プロローグ ある春の放課後
「なんでこの女の子たちは急にこの人のことを好きになったの?」
半ば桜も散りかけた今日この頃。我ら文学部の部室の窓からもそんな桜の様子が見られる。
どれだけ風に吹かれても踏ん張って散る様子のないあの桜は、きっといつまでも自分が主役でいたいのであろう。
しかし、こういう情緒というかエモさを理解せずに引きちぎる迷惑な種類の人間もこの世にはいる。
この女――五十嵐 春奈はそういう人間であろう。
彼女に似合わない可愛らしい女の子たちが表紙を飾る本を片手に、五十嵐は不思議そうに僕に聞く。
「五月蠅いな。その本の肝は恋愛ではない。つまり何が言いたいのかというと、その作品の肝は男子の心をくすぐるようなストーリーや技名、世界観をモチーフとしているわけであり、主人公が何故かヒロインにモテモテという事実は取るに足らない些事だということだ。従って、その質問に対する回答は、『余計なことは気にするな』だ」
えー……。好きになった瞬間とか、理由とか、その描写の方が大事な気がするんだけどなあ……、と五十嵐は不思議そうに語る。
彼女は僕の貸した異世界チートハーレムもののライトノベルを読みながらそんなことを言う。
いやまあ、彼女の言うことももっともだが、その小説は『ざまあ』を楽しむものだから、と伝えたところで通じるわけがない。
何故なら彼女の恵まれた容姿とコミュニケーション能力は間違いなく陽キャの部類であり、『ざまあ』されることはあっても『ざまあ』することはないのだから――やばい、僕もなんだか頭が悪くなってきた気がする。
僕――桜井 凛史郎は陽キャどもに『ざまあ』をするためにその本を読んで勉強をしている、といっても過言ではない。過言であってほしかったが。
「ねね。そっちはどう? 今どの辺? 屋上の喧嘩シーンぐらい?」
五十嵐は小説を置いて僕の方に来る。おい、その置き方は本が悪くなるだろうが。
これだから普段活字を読まない人間は……。
そんな僕の迷惑そうな表情に気が付くことなく、ワクワクした目でこちらを見る五十嵐に対し、僕は自分が持っていたコミックス本に丁寧に栞を挟んで机に置く。
「まだだ。というか、さっきから進捗が気になるのはわかるが、いちいちネタバレっぽい聞き方をするな。黙って待てっての」
「えー。桜井読むの遅いよー」
「五月蠅いな。僕は普段活字を読むのがメインだから、こうして絵を読むのには慣れていないんだよ」
「絵じゃないよ! 漫画だよ!」
「何が違うんだ?」
バカだねー、とでも言いたげな目でこちらを見てくる五十嵐。
そう、僕は五十嵐から借りた少女漫画を読んでいる。普段は活字を愛読する僕にとって、こうした絵の羅列は中々に目が疲れる。どこから読んでいいかがわからないからな。
それにしても――
「男から見て、この男の発言は理解できないな。特にこの『俺のこと好きならそういえよ』と言ってヒロインの体を寄せるシーン。どう考えてもセクハラではないのか? というか、女子高生と高校教師の恋愛はただのロリコン物語では?」
僕のその文句に対し、五十嵐は舌をベーと出しながら、うっせ! そういうものなの! と言ってくる。図星を突かれて悪態とはな。程度が知れるものだ。
僕はいじけてそっぽを向いた五十嵐を無視し、再度本を手に取る。五十嵐もそんな僕の様子を見て、雑に置いていたライトノベルを手に取ると、復讐とばかりに言ってきた。
「こういう本が創作と現実の違いをわからなくする原因なのかね」
「おい、それは僕に一体何を伝えたいんだ?」
「べつにー。そりゃこの程度でこんなカワイイ子たちがメロメロになってるのを見たら、現実世界でモテる努力もしなくなるよねー」
「違う。間違っているぞ。この作品は現実世界で勇気を出せない男性に、もしかしたらこんなラッキーがあるかもよと思わせてくれるそんな救いの本、つまり聖書なのだ」
「こんな女の子のパンツが沢山出てくる本が聖書ねー。神は泣いた」
「うっせ」
「なーに? 桜井ももしかして、こんなラッキーで美少女と付き合えるかも? とかカワイイこと考えちゃってるのー?」
「ニヤニヤするなうざい」
「いやいやいいんですよ。こーんな学校一の美少女と二人っきりの密室でイチャイチャしているなんて、このラノベ? 的に言うと場面は整ったってわけだもんね? ふーん? パンツ、見せてあげようか」
「おお、悪いな」
「いや抵抗してくれ。見せんわ変態」
「嘘つきじゃん」
「本当に見たいなら、もうちょっと私に好かれるように努力してくれやせんかね?」
「微力する」
「努力でも尽力でもなく⁉」
僕らは特に気を使うこともなく、好き勝手にお互い言い合う。話す内容がなくなると、特に示し合わせたわけでもなく、お互い自分の読んでいる作品に再度没入する。
その後暫く、お互いがお互いの本を読み合う無言の時間が過ぎる。
春風が窓を叩く音、頁をめくる音、お互いの息遣いしか聞こえないこの環境は、僕にとって非常に心地よい。
しかし、その心地よい時間に水を差すように、完全下校時間間際のチャイムが鳴る。
このチャイムが鳴るということは運動部も既に片付けを始めている。従って、文学部である我々も当然、帰宅の準備をしないといけないわけだが……。
「……」
「……」
お互い、一言も発することなく、また片付ける様子もない。
しかし、数分ほど焦れるような沈黙の時間を過ごした後、五十嵐がため息をついて言う。
「……もう、帰らないと、だね」
僕も短く、そうだな、とだけ答える。
そして本を鞄にしまい、机を元に戻して部室を出る。
戸締りをして、部室の鍵を職員室に返すために廊下を歩く。しかし、僕らのその足はまるで鉄球付きの足枷でもはめているかのように重たい。
しかし、それでも歩けば目的地にはついてしまい、僕らは抵抗やむなく学外へと追い出されてしまう。
暫く校門付近にて立ち止まっていると、五十嵐が言う。
「どうする? 二次会行く?」
……全く。そんな顔で言うセリフではない。
「……門限だろ」
「…………うん、桜井は?」
「……今日は、いるみたいだ」
「……そ……っか。……借りた本、今日頑張って読むから、続き持ってきてね?」
「……ああ、僕も読み切ると思う」
「わかった。じゃ、私も明日、持ってくるね?」
泣きそうな顔で無理に笑顔を作って五十嵐がうなずく。
僕はそれに気が付きながら、気が付いていながら、それでも言う。
「……家まで、送る」
「……うん、いつも、ありがとうね」
そして僕らは、帰路につく。
隕石が降ってくればいいのに。大災害が起きればいいのに。ゾンビが現れればいいのに。
そんな非現実のことを妄想しながら、僕らはゆっくり、そうゆっくりと一歩ずつ歩き出す。歩き出してしまう。
僕だって、帰りたくない。帰したくない。
だけど僕らは帰る。帰りたくない、家に。
そうこれは僕と彼女が創るモノガタリ。
家に帰りたくない僕らが創る世界の、ほんの一幕だ。
キャラ紹介
桜井 凛史郎 16歳 5月3日生まれ 趣味 読書(小説)
五十嵐 春奈 16歳 3月14日生まれ 趣味 読書(少女漫画)




