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後編

   後編


「本当にありがとう」

 うやうやしく安達さんが礼をする。

「いえ、俺はただ売り子しただけなので……」

 人から褒められるのは嬉しいことだが、褒められるほどの事はしていないので実感がない。言葉通り、あの日はただ突っ立って、やってきた人に本を手渡していただけなのだから。

 テーブル向かいに座る安達さんから視線をそらし、グラスに注がれた水をちびちびと飲む。

 冬コミが終わり、年が明けた一月の中旬。安達さんから「お礼がしたい」との連絡が入ったので、街で落ち合うこととなった。また会うべきかと悩んだが、断わるのも失礼だろうと判断した。

 待ち合わせ場所で合流して案内されるままにやってきたのは小さな喫茶店だった。昔にヨーロッパかそのあたりで作られたっぽい古めかしい家具やら調度品で埋め尽くされた店内は平日のスタバチックな落ち着いた雰囲気で、学生を寄せ付けない高級感を漂わせていた。メニューには相応の数割増しの数字が並び、これが噂に聞くシャレオツなかっふぇー(唇噛んで)というやつなのだろう。俺が来るようなところではなかった。

 こんなこともあろうかと通販で女物の服を買っといて良かった。ミニスカニーソは少しやり過ぎた感もあるが……買ってしまった物は仕方ない。選んでいる時はすっかり自分が着ることを忘れて好みだけで選んでしまったのだから。

「いやいや。いつもの僕ならいいとこ五十かいけて百届くかどうかだったのに、歩花さんのおかげで、かなり多めに刷ってもまさかの完売だよ」

 安達さんが描いた島風×電純愛百合物(成人向け)は十時開始から飛ぶように売れた。壁サークルのように列が出来るということはなかったにしても、座って休憩する暇が無いぐらいにはコンスタントに人が来て、その対応に大忙しだった。俺は売り子、安達さんはそこそこに参加者から受け取ったスケッチブックにイラストを描いていた。やっと落ち着いたと思ったら十四時で、ギルドのメンバーがやって来て、やっぱり売り子を継続しながら立ち話。終了の十六時間際に最後の一冊が売れて見事完売。机の上に平積みされていた大量の同人誌が全て捌けてしまった。

 ちなみに歩花とは俺の女であるときの名前だ。ゲーム名が『さぬきうどん』という自分の好きな食べ物を名前にしてしまったことと、ゲーム外でマスターと呼ぶのは不自然だとのことで、できれば名前もしくはHNハンドルネームを教えてほしいと言われた。苦心した末に本名のあゆむに日本人代表的女性ネームである山田花子のから花をとって歩花とした仮の本名を彼に教えたのだ。即座に考えたにしてはなかなかかっこいい名前だと思う。……女としてどうなのかは知らない。

 なお代わりにと教えてもらった安達さんの本名は飯田留珈というらしい。フルネームでのご開帳だ。俺の歩花より女の子っぽい名前ではなかろうか。しかもかっこいい。ただし、教えてもらって申し訳ないけど、、安達さんという呼び方に特段困っていないのでそのまま呼ばせて貰っている。

「あそこまで売れるとは思わなかったから、通販分も会場に持ってきてたんだよね。こんなことならもっと刷っておけば良かった」

 嬉しい誤算に安達さんの表情は和やかだ。

「かわいいコスプレ女子がいると売上げが伸びるって本当だったんだね」

「はあ……」

 頒布品とは関係のない売り子の質で変わる売上げというのはなんというか、人間の本能の正直さが浮き彫りにされてるようで、人間って単純なんだなと思ってしまう。……まあ、煩悩の限りを尽くした本を買いに来た人達だからそうもなるのか。そうでなくても、俺だって町中でテッシュ配りがいたとして、手渡す人が美少女であれば受け取る確率は飛躍的に上がるだろう。つまり本能は強い。

「印刷所に再販頼むなんて初めてだ。ほんとありがとう」

 また頭を下げる安達さん。感無量といった感じなのだろうけど、そう何度も頭を下げられるこっちとしては、社会人が大学生に頭を下げ続けるという異様な光景が出来上がり、周りから目立ってしまっているので、いい加減やめてほしい。

「レアチーズケーキのセットです」

 ナイス店員。いいところにやってきてくれた。ちょうど手持ち無沙汰だったので、さっそく届いたばかりの紅茶を啜る。……何かの高級そうな花の良い香りがする。味の方は……悪くはない。でもこれなら午後ティーの方が好きかもしれない。

