27.夢の中の怖がりな手
はっと目を覚ましたら、天井が見えた。暗い。パジャマに着替えてる。柔らかいシーツとタオルケットが私のことを包んでいた。ゆっくり起き上がれば、頭痛が襲いかかってくる。痛い。めったに頭なんて、痛くならないのにな……。こめかみを押さえたら、暗闇の向こうにいる誰かが話しかけてきた。
「痛い? シェリー」
「はい、頭が……。一体誰?」
「俺だよ。水を飲むといい、さあ」
「水、お水」
喉がカラカラだったから、嬉しかった。ひからびた喉の粘膜に、冷たくて美味しい水が染みこんでゆく。空になったコップを返せば、水差しからコップへ、水を注ぐ音が聞こえてきた。もう一杯くれるみたい。
レナード殿下? それにしては気配が変。声も何だか違うような気がする。でも、敵意がないからコップを受け取って、一気に飲み干した。顔が見えないけど、満足そうに笑っている気配が漂った。
「敵?」
「違うよ。まだ寝ぼけてる?」
「だって、レナード殿下にしては……」
「明かりを一瞬だけ灯そうか」
言葉通りぽおっと、火の玉が暗闇を照らした。綺麗な光。柔らかなオレンジ色とも、金色とも言えない、温かみのある光が手のひらの上で踊っていた。わずかにピンク色も帯びているような気がする。見ていると、肩から力が抜けちゃいそうな光。柔らかくて綺麗。レナード殿下が静かに微笑み、手を振って、光を掻き消した。あ、まだ見ていたかったのに。一瞬で部屋が暗闇に包まれる。
「……綺麗な光ですね。まさか、レナード殿下があんなに綺麗な光を生み出せるなんて。思っていませんでした」
「君から見て、どういう男なのかな?」
「私から見て? ……ジュードの味方ばっかりする男!」
勢いよく後頭部を枕へ沈めたら、おかしそうに笑っていた。変なの。やっぱり、レナード殿下じゃないみたい。いつもなら、何回も何回も体の心配をしてくれるのに。それと、お説教してくる。もう少し大人しくしようね、自分の体を大事にしようねって言ってくれるのにな。
考え込んでいると、暗闇の向こうから手を伸ばして、私の頭を撫でてきた。こわごわと優しく、髪の表面を撫でている。……変ね、敵ならすぐ殺すはずなのに。子猫ちゃんを撫でるような手つきだった。
じゃあ、敵じゃないの? それとも、本当にレナード殿下なの? じわじわと熱が上がってきた。体の様子も変。いつもなら、これぐらいのことで熱なんて出ないのに。頭がぼんやりしてきた。
「あなたは一体誰? 熱が上がってきたから、手短に済ませて」
「熱が出てきたのか? シェリー」
「うん。……変な人! 敵意があったら殺すんだけど、違うみたいだし」
「違うよ、敵意なんてない。敵じゃないから安心してくれ、難しいかもしれないが」
背中を向けたのに、まだ頭を撫でてくる。優しい手。味方じゃないのは確かみたいだけど……だめ、頭が上手く回らない。舌の付け根も、喉の奥も、おでこも熱くてつらい。じんわりと汗が出てきた。大きくて節くれだった手は、まだ私の頭を撫でてる。悔しいけど、ほっとした。
「バーデン? いないの?」
「バーデンはいないよ。どうしようかな、話したいことが沢山あったのに。いざとなったら、何も出てこない」
「……何を話したかったの? 一つずつ言ってみて」
「城に来たこと、後悔してない?」
「してない。次は?」
「今、シェリーは幸せか?」
「ジュードがいなくなったら幸せよ。次は?」
小さく笑った。寝返りを打って、謎の男性に向き合ってみると、今度はおでこを撫でてきた。遠慮がちな手で、本当に私のおでこがあるのかどうか、信じられない様子で何度も何度も優しく撫でていた。不思議、落ち着く。手を掴んだら、わずかに震えた。
