四話 大人の忠告
走り続けて、一時間くらいだろうか。
幾つかのフロアを超え、誰とも接触することなく、リコは目的の場所に到着した。
それは、メリーさんが想定していたより、ずっと早い時間だった。
ほんのちょっと人よりすばしっこい。
そうリコは言っていたが、メリーさんはその自認を大きく上方修正すべきと考える。
もし旧世界のようにフルマラソンの大会があれば、きっと良い結果が残せただろう。
そう思うくらい彼女は速く、その上多くの余力を残していた。
「それでメリーさん。肝心のお宝ってどこにあってどんな形?」
部屋の扉を開き、リコは尋ねた。
『デスクの引き出し、三段目をご確認下さい』
小さな部屋の奥に見える、唯一の個人用デスク。
その引き出しは開きっぱなしとなっており、そこには薄汚れた白い箱があった。
「これ?」
『はい。一応透過で現物入りだと確認はしておりますが、誤作動の可能性もありますので中身の確認をお願いします』
頷き、リコはその箱を開く。
中に入っていたのは黒いリボンだった。
「あら可愛い。けど黒髪の私には似合わないかな。メリーさんに付けようか?」
そう言ってリコは自分の髪に色を合わせた後、タブレットの隅に添えてみた。
『いえ、それはリボンではなく、チョーカーです。装着をお願い出来ますか?』
「はいはい、やってみましょう」
リコは言われるがまま首にリボンを当て、くるりと一周。
どうやって結ぼうかと思ったが、自然とくっついて輪となった。
『ありがとうございます。接続確認……同期チェック……同期完了しました』
「んで、これでどうなるの?」
『私の声が聞こえますか?』
「そりゃ聞こえるけど……なんで?」
『今私はチョーカーを伝い、骨伝導にて直接音声を伝えてますので他の人には聞こえません。これで私は人前でもリコにアドバイスをすることが可能になりました』
「なるほど。そりゃ便利だね」
『また同時に、リコがリボンを指で触れながら、話すみたいに振動させることで、無音のまま私にだけ音声を伝えることも可能です』
『こにゃ感じ?』
『はい。とはいえ、多少の練習は必要なようですが』
「みたいだねー。なるほど。確かにこりゃ便利だ。メリーさんに適宜質問出来る」
『とはいえ、振動を探知されれば見抜かれますので、油断は出来ません。怪しい状況の時は、前と同じく私は無言となります』
「頼りにしてるよ相棒」
『その期待を裏切らないよう尽力します』
リコは微笑みながら頷き、残った時間を無駄にしないよう部屋の中を漁り始めた。
「……今日はおけらじゃなかったようだな」
テントの中、小太りの中年男はそう言った。
「おかげ様でまあぼちぼちと」
そう告げるリコだが、その態度はドヤ顔満載だった。
彼女の前には歯車などの金属のスクラップや錆びた電池が並び、そしてその中央には『大物』がどどんと置かれていた。
時間が余ったから、あの後数部屋回れて、その一部屋が大当たりだった。
「ふん。使えるならどこの誰だろうと歓迎だ。……一応聞くが、これ、どうしたい?」
そう言って男はリコが提出した大物の『ノートパソコン』を指差した。
「もちろん、全部買い取りで」
一応は見つかった物を軍から買い上げるという形で手に出来るのだが……良くわからない機械を、それも壊れた物を欲しがるわけがなかった。
「そりゃそうだ。払いは何が良い?」
「昨日のパンは?」
「ありゃ軍用だ」
「なら『9パラ』でよろしく」
「少なくとも文句は言うなよ」
そう言って男は袋に弾丸を詰め、リコに手渡す。
大物の割には、袋のじゃらじゃらは乏しかった。
「本当に少ない……」
「タバコとかに変えてやっても良いぞ?」
「ううん。大丈夫」
