著(デート相手は素敵/婚礼の儀を守らぬ男)
著 引用6件
待ち合わせ 美しい耳飾り 不親迎 風紀の乱れ
俟我於著乎而 充耳以素乎而 尚之以瓊華乎而
私を門内にて待つお方。
耳には白い飾り紐。
華やかな玉が煌めかれて。
俟我於庭乎而 充耳以青乎而 尚之以瓊瑩乎而
私を庭園にて待つお方。
耳には青い飾り紐。
艶やかな宝玉がちりばめられて。
俟我於堂乎而 充耳以黃乎而 尚之以瓊英乎而
私を会堂で待つお方。
耳には黄色い飾り紐。
宝玉の輝きは華々しく。
○国風 齊風 著
私を待ってくれるあなたを彩る耳飾りがまた美しい! ……とまぁ、実に素朴なデートソングであるな。確かにここまで素朴だと裏を読みたくなる気持ちも、まぁわからぬでもない。
○儒家センセー のたまわく
「刺時也。時不親迎也。」
婚礼にては六つの礼をなす必要がある! すなわち「納采」「納幣」「請期」「親迎」「門名」「納吉」である! この歌はそのうち親迎の礼が乱れていることを批判しておる! すなわち婿は嫁の家にまで出迎えるが礼であるにもかかわらず、この歌では嫁に出向かせておる! まったく、ひどい婿もあったものである!
■佇立のちょ
史記6 歴代秦公 注
著,即佇也。門屏之閒曰佇,謂學於佇門之人。故詩云「俟我於著乎而」是也。
史記の歴代秦公に関する解説において穆公が「その辺の人からも学んだ」と讃えられる際に「繆公學著人。」として紹介されておる。
■親迎ないのはダメだよねー!
親迎の礼がないのはよろしくない、と春秋に書かれたと言われるが、ここで親迎がないことを誹ったのは公羊伝穀梁伝であり、春秋そのものは隠公二年九月条で「九月。紀裂繻來逆女。」と書かれるのみである。いや春秋の筆法を素晴らしいと言うのは結構だが、「解説が必要な時点でだめでは……?」と思わずにおれぬのだよな。
・史記49 外戚世家序
・漢書97.1 序
春秋譏不親迎。
■この詩に地理要素なくない?
漢書28 地理
臨甾名營丘,故齊詩曰:「子之營兮,遭我虖嶩之間兮。」又曰:「竢我於著乎而。」
斉国の臨甾を紹介するに当たっての解説で紹介を受けておるのだが、当詩をひっくり返しても「地理志」で紹介される意味がわからぬ。衛風の各詩はまだ理解ができたのだが、当詩についてはとんとわからぬ。どういうことなんだぜ。
■司馬相如の輝かしき言葉
・史記117 司馬相如
・漢書57 司馬相如
呼吸沆瀣兮餐朝霞,噍咀芝英兮嘰瓊華。
司馬相如「大人賦」の一節である。こうしたきらきら言葉をいかに効果的に用いられたかどうかが勝負となるのがよくわかる。以前も語ったことではあるが、こうした「古語をどれだけ盛り込めるか」勝負は後世でも華やいでおり、おかげで文選を本作に合流させると各所で引用が爆発してひどいことになる。暇な方は是非挑戦していただきたい。我は一瞬で逃げた。
毛詩正義
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