プレリュード・ワルツ
西暦2025年、日本の関東地区に位置する人口30万人の都市、宵闇市。
東京都心に直結するリニアラインの開通と共に、東京都民のベッドタウンとして発展を遂げた、この何の変哲もない都市に在る山の頂に、微塵の予兆もなく忽然と現れた西洋の古城。
その城は、現代の西洋にも数多遺されている様な、一種の荘厳さと優雅さを備えた単なる古城ではなかった。まるで暗黒の瘴気が辺り一面に漂うような、悪魔の住処の如き禍々しき雰囲気。狂気さえ感じさせる装飾の数々。地獄の悪魔の彫像が、周囲に迫り出してシンボルの様に城から四方を睥睨する。
観るものに畏敬の念と恐怖を抱かせるのに充分な威容を誇るその城は、果たして誰が何の目的で建てたものか。通常であればマスメディアが黙ってはいないこの異常事態に、だが誰も疑念を抱く者はいなかった。
やがて何事もなかったかのように、平穏な日常が過ぎていく――。
「美雪。」
混濁とした意識の中で、誰かの呼ぶ声がする。
「・・・・・・。」
どこまでも続く漆黒の世界。あたしは闇の淵に落ちていく。そう、どこまでも。
「美雪ってばー!」
背中をバシバシどつかれて、あたしは飛び起きた。
「きゃああああああっ!!」
思わず叫ぶ。
「ちょっと何よー。そんなにビックリすることないじゃなーい。」
呆れたような声が響く。この聴き慣れた声は――。
「えっ・・・?めぐみ?」
「えっ?じゃないわよー。何時だと思ってんの?」
腕時計を見る。げっ!もう11時を回ってる。これはヤバい。
「ゴメンめぐみ!今夜は当直任務だったわね。すぐパト回すわ。準備してて!」
「りょうかーい。」
慌ててジャケットを手繰り寄せて羽織ると、あたしは全速力で駆け出した。
あたしは神堂美雪。ここ宵闇市唯一の法執行機関である宵闇署の婦警だ。
今夜は同僚の芳野めぐみと共に、夜勤で市街地のパトロール任務に就く予定だ。
でも、連日の激務で疲労困憊のあたしは、宿直室のデスクのPCに突っ伏して眠りこけてしまっていた。
「まったく!これって過剰労働じゃない?労基法違反で訴えてやろうかしら。」
グチグチと文句を言いながら、車庫に急ぐ。
でもこの現状は致し方のないことなのだ。それと言うのもここ数か月の間に、連続で不審な事件が発生していて、その対応に追われる宵闇署では人材不足が深刻なため、あたしたちの様な婦警まで夜勤のパトロール任務になぞ就かなければならないのだ。
うら若き乙女に夜勤なんて、玉のお肌がキズモノになったらどうしてくれんのよ!・・・などと思わないでもなかったが、取り敢えず任務をこなさなければ先立つものが入ってこない。
今月の給料が振り込まれたら、憧れの最新美容液を手に入れて、溢れる美貌で男どもを虜にしてやるのだ。と言っても、ウチの署のむさ苦しい連中は眼中にない。スマートで優しくて知的でスポーツマンな彼をGETして、何かにつけてあたしに彼氏を自慢してくる同級生たちを見返してやると言う、崇高にして壮大な計画があるのだ。ほほほほ。今に見てなさい。
車庫に着いた。あたしはミニパトに素早く乗り込み、エンジンを吹かす。ギアを入れて発進。
リモートセンサーに反応して、車庫のシャッターがスムーズにスライドしていく。外は真っ暗だ。
外気は相当に寒い。宵闇署謹製のヒートジャケットが無ければ凍死するかも。いや、冗談抜きで。
署の正面玄関にミニパトを回すと、既にめぐみが待っていた。吐く息が白い。
「お待たせー!」
ドアを開けると、のたのたとめぐみが乗り込んで来た。
「うー。寒すぎ―。」
緊張感のない声でめぐみがうめく。この子はいつもマイペースだ。
「それにしてもさ。」
冷え込む風を頬に受け、凍える思いであたしは声をひそめる。
「えっ?なになにー?」
めぐみが能天気な調子で訊き返してくる。
あたしはドアを閉めて冷気をシャットアウトすると、ミニパトを発進させた。
「事件のことよ。気味が悪いわよね。刑事課の連中の話だと、連続怪死事件の件での証言者たちが口を揃えて言うには、何でも事件の前後の時間帯に化け物を見た!とか、この世のものとも思えない咆哮を聴いた!とか。とにかく異常な証言が続々上がって来てるらしいじゃない。」
「えー。そうなんだー。でもさ、それってアレじゃない?えーっと、なんて言うんだっけ?ガゼル?」
一気に南の大陸に話が飛んだぞ。出たのがそれなら、地域ニュースのほのぼの動物捕物帖のネタだ。