「ここのお店は僕の……僕が務めている会社の後輩から教えてもらってね。知る人ぞ知る名店なんだよ」

「へぇ」

 知る人だけが知る名店は果たして名店なのだろうか。それはさておき、目の前のレアチーズケーキから目が離せない。安達さんがこの店で一番のお勧めだと言うから頼んでみたレアチーズケーキ。謝礼だという封筒に包まれた現金の受け取りを拒否した俺に、だったら何か奢らせてくれと頼まれて了承した結果がこれだ。正直お金はほしいが、ただ数時間コスプレして売り子をしただけで福沢さんを受け取るのは割りに合わない気がした。ぶっちゃけ夜に行われた打ち上げ代を支払ってもらった分で充分だ。あの日は自分もそれなりに楽しんだから、お金なんて受け取るわけにはいかなかった。

「ほら、遠慮せず食べてみてよ」

「……では、頂きます」

 真っ白なケーキにフォークをいれる。そして切り分けた小さい方にフォークをブスッとつきたて、口に運ぶ。

 ……うっ。思っていた以上にうまい。

 ほっぺたが落ちそうというのはこういうことをいうのだろうか。クリームチーズがしっかり濃厚で、しかし重すぎず、硬めなはずなのに口の中に入れると、優しい甘みと共に次第に柔らかくなり、解けて消えていった。上に乗っかっている緑色の豆っぽい物も美味しいし、見た目の上でもただ真っ白なだけのケーキにアクセントをつけている。見て食べて美味しいレアチーズケーキだ。

 どうせ連れて行ってくれるならステーキとか回転寿司とか主食をがっつりと思っていたけど、これはこれでなかなかどうして。かなり満足の行く味だ。

「どう?」

「ん?」

 フォークを咥えたまま安達さんを見る。なぜかびっくりしていた。

「えっと、口に合ったかな、と思って」

 若干挙動不審……いや、気に入ってくれたかどうか心配なのかもしれない。

「はひ。おいひいです」

 応えてから、せめてフォークぐらい口から離して喋るべきだったと後悔する。大学生で「はひ」はないだろ。

 安達はほっとしたような安堵の表情を見せた。

「良かった。ここは一番気に入っているお店だから、ここがダメだったらどうしようかと」

 人から奢ってもらって「まずい」なんて、ほんとに心底思わない限りは言わないと思う。という社交辞令に対するツッコミはここの中だけにしておく。

 しかしうまい。なんだこのうまさは。雪見だいふくの比じゃないなくうまいぞ。もちろんあれはチーズケーキではないしアイスで別部門だけど、デザートという括りでは同じはず。あと一部地域ではアイスのことをケーキというとかなんとか。どこの方言だっただろう。とにかくうまい。デザート類は雪見大福とピノとなめらかプリンぐらいしか食べない俺だが、これは今まで味わった中でも一番うまい。もしかしたらデザートという括りをなくしてもダントツの一位かもしれない。ほんと大袈裟ではなく。

 ……いや待て。それはさすがにない。これが焼肉を越えるなんてありえるだろうか。いやない。程良くレアのジューシーやカルビと真っ白な炊きたての米という黄金コンビがこんなケーキ如きに負けるはずがない。……はずがないのに、あれ、どうしてだろう。今はそんなに焼肉に心が惹かれない。

 ハッ。そういえばこの姿でいるときは甘い物が食べたくなっている気がする。味覚が変わっているのだろうか。だからこのケーキもこんなに美味しく……

「……歩花さん。もう一つ頼む?」

「ん?」

 呼びかけられて気付けば、皿の上からケーキが消え去っていた。考え事をしている間も手は休まず動いていたらしい。少し勿体ない。

 せっかくなのでお言葉に甘えようと「もう一つだけ」と応えると、安達さんは快く頷いて、自分の分も合わせて追加オーダーした。安達さんが頼んだのも同じチーズケーキだが、飲み物はコーヒーだった。しかもブラック。社会人はひと味違う。

「時間がまだあるからゆっくりしよう」

 時刻はまだ十四時を過ぎたところ。太陽は天高く、雲一つない青空が広がっている。窓に触れるとひんやりと冷たく、別世界であることを伝えてくれる。店内はほどよく暖房が効いていて暖かい。

