26.少しずつ狂ってゆく歯車
ノーマンを治したけど、すぐに塔の魔術が直るわけじゃない。小部屋に出入りしていることがバレちゃったから、襲撃された。私が引っくり返った毛むくじゃらの巨大クモから飛び降りようとした時、下にいるジュードが笑顔を浮かべ、手を差し出してきた。
何を考えているのか分かんない! やたらと大人しいし、昔よりも不気味になった。格好つけて、動き辛そうな黒いジャケットとズボンを着てるし。青と白のストライプ柄シャツが目に痛い。おしゃれのつもりなのかな? 微妙にダサくて嫌。私みたいに、Tシャツと短パンにすればいいのに。
無視して飛び降りたら、残念そうな声で「あーあ!」って呟いた。一人で降りられるもの、手助けなんていらない。ナイフから、ねばねばの体液がゆっくり落ちていくのを眺めていると、カーテンの裏からエナンドが出てきた。
「い、いなくなった? うわぁ!? 死体がまだ残ってる。どうするの、これ」
「相手に送り返す。ね、バーデン? お願いね」
「はいよ。でも、まだ生きたやつも残ってるぞ。どうするんだ?」
黒い手袋に包まれた指が天井を指差した。赤い閃光が走って、ぶんっと低い風切り音が耳のすぐ近くで聞こえる。私のナイフは無意味に空中を突き刺していた。出遅れちゃったみたい。足元にごろんと首のない死体が転がった。あーあ、この絨毯、高そうなのに。どんどん、毛足が短い絨毯に血が染みこんでいった。
「大丈夫だよ、俺がシェリーの代わりに動くからね。守ってあげるよ」
「別にいいのに……」
薄く透き通った赤い刃に、金粉がまぶしてあるように見えた。キラキラ光ってる、肉をたやすく切り裂けそうな刃。赤い刃の鎌を担いで、ジュードがにっこりと満足げに微笑む。銀色の鎖までぶら下がってる。多分、あれ、投げて引き寄せるタイプだ。いくつ持ってるの? 武器。どれも高そう。
「そういうわけにもいかないだろ? レナード殿下とエナンドさんに心配かけちゃだめだよ」
「……はい」
不気味。ジュードがやたらと大人しくて真面目。私からテディベアを奪って、ずたずたに引き裂いていたジュートとは違う人間みたい。もしかして、入れ替わってる? 不気味ね、警戒しないと。足元の砂が渦巻き、不満げな表情のカイへと変身する。動きづらいからか、最近はグレーのTシャツとズボンを身につけて、顔に黒いスカーフだけ巻いてる。エナンドもおそるおそる、動かないはずのクモの死体を眺めながら、近付いてきた。
「俺の出る幕はなかったね。二人だけでいいんじゃないかなぁ、もう! 警護、俺がする必要ってある?」
「バカは休み休み言え。こいつらは外部の人間だぞ、信用できない。レナード殿下を任せられねぇよ」
「お前が真面目すぎるんだよ、カイ。二人は忠誠の小部屋に出入りできてるんだし、そう警戒しなくてもいいじゃん~」
「生ぬるい。今、敵意がないだけだろ? ハウエル家の人間だろうが、二人とも。俺は信用してないからな」
苦笑して肩をすくめるジュードと真顔の私を一睨みしてから、カイが部屋を出ていった。残念。最近、弟のように可愛くなってきたのに。仲良くなれなくて落ち込んじゃう。レナード殿下がカイを可愛がってるから、私にも移っちゃった。
今度気絶させて、頭を撫でてあげようかなって考えていると、ジュードが私の肩に手を置いた。ぞわっとする、距離が近くて。振り返ってみれば、気遣わしげな、優しい笑みを浮かべていた。
「気にしなくてもいいよ、シェリー。助けようとしてくれたんだし、あとでお礼を言わなくちゃね」
「助けようと……?」