「ガセネタってこと?あたしも最初に聞いたときはそうかなって思った。でも、どうもそう言うのとは違うみたいなんだよね。今日までずっと調べてたんだけど、署内で開示されてる証言者のメンタル信頼度ランクは全員問題なくて、集団幻覚とかでもない感じなのよ。」
あたしの言葉に、めぐみが少し考え込む。
「うーん。じゃあ、おばけが犯人?そんなのさすがに私も信じないよー。」
そう。それが正常な判断と言うものだろう。でも、あたしは大学で学んだ認知科学や文化人類学の知識に基づいて、科学的にデータを解析した結果、証言内容の信憑性が相当に高いと判断したのだ。
だからと言って、あたしはオカルトは信じない。今回の件も、何か合理的な原因で証言の方向性が一致を見ているのだと感じている。
刑事課の連中が秘匿している情報も、あたしは独自に解析できる。開示されている情報だけで充分だ。
ただのアタマの軽い婦警さんではないのだよ。
もっとも、それを疎んじた県警が、あたしに宵闇署の婦警に降格処分同然の処遇を突き付けてきたんだ。
その辺のことは、また今度じっくりと語ることにする。まずはお仕事お仕事。
宵闇市の夜の市街地を巡回する。通常ルートを辿れば、なんてことはなく片付く任務だ。
でも、あたしの中に在る思いがそれを拒絶する。正義感とか、そういうのじゃない。
昔から、あたしは人一倍好奇心が強かった。人の心の働きについて知りたいと言う理由で、大学では人間科学を専攻した。人間の精神活動を総合的に研究するラボで、インターンとして働いたこともある。
めぐみに気付かれないように、ミニパトはあらかじめ分析した犯行現場の規則性に基づく巡回路に逸れる。深い夜の闇の中をしばらく疾駆する。
不意に、めぐみが素っ頓狂な声をあげた。
「・・・!ねえ、美雪、あれってなにかな?」
めぐみが見つめる方向に目を向ける。燐光?蒼白く明滅する、何かの光源が視界に入った。
そしてその光の中に、大きな影が見えた。獣の様な陰影。幻覚なんかじゃない。
確かにそこには、何かがいる。いつの間にか入っていた、市街地の外れに在る、高級住宅街の路地裏だ。
「助け・・・」
喉の奥から絞り出されたような、か細い悲鳴が聴こえた。
「ビンゴ!めぐみ、あんたは至急署の本部に連絡して!あたしは行くわ!」
ホルスターから拳銃を抜くと、ドアを開けてあたしは路上に飛び出した。
「ちょっと!美雪!あぶないってばー!」
叫ぶめぐみを置き去りにして、あたしは現場に急行する。
路地裏に飛び込んで、くるりと地上で回転して拳銃を構える。くーっ!決まってる!
なんて言ってる場合じゃない。素早く状況を把握しようとする。路地裏には、動く影がふたつあった。
ひとつはあたしの近く。地面に倒れ伏している。もうひとつは・・・あれ?
そこには、場違いな存在がいた。瀟洒で気品漂うスーツに身を包んだ紳士。まるで西洋の貴族だ。
ウェーブがかかった白銀の髪の間から、妖しげな新緑の瞳をのぞかせて、こちらに笑顔を向けている。
よく見るといい男。・・・ダメダメ!こやつは容疑者だ。少なくとも、この場で一番怪しい。
「どうかなさいましたか?婦警さん。」
優しく響く声音で語りかけてくる。
「動かないで!」
あたしは油断なくこの目の前のお貴族さまに銃口を向けた。
横目でもうひとつの影の様子を探る。あたしの表情が引き攣った。
それは、紛れもなく死体だった。異様なのは、その屍が干からびたミイラみたいに見えるってことだ。
さらにはその身体から、なにか得体のしれないものがゆらゆらと陽炎のように立ち上っている。
さっきミニパトから見えた、蒼白い燐光の正体はこれだ。
こんなの異常過ぎる!しばらく凝固してしまったことに気付いて、あたしは闇の中のお貴族さまを探した。
いた!それも、あたしの目の前に。慌てて構えた拳銃の銃身を、お貴族さまは掴んだ。そのまま優しく、ひねり上げる。痛みは感じないが、完全に射撃は封じられた。何とか逃れようともがいたら、片手が自由になった。そのまま、当身を入れる。あたしの拳が、お貴族さまのボディを捉えた!・・・・はずだった。
「ウソっ!」
確かに、あたしの拳はお貴族さまのボディにめり込んでいた。でも、でも、こんなのおかしい!
まるでそこにはなにも存在しないかのように、拳の周囲には黒い靄がまとわりついていた。
一瞬、我を失った。あたしは訳が分からず呆然としてゆっくりと顔を上げた。
すると、お貴族さまはあたしの腰に手を回し、その新緑の瞳であたしの瞳を覗き込んだ。
そして、次の瞬間!――あ た し は 唇 を 奪 わ れ た――




