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★ 高校一年生 三月

三月十四日。

 二月十四日がお菓子メーカーの陰謀だとかなんだと面倒くさいことを言う非モテには関係のない一日である。

 とはいえそんな私――五十嵐 春奈という、顔良しスタイル良し性格良し、という三方よし美少女でも、毎年この日は只の平日であった。誕生日なのに。

 まあとはいえ、私は友人に自分の誕生日を伝えてもいないし、誰かの誕生日を口では祝ったことあるけども、プレゼントやパーティーなどでお祝いしたことはない。

 何故なら金がないから。

 唯一家族にだけはなけなしのお金を払って毎年渡しているけど。曰く、日ごろの感謝を祝う日だからお前みたいなのは用意して当然なんですと。

 というわけなので、日ごろ感謝をされない私へのお返しのプレゼントというものはないわけで、ということはこの日は平日になる、ということなのでした。ちゃんちゃん。


 しかし今年は違う。

 というのも部長かつ戦友でもある桜井 凛史郎より先週、この日に連れていきたいところがあるから一日くれないかという申し出があった。

 多分ラブホテルだろう。間違いなくラブホテルだ。いや、もしかしたら単に人目のないところかもしれない。お金ないだろうし。

 やれやれ、仕方がない思春期ボーイだな全く。私だから付き合ってあげるけどさ。

 私は彼のそんな申し出を受けて一週間、常にルンルン気分で過ごしていた。

 しかもこれはつい数時間前のことだが、13日から14日にかかる丁度0時に、誕生日おめでとうというラインが来たのだ。

 14日である今日は土曜日、待ち合わせの時間はお互いの諸々を考慮してまた朝8時過ぎという早い時間だが、舞い上がってしまった私はついつい彼と4時までラインをしてしまった。そしていつもの十倍準備に時間をかけているということもあり、今日は朝5時起きだ。

 多分私、将来は戦略コンサルや投資銀行でも働けると思う。

 というわけで家族を起こさないようにそそくさと準備をした私は、時間三十分前に家を出るのであった。

 家族には部活動という体のいい言い訳があるから、特に問題ない。

 本当、外に出れるいい大義名分ができたね!


***

「おはよー。さっきぶりだね」

「……はよ。元気だな、朝から」

 アドレナリンドバドバで、とても睡眠時間一時間とは思えないほどの元気な私に対して、桜井は普通に眠そうだ。

 気持ちはわかるけど、私の誕生日なんだからもう少ししゃきっとしてほしいな。

 すると、そんな気持ちが通じたのか、桜井が申し訳なさそうに言う。

「悪いな、誕生日に眠そうにして。朝はどうしても弱いんだ、もう少ししたら治る」

 いつも通りの格好良い顔でそんなことを言う彼に、私は思わず抱き着きそうになった。

 一緒にいてくれるだけで最高に幸せだよ! とそんなことを言えればよかったのだが、いくら私と彼の関係でもそこまで直接的に伝えてしまっては彼も驚いてしまうだろう。


 だって私たちは、ただのクラスメイトで同じ部活の友人、だもんね。

 だから私は、桜井のポケットに入っていないほうの手を取って言う。

「大丈夫だよ! こうして手を握って起こしてあげるね!」

「い、いや別に……」

「いやなの? 私、誕生日だよ?」

「……いやではない。そうだな、誕生日、だもんな」

 彼はそういうと諦めたように私を歩道側へ誘導してぎゅっと手を握り直してくれる。そうそう、これが私たちの適切な距離だよね。

 私は手を恋人つなぎに直して、そのまま彼の腕に抱き着く。

 桜井は少したじろいだ様子だったが、それを無視して強くぎゅっと抱き寄せる。

 あれ、なんか腕が胸に当たってるけど、まあいいか。

 居心地悪そうにしていた桜井がついに諦めた様子で、空気を変えるようにごほんと咳をする。

 私はそのタイミングで、何の気なしに聞いてみた。

「そろそろ行こうよ。いつもの散歩コース」

 そう、夏休み以降私たちはいつも同じコースを散歩していた。

 部活で学校に行ける日は当然部室に集合していたが、入試やら職員会議やらで学校が開放されていないときも多々ある。その時はいつも、決まった散歩コースを二人で歩いて、最終的にいつものショッピングモールで時間をつぶすのがお決まりだ。