ニコニコと平然とした態度で手を振るリコに、男は訝し気な目を向けた。
「……これは独り言だが、その嗅覚と用心さは悪くない。だが、遊びがない。そんなんじゃすぐ死ぬぞ。……まあ、幼稚なガキにゃわからんだろうがな」
男は鼻で笑ってから、しっしっと追い払うような手振りをする。
リコはニコニコ微笑みながら、ぺこりと頭を下げテントを後にした。
『参ったねぇ。見抜かれてるっぽい』
チョーカーに指を当て、リコはメリーさんにそう伝えた。
『見抜かれているというのは、何についてでしょうか?』
『近いうちにここ出るってこと。その上で気を付けろって忠告かな? ちょっと違う気もするけど』
悪感情は持たれていないと思う。
ただ、忠告が大分曖昧なことがリコには少々気がかりに思えた。
それは、存在するだけで人を冒涜していた。
禍々しく、悍ましく。
醜悪とさえ言っても良い。
その外見は、ぐるりと渦巻く昆虫の幼虫。
ただしその色は赤褐色に濁り、その大きさは手のひらに等しい。
ぎょろりとした目は不揃いで幾つも浮かび上がり、無数の細かな手足は鋭くとがって今にも動きそう。
おおよそどのような進化を辿ればこのような化物となるのか、想像さえ出来ない。
生物的な領域を超え、宇宙的冒涜に匹敵する。
それが――。
『これが鉛虫だけど、見える?』
バッグの中にあるメリーさんに見えやすいよう、角度を変えリコは尋ねた。
『……それを、食べるのですか?』
『うん。お金がない時にはね』
『それが……主食……』
『負けの日のご飯だねー。出来たら食べたくないし』
『見る限り、相当の硬度……というか金属に匹敵してるように見えるのですが……』
『うん。だから鉛虫。そして食べる時はこうする』
リコは金属の串で刺した鉛虫を、皿の上に乗せる。
皿の中にはスープが……いや、何かの溶剤が入っていた。
ぶくぶくと謎の気泡と共に、赤褐色だった色が文字通りの鉛色に変わった。
『こうすると何とか噛める程度に柔らかくなるから食べられる。あんまりつけすぎると串が折れるからタイミングが重要なんだ』
『金属を溶かす溶剤を……。リコ、私は感情がないです。ないはずなのに……何か、これでは良くないという使命感が沸き上がってきます……』
その内から湧き上がるデータを、メリーさんは言語化できなかった。
大口を開けて鉛虫を齧るリコの表情は、随分と険しかった。
単純に硬い。
純粋に不味い。
だからだろう。
鉛虫を食べるとだいたい皆同じ虚無と苦悶を掛け合わせたような情けない表情となり、他の食事を取る客から『鉛顔』なんて指を差され馬鹿にされる。
硬く、不味く、馬鹿にされる。
それでも、鉛虫を食べる人の数は多い。
これ以上に安く、流通している食事はないからだ。
どのくらい安いかと言えば、どんなケチな店だってサービスで提供するほど。
事実、リコも宿代のセットとして鉛虫がただとなるチケットを貰っていた。
とても乙女とは思えないような顔で、気持ち悪い虫を齧るリコの姿は随分と悲惨なものだった。
とはいえ、この飯屋にいる奴は大体似たような環境だが。
リコが周りのゴロツキと違う部分なんてのは、鉛虫の隣に安酒が置かれているかどうか程度のことだった。
カランカランとドアが鳴り、虫を咥えながらリコはドアの方に目を向ける。
そこには、随分とこの安い飯屋に適さない……"らしくない恰好"の人が立っていた。
(妙に綺麗な人だなぁ)
この埃塗れの世界でも一切の汚れがなく、労働には決して適さない派手派手な服装。
それは露骨なまでに周囲から浮いていた。
その上、周りの誰もがその人から目を反らすのも。
特徴的なのは、高い身長と紫色の長いウェーブがかった髪。
お洒落な上に自信にも溢れて見える。
