第十四話「私が書きました」
三日目の夜が、来た。
約束の刻限。机の上には、最後の手紙が置いてある。三日かけて、何度も書き直した一通。書き手を見つけるための、最後の手紙。——渡すつもりで、書いた。
でも、渡せない。
わかってしまった。この手紙を差し出すのは、結局また、言葉の陰に隠れることだ。きれいに整えた文章を盾にして、本当の私を、見せないままにすること。
彼が探していたのは、こんな紙きれじゃない。そして、たぶん私が渡したいのも。
ランプの灯が、彼の旅装の肩を淡く照らしている。彼は何も急かさず、ただ私を見ていた。
私は、最後の手紙の隣に置いてあった、三年分の代筆控えに手を伸ばした。半年前のページを開く。彼の手にあるものと、同じ書き出し。
指先が、また震え始めた。それでも、開いたページを、彼の方へ向ける。
「書き手は——」
声が、掠れた。一度、唾を飲み込んで、もう一度、口を開く。
「書き手は、私です」
言ってしまった。三日どころか、半年、言えなかった一言を。
彼は、控えのページに目を落とし、それから、私を見た。
「知っていた」
やはり、と思った。問い詰めてこない彼に、薄々、感づいてはいたから。その一言には、不思議と驚かなかった。
「最初から」
「……え?」
最初から——? 頭が、追いつかない。それは、この店の扉を開けた、あの最初の日から、ずっと、ということ?
「文体で、わかった。扉を、開けた日に」彼は、いつもより少し長く言葉を継いだ。「だが、問い詰めれば、君は二度と本当のことを言わない気がした。だから、待った。君自身の口から、聞きたかった」
毎日の来店。茶も飲まず、本も読まず、ただ私が書くのを見ていた、あの時間。退屈ではない、と短く返した、あの一言。——全部、これを待っていたのだ。
わかった途端、別の怖さが込み上げた。
「……でも」声が震える。「想像していた書き手と、こんな地味な私とは、違うでしょう。半年も探して、たどり着いたのが、こんな——がっかり、しませんか」
彼は、少しだけ目を細めた。口元が、ほんのわずかに緩む。私にだけ向ける、あの緩み方で。
「想像より、ずっといい」
その瞬間、視界が滲んだ。慌てて指先で目元を拭ったけれど、追いつかない。開いたままの控えのページに、小さな染みが一つ、落ちた。インクではない、温かいもの。
他人の恋文には、何百回も涙したのに。自分のことで泣いたのは、いつ以来だろう。
彼は何も言わず、私が泣きやむのを、いつものように静かに待っていた。
けれどその瞳の奥には、まだ、聞きたいことが残っているように見えた。
書き手が誰か、ではなく——もっと、確かめたいことが。