 あのコース、全く人が通らないからすごくいいんだよね。確かにちょっと歩きにくいし、人気が無さ過ぎて少しだけ怖いけど桜井がいるから一ミリも気にならないし。

 そういえばこの間散歩している時、野外で盛っているカップルがいたら私たちも盛っちゃいそうだねと冗談で言ったら顔を真っ赤にしていたし、そういうのもありだと思います。

 そんな適当なことを考えていたが、ふと横を見ると、桜井が何かを言いたげにしているが、思い悩んでいる様子が見て取れる。

 え? 本当に初回が野外? ま、まあいいけどね……。

 私が目をぱちくりして彼を見ていると、彼は意を決したように言う。

「今日は、ちょっと遠出しない、か?」

 あれこれ勝ち確フラグってやつ?


***

 そして一時間後。

 私たちは、四駅離れた大きな公園にある湖に来ていた。

「おおー。ここ初めて来たね!」

「……悪いな、長時間歩かせて」

 感動している私に対し、桜井は申し訳なさそうに言う。

 電車やバスを使ってもよかったのだが、定期というものがない我々にとって、電車四駅分というのは意外とバカにならない金額だ。

 というわけで散歩もかねて一時間ほど歩いたのだが、どうやら彼はそれに負い目を感じてしまっている様子。

 それがデートとして負い目を感じているのであればむしろうれしいくらいだが、別にそうでなかったとしても気にすることはない。

 いつものルートでも結局同じくらいは歩いているわけだし、そもそも歩くのは嫌いではない。というかむしろ好きだ。

 しかも隣を歩いているのが桜井ということもあり、私としてはデートとしても90点を挙げてもいい。残りの10点は歩くときに少し女慣れを感じたのと、もう少し桜井からべたべたしてくれてよかったのに、というところくらいだ。

 前者は私でなれたということなら問題ないのでその場合はプラス5点。

 後者はドキドキしてしまったというのであればプラス55点。

 ほほう、150点とは中々素晴らしきデートではないか。

「なーにいってんのさ。むしろ初めて見る景色が多くて一緒に見れて楽しかったよ?」

「そうか? というか、最寄り駅の範疇なんだし、全く見たことない景色ってことはないだろ?」

「ううん。私にとっては、二人で見たあの景色は全く新しいものだったよ?」

「……そうか。それなら、まあ一緒に行けてよかったよ」

 彼はそういうと、赤くなった顔を隠すためにそっぽを向く。

 しかし、腕をべったりくっつけた状態であるためそんなのは隠しようもなく私にはばれてしまうのだが。


「ごほん。それでも流石に疲れただろ。あのベンチで少し休もうぜ」

 彼はそういうと、湖が一望できるベンチにまで連れてってくれる。

 ベンチに座ると、私は頭を彼の肩に乗せる。

 彼は少し照れくさそうだったが、正直これではまだ物足りない。

「ねね。腕貸して」

 私はそういうと、ぶらんとしていた彼の片腕を取り、私の肩に回す。

「あー、これ、征服されてる感あっていいわー」

「たまに駅のベンチとかで見るこういう情景を、まさか僕がすることになるとは思わなんだ」

「夢かなったじゃん。よかったね」

「まさか僕がああいう連中に嫉妬しているとは知らなかった」

「桜井もたまには下半身で動いてみたら?」

「人間と動物の大きな違いは理性の存在だ。それを手放したらただの動物だろ。……というか、今えげつないこと言ったな?」

「私は結構本能大事にするけどなあ。桜井の前だと特に」

「……それはまあ、感じてはいるけど」

「お互い自由になったら、本能でいこうよ」

「……流石にそれは……勘違いするから……」

「そう? なんだ、まだだめかー」

「……ごめん」

「ううん、今日誘ってくれて幸せだよ?」

 私たちはそこからしばし沈黙になる。なんでだろう。彼との沈黙は全く苦にならない。 このまま眠ってしまってもいいくらいだけど、折角のデートでそれは流石にもったいないかな。