間違いなく美人だ。
けれど、何故か違和感が残る。
美人なんだが、憧れも起きないし羨ましいとも思わない。
それに、ちょっとだけ、怖かった。
どうしてかと思ったが、その答えはすぐにわかった。
「……邪魔するわよ」
大分甲高い声だが、それは女性のものではない。
この人は、男性だった。
「黒髪でちっこい……あんたがリコ? 随分と馬鹿面ねぇ」
そいつはリコの方を見て、嘲笑するよう言った。
リコは、ガギンと音を立て鉛虫を咬みちぎった。
「ええ馬鹿面のリコちゃんですけど、どちら様でしょうかお美人様?」
「あら? あなたこの村に居て『絢爛炎紅』のあたしのこと知らないの? そんなんじゃ早死にするわよ?」
「……『ジャフィーリル』様」
「せーかい。良く出来たわね、"リコちゃん"」
彼――ジャフィはにやりとした笑みをリコに向けた。
『どなたでしょうか?』
『村長の孫。成金で粗雑なゲイって悪口を聞いたことがある』
リコは首に手を当てメリーさんにだけ伝える。
まだ滞在二日目なのに悪名を知っている辺りで、その立ち位置はなんとなく理解出来た。
「さて、それでリコちゃん。ちょっとお話してほしいことがあるんだけど良いかしら? あ、これ命令だから」
「……鉛虫かじりながらでも良い?」
リコはジト目を向けながら、がじがじと鉛虫を齧っていた。
「……それ、お腹空いているのか威嚇なのかわからないわね。それとも天然?」
「時間経った鉛虫を食べろと?」
ジャフィはうげっと気持ち悪そうな表情を見せたあと、そっと手をあげた。
「店主、リコちゃんにここで一番マシな食事を用意して頂戴」
一瞬で、リコはニッコニコ顔に変わった。
五分もしないうちに、食事がリコの前に並べられる。
クローン魚の塩焼きと謎肉ミンチステーキ。
それと緑色のパン。
どれもリコが見たことのないもので、そしてリコが食べていた物より遥かに上等なものだった。
ジャフィはどこか退屈そうにしながら、リコの隣の席に着く。
「あたし、待つの嫌いなの。だから早く食べてちょうだ――」
ジャフィはリコを見て、無意味と悟り言葉を止める。
それは、がっつくという言葉さえ生ぬるい食べっぷりだった。
そのまま速度が落ちることなく、リコは食事を終える。
結局合計食事時間は、ジャフィが水を一杯飲むよりも早かった。
「で、お話は何でしょうかジャフィーリル様」
「あたしが言うのもアレだけどさ、あんたマイペースね……」
「ありがとうございます」
「褒めてないわよ」
「知ってますよ」
「……あんた、良い性格してるわね。おほん! それでリコちゃん。貴女は二度遺跡探索に参加した。間違ってないわよね?」
「合ってますねぇ。どうしました?」
「それで、一度目はオケラ。二度目は小型機械とガラクタ納品。これも良い?」
「あいあい。二度目はそちらのご厚意で良い場所に潜らせていただいて」
「ええ。それも聞いてるわ。それでね……少なくない?」
ジャフィはじとっとした目をリコに向けた。
「……いや、普通に当たりでしょ」
「そうね。まあ成功の部類と言えるわけ。けど、無難過ぎるのよ。まるで普通であると偽ってるみたいにね。何か隠したりしてないかしら?」
「あははははは。隠してどこで売るって言うんですか」
「そうね。貴女がどこかで売ったって報告も聞いてないし。売ってはないんでしょうね。売っては。じゃあ、話はここまでで良いわ」
「良いんです? 疑われてるからもっと追及するって思いましたけど?」
「別に良いのよ。疑っちゃいないから。あたしはここまで。じゃあねリコちゃん」
「あ、はい。じゃあ私も宿に戻ります」
拍子抜けな気持ちで立ち上がり、飯屋の外にジャフィと二人で出る。
そして二人が背を向けてから……。