「そう! 今、足元にいただろ? 砂の状態で。シェリーが襲われそうになった時、動いてたんだ。見たよ、俺」
「好きで足元にいるのかと思ってた」
「ははっ、そんなまさか! 言っておくけどね、カイさんは変態じゃないよ。常識的で優しい人だ。俺のことも気にかけてくれる」
「そうそう、カイはああ見えてツンデレというか、素直じゃないだけ! 気にしなくてもいいよ、シェリーちゃん。怪我はない?」
「ない、大丈夫」
粘液がついたナイフをぽいっと放り投げ、シャンデリアの上に乗っていたバーデンが指を鳴らして、クモの死体を消した瞬間、エナンドがレナード殿下を呼んだ。すぐさま壁にドアが現われ、勢いよく開け放たれる。中からパジャマ姿のレナード殿下が飛び出してきた。
「シェリー! 無事か!?」
「無事ですよ。でも、まだ安全かどうか分からないので……」
近付こうと思った瞬間、足元からレナード殿下目がけて、黒い何かが飛んでいった。間に合わない! どうしよう……。そばにいたジュードが素早く動き、レナード殿下の眼前でそれを掴む。へなへなと、全身から力が抜けそうになった。危なかった。触れたら、誘拐される魔術グッズだったらどうしよう? 私のミスだ。失態を犯した。自分のことが許せない。手を強く握りしめ、辺りを見回す。何もない。
「ご無事ですか? レナード殿下」
「ありがとう、ジュード。それは……」
ギイギイと鳴きながら、ジュードの手に掴まれている黒い虫が暴れ回っていた。頭部から人間の目玉が二つ、飛び出してる。てかてかと光る黒い胴体に、細くて不気味な脚。みっちり生えていた。まるでブラシみたい。おまけに、赤紫色の毒々しい毛まで生えてる。平気そうな顔をして、虫を掴んでいるジュードを見つめ、エナンドが叫び声を上げた。
「ぶぉうわっ、ぎゃあああああーっ!! ぎゃあっ、ぎゃあああ!! 嫌だ嫌だ、気持ち悪い! うぇああああああっ!? うあああ! うわああああん!」
「う、うるさい、何なの……?」
「落ち着け、エナンド! ジュード、それは!?」
「虫です、レナード殿下」
「見れば分かる! 気持ち悪くないか?」
「無理ーっ!! 嫌だ嫌だ嫌だ、無理だよ、気持ち悪いって! 存在が無理、バーデンどうにかして! バーデン頼んだ、一生のお願いだ!! 頼むーっ!」
「普段、俺に話しかけてこないくせに……」
優雅にシャンデリアから飛び降りたバーデンが、呆れた表情を浮かべつつ、後ろからエナンドの両目を覆った。ぴたりと押し黙る。あのね、バーデン? もう少し何かあると思うの。でも、仕方ないか。この虫が何なのか調べないと。床に転がっている死体を眺めたあと、ジュードを見てみれば、ジュードも死体を眺めていた。
「ごめん。シェリー、よろしく」
「分かった、分析しておいて。それ」
「うん。レナード殿下、小部屋にお戻りください。バーデン、エナンドさんを連れて中に入った方がいい」
「だな、来い」
「もっ、ももも持ってる? ジュード君、それ持ってる!? はな、放してないよね? ねっ!?」
「放してませんよ。分析する必要がありますから」
「俺、虫だけはだめなんだ……。青虫も最近、ようやく克服して慣れてきたところなのに! こんなのあんまりだ!!」
「見れば分かります。早く中に入ってくださいね、気が散るので」
じたばた暴れ回る虫をわし掴みにしながら、ジュードが柔らかい笑みを浮かべる。気の毒そうな顔をしたバーデンが「ほら、さっさと歩け」って言いながら、泣きべそをかいているエナンドの腕を優しく掴み、連れて行ってるのが面白かった。バーデンは他の人のお世話なんてしないと思ってたのに……。
