第15話 歯車
タガルさんに会いたい。
装衣が止まったことも、自分が悔しかったことも、それでも諦めたくないことも。
そして、ありがとうを言いたい。
星は端末を取り出した。
指が少し震えていた。
「電話、してみる。」
明美は何も言わず、ただ頷いた。
呼び出し音が続く。
一回。
二回。
三回。
出ない。
しばらく待っても、応答はなかった。
「忙しいのかな。」
星はそう言って笑った。
けれど、胸の奥に小さな不安が生まれていた。
翌朝。
星は一人で、あの古い鍵店へ向かった。
何度も通った道ではない。
それでも、不思議と迷わなかった。
角を曲がれば、古びたガラス戸が見える。
サビた鉄の匂い、何の部品かわからない歯車、金属を削る小さな音。
そこにはそれがあるのが当然だと、そう思っていた。
けれど。
そこに店はなかった。
シャッターは固く閉じられ、看板は外されていた。
入口には、小さな紙が一枚だけ貼られている。
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長い間、ありがとうございました。
わざわざ訪ねてくれた君へ。
この計画が止まったのは、全部俺の責任だ。
誰も責めないでくれ。
恨むなら、俺だけでいい。
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名前はない。
司鍵店だったことすら、何一つ残っていなかった。
「……なんで。」
星は足元から込み上げる涙を必死に堪えた。
ごくりと唾を飲み込む。
けれど、その重さは涙を押し戻せるほど軽くはなかった。
「謝るのは……私の方なのに……。」
昨日まで胸にあった言葉が、行き場を失っていく。
会いたい。
話したい。
ありがとうを伝えたい。
ごめんなさいを言いたい。
そのすべてが、閉ざされたシャッターの前で止まってしまった。
星は貼り紙へ手を伸ばす。
あと少し。
けれど、震える指先は最後まで触れることができなかった。
もうそこに彼はいなかった。
「あ……。」
呼吸が浅くなる。
膝から力が抜けた。
アスファルトへ崩れ落ちる。
「うぁ……ああ……。」
堪えていたものが、もう止まらない。
「あぁぁぁぁぁぁぁ────っ!!」
雨上がりの空へ、星の叫びが響いた。
誰にも届かない。
誰にも返ってこない。
古い店の前で膝をつき、星は初めて声を上げて泣いた。
どれくらい時間が経っただろう。
「……やっぱり。」
静かな声がした。
星が顔を上げると、装衣のきっかけをくれた柿 泰奈が立っていた。
「柿……さん。」
柿は閉ざされた店を見つめ、小さく頷く。
「この貼り紙を見た時から思ってたんです。」
「"わざわざ訪ねてくれた君へ"って。」
「きっと、星さん宛てなんだろうなって。」
星は何も言えなかった。
「あの人、すごい器用なのに、人に対してはちょっと不器用でしょ?だから何日か見に来てました。もしかしたら、来るんじゃないかって。」
柿は静かにハンカチを差し出す。
「タガルさんは……どこに?」
星の問いに、柿は首を横へ振った。
「場所までは知らないわ。でも。」
「店を閉める前に一度だけ、『まだ納品が終わってない。』って言ってました。」
「納品……?」
その頃――。
ウニクロス研究部門。
星の研究室では、タガルが静かに作業台の前へ立っていた。
部屋の主はいない。
完成した装衣の設計データだけが、静かに浮かんでいる。
部屋を案内してくれた研究員たちは、突然現れたタガルを囲んだ。
「タガルさん!」
「部長なら……。」
「今はいません。」
タガルは静かに頷いた。
「あぁ、そうみたいだな。・・・今回は俺の都合でみんなに迷惑かけちゃったみたいで、悪かった。」
「その言葉、部長に直接言ってくださいよ。」
少し不機嫌になる星さんの部下を見て申し訳なくなる。しかしもう一人の社員は経緯を察しているのか