「よしっ!」

 勢いよく立ち上がった私を、桜井は見上げる形になる。

「折角だし、湖の周り散歩しようよ!」

 私のその誘いに対し桜井はふっと微笑ましいものをみるような表情になると、そうだなとだけ言って立ち上がる。

 私も思わず笑顔になってルンルン気分になると、ついうっかり彼と手をつなぐのを忘れてしまっていた。

 おっと折角の誕生日なのにそんなのは許されねーぞと私が彼を探すと。

 ぎゅっ、と彼の方から手を握ってくれた。

「……」

「どうした?」

「…………ううん」

 それは恋人つなぎでも腕組でもない、ただお互いの手を交わしただけではあるけれど。

 それでも私は、この瞬間が永遠に続くようにと願っていた。


***

「ねえ知ってる?」

「何柴?」

「東芝」

「ちげーだろ」

「じゃあ御子柴」

「それも違う」

「面倒くさいなーまったくもー。じゃあ何柴なのよ」

「……僕はそういう大喜利は苦手なんだ」

「小説家志望が聞いてあきれるね」

「うっせ」

「あー、いい天気だー。ごくらくだー。なんまいだぶなんまいだぶ」

「しんだ?」

「天国では逆ハーレムつくろ」

「……そうか」

「桜井、そこの総司令官ね」

「しれっと僕も殺すな」

「一人じゃ死なないよ?」

「……え、怖くなってきた。陸に戻らないか?」

「嫌だよ、私このボートめっちゃ楽しんでるもん」

「……落としたりしないでね?」

 快晴の中、私は桜井にお願いしてボートを漕いでもらっている。

 あの後湖の周りを一周して、やれ亀がいるだ、鯉がいるだ、鳥がいるだ、野外カップルはどこだと小学生のような楽しみ方をしていた私たちだが、丁度湖を一周するあたりで、あるものが目に留まった。

 それは、一時間900円と書かれた看板の下にある、一艘のボート。

 果たしてそれが相場と比べて高いのか安いのか、あのボートは綺麗なのかとかは全くわからなかったが、少女漫画大好きマンとしては、ボートイベントというのは一生に一度はやってみたいものであった。

 落ちてびしょびしょになっちゃったねまでがデフォルトだが、流石にそれはするつもりはない。多分。いやしないな。服濡らしてお互いろくなことにならないのはわかっているし。

 しかし、900円が良心的かどうかは置いておいて、一般的な貧困学生よりもはるかに貧困なお財布事情をしている我々二人が、あのボートを借りるのは難しいわけで、でも乗ってみたいわけで、だから私は大学生になって二人で同棲してからお互いバイトが休みの日に朝から公園に行って――と、幸せな妄想をしているといつの間にか隣に桜井がいない。

 まあ察しが良い人は気が付いていると思うけど、彼はさらっとボートを借りてくれていて、そのうえで漕いでもくれている。そして現在に戻る。テロリン。

「……お金、私払うよ」

「いや、誕生日だろ。それに僕が勝手に借りて誕生日の人からレンタル料借りるのは社会的に見てどうよ」

「……ヒモだね。その関係性は嫌いじゃない」

「お前、将来彼氏作るときにはまじで気をつけろよ」

「死ねゴミカスがぶっ殺すぞ」

「え、急にこわ……」

 おっと思わず本音が。

 彼のバカな発言は置いておいて、こうして私はデート定番のボートイベントを達成したのであった。

「あー、風が気持ちいいねえ」

「そうだな。時期も悪くないしな」

「この日に生まれた私に感謝しろ」

「なんだそれ……。まあいいか。生まれてきてくれて、ありがとう」

「……どうも」

「え、急に何」

「お願いだから、ちょっとだけ黙ってて」

「なんでだよ」

「口臭いから黙ってて」

「……」

 私は思わず食らった彼からの不意打ちに、つい心にもないことを適当に言ってしまった。というか、私は何言ったんだ?

