第14話 凍結
装衣計画、凍結。
その決定は、あまりにも静かだった。
大きな怒号もなく、誰かが机を叩くこともなく、役員たちは整った声で順番に意見を述べ、最後に議長が結論を口にした。
「本件は、社会的影響の再検証が完了するまで、一時凍結とする。」
それだけだった。
百年続いた常識を変えるかもしれない試作品は、完成したけれどすぐ、前へ進む道を閉ざされた。
星は会議室の椅子に座ったまま、しばらく動けなかった。
言いたいことは山ほどあった。
けれど、そのどれもが言葉にならなかった。
守るべき社員。
守るべき会社。
守るべき社会的信用。
それらを前に、自分の夢だけを叫ぶことはできなかった。
研究室に戻ると、部下たちが気まずそうに星を見た。
誰も、すぐには声をかけなかった。
机の上には、完成したばかりの装衣のデータが浮かんでいる。
人が、自分の意思で外すことのできる服。
その文字が、今はひどく遠く見えた。
「部長。」
一人の部下が、恐る恐る声をかける。
「今日は、もう休んでください。」
「でも、まだ確認が」
「確認は、私たちでできます。」
別の部下も続ける。
「少し、離れた方がいいです。」
「部長、ずっと走りっぱなしでしたから。」
星は笑おうとした。
けれど、うまく笑えなかった。
「……ごめんね。」
それだけ言って、端末を閉じた。
その日から数日、星は家にこもった。
カーテンを閉め、部屋着のまま、ぼんやり天井を見上げる。
通信AI端末のアイさんが、何度か予定を読み上げた。
「星さん。本日の予定はすべてキャンセルされています。」
「星さん。食事の時間です。」
「星さん。睡眠時間が乱れています。」
「うん。」
返事だけはした。
でも、体は動かなかった。
装衣は完成した。
けれど、世界には出せない。
その事実が、胸の奥に重く沈んでいた。
そんな三日目の午後、玄関のチャイムが鳴った。
星は無視した。
もう一度鳴る。
また無視した。
三度目。
今度は、ドアの向こうから大きな声が聞こえた。
「ほっちゃーん! 生きてるー?ノンアクアラートが出たってあんたのお母さんが教えてくれたよ~。」
星は目を見開いた。
その呼び方をする人間は、もう一人しかいない。
玄関を開けると、派手な服を着た女性が立っていた。
明るい髪色。
大きなピアス。
昔から変わらない、少し騒がしくて、やたら人の懐に入ってくる笑顔。
宗元 明美だった。
「……明美?」
「お~死んで無い。うわっ顔ひどっ。」
「第一声それ?」
「だってほんとにひどいんだもん。大企業のすごい人が、干からびたクラゲみたいになってんじゃん。」
星は思わず小さく笑った。
本当に久しぶりに、声が出た。
明美は遠慮なく部屋に入り、カーテンを開けた。
「はい、太陽。」
「まぶしい……。」
「人間は光合成しないとダメなの。」
「しないよ。」
「気分の問題!」
そう言って、明美は星の腕を掴んだ。
「帰るよ。」
「どこに?」
「地元。」
「え、今から?」
「今から。」
星は断ろうとした。
でも、明美の手は昔から強かった。
小学校の時も、中学校の時も、落ち込んでいる星を無理やり外へ連れ出すのは、いつも明美だった。
電車に揺られ、久しぶりに地元へ戻る。
駅前の景色は、少しだけ変わっていた。
けれど、商店街の匂いも、古いパン屋の看板も、夕方の子供たちの声も、何もかも懐かしかった。
「星ちゃん?」
最初に声をかけたのは、八百屋のおばさんだった。
「やっぱり星ちゃんだ!」
その声をきっかけに、商店街の人たちが次々に集まってくる。
「テレビで見たよ!」
「ウニクロスの偉い人になったんだって?」
「すごいじゃない!」
「綺麗になったねえ!」
星は照れながら、何度も頭を下げた。
いつの間にか、近所の同級生まで集まってきて、ちょっとした同窓会のようになっていた。
「星、めちゃくちゃ雰囲気変わったな。」
「昔から真面目だったけど、今はなんか大人の女って感じ。」
「今、彼氏いるの?」
その一言に、周りの男たちが一斉に反応した。
「え、いないなら俺立候補するけど。」
「お前は無理だろ。」
「いや、俺も昔から星のこといいと思ってたし。」
「今さらすぎるでしょ。」
星は両手を振った。
「そういうのじゃないから!」
「じゃあ、誰かいい人でもいるの?」
明美がにやにやしながら言った。
星の顔が、一瞬で赤くなる。
「い、いない!」
「へえ。」
「いないってば!」
「ほっちゃん、嘘つくの下手になったね。」
周りがさらに騒ぎ始める前に、明美がぱん、と手を叩いた。
「はいはい解散! この子、今日はリハビリ中だから!」
「リハビリ?」
「そう。心の。」
明美は星の肩を抱き、男たちを軽く追い払った。
「ほら、行くよ。」
商店街を抜け、二人は昔よく座っていた川沿いのベンチに腰を下ろした。
夕方の風が、少し冷たかった。
しばらく黙っていたあと、明美が言った。
「で、誰?」
「……誰って。」
「さっきの顔。あれはいる顔。」
星は膝の上で手を握った。
「いる、のかな。」
「なにそれ。」
「分からない。でも、会いたい人はいる。」
口にした瞬間、自分でも驚いた。
会いたい。
その言葉は、思っていたよりもずっと簡単に胸からこぼれた。
タガルに会いたい。
会ってちゃんと話したい。