「あなたは誰? 名前を教えて。殺したりしないから、早く」
「焦らなくてもいい、俺はここにいる」
「懐かしいの。……私のこと、知ってる?」
「シェリーはまだ幼いから」
「十九歳だもん、幼くない!」
「三十過ぎの俺からすれば、幼いんだよ。夢だと思ってくれ、シェリー」
「嫌だ、名前を教えて。じゃないともう、二度と会えなくなっちゃいそうで嫌だ……」
目に涙が浮かんできた。悲しい。手を離すと、いなくなっちゃいそうで怖い。しっかり手のひらを握り締めて、泣いていたら、おそるおそる手を握り返してくれた。硬い手のひらに、私の手が包み込まれる。ほっとした。
「なんて言ったらいいのか分からない……。会う前、色々と考えていたんだ。どう声をかけようか、悩んで、決めていたのになぁ」
「あなたは私の何?」
「味方だよ、シェリー。ずっと変わらない。味方のままでいる。もしも逃げ出したくなったら、バーデンに言ってくれ。そうすれば、俺に会えるから」
「ここから逃げ出さないと、会えないのは一体どうして?」
「会えない、わけじゃないんだが……。会わない方が多分、シェリーにとって幸せなんだ。ここで暮らすのがシェリーの幸せなんだよ」
熱に浮かされた頭じゃ、言葉の意味を正確に理解できない。会わない方がいいって、どうして? 私は会いたいよ、懐かしい気持ちになるから。叔父さんのところにいた人には見えないし、ユーインの知り合いでもないでしょ? いなくならないで、お願い。ぎゅーっと強く手を握ったら、笑った。
「痛いよ、シェリー。手の力がすっかり強くなって」
「私のこと知ってるでしょ? お願い、教えて」
「もちろん、知っているとも。じゃなきゃ、こうして会いに来てないさ」
「そういうのはもう、いいから!」
「子守歌でも歌えばいいか?」
「歌って、何でもいいから。そばにいて」
「大丈夫、眠るまでそばにいてあげるから……」
私の手の甲におでこを押し付けて、ベッドに突っ伏した。手が小刻みに震えてる。泣いてる? どうして私の手を握って泣くの。一体あなたは誰? バーデンが鍵を握っているんだろうけど、絶対に教えてもらえないと思う。歌、いつ、歌って貰えるんだろう……。熱で頭がぼーっとしてきた。頑張って起き上がって、もう片方の手で頭を撫でてあげたら、嬉しそうに笑った。
「ごめん、ありがとう、シェリー。まずは謝らなくちゃいけないと思っていた」
「これから敵になるから?」
「違う。……思い出すことはもうないんだろうけど、ごめん。俺が悪かった。臆病者だったんだ」
「臆病者?」
「そう。勇気を出せば、変わっていたかもしれないのに。最悪の事態には、ならなかったかもしれないのに……。あの時に戻ってやり直せたらって、何回も何回も繰り返し思った」
懺悔しているような声だった。変な子守歌ね。ぐっすり眠れなさそう。手に汗を掻いて緊張している。何から話せばいいのか考えていたって言うし、ひょっとしたら、ずっと緊張していたのかもしれない。また熱が上がってきた。背中が驚くほど熱い。氷のシーツを貰えたら、喜んで寝転がるのにな。
「ごめん、シェリー。本当にすまなかった……俺に出来ることであれば、何でもする。一生見守り続けるから」
「一生?」
「そう。一生味方でいるよ、死ぬまで。俺に出来ることはそれぐらいだ」
「……あなたは私に何をしたの?」
「多分、何もしていない。何もしなかったから、だめなんだ。すまない、許してくれ。自分勝手だな、俺は」