 でも、あんなことをいきなり言う桜井が悪いに決まっている。

 私の境遇で、あんなこと言われて、揺れないわけないのに。

 こういうのはもっと深刻なイベントの時に言ってほしい……。少女漫画だったら、後ろにキラキラしたのを振りまいてるとき。

 私は何度か深呼吸してようやく落ち着く。

 そして桜井の方を見ると、彼はオールから両手を離し、体育座りになってうつむいていた。本当に何を言ったんだ? 私。

「ねー、桜井さ。どうしたの?」

「……」

「ねーねー」

 私がしつこく問いかけると、彼はスマホを取り出してちょちょいと何かを入力する。

 そのタイミングで私のスマホにラインの通知が来る。中身を見てみると。

『近づかないでくれ』

『話したくないんだ』

『誰も、言ってくれなかったから知らなかったんだ』

 何言ってんのこの人? ちょっと面倒くさいんですけど?

 やれやれ、と私は桜井を慰めるように何も考えずにぐいっと彼の方へ近づく。

 すると、お決まりの通りボートはぐいっと大きく揺れ、私も思わず声を出してバランス感覚を失う。

 しかし、ここも当然お決まりで、彼は私をお腹をぐいっと支えると、そのまま自分の方へ引きずり込む。

 ボートは大きく揺れたが、それでも転覆することはなく、私も桜井の腕の中に抱かれる形になる。

 心配そうに私を見つめる桜井の両眼とキラキラした目で彼を見つめる私の目が合う――が、それでも彼は口を開けようとしない。

「ねえ! 何なのさ! もう!」

 私が助けられたのも棚に上げて、ついに切れだすと、彼は言いにくそうにしながらも伝えてくれた。

「……く、口が、臭いんだろ?」

「は?」

 急に何をいってんのこの男。

「急に何言ってんのバカ」

「お、お前が言ったんだろ?」

「言うわけないじゃん」

 言ったもん……と、それでも顔を背けながら言う桜井に対し、私は彼の両頬を掴んでこちらを見つめると、もうあと少しでキスができる距離まで顔をぐいっと近づける。

「私、犬なみに嗅覚がいいの」

「……知るかよ」

「あと、かなりの匂いフェチなの」

「それは本当に知るかよ!」

「だから大丈夫。私、桜井の全ての匂いを愛せる自信がある」

「そんな自信はいりません」

「うれしい癖に」

「……俺も、五十嵐の匂いはきらいじゃなぐもも」

 桜井が言い切る前に私は彼の頭を両手で抱えて胸に抱き寄せ、思う存分匂いをかがせてあげるのであった。

 はいはい、はやく私の匂いになれようねー。

 いずれ私の匂いを嗅がないと寝れないようにしてあげるからねー。


***

「ああ、ひどい目にあった」

「どうしたの? 大丈夫?」

「え? 自分のせいだとは思ってらっしゃらない?」

「桜井はちょっと性欲が強すぎだね。あれだけ興奮したらそりゃ疲れちゃうよ」

「解せぬ」

 私たちはボートで転落して二人ともびしょびしょになる、というお決まりの展開にはならず、無事に岸までたどり着いてボートを返還してから公園を後にした。

 本当はもう少しここにいてもよかったが、流石にお腹が空いた。

 今日はお昼はご馳走してくれるとは言っているが、彼の懐事情も知っている。

 先ほどのボート代を払ってもらった以上、できる限り安価で食べれるところがいいな。駅そばとかどうだろう。立ち食いの。

 しかし、そんな心配は杞憂であり、彼は珍しくずんずんと私をリードしてくれると、一つのお店の前で止まった。

「……うわー……。おしゃれー……」

 そこには観光客を目的としていると思われるお洒落なパンケーキ屋さんがあった。

 時刻はまで11時を回ったところだというのに既に外にはお客さんが並んでおり、繁盛していることが目に見える。

 私が呆気に取られていると、桜井がここでいいよな、とだけ聞き、私の返事を聞くことなく列に並んだ。

 え、こ、ここ⁉

 しかし悩んでいるうちに既に後ろには陽気な外国人のメンバーが並んでしまっており、私も急いで彼の元へ戻る。

「ね、ねえここで大丈夫なの?」

 私は心配になって小声で彼に問う。

 すると桜井は特段表情も変えることなく。

「ああ。元々ここに行こうと思ってたんだ。あそこの公園からも近かったしな」

「え、そうなの……」

「五十嵐、甘いもの好きだろ?」

 あ、やばいしゅき。だいしゅき。きゅんきゅんきゅん!

 愛が止まらない。

 私のためにリサーチしてくれたの?

