第7章:最終ハンドシェイク
「ノセス……お前、一体どこへ行っちまったんだよ、この野郎……」
もうどこを探せばいいのか、さっぱり分からなかった。
中学時代から金魚のフンみたいにずっとつるんでいたアイツのことを覚えているだろうか? そう、ノセスだ。そのノセスが失踪した。今のアイツがどこでどう過ごしているのか、俺には何一つ見当もつかなかった。
確かに、全寮制の高校に通っていた頃――授業をサボって停学処分を喰らい、二人で笑い合っていたあの頃ほど密につるむことはなくなっていた。だが少なくとも、先日の卒業式には俺も駆けつけた。俺と、残りの悪友二人、全員揃ってな。アイツを部屋に泊めてくれた先輩も、昔一緒に山登りに行ったあの女子も来ていた。俺たち全員で、血の滲むような努力の末に掴み取ったアイツの情報技術学位を祝ったのだ。
俺はぐちゃぐちゃな感情を抱えたまま、街の渋滞をバイクで縫うように走らせていた。
頭の中では、ノセスとの思い出が無制限ループのように止まることなく駆け巡っていた。自分が情けない、親友失格だ。俺はアイツの人生において、単なる『利用者』でしかなかった。助けが必要な時だけ頼り、システムが正常に動作している時だけ一緒に笑い、負荷がかかりすぎてオーバーロードを起こしている時には何も気づけなかった。
アイツの人生は、バグ一つない完璧なプログラムなんだと勝手に思い込んでいた。大間違いだった。俺は綺麗に整えられた表面だけを見て、その内側がどれほどボロボロに崩壊していたのか、何一つ知ろうとしなかったのだ。
◇
川沿いの倉庫が火事になったという噂を聞きつけ、俺はその焼け跡へと向かうことにした。胸の虫がそう告げていたし、俺の直感はめったに外れない。
現地に着くと、焦げ臭い煙の匂いが鼻を突いた。残骸が散らばる真っ黒な、死んだような場所だった。ガレキの上に二人、並んで座っているのが見えた。近づいてみると、かつて一緒に山へ登ったあの女子が、頑固そうな厳めしい顔つきのオヤジと話していた。
「……淫乱オヤジ?」
パニックになると口のフィルターが壊れるのは俺の悪い癖だ。
「誰が淫乱オヤジだ、バカタレ」
オヤジが間髪入れずに返してきた。威厳のあるオーラに俺は思わず縮み上がった。
「はあ!?」
俺が胸ぐらを掴みかかろうと踏み出した瞬間、彼女が慌てて制止に入った。
「やめて! この方はここの倉庫の責任者さんよ。話を聞いたら、ノセスがここにいたって教えてくれたの!」
俺は一瞬で情けない顔に切り替えた。
「あ、すみませんオジサン、反射的に……! アイツ、俺の親友なんです。何か知っているなら教えてください、頼みます! 俺たち、あちこち探し回ってて……」
コミュニティのリーダーであるその男は、しばらく沈黙した。俺の顔から誠実さの残滓を探し取るかのようにじっと見つめると、やがてポツリポツリと語り始めた。
学科トップで、本来ならエアコンの効いたオフィスに座っているはずのノセスが、なぜ『ヒープ領域』――いや、炎に呑まれた『崩落』に辿りついたのか。住民のために馬のように働きづめで過ごした日々。そして最終的に、ストレスで倉庫に放火したという濡れ衣を着せられた経緯を。
「放火……!? そんなわけあるかよ!!」
俺は怒りを抑えきれずに叫んだ。
「アイツがそんなことするわけないだろ! 頼むから信じてくれ! アイツは他人に迷惑をかけるくらいなら、自分自身を壊すような奴なんだ!!」
「……私もそう信じている」
オジサンは深い溜め息を吐いた。
「本人も……私に直接言ったわけではないが、自分ではないと呟いていた。だがあの時の現場は、あまりにも混乱していたのだ。住民たちは怒りの矛先となる生贄を求めていた。私にできたのは、みんなの怒りを静めるためにアイツを追放することだけだった……。アイツは、あっちの方向へ歩いて行ったよ」
オジサンは、泥とゴミの山に囲まれた、薄暗く狭い路地を指さした。道と呼ぶことすら憚られるような場所だった。
「そんな……スラム街へ……?」
彼女が震える声で確認すると、オジサンは静かに頷いた。
くそっ。胸が引き裂かれそうだった。意味が分からない、本気で。
ノセスは天才だ。貴重な人材だ。それなのにどうして世界は、人間扱いすらされないような場所にアイツを投げ捨てたんだ? なんで俺に電話一本寄こさなかったんだよ!? なんで自分からそんな場所に沈んでいこうとするんだよ、まるで自分がゴミ箱行きに相応しいと言わんばかりに……!