よく分からないけど、レナード殿下がいるから大丈夫。私はレナード殿下を守って生きていく。手始めにジュードを殺して埋めちゃいたいけど、我慢しなきゃ。私の居場所が奪われる。レナード殿下に軽蔑されたくない……。私の両手を、祈るように強く握り締めた。無言だから、多分、今、自分を責めてる最中だと思う。
「大丈夫、私は幸せだからね」
「……本当に? つらくはないか」
「つらくないです。ジュードがいなくなったらもっと幸せだけど、頑張る」
「ありがとう、シェリー。救われたよ」
「まったく思ってなさそう。どうしてそんなに疲れているの?」
「疲れ……ああ、そうだな。疲れている、とても」
深く深く、溜め息を吐いた。顔が見たい、もう一度。レナード殿下と少しだけ似ているような気がした。多分、この人は溜め息を吐いている姿さえも美しい。興味を引かれて、ゆっくり手を伸ばしてみたら、すぐに掴まれた。さっきまであんなにも弱々しかったのに、手の力が強い。まっすぐ見つめられているような気がした。
「おやすみ、シェリー。熱があるのなら、ゆっくり休みなさい」
「……ねえ、子守歌、歌ってくれるんじゃなかったの?」
「分かった。誰かが来たらやめるぞ」
「私の何? バーデンとはどういう関係なの?」
「おやすみ、シェリー。歌ってあげるから、さあ」
私にタオルケットをかけて、お腹をぽんぽん優しく叩いた。つまんないの! でも、熱が上がってきた。休まなくちゃ。朦朧とした意識の中で、手を握り締められながら、深くて甘い歌声を聞いていた。
これは夢なの? 夢のような気がしてきた。張りがあるんだけど、低くて優しくて、穏やかで、ああ、そうだ、雨上がりの森にぴったりな歌声。葉っぱから滴り落ちる雨水、枝の隙間から降り注ぐ陽光。息を深く吸い込めば、濃い緑と水が混じった匂いが漂ってくるような……。
「眠れ、眠れ、すぐに明日は来るから。おやすみ、今は何もかも手放してぐっすりと」
優しい声を皮切りに、ふつりと意識が途絶える。どうせバーデンは何も教えてくれない。おでこを撫でる手と人の気配。眠ってるんだけど、意識の端っこが覚醒している。眩しくて目を開けたら、レナード殿下が私のことを覗き込んでいた。わっと息を呑み込んじゃった。
「シェリー、起きた? おはよう」
「……今度こそ、レナード殿下ですか?」
「今度こそ? ひょっとして俺の夢でも見てくれた?」
「ううん、違います。男の人が私の手を握ってくれて」
「へーえ?」
「子守歌を歌ってくれたんです……ほっとしました。ごつごつした手のひらだけど優しくて、離れて欲しくなかったのに」
「俺じゃ不満? 煽っているのか」
「煽って……?」
レナード殿下が不愉快そうに笑いながらも、優しく私の手を握って、指先にキスしてくる。剣呑な眼差しを向けられ、一瞬だけ心臓が飛び跳ねる。これぐらいで嫉妬しちゃうんだ、へー。夢なのに? 起き上がろうとしたら、めまいがした。起き上がれなくて、もう一度寝そべる。変な体、重たい。レナード殿下が慌てて、私のおでこに手を添えた。
「だめだよ、熱があるんだから。ゆっくり休まないと」
「熱が……?」
「そう、目が覚めたら俺の血を飲んで貰おうと思って」
「嫌です、飲みません」
「シェリー! 君は無理をしすぎたんだ。禁術を受け入れて、環境も変わったし」
「夏だからきっと、風邪じゃありません。すぐに治ります」
「でも、まだ熱がある……」
「咳は出ていないし、大丈夫です。今日一日ゆっくり休んで、甘やかして貰ったら治ります」