「そうそうリコちゃん。最後に一つ、これは単なるあたしの個人的疑問なんだけど、良いかしら?」
「はいはい。なんでしょうか?」
「メカニックでもない貴女が、ジャンク屋で一体何を買ったの? あたし、興味あるの。今度教えて頂戴。じゃあねリコちゃん。出来たら、もう会いたくないわ」
「……はい。ジャフィーリル様。お世話になりました。さようなら」
そう言ってリコはニコニコと微笑み手を振って、普通の表情でとことこ歩く。
それからしばらくして……。
「不味い不味い不味い不味い不味い!」
彼の背が見えなくなった瞬間、全力で走りだした。
『あの方に怪しまれているということですね。どうしますか?』
「逆よ! 逆!」
『逆……ですか?』
「怪しまれてるんじゃなくて確信してるの! そして――それをあの人はわざわざ教えてくれたのよ!」
そう――リコの嘘を、何かをちょろまかしたことを彼は確信していた。
なのに、彼自身は何もする気がない。
それの意味するところはつまり……。
「私、何かヤバい人に狙われてる」
もう稼ぐとか待つとか言ってられない。
リコはすぐ、宿の金庫から荷物を取り出し、そのまま村を飛び出した。
リラックスチェアに腰掛け、老人がワイングラスを片手にくつろぐ。
その部屋は、妙に豪華だった。
木製の内装には絵画が飾られ、足元には獣の毛皮を使ったカーペットが敷かれ。
中でも目立つのは、大きな暖炉。
荒れ果てたコンクリート世界の中で、そこだけがまるで旧世界からタイムスリップしたかのようでさえある。
老人は、静かにワインを傾ける。
それは、一から十まで、すべてただ一人のためだけに作られたもの。
長い年月、誰かを搾取してきた、血の結晶。
その事実が、笑えるくらいに楽しかった。
「くっくっ」
笑い声を殺しながら、老人はワインを床に垂らす。
ぽたり、ぽたりとゆっくり床に液体は広がって血の海を描いていく。
多くの犠牲の末生まれたものを、ただ捨てる。
それは亡くなった犠牲者に唾を吐きかけるに等しい。
そんなこと老人はわかっている。
わかった上でやるからこそ、価値があった。
「世界には、二種類の人間がいる。貴様はわかるか?」
老人は目のまえにいる小太りで眼鏡の中年に尋ねた。
「いえ、もうしわけありません」
「ワシと、ワシ以外じゃよ。わかるか?」
「はい、市長。貴方は特別です」
「そう! ワシだけが特別。ワシこそが支配者。ワシが自由に生きることは自然の摂理。そうだろう!?」
「その通りです。市長」
「だというのに……最近はつまらん」
老人は遠くに、寂しい目を向ける。
理由はわかっている。
老化だ。
衰えによって感情の起伏が乏しくなってきた。
ならばと刺激を求め、以前にも増して残酷なことをするようになったが、それもやがてマンネリ化した。
そのうえ、殺し過ぎたせいで村の治安や防衛力にまで影響が出始めた。
だから老人は、大人しくせざるを得なかった。
地下で飼っているペットのワニで遊ぶことも、夫婦や親子で殺し合わせることも、最近はできていない。
むしろ、それさえもちょっと飽きている始末だ。
つまり、老人は退屈だった。
「……さて、それでじゃが……」
老人は壁に向かって、ワイングラスを投げる。
かしゃんと小気味良い音と共にガラスが散らばり、木製の壁に赤い染みが生まれた。
「貴様、これはどういうことじゃ?」
老人はニヤ付いた笑みを浮かべ、資料をテーブルに叩きつける。
それは一人の探索者について。
それは旅人で、女性で、二度潜っていて、ノートパソコンの成果品を納入して。
つまるところ、男の良く知る相手だった。
「彼女が、どうかしましたか?」
「少なすぎるじゃろ? 成果が」