こう尋ねて来た。
「明手部長の為に、あなたが手を引いたんじゃないですか?コンプライアンスの問題は私達も気になっていました。でも!もしそうだったとしたら・・・。」
言い難そうにしている社員を見かねて他の社員が
「僕らを見くびらないでいただきたい!」
少し気圧されるタガル。しかし、自分から手放したんだ。未練がましいのは性に合わない。
ポケットから小さなデータチップを取り出し、机の上へそっと置く。
「これで完成するだろう。渡しといてくれ。」
一人の研究員が恐る恐る尋ねた。
「あれで、完成じゃ……なかったんですか。」
タガルは首を横に振る。
「日用品としては完成だ。」
研究室が静まり返る。
「自分の意思で簡単に服の留め具を外せる。そこまでは、あんたらと星さんが完成させた。」
タガルはデータチップへ視線を落とした。
「だが、俺は外し屋だ。」
「作る以上、いざって時に外せなきゃ意味がねぇ。」
誰も口を開かない。
「事故かもしれねぇ。」
「介助かもしれねぇ。」
「医療かもしれねぇ。」
一拍置く。
「……恋人同士ってことも、あるだろ。」
もう一度、静寂が訪れる。
「そんな時に、男がモタモタしてるようじゃ、本当の完成とは言えねぇ。」
男性研究員だけでなく、その場にいた女性研究員たちまでもが、はっと息をのんだ。
今の今まで誰も、その答えには辿り着いていなかった。
女性だけが使いやすい製品ではない。
人生のあらゆる場面で、必要な人が迷わず扱えること。
そこまで考え抜いて初めて「完成」と呼ぶ。
それが、タガルという職人だった。
「だから調整をしに来た。」
タガルはデータチップを軽く叩く。
「これが、俺の最後の納品だ。」
研究室には、しばらく誰一人として声を出せなかった。
やがて、一人の男性研究員が前へ出る。
「お願いします……。」
声が震えていた。
「最後だなんて、言わないでください!」
その言葉をきっかけに、堰を切ったように研究員たちの声が重なる。
「まだ終わってません!」
「俺たち、もっと考えます!」
「社会に認めてもらえる方法を!」
「コンプライアンスも!」
「運用方法も!」
「絶対に諦めません!」
タガルは何も言わず、その声を最後まで聞いていた。
やがて、小さく息を吐く。そして、少しだけ笑った。
「何枚の壁があるかもわからないってのに、あんたらすげぇよ。」
あの企画を支えてくれていた人がこんなにもいた事をタガルは痛感してしまう。
そして彼女を慕う部下の熱量を肌で感じてしまった。
研究室中が固唾をのむ。
「もし……もしも彼女がそれでもやるって時には、乗ってやる。」
誰かが小さく拳を握った。
「ただし。」
タガルは研究室の男たちを見渡す。
「男ども。」
「「はい!」」
「お前らも巻き込むぜ。覚悟しとけ。」
「「はい!!」」
力強い返事が研究室いっぱいに響いた。
タガルは背を向ける。
「部長に今すぐ連絡を!」
その言葉に、タガルは足を止めた。
「いや。」
振り返らない。
「黙っててくれ。」
静かな声だった。
「……頼む。
星さんが、自分で立ち上がった時。その時ゃ、お前らも隣にいてやって欲しい。」
少しだけ間を置く。
「小さい歯車一枚じゃ、何も動かせねぇ。」
研究員たちは黙って聞いている。
「でもな。」
「噛み合う歯車が一枚、また一枚と増えていけば――」
タガルは作業台に置かれた装衣の設計図へ目を向けた。
「やがて誰にも止められねぇ機械になる。」
静まり返った研究室に、その言葉だけが深く響く。
「その最初の一枚は。お前らや俺じゃねーよ。きっと、
明手 星。
彼女じゃなきゃ務まらねぇ。」
そう言い残し、タガルは静かに研究室を後にした。
星はまだ知らない。
自分が涙を流していた、その同じ頃。
小さな小さなたった一枚の最初の歯車が、再起をかけた人たちによって静かに回り始めようとしていたことを。