飲みたくない、レナード殿下の血だけは。だって、家畜扱いされるって言ってたんだもん。私はレナード殿下のことを家畜扱いしない。血には頼らない、自分の免疫力で治す。寝返りを打って、レナード殿下に背中を向けたら、困り果てた様子で「シェリー」と呟いた。迷子の子どもみたいね、時々。
「……すぐ治ります、大丈夫です」
「無理やり飲ませた方がいいかな?」
「そんなことをしたら嫌いになります! 一生、絶対に絶対にレナード殿下とは口を聞きません」
「やめてくれよ、シェリー。冗談に聞こえない」
「だって、冗談じゃないもん。出て行ってください、うつったら大変ですから」
「お願いだ、頼む……」
モリスさんのことを思い出してる。私の脳内に映像が浮かんだ。固く閉じられたまぶた、色を失ったくちびる。眠っているように見えるけど、ぱさついた黒髪も、硬直した皮膚も、遺体ということを物語ってる。どっと背中に冷や汗を掻いた。
見開かれることがないまぶた。穏やかなグリーンの瞳はもう二度と見れない。声も聞けない。白い花が敷き詰められた棺の中に、横たわっているモリスさんの手に触れたとたん、涙があふれ出してきた。激しい後悔と苦しみに苛まれる。手にすがって、泣くことしかできない。突然、レナード殿下が私の髪に触れた。
「見たな? シェリー」
「……ごめんなさい、勝手に映像が流れ込んできて」
「不思議だな、記憶も共有できるのか」
「レナード殿下、私はモリスさんじゃありません」
ベッドの上で体を起こしたら、あまりにも暗い目をしていてどきっとした。こんな顔、初めて見た。声は普通なのに、生気が抜け落ちた表情になってる。いつも明るくて、優しい蜂蜜色の瞳はぼんやりしていて、見ていると、胸が痛くなっちゃうほど暗い。必死に抑えてる、これでも。胸の奥が焼けるような後悔と悲しみが伝わってきた。
「レナード殿下……」
「ごめん、怖がらせるつもりはなかったんだけど。一旦、外に出る」
「待ってください! お願い、そばにいて」
行かせたらだめ。怖い、一人にしたくない。シャツの裾をぎゅうっと握り締めていたら、不思議そうな表情で見下ろし、ふいに笑った。さっきまで痛いほど伝わってきた悲しみが落ち着いて、凪ぐ。ベッドのそばにあった椅子を引き、腰かけた。
「分かった、そばにいるよ。夢の中に出てきた男にいて欲しいんだろうけど」
「夢は夢です。……眠っていたら、すぐに良くなりますから。お願いだから、そんな風に怖がらないでください。私はモリスさんと違いますし、重たい病気になったらちゃんと言います!」
「分かった、ありがとう。大人びてきたね、シェリー。前とは違って別人だ」
「だって、そんな顔するから……」
「どんな顔をしていた? 教えてくれ」
うつむく私の頬に手を添える。だめ、流されそうになっちゃう。私とモリスさんは違うから重ねないで、つらいのなら言って、一人で抱え込んだりしないでって言いたかったけど、すぐにキスされたから言えなかった。ベッドが軋み、レナード殿下がさらに近付いてくる。胸元を押し返したら、不満そうに手首を掴んできた。
「シェリー? 嫌か?」
「歯を磨いてないからだめです、それ以上は……」
「じゃあ、歯を磨いたあとならいいんだな?」
「誰もそんなこと言ってません。うつりますよ、風邪が」
「別に構わない。眠っていたら、すぐに治る風邪なんだろ? かかったとしても、一日で治るよ」
「レナード殿下! 心配だから、出て行ってください」
私のまぶたやおでこ、首筋に何回もキスしてくる。手首を掴まれてるから動けない。振り払ったら、動けるんだろうけど……。黙って睨みつけていたら、満足げに微笑んだ。童話の挿絵から抜け出てきたような王子様のくせに、笑顔が腹黒い!
