい前脚を覆っている鱗は黄色っぽくて、翼の付け根に生えている鱗は黒と見間違えるほど、濃いディープグリーン。その繊細で複雑なグラデーションが、闇夜の中に浮かんでいた。赤い舌とぎらつく牙が垣間見える口元。やすやすと地面を掘れそうな、鋭い鉤爪。薄く、強靭で大きな両翼。隣にたたずむレナード殿下が、感嘆のため息をもらした。


「うわぁ~……すごいな! まったく思い出せないのが残念だ。小さい頃の俺はこんなにも、巨大で美しいドラゴンに乗っていたのか」

「私もドラゴンで鱗があれば、」

「気にしなくていいよ! 頼むからそのままでいてくれ。シェリーが一番好きだから」

「そうですか?」

「うん。頼むから何もしないでくれ」

「お礼に抱っこして乗せてあげますね!」

「えっ……?」


 そのままのシェリーが一番好きだから、と言われて嬉しくなった。さっきまであった不安やモヤモヤが消し飛ぶ。自分の筋肉に魔術をかけて、レナード殿下をお姫様抱っこする。前だったら、レナード殿下に軽くなる魔術をかけていた。でも、今はレナード殿下にあまり魔術を使いたくない。


「恋をすると、人って変わるんですね……」

「いや、変わってないと思うけどな!? 降ろしてくれ、さすがに恥ずかしい!」

「照れなくてもいいんですよ。しっかり掴まっていてくださいね!」

「うわっ!?」


 地面を蹴って飛ぶ。速すぎたのか、レナード殿下が驚いてしがみついてきた。うーん、いい気分。でも、ゆっくりしなくちゃね。今度は優しく、ドラゴンの背中へ着地する。嬉しかったみたいで、両翼が揺れ動いた。その動きで発生した風が頬を撫でてゆく。慎重に注意を払いながら降ろすと、慌てて立ち上がった。


「おっと、転びそうだ」

「何やってるんですか? 気をつけてくださいね」

「……見てくれ。あっ、違う、そうだ、俺は怪我しちゃいけなかったのに」


 暗がりの中でも分かるほど、レナード殿下の顔が青ざめる。足の裏がずきずきと痛み出した。スリッパを脱いでみると、私の足の裏がざっくり切れている。レナード殿下が怪我をしたら、私が怪我を肩代わりする。そういう禁術だって分かってるから、焦らなくてもいいのにな。赤い血が滲み、流れ落ちていった。


「ごめん! 怪我しないようにもっともっと、気をつけるべきだった!」

「痛みには慣れているから大丈夫ですよ」

「ごめんな、シェリー。禁術なんて、ああ、ごめん。禁術を解く方法が見つかれば……」


 レナード殿下が座り込み、足の裏を覗き込んで、泣きそうな声を出す。泣かないで、大丈夫だから。大したことないのに、レナード殿下はこの世の不幸をかき集めたような表情で嘆く。顔を近付けてキスしてみると、涙に濡れた蜂蜜色の瞳が見開かれる。


「大丈夫ですから。私、レナード殿下のためなら死ねます」

「そっ、んなこと、言わないでくれ。見たことないような笑顔で」

「大丈夫ですよ。覚えていてくださいね、これが私の幸せだって」

「嫌だ、忘れる。絶対に! 無理だ、違う、違うんだ……」


 珍しく、私の胸元にすがって泣いた。カーティスが不安げに低く鳴き、地面を引っ掻いた。静かにしてねと言ったら、すぐ大人しくなったけど。レナード殿下はまだまだ泣き止みそうにない。黙って、震える背中を擦ってあげるしかなかった。












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