 私のためにシミュレーションしてくれたの?

 公園で遊んで丁度いい時間にここに来れるように考えてくれたの?

 やばいやばい、よだれが……。

「う、うん……。甘いもの大好き、嬉しい」

「いつも部室でバクバクお菓子くってるしな」

 照れだした私に気を使ったのか、揶揄うように彼が言う。

 私が思わず優しく、もう! といって彼を叩く。

 彼もあはは、とカワイイじゃれ合いだ。

 あまりにもカワイイじゃれ合いすぎて、後ろのブロンドグループに笑われた。

 猛省。


「ごほん。それにしても桜井、よくこんなお店知ってたね?」

「ん? おう、AIってすごいよな」

「……それは、言わないでほしかった」

「なんで?」

「女心検定2級の問題です。考えてみて」

 なんでだ? と素直に考えてしまった桜井。

 それを無視して私は近くに会ったメニューを取る。

 おおー! やはり人気店ということもありメニューも豊富でどれもおいしそう!

 それに量も沢山あって、観光客目的のぼったくりでもなさそうで良心的!

 さて、価格は……。

 メニューに記載された数字を見た後、私はこっそりと自分の財布を取り出して中身を確認する。

 うん、550円しかなかった。全然足らへん。

「何してんだ?」

 私がこそこそと財布の中を確認していると、桜井がのぞき込むようにこちらを見る。

 勝手にのぞき込むなよ! キスするぞ!

 と言ってやりたかったが流石に公共の場。私は自粛して彼の首元にちゅっ、と唇を当てた。

 ビクンってエビみたいに後ろにはねたあなたも可愛いけど、恥ずかしいからやめてよね?