「顔が赤くて可愛い。これぐらいにしておこうかな?」
「はな、放してください……!!」
「じゃあ、続きはあとで。嫌われたくないし」
ようやく私の手を放して、椅子へ座り直す。まだ居座るつもりなの? 着替えるから早く出て行ってくださいと伝えたら、しれっとした表情で「着替えならテーブルの上に置いてあるよ」と返してきた。もー、いつの間に? 聞けばあのあと、倒れた私を城内の客室に運んで、着替えと水、おやつを持ってきてくれたそう。
「大丈夫ですか? 襲撃されていませんか」
「大丈夫、大丈夫。ジュードが活躍してるし、王妃様がつけてくれた護衛も役に立ってる。ゆっくり休んでて、シェリーは」
「……はい、分かりました」
「不満?」
「私の居場所がなくなりそうで怖いんです」
「シェリーの居場所は俺の隣だから。絶対になくならない」
「でも、私は護衛なのに!」
「守って欲しいなんて思ってないから。むしろ、守りたいなと思ってる」
心がひび割れそうになった。いとも簡単に、レナード殿下は私の心を叩き折る。シーツを握り締めていたら、気が付き、私の頭を優しく撫でてくれた。あの人の手とは違う。あの人はおそるおそる、怖がりながら撫でていた。どうして怖がっていたんだろう。まるで、拒絶されるに違いないって思い込んでるよう……。
「ごめん、シェリー。言葉選びを間違えた。許してくれ、傷付けるつもりはなかったんだ」
「もう、出て行ってください。着替えたら呼びますから」
「ありがとう、朝食を持ってくるよ。ふわふわオムレツ、気に入ってただろ? シェリーが好きなベーコンも持ってくるから」
「……餌付けしようとしてます?」
「違う、違う。美味しそうに食べてるところが見たいだけ。じゃ、またあとで」
ご機嫌取りのつもりなのか、ウインクしてから立ち去った。チャラい~……。レナード殿下、いつの間にチャラくなったの? ベッドの下に揃えてあるスリッパを履いて、洗面所へ向かう。白いドアに、筋が入った金色のドアノブがついていた。
押し開けてみると、真っ先に、グリーンと白のストライプ柄が目に飛び込んでくる。上品で爽やかな雰囲気だった。床には真っ白なタイルが敷き詰めてある。金色の蛇口に、大理石でできたボウル。バスケットの中にはふわふわの白いタオルが積まれていた。
「……酷い顔色。本当に風邪なのかな?」
目の下にクマが浮かんでる。ゆっくり休んでいるといい、って言われるのも当然かも。私、こんなに体が弱かったっけ? 最近は禁術の影響なのか、疲れやすくて体が重だるい。内臓がしつこく熱を持っていた。喉も熱くてふらふらする。
顔を洗って、歯を磨いて、用意されていた服────ふりふりの白いネグリジェだった────に着替えて、ベッドへ潜り込む。ドアをノックする音が聞こえたから、返事したのに、今一番会いたくない人物が入ってきた。美味しそうな朝食をトレイに載せて。
「おはよう、シェリー。元気? 調子はどう?」
「……ジュード!」
「レナード殿下なら、しばらく来れないよ。王妃様に呼び止められたんだ。可哀相に」
機嫌良く笑い、するりと入ってきた。暑くないの? スタンドカラーの黒い長袖シャツを着てる。警戒してベッドの上で後退れば、ふんふんと鼻歌を歌いつつ、朝食をテーブルの上へ置いた。オレンジジュースまである。
「俺が食べさせてあげるよ。ティッシュも用意するね」
「いらない。出てって」
「まあまあ、そう言わずに。じゃないとレナード殿下に、シェリーを戦線離脱させるべきだって言っちゃうよ?」
「もう言ってるでしょ! 余計なことばっかり言って」
「今日は良い天気なんだ。そこまで暑くないのに、晴れてる。ほら、良い天気。青空が見える? よく晴れているんだ」
嬉しそうに笑いながら窓際へ行って、重厚な百合柄のカーテンを開けた。眩しい。一気に明るい光が部屋を照らし出す。確かに青空が見えた。高階層の部屋なのかな? 青空しか映ってない。陽射しに照らされながら、ジュードが穏やかに微笑んだ。
「どう? 熱は下がったかな……心配なんだ、シェリーは俺の家族だから。そうそう、レナード殿下が無理して食べなくてもいいって言ってたよ。残ったものは俺が全部食べるから気にしないで」