 日曜日の午後。もう少しこのままぼんやりと時間を過ごすのもいいだろう。

 ふわぁと欠伸を噛み殺し、椅子に背中を預けた。


 ◇◆◇◆


「……で、この展開はないだろ!」

 覆い被さろうとする安達さんを渾身の力で押し返す。がしかし相手は成人男性、小娘如きの力ではびくともしない。

「いやいやまあまあまあ」

「まあまあじゃなくて!」

 男は狼だと前世紀の歌にあった気がするが、まさにそれだ。優男だとばかり思っていた安達さんがこんなところに連れ込み襲いかかってくるとは。

「いいかげんに……しろっ!」

「ふごっ!?」

 腹に渾身の一撃をくれてやると、変な声を出して蹲った。すかさずベッドから這い出てバッグを手に部屋を出ようとしたが、すんでの所でバッグのストラップを掴まれてしまった。

「ち、ちょっと待って」

「待てるかバカ!」

「逃げることないじゃんお互い様でしょ!?」

「何がどうお互い様なんだよこんなところに連れ込んで襲いかかって来やがって!」

「それは君も興味あるんじゃないかと思ってさ! それにさっきは頷いたじゃん!」

 何だコイツ口調が変わったぞ。

「さっきって、居酒屋でのことか? あの時は酒のせいで頭がぼーっとしてて……」

 そういえば何か言われて頷いたような気がする。かなり酔っていたから何言われたかはさっぱりだ。酒に強いはずの俺がビール一杯でべろんべろんになるとは思わなかった。これも女になったせいだろうか。

「とにかく酔わせて連れ込むとか男の風上にも置けん!」

「男じゃないし! そういうなら君だって酔ってたとしても、一度はOKしたんだから男に二言はないとかそんなので許してくれたら良いじゃん!」

「おまっ、いくらなんでもそれはな――……え?」

 今コイツなんて言った?

 安達さんがニタリと笑う。見たことのない表情に、背筋がぞっとする。

「やっぱりそれも覚えてないんだ。さっきその話もしたのに」

「な、なんの話だ……?」

 安達さんがテーブルに手を伸ばす。その先にあるのは彼のスマホ。春に出た最新から一つ前の機種だ。

 ロックを解除したスマホをこちらに投げて寄越す。それを受けとり覗くと、画面にはフィルンクロニクルのプロフィール画面が表示されていた。プレイヤーネームの欄には安達と表記されているので、間違いなく彼のスマホだ。

「左上のところ、それを押してみてよ」

 促されるままに画面の左上を見る。そこには俺のスマホにしかないはずの矢印がウロボロスのように回転しているアイコンがあった。

 まさか……。

 心臓が激しく脈打つのを感じつつ、吸い込まれるように、そのアイコンをタップした。

 ――ボフン。

 最近聞き慣れた音が正面から聞こえる。驚いて顔を上げると、視線の先に謎の煙の塊が発生していた。

 すぐさま煙は四散し、そこから現われたのは――

「お、おんなぁ!?」

「はじめてまして。琉華です」

 スーツ姿のキャリアウーマンチックな女性が、女子力高めのウィンクと小首傾げのダブルポージングをひっさげて現われた。

「え、おま、おん――」

「まっ、そんなわけだから、同じ女の子同士、何か良くしましょ」

「お、俺は男だ!」

「今は女の子でしょ」

 有無を言わさず再びのマウントポジション。同じ女でもこっちは体が小柄な分、力で負けてしまう。

「ま、待っ――」

「逃げたらあなたが男だってバラすわよ」

 逃げ道が断たれた。

「大丈夫。気持ちよくして上げるから……」

 安達さんの姿でも似た笑みを顔に張り付け、彼女の顔が徐々に近づいてくる。抵抗を諦めた俺は、ふと彼女が描いた同人誌を思い出していた。

 そういえば、コイツが描いた同人誌の内容って、百合純愛物だったな。たしか、島風が電に迫ったところ拒否され無理矢理ヤッてしまうが、なんだかんだで最終的には電も島風を受け入れ、両想いになったとかそんな感じだったはず。

 ……いや、それはないだろ。絶対にない。

 唇に柔らかい何かを感じつつ、体は許しても心は許してはいけないと、どこかの同人誌のような決意を心に誓った。

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