8 だれもそんなこと言ってないのに、あたしの中の声が言う
「みんなって? だれもそんなふうに言ってるの、聞いたことないけど」
追い詰められたあたしを助けるように、道ぞいのレンガづくりの一軒家から声がした。ふわふわのねこっ毛に桜色の頬。百瀬だ。
リードを持つ飼い主と同じくらいの体重がありそうな、大きな犬を連れている。ゴールデンレトリバーだろうか。散歩をせかすこともなく門を閉める百瀬の隣にりこうに座っている。
「は? なに、おまえ」
「上級生が、下級生一人相手に集団で言いたい放題。そっちのほうが、は? なに、だね」
百瀬は、上級生相手にえんりょのない口を聞いた。上級生はあざけるような言葉をはく。
「なぁんだ、ももちゃんかよ」
「ああ。おまえ、クラブでいつも負かされてるよな。運動神経女以下のくせに、なんでわざわざ運動クラブに入ったの?」
「はは。絶対こいつよりスカート似合う」
暴言を吐いてげらげら笑う上級生たちに、百瀬は薄目を向け、ため息をついた。
「ばっかじゃないの、あんたら。俺が男子だからなに? 関係ないよね」
上級生に向かってあんたって。見ているこっちがハラハラするほど挑戦的だ。
カッとした一人が怒鳴る。
「ももちゃんごときが、ほえても怖かねーんだよ」
「あっそ。俺も、あんたらがなにを言おうと、別になんてことないね。よってたかって下級生を傷つけるのが趣味のひきょうものなんか、相手にしてもしょうがないし」
やりとりがおだやかじゃないのを察してか、温厚なはずのレトリバーがうなる。
「じゃあ、口出すな。弱いくせに、コイツをかばってるつもりか?」
「ももちゃんの出る幕なんかねーよ。知ってるだろ、このゴリラ、男より男らしいんだぜ」
上級生があたしを指差すと、レトリバーが勢いよく前足を上げた。
おどろいた上級生たちが亀みたいにひっくり返る。
「おわっ」
「こら。ラム、おすわり!」
百瀬があわててリードを引くと、ラムとよばれたレトリバーは指示通りにおすわりした。それでも上級生たちをまっすぐ見据え、ぐるぐる低い声でうなり続けている。
百瀬はラムの鼻先に手のひらを当てた。
「どうしたんだよ。ちゃんと待ってなきゃダメだろ」
きっと飼い主を守ろうとしたのだろう。
レトリバーにおそれをなしたのか、上級生は立ち上がりズボンのほこりをはらうと、くるりと元来た方へと背を向けた。
「……行こうぜ」
百瀬ともあたしとも目も合わせようとしないで、連れ立って歩き去る。
大きくため息をついて振り返った百瀬は、いばったように腰に手を当て、うすい胸を反らせた。
「高橋、なんでだまってんの。言われっぱなしとか、らしくないだろ」
開口一番に非難されて、胸にヒビが入った。
だって、怖かった。びっくりしたし、どうしていいかわからなかったんだ。
胸の中で渦巻く抗議は声にならない。らしくないなんて言われたらもう、怖いなんて言い出せない。
あたしがおびえているなんて、怖かったなんて、傷ついたなんて、そんなにおかしい? らしくないことなの?
涙が出そうになって、無理やり堪える。
「……ゴリラだもん。あんな奴ら、太い腕をふり回せば、吹っ飛ばせたよね」
「なにそれ。だれもそんなこと言ってない」
レトリバーのつながれたリードをにぎる百瀬の、折れそうに細く白い腕がまぶしい。
かつてあたしも持っていた、ムダな肉のない身体が。
今のあたしの身体はもう子供とは言えない。
「あのね。やれると思われたら負けなんだ。集団でなきゃなんもできないヤツらなんかに勝手なこと言わせとくなよ」
言わせたあたしが悪いのか。
だって君はゴリラ女じゃん。楽勝で立ち向かえるだろ? いつまで自分をか弱い女の子だと持ってるの。
あたしを見つめる百瀬の顔がゆがみ、そうささやいてくるような気がする。笑われている気がする。
その瞳に、あたしはどんなふうに映ってる?
ふるえる声で百瀬をはねつける。
「……助けてなんて、頼んでない」
「高橋?」
困惑した顔を向けられて、いっそうみじめな気持ちになる。
「よけいなことしないでよ。心の中で笑ってたくせに。さっさとけちらせ。がらじゃねーよって。かよわいももちゃんなんかより、あたしはずっとたくましいもんね?」
「俺のこと、バカにしてるわけ?」
「は? なんでそうなるの。バカにしてんのはそっちじゃん。犬がいなきゃあんただってやられてた。弱いくせに。ほっといてよ!」
あたしはそうさけんでかけ出した。
わかってる。完全に八つ当たりだ。助けてくれたのに、ひどいことしてる。
でも、あの時あたしはどうしても百瀬のそばにいたくなかったんだ。
あの日、あたしは決めた。
二度とおしゃれなんか望まない。かわいくなろうだなんて思わない。
そんな気持ちはあたしには似つかわしくないから。