ガシャーン!!
気づけば俺は拳を壁に叩きつけていた。この胸の苦しさをどこにぶつければいいのか分からなかった。
「おい! これ以上ここを壊すんじゃない!」
オジサンが驚いて声を上げた。
「すみません……なんか怒りが収まらなくて。ていうか、なんでこの壁、こんなにスカスカなんですか……?」
俺は感覚の無くなりかけたナックル(拳)をさすりながら眉をひそめた。
「とにかく、今はあっちを探してみましょう」
彼女が間に入り、なだめるように言った。俺は大きく頷いた。バイクをオジサンに預け、人間一人通るのがやっとの狭い路地を走り出した。靴が黒い泥で汚れようが何だろうが関係ない。俺たちの関心はただ一つ、あの意地張りな親友が取り返しのつかないことをしでかす前に見つけ出すことだけだった。
◇
彼女が足を止め、「何か変」と言った。
見ると、確かに異様な光景だった。泥まみれの小さな広場の真ん中に、不釣り合いな高級車が一台ポツンと停まっていたのだ。ボディは傷だらけで、群衆に追われたか、ブロックサインを強行突破してきたかのようだった。だが車内のインテリアは一目で高級品だと分かった。スラム街にはあまりにも似つかわしくないコントラスト。
その車のすぐ近くから、激しい怒声が聞こえてきた。
「お前のせいだ!! お前のせいで、俺の人生は……うっ……うわぁぁん!」
俺と彼女は顔を見合わせ、静かに近づいた。木造のボロ小屋の陰に身を潜めると、背筋が凍りつくような声が耳に飛び込んできた。男の泣き声に混じって、聞き覚えのある周波数が聞こえたのだ。昔、学校をサボっていた時にいつも隣にあった声。
ノセスの声だ。
俺は足早に進んだ。狭い路地に響くその声と sync するように、心臓が激しく跳ね上がった。アイツの話し声が聞こえる。ひどく落ち着いていて、まるで混乱の中にいないかのように。
「……分かった。お前がそれを望むなら、俺は全力を尽くしてみる。重ねて……感謝する。そして、これまでのすべてを許してくれ……」
その言葉は、ノセスの声であるにもかかわらず、俺の胸を強く殴りつけた。
もう待てなかった。俺は障害物をなぎ倒しながら声のする方へ飛び出した。
「ノセス――!!!!」
全力で叫んだ。
だが、そこにノセスの姿はなかった。
俺の視界に入ってきたのは、地面に膝をついている一人の見知らぬ男だった。身に纏う服は高級そうだがボロボロで、その手を見ると、爪が無惨に砕けていた。
「あぁ……アイツはやはり人間ではないな。ここまで正確に言い当ててくるとは……」
爪の砕けた男は、悪魔から啓示でも受けたかのように独り言を呟いていた。
俺は胸騒ぎを覚えて一歩踏み出した。相手が誰だろうと関係ない。
「どこだ……ノセスはどこにいる!!」
俺は男の胸ぐらを掴み上げ、高級なジャケットの生地がくしゃくしゃになるほど強く握りしめた。誰だか知らんが、そいつの纏う空気全体が『この顔面を殴り倒せ』と俺の instinct に訴えかけていた。彼女が隣で俺の腕を掴み、狂乱する俺を必死で止めようとしていた。
「落ち着けよ……クールになれって……」
男は両手を上げて降参のポーズをとった。
数秒間、荒い息を吐きながら怒りを抑え、俺は胸ぐらを放した。金持ちそうな身なりをしているが、纏うオーラはひどく貧しく空虚な、妙な男だった。
「さっき……ノセスと話してただろ? 何を話してた!? お前誰だ……答えろ!!」
「ヒヒッ……これだから人間ってやつは。やっぱりあのゾンビは人間じゃない、使い古されたプログラムに過ぎなかったのさ、ヒヒヒ……」
男は正気を失った狂人のように薄笑いを浮かべた。
俺が再び殴りかかろうと身構えると、またしても彼女が俺を止めた。狂人は悪びれもせず再び両手を上げた。くそっ、俺は一刻も早くノセスの居場所を知り、追いついて、アイツが無茶をするのを止めなきゃならないのに!