「不気味なこと言うのやめてくれる? 家族じゃないから。私の家族はユーインとバーデンだけなの」
「つれないなぁ。変わったと思ったのに、つれない態度だけ変わらないね」
「目障りだから、もうあっち行って!」
これ以上話したくない。不気味。私のテディベアをずたずたに引き裂いたジュードのままで怖い。あれからちっとも変わってないんだもの、嫌だ! 膝を抱えていたら、近付いてきた。見てみると、薄く笑っていた。でも、赤紫色の瞳は笑っていない。手を伸ばして、私の黒髪を絡め取った。
「……髪の毛、梳かしてあげるね? あとで。ぐちゃぐちゃだ」
「いいからもう、放っておいて!」
「だめだよ、シェリー。こんなに気にかけてるのに」
「頼んでないでしょ? いつ頼んだ?」
「キスマークがついてる。羨ましいな」
「あ、ちょっと!」
さっき、レナード殿下がつけた首のキスマークに触れる。手を払いのけたら、急に押し倒された。かなりの力で抵抗できない。本気で抵抗できるけど、怪我させちゃうかもしれない……。加減ができなくて難しい。
私の両手首を掴んで、頭の上に固定した。片手だけで拘束されてる。見上げたら、静かに見下ろしてきた。何の感情も浮かんでない、赤紫色の瞳。虚ろな気分になってくる。
「……どうするつもりなの? 私を」
「いいな、羨ましいなと思ってさ」
「何が?」
「キスマーク、俺もつけたら怒る?」
「怒る、ものすっごく!」
「じゃあ、こっちにしようかな」
いきなり口に舌を捻じ込んできたから、手加減せず、思いっきり噛んでやった。舌から血が出て、ばっと離れる。指先についた血を眺め、嬉しそうに笑い出した。相変わらず不気味。急いで起き上がり、いつでも逃げられるようにしておく。
「っは、ははは! 俺の血でも飲む? シェリー。ああ、だめだ、病気を治す力なんてないんだった。叔父さんはこの血を使って儲けるつもりなのかな? どう思う?」
「もしかして、血を横流ししてるの?」
「何度かね、しようと思ったけど。諦めたよ。忘れちゃった? 禁術のせいでレナード殿下から血が採れなくなったの」
「あ……忘れてた」
「だって、俺に護衛を頼んだんだよ? あの叔父さんが! ああ、おかしい。そうだ、シェリーに朝ご飯を食べさせなくちゃ。レナード殿下と約束したんだよ、食べさせるって」
上機嫌で立ち上がり、トレイを持ってきて、私の口へふわとろオムレツを運んだ。抵抗する気にはなれなかった。バーデンもいないし、体の調子も悪い。でも、夢の中に出てきてくれた男性の優しさが、手の中にまだ残ってる。だから、いつもより気分がましだった。ジュードが機嫌良く鼻歌を歌いながら、かりかりに焼けたベーコンを一口大に切り分けて、私の口へ運ぶ。
「はい、あーん。どう? 美味しい?」
「……ジュードがいなきゃ、もっと美味しい」
「良かった! まだまだあるよ、食べて食べて。そうだ、俺、シェリーと街に行ってみたいんだよね。聞いたよ、レナード殿下と出かけたんだって?」
「……」
「いいなぁ、俺も一緒に行きたいなぁ、シェリーと! 調子が良くなったら出かけようか。奥様にお土産買って帰ろうよ」
「まだそんな呼び方をしてるの? だって、あの人は……」
ジュードが限界まで赤紫色の瞳を見開き、私のくちびるにスプーンを押し当てた。歯に当たる。言っちゃだめだったの? 他の人とは感情を共有してないから、今、何を考えてるか分からない……。少しの間、黙っていた。
「お母さんなんて、いまさら呼べないよ。知ってる? 赤ちゃんが生まれたんだ」
「赤ちゃんが? 奥様に!?」
「そう。俺は家族じゃないんだ、家族じゃない。叔父さんもそう言ってたよ。ほら、食べて食べて、シェリー。元気になったら俺と一緒に遊ぼうよ、川遊びでもする? きっと楽しいよ!」
壊れてるし、狂ってる。前まで考えないようにしてたけど……背筋が冷えた。私が黙って鳥のヒナのように、口へ運ばれる朝食を食べていたら、喜んで笑っていた。陽射しが眩しくて、カーテンをほんの少しだけ閉めて欲しかったけど、言えなかった。




