大河ドラマについて語る!『花の生涯』
順序が逆になってしまったが、『花の生涯』が記念すべき第1回の大河ドラマとなる。
『花の生涯』は、幕末の大老、井伊直弼が主役となる、1963年に放送された大河ドラマ。
第1回の大河ドラマは、なんとモノクロ映像という、大河ドラマはそれほどの長い歴史を刻んできた。
当初は9ヶ月の放送だったという。大河ドラマが通年放送、つまり1年に1本ペースとなったのは、第2作の『赤穂浪士』からであるという。
なお、映像の現存状況は、第1話と、桜田門外の変の第38話だけが残っていて、あとはNHKにも現存していないという。
当時の配役も、出演者の大半が既に亡くなっている人たちばかり。
今の時代の僕らが名前を聞いても、ピンとこないような名前が多い。
紅白歌合戦も昭和38年の映像が現存する最古の映像で、それより古いものは現存していないという。
そもそも『映画にも負けないような壮大な歴史のドラマをテレビでも作ろう』というコンセプトから始まった。
当時はまだ娯楽の王様といえば映画であり、本放送が始まってからまだ10年ほどだったテレビは、『電気紙芝居』などと呼ばれて揶揄されていた。
そんな中で始まったのが大河ドラマだった。
またこの年は、『鉄腕アトム』のテレビアニメの放送が始まった年でもあった。
第1回の主人公は井伊直弼。
兄たちが次々と他界したことで、彦根藩主となり、13代将軍家定の死後、紀州藩主慶福【後の14代将軍家茂】を推す一派によって、大老に推挙され、そこから剛腕を振るうことになる。
日米修好通商条約を、朝廷の許可を得ないまま、独断で結ぶ。
安政の大獄では、一橋派を退け、吉田松陰は思想的に危険な人物ということで、捕らえさせ、処刑させた。
橋本左内も同様の理由で処刑するなど、弾圧を行う。
しかし井伊には井伊の考えもあったようだが、周囲からは理解されず、反発を強め、最後は自らの側近すら退け、誰も信用できなくなり、独断で事を進めるようになった。
1860年、水戸藩士の高橋多一郎や関鉄之介、さらには薩摩藩士の有村次左衛門らが井伊の駕籠を襲撃。
井伊は一発の銃弾を受け、そのまま駕籠の中で身動きが取れなくなった。
彦根藩の家臣たちも、雪のせいで刀を抜けなくなる。
「死ねやっ!彦根藩の者ども!」
ズガッ!バシュッ!ドガッッ!ズバッ!ブシャッ!
彦根藩の家臣たちは、一人、また一人、殺されていき、白い雪を赤い血で染めていく。
「わああああーっ!」
残った者たちはもはや戦意を失い逃亡。しかし水戸藩士たちは、逃げようとする彦根藩の家臣たちをも、後ろから容赦なく斬り殺した。
そしてもはや虫の息の井伊直弼を、水戸藩士たちはよってたかって何度も何度も突き刺した。
井伊直弼、享年44歳。
これにより幕府の滅亡は事実上決まった。
そして彦根藩の権威もまた失墜し、10万石の減俸処分となった。
そして、井伊直弼に進言を行い、安政の大獄を行うきっかけを作り、井伊に次いで恨まれていた、長野主膳もまた、その後の粛清により斬首され、惨殺されている。
その他、長州藩士や岡田以蔵らの手によって、安政の大獄で井伊に味方した多くの者たちが、粛清という名目で惨殺されていった。
その後、池田屋事件で新撰組が勤王の志士たちを多数殺害し、これにより明治維新は2年遅れたとされるが、それも気休めでしかなかった。
結局、徳川幕府は桜田門外の変から8年後に、大政奉還、その後の戊辰戦争によって、その歴史に幕を降ろした。
井伊直弼は桜田門外の変で殺された人物という印象しか無いという人もいるが、実は武術、茶の湯、能楽などの多彩な趣味を持ち、また彦根領内の領民に対しては哀れみ、温かみをもって接したという。
暗殺される数日前のこと。
「水戸藩士による襲撃が予定されているようです。
ここは護衛の者たちを大勢つけた方がよろしいのではないかと思われますが…。」
「いや、よい。心配めさるな。」
水戸藩士による襲撃が予定され、それに対して、護衛をつけるよう進言されながら、直弼はそれを断った。
安政の大獄による弾圧を強めるなどの強硬な姿勢をとったのも、幕政への不用意な介入を防ぎ、幕府から見て、秩序を保つため。
過激な行動に走ることはその秩序を崩壊させると考えたからだったという。
あえて強硬な姿勢をとることで、自らが悪者になることで、結果的に良き方向に向かうと、それが国のためという考えがあったのかもしれない。
最終的にはそれは、
『攘夷=鎖国への回帰』
『幕府の権威回復による旧秩序への回帰』という形になるはずだったという。
その真意は理解されず、やがて誤解と混乱を招き、桜田門外で討ち取られるに至ったという。
実は連れていったのは、わずかな手勢だけだったとも推測する。
その場合、わざわざそれと知りながら、殺されに行った、とも推察される。
鎖国への回帰も、幕府の権威回復も、旧秩序への回帰も、もはやならない、もはやこの流れを止めることはできないと観念したのか…。
最後は悲劇的な結末となったが、ずっと後になって、彦根市と水戸市は、明治百年を契機に長年のわだかまりを解き、『親善都市』として提携を行った。
『花の生涯』が大河ドラマで放送されてから5年後のことだった。
そして今、明治150年を迎えた今、井伊直弼の目線からみた日本は、どう映るのか…。
「ここに至るまでに150年かかったか…。
ずいぶんと長いこと、わだかまりが続いてきたものだ。
わだかまりというのを解くのは、それほどの時間と労力を要するものか。」
そして55年間続いてきた大河ドラマ。
もしかしたら大河ドラマ自体が既に過去の遺物となりつつあるのかもしれない…。
果たして今後、存続か、消滅か…。