「ノセスがどこにいるか知りたいのか……? 教えてあげてもいいけどね、ちなみに――」
「勿体ぶらないで、今すぐ教えなさいよ!」
今度は彼女が割り込んだ。声は冷たかったが、激しく震えていた。
「えー、どうしようかな? 僕は親切で世間話が大好きな人間だからさ――」
パァァン!!
乾いた強烈な平手打ちが男の頬にヒットし、男は泥だらけの地面に倒れ込んだ。
あまりにも見事な音が響き、俺自身口ぐぐぐと開けて呆然としてしまった。彼女がここまで気性の激しい女子だとは思わなかったのだ。
後から知ったことだが、彼女はノセスのことが好きだったらしい。
以前、二人で話した時に彼女が教えてくれた。何度かデートの匂わせ(シグナル)を出していたのに、頭の中がコードで埋め尽くされているノセスは、彼女の pure な気持ちに最後まで気づかなかったのだと。きっと、気づくことすらできなかったのだろう。
男をひっぱたいた後、彼女の張っていた糸が切れた。
彼女はその場に立ち尽くし、顔を覆ってしゃくりあげながら泣き出した。
「おい、どうしたんだよ急に……」
どちらをなだめればいいのか分からず、俺は困惑した。
彼女は答えず、震える手で顔を覆ったまま泣き続けた。
代わりに、泥の中から這い上がってきた偽金持ちの男が、赤く腫れた頬をさすりながら俺の方へ歩み寄ってきた。距離が縮まると、男は汚れたジャケットのポケットに手を突っ込んだ。
ナイフでも出すのかと思いきや、男が取り出したのは一通の『手紙』だった。
「何だか知らんが、あのゾンビが僕の問題を解決してくれた見返りに、君に渡せと言っていたよ。実に親切な男だ。あぁ、それと『もう探さないでくれ』とも言っていたね。僕もアイツがどこへ行ったかは知らん、ただ、あっちの方向へ歩いて行ったということ以外はね」
残されたわずかな正気で男がそう語り終えると、俺は手紙をひったくるように奪い取った。
だが、その場で手紙を開いて読む余裕などなかった。足が勝手に動いていた。
俺は爪の砕けた男が指さした方向へ、全力で駆け出した。
◇
走り続けた。ボロ小屋の隙間を縫い、強くなる小雨を突き破って。
やがて俺の足は、切り立った高台の端で止まった。
目の前には、広大な川の風景が広がっていた。
だが美しいとは程遠く、胸を鋭い刃物で刺されたかのような冷たさと息苦しさを感じさせた。ここは下流――昨日ノセスが働いていた焼けた倉庫の近くを流れる、あの大きな川の別の流路だった。
なぜノセスがここへ向かったのか、俺には分からなかった。
だが、俺の直感――親友としての本能が、絶対に認めたくない何かを感じ取り始めていた。頭の中で必死に打ち消そうとしていた、最悪の可能性を。
膝から力が抜けた。体を支えきれず、俺は湿った土の上にへたり込んだ。
眼下を流れる激流を虚ろな目で見つめる。凍えるような寒さの中で、突然頬が熱くなった。涙が留まることなく溢れ出してきた。
震える指先に残った最後の力を振り絞り、俺はゆっくりと手紙の折り目をひらいた。
深呼吸をし、残された勇気をかき集めて、その文字を目で追い始めた。
『よお、息災にしてるか?
