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元暗殺者と魔術師殿下による、癒しのティータイム  作者: 桐城シロウ
二章 禁術の行使で変わった運命
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40.憎めない人

 






 さらさらと流れる小川にかかった赤い橋を渡って、塔を見上げる。辺りは薄暗く、静けさに包まれていた。日没前の、深いブルーと暗闇が混ざり合った空を背にして、たたずむ塔はいつもと違って神秘的に見える。石造りの塔が、わずかな太陽の光を浴びて、ぼんやりと薄闇の中で浮かび上がっていた。


(疲れた。お腹空いたし……。ケーキじゃお腹は膨れないのかも)


 おかわりして、焼き菓子も沢山食べたのに~。ああ、どうしようかな、帰りたくない。赤い橋を渡った先で立ち止まる。昼間とは違い、優しくなった夜風が頬や首筋を撫でてゆく。どんどん日が沈んで、暗くなってきた。


 手のひらがぼやけて、よく見えない。空を見上げると、さっきよりも色が濃くなり、小さい星が瞬いていた。このまま、沈んじゃえばいいのに。私が暗闇の中に溶けて、ぼやけて、消えちゃえば良いのに。無言で手のひらを見つめる。


(本当に消えたいわけじゃないけど、胸が苦しい)


 レナード殿下に会ったら、こんな気持ちも吹き飛ぶ? 日が沈んでいくのを見届けたくて、夜風が心地良くて、歩き出せないまま、ぼーっと突っ立って塔を見上げる。数少ない格子窓から、明かりがもれていた。暗闇の中、立って見上げていると、光がより眩しく見える。


 私の居場所はあそこにあるんだ。でも、足が動かない。草の匂いを嗅いで、時折、空を見上げてぼんやりしていたら、ふいに名前を呼ばれた。橋の向こうから、白い薄手のニットを着たレナード殿下がやってくる。嬉しくなった。私の王子様、暗闇の中で光ってる。


「シェリー? どうしたんだ、そんなところに突っ立って!」

「……レナード殿下」

「心配したんだぞ。さあ、おいで」


 迎えに来てくれると思っていたのに、迎えに来てくれない。でも、両腕を広げたレナード殿下が暗い中でもはっきり分かるほど、不安げな表情を浮かべていたから、笑っちゃった。すぐに駆け寄って、思いっきりぶつかる。苦笑しながら受け止め、ぎゅうっと抱きしめてくれた。


「おかえり! ……嫌なことでも言われたのか?」

「いいえ、母性が刺激されました」

「ぼ、母性!?」

「はい。あんな感情、初めてです」

「ちょっと待ってくれ。嫉妬した方がいいのか、それとも……」

「お腹が空きました! 帰りましょうよ~」

「んん? なかなか帰らず、こんなところで突っ立っていたのは誰かなー?」

「迎えに来てほしかったんです!」

「……言ってくれたら、迎えに行ったのに」


 随分と寂しそうな声で呟き、私のおでこにキスした。心配してくれたんだ、レナード殿下。強いから大丈夫なのに。でも、嬉しくてくすぐったい。笑いながら見上げ、袖をぐいぐい引っ張ってみると、笑ってくちびるにキスしてくれた。最近こうすると、キスしてくれる。


「ケーキでお腹いっぱいにならなかったんですよ。ご飯! ご飯!」

「キスした直後にねだられるとは……」

「あ、もういいです、キスは。外だと敵が来るかもしれないし」

「魔術の中だから大丈夫。あともう一度だけ。心配したんだ」

「ごめんなさい……?」

「そう、正解。合ってるよ。俺がどうして、心配していたのか分かってないだろ? 可愛い」


 かさついた両手が頬を包みこむ。優しくそっとキスされた。うん、だいぶ慣れてきたかも。今日の晩ご飯、何かな~って考えられる。平然としている私が気に入らなかったようで、突然、腰を抱き寄せられた。


「わっ!? もういいでしょ、近いです」

「まだまだ物足りない。帰ったらエナンドとカイがいる。目の前で堂々とイチャつけないだろ?」

「分かりました。今夜、部屋に行きますから」

「……」

「お腹空いたから帰りましょうよ~。今日の晩ご飯は何ですか?」

「知ってる。特に深い意味はないんだって」

「晩ご飯は!?」

「……豚肉とローズマリーのオーブン焼き。いつものサラダと野菜スープ」

「やった! ご飯、ご飯、ごっはっんっ」


 たまに魚しか出てこない時がある。どんなに高くて良い魚でも、食べた気がしないから嫌だ。今日は沢山喋って疲れたし、お肉をがっつり食べたい気分。夏の夜風が吹き渡る中、レナード殿下と手を繋いで帰る。幸せ! お城にいる時よりも楽しい。


 お城では、丁寧にお茶を淹れて貰ったり、お菓子を勧められたら、レナード殿下はいつもぼんやりとした、気だるげな表情を浮かべていた。それが塔へ帰ってからはなくて、リラックスしてるから嬉しい。レナード殿下が私から離れ、塔の重たい扉を押し開く。手伝うため、扉へ手を添えたら、くすりと笑った。