ドアを開いて、入る直前、レナード殿下がこっちを振り返った。残念そうな蜂蜜色の瞳。私だって、早く会いたかったのに。駆け出して、抱き締めたかった。首の後ろがちりりと熱くなる。喉の奥も熱い、心臓の鼓動が速くなる。
(……魂を半分こしてから、調子が悪くて変。会ってるのに、会いたいなって思っちゃう)
触れていないと不安。何かが枯渇して、どうしようもなく欲しくなる。何を? 分からないけど、レナード殿下のそばにいたら満たされる。呼ばれているような気がずっとする。
ドアが音もなく閉じられ、消えた。他にやらなくちゃいけないことがあるのに、何もない壁をぼんやり眺めちゃった。あとで会えるから。分かってるんだけど、分かってるんだけど……。眺めていたら、ジュードが愉快そうな声で話しかけてきた。
「そんなに心配? レナード殿下のことが。シェリー」
「ううん、心配じゃなくて……ごめん、何でもない。調べる」
「シェリーは変わった。バーデンの気持ちがよく分かるよ。耐えがたい」
「……そっちも変わったでしょ? 前は幽霊みたいだったけど、今は羊の皮をかぶった狼って感じ!」
「すごいな、前までそんなこと言わなかったのに」
多分、あの虫は死体から飛び出てきた。床にしゃがみ、黒いスーツを着た死体をくまなく調べる。ナイフでポケットを突き刺してみたけど、何も出てこない。あれで終わり? そんなはずはない。首の断面を見てみたら、ぽっかりと穴が開いていた。食い散らかされたような跡……。腹いせに心臓を突き刺してから、立ち上がる。
「予想通りだった。そっちは?」
「レナード殿下の髪の毛が取られていた。燃費が悪い呪いだね」
「呪い?」
「そう。血を吸って、術者のもとへ帰る呪い。使役してると思ってたんだけどなぁ、違った。これからは虫にも気をつけなくちゃ」
「私は常に気をつけてる。前にも似たようなことがあったの」
「へえ? でも、止められなかったよね」
「……ジュード、私に喧嘩を売りたいの?」
もしもそうなら、容赦しない。殺して埋めるのが一番安全な方法なんだけど、叔父さんに「便利なやつを殺しやがって」って言われそうだし、レナード殿下が傷付く。もうなるべく殺さないようにしなくちゃ。今までいっぱい殺してきたんだから、やめたって一緒のような気がするんだけど。
私の王子様は現実を直視できない。生きていても、ろくなことをしないクズばっかりなのに。返事を待っていると、鼻で笑った。のたうち回ってる虫を握り潰して、黒い霧へ変える。ざぁっと消えて、辺りに嫌な匂いが漂った。ドブみたいな匂い。ジュードが私と同じ赤紫色の瞳を細め、人当たりの良い笑みを浮かべる。
「ごめんね! 怒らせちゃって……。違うんだよ、ずっとシェリーは変わらないと思ってた。俺だけのシェリーでいてくれると思っていたのに」
「……私、あなたのものになった覚えはないんだけど?」
「俺達はいとこ同士だ。そうだろ? 血が繫がってる」
「だから、何?」
「ほぼ同じ環境で育った。だから、分かり合える。一緒に叔父さんを殺してみないか?」
「は?」
何を言い出すの。叔父さんを殺す? まさか、恨んでいたの? 詳しいことは分かんないけど、叔父さんは一番上のお兄さんのことを憎んでいて、殺して、お兄さんの子どもであるジュードを虐げていた。
でも、ジュードは知らないから、お父さんのことを。だから、小さい頃は叔父さんを本当のお父さんだと思っていて、愛されたい、愛されたいってそればっかり、言ってて……。ジュードが私に近付いてきた。愛おしそうに赤紫色の瞳を細め、私の頬に両手を添える。き、気持ち悪いから、やめて欲しいんだけど。さっきの虫の毛がついてる。
