刑事の日常
桜谷町警察署は国道沿いに建てられている。
築三十年は越す古い建物で、コンクリートむき出しの壁には煙草の臭いがこびりついている。
今でこそ肩身の狭い喫煙者だが、少し前まではところ構わず吸いまくって、室内は真っ白い煙で覆われていた。その面影といったところだ。
その一角で城島龍太郎が煙草を吹かしていた。
喫煙スペースは、署の端にある小狭い部屋だけだ。昔は備品置き場だった。
安物のスチール製の机が置いてあるだけで、椅子などは置いてない。
いつまでも煙草を吸っているな、という暗黙の通達だ。
それでもその通達に従わず、この場所で長時間煙草を吸っている強者はいる。
机の上に置かれた、雑誌や競馬新聞などが、それを如実に物語っている。
「城島さん、ここにいたんですか」
そこに女性警官が入室してくる。
「これ、県警本部から届いてますよ」
煙草の煙が疎ましいのか、右手で煙を払いのけて、左手で一通の封筒を龍太郎に差し出す。
「ありがとうなミサキちゃん」
それを煙草を口にくわえたまま受け取る龍太郎。
中身を取り出して確認する。
それは数枚の書類だ、顔写真が添付されている。
「今度メシでも食いに行こうか」
顔を上げて和やかな笑顔で、女性警官に言い放つが、その姿は既にない。
「ダメっすよ先輩。先輩は署内でも危険人物で通ってるんすから」
すかさず一緒に煙草を吸う、若い刑事が言った。
龍太郎の相棒を勤める、相沢という二十五歳の男だ。
「結婚してるくせに、見境なく若い女に声をかける。有名ですよ」
「おいおい、それは言い過ぎだろ」
苦笑する龍太郎。
若い女に声をかけるのは彼なりの礼儀だ。
キレイな女を前にして、お世辞のひとつも言えないようでは男としての価値がさがる。
もちろんそれ以上を望んでいる訳ではない、一応いまは既婚者だから。
相沢はすらっとした体つきの青年だ。髪を短く刈り込んで、爽やかな印象を与える。
「広域の情報っすか」
煙草の灰を灰皿に落として、龍太郎が手にする書類に視線を落とす。
「ああ、ちゃんと把握しとかないと、いざって時、こいつらに出し抜かれるからな」
ペラペラと書類を捲る龍太郎。
「……なんだこいつ、髪を金髪に染めたか」
そして一枚の写真で視線をとめた。その眉根にかすかにシワがよる。
「ちゃらけた奴ですね。そのわりにヤバそうな目付きだ。……銀狼会の実子って……」
一瞬言葉に詰まる相沢。
「警視庁がらみの要注意人物じゃないっすか!」
そして声を荒げる。興奮の余り、口から煙草を落とす始末だ。
「馬鹿、慌てんな。実子ってだけで組織での実績はない」
それでも龍太郎は冷静だ。言って煙草を灰皿に揉み消す。
「だけど警視庁じゃ、話題に上がってるらしいっすよ。銀狼会は、実子のこいつが跡目を継ぐ、そうなれば銀狼会は二つに分裂する。そうなりゃ関東は血の海に染まるって」
相沢の手がかすかに震えているのが分かった。それが寒気なのか、武者震いなのかは分からない。
それだけその固有名詞には、重みがあった。警察官という、職業上のものもあるだろう。
しかし相沢の言った意味は、あくまで噂だ。裏社会に脈々と流れる根拠のない噂。
しかし火のないところに煙はたたない。どこかしら根拠があるからそんな噂が成り立つ。
それだけその写真の人物にも、脅威を抱いていた。
「ってもそれは、関東の話だろう。福島県警と警視庁じゃ距離的な差がある。関東での出来事が、そうそうとこっちまで飛び火することはない」
「流石は元 組対ですね。的確な判断だ」
ほっと胸を撫で下ろす相沢。
確かに銀狼会の本部は、東京にある。その傘下である二次団体も関東近辺に集中している。
根拠のないことで憂うのは、馬鹿げたことだ。
「お前が騒ぎ過ぎるだけだろ」
その肩をとんと叩く龍太郎。
何事もなかったように、それを封筒に戻した。
とはいえ龍太郎にも、かすかな憂いはあった。それは銀狼会が広域に指定されていること、実質東日本のほとんどを支配していること。
つまりは二次団体はともかく、その傘下にも気を付けなければいけないということ。
そして危険だと噂される写真の人物だが、その思いだけは一途だということ。
「……今日だったっけ、町主催の婚活があるの」
不意に龍太郎の視線が、机の上にある紙切れに注がれた。
それは町内の出来事などが掲載された地方紙だ。
「あいつらにも、いい出逢いがあればいいんだがな」
新たなる煙草を口にくわえて、薄汚れた窓の外に視線を向けた。