「不思議だな。あれだけ、こんなところにはもういたくないと思っていたのに」

「嫌なことでもあったんですか?」

「沢山ね。将来は王位を継ぐと思っていたから。プライドをずたずたに引き裂かれた上で、血を搾り取られる。自分の弱さを呪ったよ」


 喉が締め付けられて、涙が出そうになった。歯噛みするほどの悔しさ、喉を焼くような怒りと屈辱が伝わってくる。レナード殿下はいつも穏やかな口調で話してるけど、身の内では激情をたぎらせている。


 望んで、手にしたわけじゃない力を不気味だと言われ、どんな気持ちになったんだろう。今すぐ、扉を閉めて逃げたくなった。分からない。レナード殿下と話したくないわけじゃないんだけど……。波が引いていくかのように、すっと激情が落ち着く。


 レナード殿下を見上げると、笑顔で促されたから、先に塔の中へ入る。真っ暗だった。冬の冷気が首元や頬を突き刺してくる。階段を照らすオレンジ色の光は今にも、重たくて陰湿な暗闇に潰されてしまいそう。ここではランプなんて無意味。だけど、ローザ様の屋敷の方が怖かった。


 明るいのに無機質で、空虚で、漂う雰囲気が重たかった。さんさんと太陽の光が降り注いでいるのに、暗いから……。青と白の、綺麗だけど、空虚なお屋敷を一生懸命思い出していたら、レナード殿下がランプを手に取った。ランプと言っても、持ち手がない、炎の形そのもの。レナード殿下のほっそりとした長い指先の上で、オレンジ色の炎が身をくねらせている。蜂蜜色の瞳に炎が映し出され、輝いていた。


「行こうか。足元に気をつけて」

「……はい」


 差し出された手を掴む。二人で長く、暗い螺旋階段を上った。何百年もの間、貴い身分の囚人たちを閉じ込めてきた敷地内の端っこにある塔は、誰のものか分からない血、カビと汚れにまみれている。時々、すすり泣く声、衣擦れの音が耳に届く。


 例えるのなら、生々しい暗闇だと思う。でも、ローザ様の屋敷は無機質で、温度がない感じ。だからあの中にいるローザ様は、生きた人間じゃなくて幽霊に見えたんだ。なるほど。私の冷たい手を握りしめ、丁寧に階段を一段ずつ上っているレナード殿下が振り返って、話しかけてきた。


「その、どうだった? 母性とか、あー、珍しく混乱しているように見えたんだけど?」

「混乱……」

「違った? ローザから、変な話でも聞かされた?」

「何でもありません」


 私が食い気味に答える。びっくりしちゃった。思っていたよりも、冷たい声が出て。冷たくあしらうつもりはなかったのに。本能がこの話はもうおしまいね、踏み込まないでって言ってるみたい。不気味だって言われたんでしょう? 簡単な質問なのに、できなくて戸惑った。私の手を、レナード殿下が強く握りしめる。


「やっぱり、嫌な話を聞かされたんだろ? 彼女は食えないと言うか、のらりくらりとかわして、一切本音を言わないタイプだから……」

「泣いてました」

「あれだけ人に武器を向けちゃいけないって言ったのに、向けたのか!?」

「いいえ、違います。慰めたんですよ、私が」

「慰め……? シェリーが? 一体誰を」


 オレンジ色と赤が交互にちらつく炎をこっちヘ向けて、いぶかしげな表情を浮かべる。もー、失礼しちゃう! 私だって慰められるのに。ローザ様、嬉しそうな顔してた。腹が立って、レナード殿下の腕をばしばし叩く。


「私がローザ様を! 慰めたんです!!」

「ええっ? 最初から説明してくれ。まったく分からない」

「最初から……。ローザ様は夫が激しい女遊びをしたせいで、病気を移されちゃって、子どもができない体になったそうです」


 青い瞳を虚ろにさせ、淡々と語ってくれた。治療をしっかり受けたら何とかなるみたいだけど、もう全部どうでもいいと言ってた。あんな男の子どもは欲しくないって。続きを話そうとしたら、階段の途中で立ち止まり、レナード殿下が口元を覆う。顔色が悪かった。オレンジ色の炎に照らされているのに。手のひらの上で炎が踊り、今度は赤色へと様変わりする。


「……俺を頼るつもりはないんだろうな。血が渡せるのに」

「はい。でも、子どもが欲しくないんですって。お父様に文句言われたくないから、子どもができない体になったって伝えてるそうです」

「そうか……。初対面なのに、どうしてそんな重たい話になったんだ!?」

「愚痴です。夫についての愚痴を聞きながら、お茶を飲んでいました」

「なぜだろう。よくある話なのに、まったく違うのは……」


 レナード殿下が困惑して首を傾げ、ふたたび階段を上る。また言えなかった。不気味だって言われたんでしょって。慰めたいのに、言葉が出てこない。変なの。私が言われたわけじゃないけど、ローザ様が不気味だって口にしたあの瞬間から、ずっと胸が痛い。喉の奥に濡れた、ティッシュをぎゅうぎゅう詰め込まれたような……。