 やれやれ、という目で桜井を見ていると、憎らしそうなジト目で彼も見てくる。

 私はそれを無視して小声で伝える。

「……桜井。私、財布に500円ちょっとしか入ってないよ……?」

 すると彼も小声で返してくれる。

「大丈夫だって。誕生日だし、これくらいだすよ」

 そう簡単に言うけどね……。

 私は知ってるからね? あなたが自分の学費も食費も、自分のための生活費として毎月ウーバーイーツで深夜働いて必死になって稼いでいることも。

 成績特待生として学費を半額にしてもらってたとしても、毎日の勉強と家事全てとバイトまでしてたら体壊すよ……。

 そんな状況の彼から、とてもお金をもらうことはできない。

 私はきっと申し訳なさそうな顔をしていたのだろう。

 そんな私の顔を見て、彼はにこっと笑うと。

「大丈夫だって。最近、割のいい別口の臨時収入ができたんだよ」

 しかもそこの収入はクズどもにはバレてないから余裕余裕と彼は言う。

 しかし割の良い収入か……。

「や、闇バイト……」

「違うわい」

「じゃあ何をしてるの?」

 私のその疑問に対して、彼は返す。

「家庭教師」


***

 話を聞くと、どうやら彼の現状を見て心配してくれる人は近所に沢山いるという。

 陰キャとは自分で言っているものの、子供や老人には優しい彼だ。

 近所で色々人助けしているうちに、何とかしてあげたいと思う人が出てきたのだろう。

 しかし、余計なことを言うと彼のモンスターマザーが出てくる。

 だからこそ、バイトという名目でお小遣いを渡すことにしたのだろう。

 桜井は近所の小学生から中学生までの子供合計十人に対し、週2回一時間の勉強を教えている。

 わかりやすいうえに礼儀正しいこともあって、親たちは非常に有難く思っているようだ。

 最近たまに早く帰る日があるけど、こんなことをしていたんだな。

 金額として大きすぎると面倒ごとがあるため、あくまでお小遣いの範疇らしいが、彼が人間らしい最低の衣食住を整えるには十分なお金なのだろう。

 そして、そんな大事なお金を貢がせる悪女である私……。


 あ、やばい自己嫌悪。


「どうしたんだ? 食べないのか?」

 気が付くと、目の前にはおいしそうなパンケーキがある。

 これだけで三枚の札が消えていく……ひえっ。

「……やっぱ、おごってもらうの申し訳ないな」

 頼んでおいていまさら何て都合がよいのだろう私……。

 というか、こんなこと言われても彼も困るよね……。

 そんな自己嫌悪を続けていると、彼はあははと笑いだす。

「……なによ。私、真剣に悩んでいるんだからね」

 すると、彼は悪い悪いとだけ言って続ける。

「あー……なんだ。なんだ?」

「なんだよ」

「うーん……。よし、正直に言おう」

 彼はまじめ腐った顔でこちらを見て言う。

 な、なんだろ……。元カノと来たことあるんよ、とかかな。

 だとしたら間違いなくこの場でリバースできる。秒でゲロゲロだ。


 しかし、内容はもっと呆気にとられるものだった。

「今回、このお店は……AIで選んだものじゃない」

「ふぇ?」

「勉強見ている先の……その……親御さんたちに選んでもらったんだ」

「と、いうと?」

「あー……。じつは、な。勉強を見ているときに、僕がその……、聞いたんだよ」

 彼は言いづらそうに目線をそらして頬を掻くと。

「女の子と、おいしいスイーツのお店行きたいんだけど、どこかないですか……って」

「……え?」

「そしたら、な……。このお店を教えてくれたのと、そのためのお金を余計に持たせてくれて……。絶対内緒だよ、とは言われていたんだが、その……」

 言い澱んだ彼は、意を決したように言う。


「五十嵐に、喜んでほしくて……。だから、気にせず食べてほしい」

「……」

「僕は……僕は、五十嵐が幸せそうにしてくれるのが、一番、嬉しい」


 今すぐ押し倒して全身に口づけしたい。舐めまわしたい。

 というか、一瞬本気でやりそうになった。それくらい脳がぱちぱちと火花が散っている。

 やばい、全身が電流が走ったようにピリピリする。

 多幸感で脳が溶けそう。

 でも、でも、とりあえず、とりあえずこれだけは、意識がはっきりしているうちに、これだけは伝えないと……。

「今、ディープキスしてくれたら嬉ションすると思う」

「……は?」

「あ、間違えた。ありがとう」


***

「あー! おいしかったー! しあわせだったー!」

「そいつはどうも。あれだけ幸せそうに食べてくれればこっちも幸せですよ」

 結局私はあのパンケーキを食べきり、食後の紅茶までご馳走になり、お会計が六千円近くなったのを見て絶句したのを置けば、なんとも幸せな空間であった。

 ああ、お店のデザート何ていつぶりだろうか。

 最後に記憶にあるとしたら、それこそおばあちゃんが生きていたころだから、小学校の低学年の頃か……。

 やばい、なんか泣きそう。

 感極まって泣きそうになってしまった私は彼の腕にくっつき、うりうりと頭を腕にこすりつける。

 桜井からは猫か、と言われたが、猫もこんな気持ちなのかな。

 こんな性欲百パーセントなのかな。

「さて、13時超えたころか。次は――」

 と、桜井がスマートに次のデート場所へエスコートしてくれる、丁度その時であった。


「春奈? 貴方、家のこともしないでこんなところで何をしているの?」


 ああ、神様。なんであなたは、私を幸せな気持ちだけにしてくれないのですか。


***

「春奈。貴方、部活動だからと毎日毎日言い訳をして家のこともせずに遊び歩いて。貴方がやらない家のことを私かお姉ちゃんにさせる気? あなた程度が」

 誰もが目を引く高級車……なのだろう。これだけセンスのない派手さは。

 そこの助手席の再度ウィンドウを下げて、冷たい目線でこちらを見てくるのは、認めたくないが私の母親だ。

 今日は、一日留守なはずなのに……。私の誕生日ということも覚えていないのに、なんでこんな目に……。

「聞いているの春奈? 貴方はどうしてそう聞かれたこともまともに返せないの? 部活動と嘘をついてそんな男とくっついて……。娘として、とても人前には出せませんね」

「か! かれは……私の、部活の部長で……」

 力なく答える私に、このクソババアは言い返す。

「どうでもいいわ。貴方もお姉ちゃんも見習って少しは家柄の良い男性とのお付き合いを目指したらどう? そんなみすぼらしい男といて、私たちに何の価値を与えてくれるというわけ?」

