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春澄善縄(はるすみのよしただ)なる人物についての作者なりの評伝

春澄善縄(はるすみのよしただ)は、平安時代の初期~前期に活躍した、学者であり、公卿(くぎょう)でもある。

天才的な頭脳の持ち主で、当時は解読不能といわれた文献を、見事に解読してみせたという。


名前


春澄善縄


よみかた


はるすみのよしただ


ちょっと読み方が難しいです。


職業


平安時代初期から前期にかけて活躍した学者、公卿


備考


官位は従三位、参議。


生没年


延暦16年【西暦797年】~貞観12年【西暦870年】


アピールポイント


平安時代の初期は、都が平城京から平安京に遷都(せんと)されてから間もない時期で、平安京の都がこの先、約1200年も続いていくなどとは、当時は誰も思いもしなかった。

そんな時代に生まれたのが、春澄善縄(はるすみのよしただ)だ。


天才的な頭脳を持ち、現代のIQでいったら、軽くIQ165くらいになると思われる。


もともとは猪名部(いなべ)という名字を名乗っていたが、後に春澄(はるすみ)の名字になったという経緯がある。


父は周防国(すおうのくに)大目(だいさかん)といって、従八位下という、官人(かんじん)としては最も低い位だった、猪名部豊雄(いなべとよお)という人物であった。


目と書いて、『さかん』と読む、要するに当時の地方の下級役人を意味するそうだ。


さらに『大目(だいさかん)』と『少目(しょうさかん)』という区分けもあった。


もともとはそんな、下級役人の出身だった。そんな下級役人の家から、持ち前の天才的な頭脳を生かし、大出世を果たすというサクセスストーリーといえる。


善縄は祖父の財麿によって育てられた。


祖父の財麿は、早くから善縄の常人離れした才能に気づき、善縄を育てるためには財産を惜しむことなくつぎ込んだという。


幼い頃から聡明で勤勉だったというが、当時はまだ家柄がものをいう時代でもあった。


要するに下級役人の出身だった善縄は、努力しても出世への道は開けない、ということだったが、それでもなお勤勉を貫く。


やがて周囲もその勤勉さと、驚異的な才覚に気づき、その後善縄は、その才覚を生かして、あれよあれよという間に出世の階段を駆け登っていく。


常陸少目(ひたちしょうさかん)から始まり、各地の役人を歴任し、ついには従三位、参議まで登りつめたという。


仁明、文徳、清和の三代の天皇に仕えた。


後の藤原北家の礎を築いた藤原良房(ふじわらのよしふさ)が、摂政(せっしょう)大政大臣(だじょうだいじん)に就任すると、善縄はそのブレーンとしての役割を果たした。


藤原良房(ふじわらのよしふさ)にまでその天才的な頭脳を認められ、善縄の名声はたちまち全国に轟くこととなる。


そして、当時としては長生き、73歳まで生きたという。


平安時代の初期に、このような人物がいたということだけでも知ってもらうためにも、大河ドラマ化を検討する価値はあるだろう。


また、藤原良房らと共に 『続日本後記』【869年成立】の編纂(へんさん)に携わった人物としても知られている。


春澄善縄(はるすみのよしただ)の娘は、春澄洽子(はるすみのあまねいこ)といい、古今和歌集の第1首の作者でもあり、女官、歌人として活躍し、名を残しているが、洽子(あまねいこ)を最後に春澄の姓は途絶えてしまったという。



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