最近全然遊びに行けなくてごめんな。でも、お前がこの手紙を読んでいる頃には、俺はもうお前やみんなと一緒に遊ぶことはできないかもしれない。重ねて……すまん、相棒。
そういえば、昔の高校時代を思い出すよ。
俺たち、よく授業をサボってネットカフェへ行ったよな。ある時、先生に見つからないように、あの大きな風車の近くの裏道を無理やり通ったことがあっただろ。運悪くお前が足を滑らせて、木の枝を滑り落ちていったっけ。あの時の叫び声は腹がよじれるほど面白かったけど、今思えば可哀想なことしたな、はは。
あの夜、俺が倒れたのを見て、お前は自分が役に立たない親友だって責めたかもしれない。
だけど言わせてくれ。俺が『倒れる』ことができたのは、お前やみんなの前にいて、ようやく安心できたからなんだ。張り詰めていた防壁を解くことができた。だから絶対に自分を責めるなよ。
お前がよく言う『金魚のフン』として過ごした俺の硬直した人生は、外からどう見えようと、いつだって最高の幸福の中にあったんだから。
あの下宿の先輩にも伝えておいてくれ。
『窓のフチに少しホコリを残したまま出ていってすみませんでした。泊めてくれて、美味い夕飯までごちそうしてくれてありがとうございました。あの夜は本当にぐっすり眠れました』って。
それと……一緒に山に登った彼女にも、謝っていたと伝えてほしい。
あの日、取っ手のついたグラスは……本当は一度も汚れてなんていなかったんだ。俺が渡したティッシュは、彼女の触れた痕跡を拭うためじゃなく、彼女のように光り輝く美しい人を壊してしまうのが怖くて、自分自身を清めるためのものだった。拒絶したんじゃない。俺みたいな『システム障害者』が、いつも輝いている彼女の隣に立つ資格なんてないと思っただけなんだ。
大学の教授には、プロジェクトを最後までやり遂げられなくてすみませんでしたと伝えてくれ。
そしてコミュニティのオジサン、倉庫の鍵をちゃんと守れなくてすみませんでした。
……でもな、お前。
俺はここまで、エラー(バグ)だらけの曲がりくねった人生を歩んでこられて、本当に幸せだったよ。感情が揺れ動き、傷つき、打ち砕かれることこそが、俺たちが機械じゃなく『人間』であることの証なんだろ?
もし来世ってやつがあるなら、またお前の親友になりたいな。もう一度みんなで集まって……今度は誰も取り残されることなく、それぞれの幸せを掴み取ろうぜ。
全部、ありがとうな。
できれば……俺のこと、忘れないでいてくれよ。……なんてな、冗談だ。
名もなき誰かより。
追伸:
もし路地裏で狂人みたいな格好をした金持ちに会ったら、アイツは本当は狂ってないからな。回転の速すぎる世界に振り回された、ただの哀れな犠牲者なんだ。殴ったりしないでやってくれ、可哀想だから』
◇
手紙はそこで終わっていた。
俺は手の中の紙を強く握りしめ、その瞬間、俺の堤防は完全に壊れた。
肩が激しく震えた。高台に降り注ぐ雨よりも激しく、涙が溢れ出して頬を濡らした。
目の前で、雄大な川が流れ続けていた。
あの意地張りな親友が、たった一人で背負い続けてきたすべての重荷を乗せて、遠くへ、遠くへとおし流していく。
アイツは本当に行ってしまった。
すべての人を許し、己のログ消去を完了させ、何一つ残さず――ただ胸を刺すような優しさだけを残して、強制終了を実行したのだ。
これにて『ノセスの物語』は完結となります。
これまで温かく見守り、応援してくださった皆様、本当にありがとうございました!
もしよろしければ、別作品の『アクターズ・カーテンコール ~名優の演技力とタクティクスで異世界を生き残る~』も執筆しておりますので、あわせて読んでいただけたら嬉しいです。
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