 神様、私に人を殺せる力をください。勇気はいりません。力をくれればすぐにでも殺します。私はこの女を許せません。

 私が殺意に満ちていると、横から桜井が、あんな失礼なことを言われた桜井が大人の対応で応える。

「失礼。私、彼女と同じ文学部で部長をしております桜井 凛史郎と申します。ご挨拶も遅れて申し訳ございません。日ごろから娘さん、春奈さんにはお世話になっております」

 彼のそんな真摯な対応に対し、うちの公害物は。

「あらご丁寧に。でもごめんなさいね。私はあなたという人間に全く興味がないの。ですから自己紹介も不要。こんなろくでもない娘でも、交際相手くらいは私が適当に見繕うから、今後は一切かかわらないでもらえる?」

 神様、神様、神様。いいですよね? いいですよね? 私、ここから何をしても悪くないですよね? わるくないですよね?

 危うく拳が出そうになったのを、彼が私の背中を、母親に気が付かれないようにトントンとさするように叩いてくれたおかげで、一瞬は冷静になった。

 私は泣きそうな顔で彼を見る。

 桜井の、桜井 凛史郎の顔。

 何て頼りになる、格好良い顔何だろう。あれだけの苦しみを背負ってるのに。あれだけの辛さを抱えているのに。

「失礼。何か誤解をされているようですが、私はあくまで春奈さんの学友としてご挨拶させていただいておりますのでご安心を。また、彼女は部活動と嘘をついたわけではありません」

「じゃああなたたちの部活は、そうして外で乳繰り合うのが活動なのかしら?」

「うちの学校は今日の午後より機材搬入で立ち入り禁止になるんですよ。とはいえ、学期末でもあり6月の部活動予算会議のために必要な活動日誌をそこの図書館で午後は作ろうとなっていたのです。今はそうですね、丁度お昼の帰りです」

 何か問題でも? とでも言いたげに堂々と理路整然とした答えを冷静に返す桜井。

 流石は学年一位。咄嗟に本当っぽい完全な嘘をつける。やっぱり頭が良い人しゅき。

 しかし、理論が通るのは人間まで。それこそ話の通じない人間はこの世に、というか目の前にいる。

「……ごめんなさい。再三言うけど、私本当にあなたという人間に興味がないの。だから今の言葉もほとんど聞いていなかったのだけれど……。とりあえず活動は春奈を除いた皆さんでやっていただけますか。この娘は我が家のモノですから、我が家のためにするべきことをしてもらわなくては道理が合わないのです」

「……モノですか?」

「しつこいわね。貴方のような無価値な人間と話す時間は私にはないのよ?」

 クソババはそれだけ言うと完全に桜井への興味をなくし、視線を外す。

 そして私の方を見ると。

「春奈。いつまでも遊び歩いていないで、今すぐ家に帰って掃除と洗濯と夜ご飯の準備をしなさい。私の分はいらないから、お父さんとお爺ちゃんの分ね。いい? あなたがこうして何不自由ない人生を歩んでいるのは、私のおかげなのをゆめゆめ忘れないでよね」

