第18話:テルミドールの朝
注記: 本作は史実をもとにした歴史フィクションです。
人物の会話、心理描写、一部の出来事の流れには創作を含みます。
史実そのものの解説は、本文最後の「櫻未來の歴史メモ」で補足します。
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今回の登場人物
エティエンヌ:革命政府の記録に関わる書記。増え続けた告発と処刑の言葉に疲れている。
ガスパール:処刑人の助手。誰が処刑台に来ても驚かなくなっている自分を恐れている。
マルセル:戦場から戻った兵士。革命が何を守ろうとしていたのか、わからなくなっている。
ジュリアン:若い議員。ロベスピエールを支持してきたが、次に疑われるのは自分かもしれないと怯えている。
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1794年7月27日、パリ。
革命政府の内部では、昨日まで味方だった者が、明日には敵と呼ばれるかもしれない空気が広がっていた。
ロベスピエールの言葉は、革命を守る剣にも、自分たちへ向く刃にも見え始めていた。
「今日は、誰の名前を書けばいい」
エティエンヌがそう言うと、隣の書記は顔を上げなかった。
「その質問は、小さな声で」
「もう小さな声で書く名前ばかりだ」
「名前を書かれるよりはいい」
机の上には、昨日の議事録があった。
告発。
容疑。
反革命。
美徳。
恐怖。
どの言葉も、最初から血の匂いを持っていたわけではない。
だが今は、紙の上に置くだけで重かった。
扉が開き、若い議員ジュリアンが入ってきた。
「紙を。発言の写しがいる」
エティエンヌは彼の顔を見る。
「顔色が悪い」
「皆、悪い」
「何があった」
ジュリアンは部屋の隅を見る。
「誰が聞いている」
隣の書記が苦く笑う。
「この部屋では、紙まで聞いています」
ジュリアンは椅子に座った。
「ロベスピエールが、また敵を語った」
「いつものことでは」
「名前を言わなかった」
エティエンヌは黙った。
名前のない敵は、誰にでもなる。
ジュリアンは両手を握る。
「私も当てはまる。君も。支持してきた者でさえ」
「それでも議場へ行くのですか」
「行かなければ疑われる」
「行っても疑われる」
ジュリアンは立ち上がった。
「だから、今日は誰かが先に声を出す」
「声を出した者は」
「生き残るか、最初に倒れるかだ」
彼は扉へ向かった。
エティエンヌが呼び止める。
「ジュリアン」
「何だ」
「その発言も、記録しますか」
ジュリアンは振り返らなかった。
「生きていたら、頼む」
外ではマルセルが警備に立っていた。
戦場から戻ったばかりの彼には、議場の空気が戦場よりわかりにくかった。
前線では、敵は向こう側にいた。
ここでは、敵がどの椅子に座っているのか、朝と昼で変わる。
ガスパールが広場で台を点検していた。
マルセルが近づく。
「今日は処刑があるのか」
ガスパールは布をたたむ。
「今日は少ないかもしれません」
「少ない?」
「明日はわかりません」
「おまえは怖くないのか」
ガスパールは手を止めた。
「怖いです」
「そうは見えない」
「怖く見えないことが、いちばん怖い」
議場では声が爆ぜた。
ジュリアンは立ち上がる。
喉が渇いている。
言葉を出せば、戻せない。
黙れば、名前のない敵に入れられるかもしれない。
「逮捕を」
誰かが叫んだ。
続いて別の声。
また別の声。
ジュリアンも声を出した。
その声が勇気なのか、保身なのか、彼自身にもわからなかった。
エティエンヌは書いた。
ロベスピエール。
逮捕。
彼は手を止める。
この文字を書けば、何かが終わるように見える。
だが、終わるのは人物かもしれない。
仕組みではないかもしれない。
翌日、1794年7月28日。
ロベスピエールは処刑された。
広場には人々が集まった。
歓声もあった。
疲れた沈黙もあった。
ガスパールは台のそばで、エティエンヌに言った。
「今日は少し静かですね」
エティエンヌは広場を見た。
「静かなだけで、終わったわけじゃない」
マルセルが聞く。
「では、何が終わった」
エティエンヌは紙を折った。
「名前を1つ、口に出せるようになった」
「恐怖は?」
ガスパールが答えた。
「台の木には、まだ残っています」
誰も笑わなかった。
テルミドールの朝は明るかった。
明るいだけで、暖かいとは限らなかった。
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櫻未來の歴史メモ
今回の出来事
1794年7月27日から28日にかけて、ロベスピエールは失脚し、処刑されました。これは恐怖政治の大きな転換点とされます。
史実と創作
ジュリアン、エティエンヌ、ガスパール、マルセルの場面は創作です。実在のロベスピエールを中心人物にせず、彼の周囲で恐怖を感じていた人々の視点から描いています。
櫻からの問い
恐怖を生んだ人物が倒れれば、恐怖も消えるのでしょうか。それとも、人々が恐怖の中で覚えた癖は、もっと長く残るのでしょうか。
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