「いえ、妥当かと――」
その言葉は、振り下ろされた老人の杖により止まる。
男は額から血を流しながら、老人の方をじっと見つめた。
「ワシが少なすぎると言った。その意味がわからんのか?」
「失礼しました」
「しかも、貴様は優遇して特別処置をやったそうじゃな?」
「はい。大型機械発見の口止めとして。問題があったでしょうか?」
「当たり前じゃ! だったらもっとわんさか掘り出しとるじゃろうが!」
「ですが、既にうちの遺跡は枯れかけ――」
今度は、自分から言葉を止めた。
老人は別に反論を聞きたいわけではない。
そもそも、真実にさえ興味がないだろう。
「貴様が優遇していた奴じゃよな?」
にちゃあと、下卑た笑みを老人は浮かべていた。
男の表情が強張る。
この問いに逆らうとどうなるか、彼は文字通り身体を覚えていた。
「……はい。その通りです」
「しかもしかも、ジャンク屋行ってパーツを買ってるそうじゃないか。これは何か当たりを引いて、自分で修理したと見るのが正しくないだろうか?」
「あの無能な探索者にそのようなことが――」
それが、男の庇う限界だった。
これ以上踏み込むと、自分が、自分の家族が犠牲になる。
だから男は、黙ることしか出来なかった。
「ワシの街によそ者が来て、初日早々に盗みを働いた。違うか?」
「……その通りです」
「貴様の監督責任だよな?」
「おっしゃる……通りです」
「そうかそうか! ならば、貴様が責任を取るということだな!?」
老人の言葉に、男は何も答えない。
ただ、俯き震えることしか出来なかった。
「とはいえ! 今ワシはすこぶる機嫌が良い! 給料三割カットで許してやろう。カカカカカッ!」
老人は頭を垂れる男をあざ笑った後、杖をつき、立ち上がった。
「じゃ、次はこやつの処罰じゃな。ついてこい」
「――かしこまりました」
この後、どんな地獄が展開されるのか、男は知っている。
それでも、止めることが出来なかった。
牙を抜かれ、心を折られ、絶望で染められた男には。
だから男に出来ることは、ただ祈ることだけだった。
「そうだ。今回は孫を連れて来い」
「ジャフィーリル様を……ですか?」
「カカッ! 偶には火あぶりも悪くなかろう?」
男の顔に、嫌悪と恐怖が浮き上がる。
それが面白くて、老人は「カカッ」と再び高笑いをした。
カルナト村から離れた夜道は、闇という胃袋の中を藻掻くようだった。
ずっと、音が聞こえていた。
どん、どん……と、何かを叩き続ける音を。
それが自分の心音だとわかったのは、一キロ以上進んでからだった。
怖い。
遺跡を潜る時が怖くなかったなんて言わない。
あんな大きな機械に襲われたことなどなかったのだから、それはもう怖かった。
カルナト村の"市長"とやらに狙われている悪意も、決して弱いものではない。
けれど、それとは明らかに質が違う。
村というのは、それだけで危険を遠ざけていた。
人が生きる最低限の環境のことを、村と呼ぶと言っても良いだろう。
つまり、今この場は、村の外は、人が生きる環境でさえない。
むき出しの身で、すべてが敵となる世界に立ち向かわねばならなかった。
『どのような危険があるか、説明をお願いしてもよろしいでしょうか?』
メリーさんの問いを聞き、リコはチョーカーに手を当て口内通信でメリーさんに返事をする。
回りに誰もいないのに隠密通信を使っている。
その行いそのものが、リコの緊張と恐怖を示していた。
『大きく分けて三種。まず一番マシな機械系』
『マシ……なんですか? 一番恐ろしいじゃなくて』
『機械相手なら死ぬだけで済むじゃん。私よりメリーさんの方が詳しいから内容は省略するね。二番目は人。私は美少女だから捕まったらどんな目に遭わされるか……なんて冗談が言えないくらいヤバい』