 母親はそこで私にも関心をなくしたようで視線を外す。

 運転席の方からまた別の声が聞こえる。

「春奈ちゃん! ここから家までは遠いだろ? 送っていこうかー?」

 その声に対し母親は。

「よしてよ、無駄なこと。歩かせればいいのこんな子。それに人の男に色目使うどうしようもない娘なんだから」

「そうかい? じゃあ春奈ちゃん、また今度」

 そう言ってウィンドウをしめて走り去って言った。

 ……気持ち悪い。

「今の男性は……? お父さん?」

 桜井がおそるおそる聞いてくる。

 私は、私は、助けてくれた桜井の方を向くこともせずに雑に答える。

「……違うよ。浮気相手。うちの家、もう家族として成り立ってないから」

 私のぶっきらぼうな返答に対し、桜井はそうか、とだけ短く答える。

 あー……。しんどい。今までの幸せを全て食いつぶすくらいしんどい。

 嫌われた、よね……。あんな母親がいるってバレたら。

 あんなのと、同じ血を引いてるってバレたら。

 言わないけどわかってるよ。桜井は女の人を信じるのが怖いんだよね。

 お母さんの裏切りで全て壊れたから。今までの幸せが終わったから。

 だけど、わかってたんだ。

 そんな桜井が、私のことを信じようとしているのを。

 一生懸命、私のことだけは信じてみようとしてくれたことが。

 でも、むりだよね。

 あんな親がいるって、内緒にしてたもんね。

 平然と浮気する女が、母親だってバレたもんね。

 あ、あ、あ、あ、なんか、あれ、あ、あたまが、しにた。しにたいよ。

 息が荒い。目が熱い。胸が苦しい。がちがちと歯がうるさい。

 心が、心が、こころが……。


 死にたい……死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい神様私を殺してコロシテころしてコロシテ殺して……ころしてください……。



 私はそれでも最後の、最後の力を振り絞って強い口調で言う。

「さ! くらい……。今日は、ありがと……。ごめん、帰らなきゃ。ごめん」

 私はそれだけ言って駆け出す。

「おい!」

 桜井が私の腕をつかむ。

「離して!」

 私は大声で彼を否定する。

 彼を拒絶して、そして駆け出す。

 おかしいな。あれだけ綺麗に見えていた景色が、今は全て、真っ暗に見える。

 ははは。私に幸せになる権利があるだなんて、祝ってもらおうだなんて。


 ――身分不相応。おこがましい願いなんだ。

 そう私は、幸せになれない不幸な少女。

 ……ごめんね、ネズミくん。


***

「うう……ぐうう……」

 永遠にも思える帰り道。一人で走っては休憩し、走っては休憩し、行く時よりも断然時間は短いはずなのに、行くときの何億倍も時間がかかった気がして。

 そんな思いでようやく家にたどり着く。

 ……吐きたい。胃の中を全部出して、そのまま涙も出して、すっきりさせてしまいたい。すっきりしないのなんて、わかっているのに。

 でも吐きたくない。これは彼からの贈り物だから。これを吐き出してしまったら、もう、彼の思いを台無しにしてしまうから。

 ああ、次会ったらきちんと謝らなきゃ。

 きちんと、お礼を言わなきゃ。

 会ってくれるかな。話してくれるかな。元通りになれるかな。



 ……神様。私は、私は16年間、頑張って生きてきました。

 足りないところもあるけど、それでも頑張ってきました。

 だから、だから、どうかお願いです。

 私の誕生日プレゼントに――【幸せ】を、ください……。



 どうか、どうか……。

「うっ……うっ……」

 玄関で崩れ落ちて泣き出す私。

 誕生日に、何て哀れなんだろう。醜いんだろう。

 ああ、午前中の幸せを、もう一度、もう一度だけでいい、人生でもう一度だけ……。

 コロン、とポケットから何かが落ちる。

 涙で視界がぼやけるが、何とかそれを視認する。

 それは、箱だった。まるでアクセサリーでも入れるような……。

 ドクン! と心臓が高鳴る。

 震える手で、私はその箱を開く。

 そこには、ネックレスのようなアクセサリーと二枚の紙が入っていた。

 私は宝物を扱うようにその箱を丁寧におくと、震える手で一枚の紙を取る。

 震えすぎてうまく広げることができない。

 私は自分の手を力強く地面にたたきつけ、痛みで無理矢理動かすと紙を開いてその中の文章を読んだ。



『五十嵐。誕生日、おめでとう。

 これは僕からのプレゼントだ。アクセサリーは重いとは思ったんだが、

 だけど、これがいいかなと思って。

 アンクレットだ。靴下の中にでもつければ、誰にもつけていることはバレない。

 五十嵐、僕がいる。僕はいる。

 家でもどこでも、そのアンクレットと一緒に僕はいる。

 だから、あと少しだけ頑張れ。

 この紙から読んでくれているとは思っているが……。

 もう一枚の方から見てしまってたら、まあ笑ってくれ。

 改めてだが、誕生日おめでとう。生まれてきてくれて、僕はうれしい。

 春奈に会えて、嬉しいよ』


 私はもう一枚の紙を手に取り、開く。

 そこには、文章ではなく一文の短い単語があった。









『いつか必ず、攫いに行く券』




男性から女性にアンクレットを贈る意味

桜井の知っている意味;魔除け・お守り

五十嵐の知っている意味:束縛。愛の呪縛

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