「詳しい話はあとで聞こう。留守の間、ジュードがうるさかったんだ」

「あ~」

「迎えに行くって騒いで、騒いで……。エナンドが会話を禁じたから、ずっとソファーで膝を抱えてる。何を言っても無反応なんだ。でも、話す許可を与えたら騒ぐし」

「大変でしたね」

「……シェリーの従兄弟なんだぞ? どうにかしてくれよ」

「無理です」

「あーあ。まあ、予想はしてたけど」

「どうにかできるのなら、放置せず、手を打っています」

「だよな~」


 レナード殿下が後頭部を掻きつつ、廊下の石壁に取り付けられた黒い輪っかに、炎のランプをねじ込む。うろたえるように炎が揺らいだけど、すぐ落ち着いた。二人で一緒にリビングの扉を開けると、まだぜんぜん開いてないのに、隙間から手が伸びてきて、一気にこじ開ける。誰かが勢いよく、抱きついてきた。


「うわぁっ!?」

「おかえり、シェリー! 寂しかったよ」


 ジュードだった。朝とは違う服装で、黒いベロアジャケットと黒いニットを着ていた。私が嫌がってるのに構わず、ぎゅうぎゅうと強く抱きしめてくる。当然、レナード殿下が怒ってすぐに引き剥がしてくれた。


 怒りに燃える蜂蜜色の瞳に睨みつけられても、ジュードはまったく動じない。肩をすくめ、笑ってみせた。ちょうど、目の前で信号が変わり、渡れなくなってしまった通行人のような態度。悪いと思ってない。


「急に抱きつくのはやめろ! いや、必要以上に近付くな」

「へえ。ローザ様がエナンドに言い寄られた時も、そう言ったんですか? 俺の婚約者に近付くなって?」

「……」

「やめましょう、レナード殿下。相手にするだけ時間の無駄ですよ」


 レナード殿下の足元から、複数のツルが伸びてきた。どれも全部、トゲと葉っぱがついている。ツルがジュードを絞め殺したいと言わんばかりの動きを見せていたけど、レナード殿下が溜め息を吐いて、目を閉じた。その瞬間、綺麗さっぱりいなくなる。


「そうだな、時間の無駄だ」

「人が慌てふためいているのを見て、喜ぶタイプですから……」

「どうだった? シェリー。ローザ様と会ってみた感想は?」

「美味しいケーキを二個もくれたの。野菜のクッキーはまずかったけど、お気に入りなんだって」

「今度、シェリーのためにケーキを買ってくるよ。それとも手作りがいい? 俺が何か混ぜたりしないか、横で見張っておく?」

「ありがとう。もしも、ジュードにケーキを貰ったらカイにあげるね~!」

「いらねぇよ! 毒物を食わせようとするな」


 苦々しい表情のカイがソファーに寝そべって、本を読んでる。なぜか青いパジャマ姿だった。どうしてパジャマ姿なのって聞いてみたら、ぶっきらぼうな態度で「さっきまで寝ていたから」と答える。エナンドはジュードとレナード殿下の争いに巻き込まれたくないようで、一生懸命ご飯を作っていた。紺色のエプロンを身につけて。


(不思議……。顔を合わせたくない、大嫌いなカイがいるけど、私の居場所だって感じがする)


 不気味な塔だけど、居心地がとっても良い。十数年前、ここへ閉じ込められてしまうレナード殿下を気の毒に思って、モリスさんが沢山の魔術をかけたから。時間と季節ごとに変わる、太陽の光を再現したシャンデリアは今、夏の瑞々しい葉っぱと未熟な青い果実をぶら下げていた。


 今は夜だから、明るくて優しいオレンジ色の光を放ってる。それから、温かみのある大きな木のテーブル、切り株のような椅子。パッチワークのソファーカバーと本、古い魔術仕掛けのキッチン、食品が腐らないパントリー。ここは工夫されている、住む人に合わせて。


(だけど、あの屋敷は冷たかった。豪華で、つらい気持ちには寄り添ってくれないデザイン。人も建物もね)


 だから、金髪碧眼のお姫様は閉じ込められて泣いてる。自分の居場所だって思えないのかも、誰も優しくしてくれないから。ほっぺたが落ちちゃうほど美味しいケーキも、貴重な茶葉も、全部ローザ様のためじゃなくて、仕事だから用意しただけ。


(私が住んでいるところ、暖かくて落ち着く場所だって知らなかった……。綺麗なところなのに残念ね、あの屋敷)


 美術品とアンティーク、高いティーセットとパティシエお手製のお菓子にまみれて、窒息死しちゃいそう。助けてあげたいなと思った。私には何もできないんだけど……。みんな殺して、連れ出してと言ってくれたら、手を差し伸べて、殺してあげるのになぁ。残念。ローザ様は多分、綺麗なお屋敷の中で死んでゆく。誰のことも、殺したいほど憎んではいないから。














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