『理解します。ここは秩序崩壊世界のようですから』
性的な対応なら、まだマシ。
それ以上に食料として見られる。
それでもまだ、最悪じゃない。
最悪は――資源とされること。
それが、"外に生きる人間"という存在である。
『わざわざ街の外なんて危険地帯に住むんだから、頭もおかしいし化物だらけだよ。最後は――【汚染】』
『そう……ですか。やはり、消えてはいませんでしたか……』
旧文明時代……マザーは人類抹殺を目標と掲げていた。
であるならば、使わないわけがない。
『核』
むしろ、核はまだ始まりに過ぎなかった。
意図的に汚染に特化した核兵器に加え、人類にのみピンポイントで感染するナノマシンウィルス。
そして果てには、生態系そのものを壊す神経性の毒ガスが、メリーさんが生まれるより前の時代に投与された。
その影響が、たった数百年で消えるわけがなかった。
機械に襲われる。
人に襲われる。
そもそも環境が人の住まう場所じゃない。
それが、外の世界。
まっとうな人間が命を失う、暗黒の世界。
本当の意味の、弱肉強食の空間。
メリーさんは呼吸と心音、脈拍といったリコのバイタルに意識を傾ける。
正直言えば、リコのメンタルはメリーさんが想定よりもはるかに安定している。
だがそれでも……。
(次の街まで、保つとは――)
戻るべきだ。
そう提案したいものの、それは出来ない。
ユーザーの指示に逆らうことは出来ず、同時にユーザーが生命危機に陥る指示を出す機能を、メリーさんは持たなかった。
かといってこのまま進んで、生きたまま次の街にたどり着ける可能性はおそらくない。
リコが生まれ故郷の村に戻る?
いや、リコが口に出さないということは、安易に戻れる距離にないということだろう。
つまり――メリーさんに出来ることはもう、何もなくて――。
いや……ここに一つ、メリーさんがやらないといけないタスクが生じた。
出来ることならば拒絶したい、絶望的なタスクが。
『……振動音確認。音声波長から大型車両と特定』
「……えっ?」
『リコ、準備を。何者かがこちらに来ます』
リコを包む闇は、最悪の形で裂かれた。
まず届いたのは、思わず目を細める程のまばゆいヘッドライト。
地を唸らせながら現れたのは、バス形状の車両。
二十人程搭乗出来そうな巨大な車の頭上には機関銃が配置され――。
次の光は、強烈かつ連続した光。
力強いマズルフラッシュと共に襲い掛かる弾丸の雨を、リコは慌てて回避した。
ちちちっと、リコの背後で地面が削れていく。
いくら遠距離かつ相手が車両を走らせながらとはいえ、ここは平地。
そう簡単に避けられるわけがない。
それでも、リコの身体に弾丸が届いていなかった。
(狙いが甘い? ううん。これは……)
弾丸から距離を取るよう、右往左往していく。
それはまるで、リコを誘導しているかのよう――いや、これはそんな高度な策略ではない。
ただ単に、嬲っているだけだった。
気のせいか、襲い来るバスから老人の高笑いが聞こえたような気がした。
ゆるゆると蛇行運転しながら、バスはリコを追い続ける。
当然、機銃を掃射しながら。
状況がわからない。
ただ、自分の想定していたより何倍も悪いことだけは間違いない。
単なる盗人に機関銃付きの車両なんて村にありえない特上戦力を持ってくるわけがない。
というかそんなもんあるならもっと村を発展させろと思う。
(あーこれかぁ……)
数時間前、わざわざ市長の孫であるジャフィーが声をかけてきた理由が良くわかった。
彼(彼女?)としても、この状況は好ましくないのだろう。
銃弾に導かれるまま、リコは走り続ける。