「……ああ。ようやく俺のことを見てくれたね? シェリー、愛してるよ」
「違うでしょ? 誰でもいいの、知ってる。ジュードはそばにいてくれるのなら、誰だっていいんでしょ、分かってるから」
「違うんだ。シェリーが誰かのものになるのが嫌なんだ。これって愛情だろ?」
「違う……」
ジュードが私にキスしてきた。思いっきりすねを蹴り飛ばせば、痛い痛いって言いながらも、嬉しそうに笑ってた。叔父さんを殺すって。それに、今のキス……。困惑と吐き気が混ざり合う。口元をおさえてよろめいたら、腰に手を回してきた。
「大丈夫? ゆっくり休んだ方がいい。ごめんね、毛がついちゃったな。完璧に消えてると思ったのに、消えなかったんだ。虫の毛」
「っやめて、離れて!」
「ああ、良かった。突き刺さってなかった。まいったよ、これ、毒があるみたいで、さっきから手のひらが熱くて痛いんだ……シェリー? どこへ行くの、心配してるのに。俺がこんなに心配してるのに」
気持ちが悪くなって、何もない壁を叩く。ジュードが後ろから私を抱き締めたあと、声を張り上げた。
「レナード殿下! 終わりましたよ、出てきてください」
「……ねえ、さっきの本当? 叔父さんを一緒に殺そうよって。恨んでるの?」
「シェリーは何とも思わない? うそうそ、冗談だよ……。あれはシェリーの気を引くために吐いた嘘。キスをしてみたかったんだよね、一度だけ」
また、にっこりと当たり障りのない笑顔を浮かべる。どれが本当のジュードなの? 余計なことを考えたくないのに。めまいがする……。レナード殿下が出てきて、私を抱きとめてくれた。顔を見た瞬間、どっと体から力が抜けて、崩れ落ちちゃった。
「シェリー、大丈夫か!? ああ、もう、無茶するから!」
「レナード殿下、今度からは俺が中心となって警護しますよ。シェリーから武器を取り上げてしまった方がいい。じゃないと、永遠に無理をしてしまいます」
「何を、勝手なことばかり言って……!!」
「禁術の影響がまだ抜けきってないんだよ。モリスさんだっけ? 俺は会ったこともないし、よく知らないけど、休むようにって言われたんだろ? 大人しくした方がいい、大丈夫! レナード殿下のことは俺が守るからね、シェリーの代わりに」
レナード殿下の腕の中にいる私を覗き込み、笑う。どうするのが正解? めまいがする。さっき、何かされた? 眠たいし、意識が朦朧とする。魔術の腕はジュードの方が上で敵わない。こっちを見つめるバーデンに手を伸ばしたら、赤い瞳で静かに見つめ返された。何かされているのなら、きっと、バーデンが魔術を解いてくれるはず。レナード殿下が私を抱きかかえ、真剣な表情で見下ろしてきた。
「……ジュード、協力してくれ。シェリーは俺の言うことなんて聞かないんだ」
「レナード殿下! なんで、嫌です」
「もちろん協力しますよ。俺もいとこのシェリーが心配なんです。なあ、バーデン? 協力してくれるだろう?」
「ああ、前々から思っていた。腕が鈍ってるし、表立って動くべきじゃないって」
「そんな……バカ! バカ、バカ、バーカ!!」
「子どもか。大人しくしておけ」
バーデンが呆れた表情で呟き、私の目元を覆った。あ、眠たくなってくる。私の味方じゃないの? バーデン。どうして、居場所を奪わないで、お願い。これを奪われたら、どうしたらいいのか分からなくなっちゃう。着せ替え人形でいろってこと? また? 分かって貰えたと思ったのに、また、私からナイフが遠ざかってゆく。何を企んでいるの、ジュード。許さないから、絶対に許さない。絶対に。