気づけば柔らかい大地はがたがたとスクラップ混じりの荒地と変わり、枯れ木が道を塞ぐ。
このスクラップの元が何なのか次第で、この場所の危険度も変わるだろう。
これが殺戮機械の残骸であるのなら、長居すると大変面倒なことになる。
目の前に大岩を見つけ、リコは影に隠れようとして――。
『止まって下さい!』
メリーさんの叫びを聞き、リコの足が止まる。
銃弾に追われているというのに、不思議と怖くなかった。
その瞬間、今まで雑だった銃弾が、ぴたりとリコの目の前に狙い撃たれる。
もし走ってたら、足を打ち抜かれていたであろう位置に。
『もう大丈夫です。隠れて下さい』
『ありがとメリーさん。助かった』
リコは軽やかな動きで岩陰に隠れ、ハンドガンを構えバスを覗き見る。
バスはエンジンをかけたまま停車し、中から誰かが下りてきた。
数は三人。
一人は、ジャフィーリル。
相変わらず女性に間違えそうになるくらいの美形だが、表情が妙に険しい。
緊張というよりも怯えに近い。
それこそ、望んできてないと確信出来る程度には表情に影が差している。
二人目は、中年眼鏡小太りのおっさん。
軍人で、リコに良くしてくれた人。
そしてそのおっさんの後に、見覚えのない細身で腰が曲がり切った老人が姿を見せた。
リコは、一目で彼が"市長"であると理解した。
この状況なら他にないのだが、おそらくどこで会っても確信しただろう。
立ち振る舞いじゃない。
衣服でもない。
その、表情。
その老人の表情は……あまりにも、あまりにも下卑ていた。
獣性に支配されたケダモノよりも品がなく、だらしなく、そして悍ましい。
狂気的で、猟奇的。
とてもではないが、正気でいるとは思えない顔だった。
「さあさあ可愛い孫や。ワシのささやかな願いを叶えておくれ。その下らぬ恰好を許してやるのだから、そのくらいしてくれてもよかろう」
老人の嫌味に苦渋の表情を見せながら、ジャフィはリコの隠れる岩陰に近づいてきた。
「……ごめんねリコちゃん。謝っても済まないと思うけど……せめて、ここで殺してあげるから」
ジャフィは絞り出すよう呟いた後、右手を顔の前にあげる。
ぼわっと、明かりが灯りその美しい顔が闇の中でもくっきりと見えるようになる。
いや、それは明りじゃない。
それは――炎だった。
ジャフィの右手が火に包まれると、老人は涎を流し気が狂ったように笑い出した。
「……魔法使いかよ」
リコは吐き捨てるよう言った。
『魔法……とは、いったいどのような意味でしょうか?』
メリーさんの言葉にリコは首を傾げた。
『ん? 魔法は魔法じゃん。昔からあったでしょ? 魔法は。旧文明から伝わった物だし』
『それはフィクションで――いえ、今問答の余裕はないですね。あれはどのような力で、対処は?』
『わからない。魔法使いなんて人生でもそうそうお目にかかれないもの。しかも……たぶんだけど正規訓練を受けた、本物の魔法使いだし』
『それはどういう意味で――熱源感知! 上です!』
メリーさんの叫びを聞いて、リコは岩影から飛び出る。
岩の上から、炎が降り注いだ。
頭部ほどの大きさを持った焔は、さっきまでリコが居た位置に着地し、めらめらと燃える。
その炎には赤く細い紐のような火が、ジャフィの右手と繋がっていた。
ジャフィが右手をくいっと引くと、炎はジャフィの手に収まる
「ヨーヨーみたい」
「なかなかに便利よ。……残念なことに」
ジャフィが炎を両手に持ち、ゴムのようにぐにゃりと伸ばす。
そのまま手を振ると伸び、球体は棒状に――いや、蛇のように長い鞭状に形を変えた。
形を変えても燃え続ける炎の鞭が、夜空を照らす。
リコの表情は、固まったように引きつっていた。
ありがとうございました。




