第17話 吹雪の帝国
リュークが目を覚ましたのは、一月八日の夕方だった。朝に天馬の馬車から飛び降りて以来、日暮れまで意識を失っていたことになる。
「すっごく心配したんだからね!」
「申し訳ありません」
目覚めたリュークは、まずルシアナに頭を下げた。
メロディも心配そうに様子を見守っている。
「もう大丈夫なの?」
「ああ、何ともない。勝手をしてすまなかった」
「ううん、それはいいんだけど……どうしてあんなことをしたのか、教えてもらえる?」
メロディが尋ねるのはもっともだった。飛行中の馬車から突然飛び降り、村の跡地で倒れていたのだから、気にならないはずがない。
リュークはしばらく俯いたまま黙っていたが、やがて顔を上げ、静かに言った。
「……ここは俺の故郷だったんだ。森を見たら、思い出した」
「「ええっ!?」」
メロディとルシアナが揃って声を上げる。ルシアナが慌てて尋ねた。
「じゃあ、記憶が戻ったの?」
「ああ」
「言っちゃうんだ!?」
あまりにもあっさりした返答に、マイカが勢いよくツッコんだ。
「さっきのやりとりは何だったの!?」
頭ポンポンまで入った、あのイベントスチル級のやりとりは何だったのかという気持ちでいっぱいである。
「嘘をつく必要もないしな」
「そうだけども!」
マイカが唇を尖らせていると、メロディが続けて尋ねた。
「それじゃあ、本当の名前はなんていうの?」
「リュークでいい」
迷いなくそう答えるリュークに、メロディが瞬きをした。
「え? でも……」
「いいんだ。リュークがいい。以前の俺の名前は、この村に置いていく。父さんと母さんに預けていく。俺の名前は、マイカが選んだリュークだ」
「そうです! 彼の名前はリュークです! 私が名付けました!」
マイカは胸を張って得意げに宣言した。リューク本人がそう望むのならと、メロディ達も納得したように頷く。
ただ、リュークはマイカを見つめながら、ひとつだけ胸に引っかかる疑問を隠していた。
(……なんでマイカは俺の本当の名前を知ってるんだろうな)
だが、それを口にすることはしない。マイカはマイカだ。深く考えるだけ無駄だと、半ば諦めも混じっていた。
リュークが謝罪し、一応場が落ち着いたところで、一行はそのまま村の跡地で一泊することにした。すでに太陽は沈み、移動には危険な時間だった。
そして翌日、一月九日。ガルムの弟を探す旅は、ついに最終日を迎えた。
朝の光が雪原に淡く差し込む頃、天馬の馬車は静かに飛び立った。森を抜ければ、そこはロードピア帝国だ。
遠くには白銀の大地が広がる。ロードピア帝国の冬は、テオラス王国以上に厳しいようだ。
馬車が森を抜けた瞬間、車体が大きく揺れた。
「きゃあっ!」
マイカは悲鳴を上げた。ガルムを抱き抱えたまま転びそうになるが、リュークに支えられて難を逃れる。こんな状況でも居眠りを続けるグレイルもリュークの腕の中だ。メロディとルシアナもなんとか無事らしい。
「風が強いです! まだ揺れるので気を付けてください! お嬢様、黒い玉をお願いします」
「ええ、任せて」
どうやら馬車は強風に煽られたらしい。今も車体が風に流されそうになるが、メロディが操縦に専念することで何とか持ちこたえている。
それでも馬車の中は不安定で、ルシアナ達は体が投げ出されないよう必死だった。ルシアナは、メロディから渡された黒い玉をギュッと握りしめ、体を支えながら馬車が落ち着くのを待つ。
やがて、馬車の揺れは収まった。
「馬車にかけてあった守りの魔法を強化しました。このくらいの風ならもう大丈夫です」
メロディの言葉に全員が安堵の息をつく。
「ふぅ、さすがメロディ先輩。墜落するかとドキドキしました」
「その時のために俺がいるから、大丈夫だ」
「ありがたいけど絶対にやだよ、そんなトラブル!」
マイカとリュークのやり取りを眺めながら、メロディはクスクスと笑った。
「大丈夫よ、マイカちゃん」
「メロディ先輩!」
「最悪、馬車が墜落しても守りの魔法があるから、怪我の心配はしなくていいわ」
「そういう問題じゃないですよ! まったくもうもう!」
マイカのツッコミに、メロディとルシアナは可笑しそうに笑う。
リュークはグレイルを下ろすと、腕を組んで鼻を鳴らした。
「しばらく私は操縦に専念します。お嬢様、黒い玉の確認はお任せしますね」
「分かったわ。今のところ反応はないみたいね」
ルシアナは黒い玉を握りしめ、笑顔で請け負った。
「マイカちゃん、ガルムとグレイルをお願いね」
「はい!」
「リューク、マイカちゃんとガルムとグレイルをお願いね」
「ああ」
「……私に任せる意味とは?」
マイカは小さな疑問を口にしたが、まだ十歳程度の小柄な少女を守るのは当然のことだ。
マイカ以外は、誰も不思議に思わなかった。
「それじゃあ、改めて出発します。墜落にご注意ください」
「だからそれ、やめてくださいよおおおおおっ!」
強風の音で、マイカの叫びが馬車の外に届くことはなかったそうな……。
◆◆◆
「すっごい吹雪……」
馬車の窓を眺めながら、マイカは思わず呟いていた。
北上を続ける一行。ほどなくして、馬車は猛吹雪に包まれた。
メロディの守りの魔法は効果を発揮しているようで、多少揺れるものの、車体は安定している。
しかし、窓の向こうの景色は凄まじい。一歩先の視界も判別できないほどの猛吹雪が、一帯を覆っていた。
「テオラス王国はここまでじゃなかったのに」
窓を眺めながら呟くマイカに、リュークが答える。
「ロードピア帝国は冬の厳しい雪国だが、ここまで激しいのは初めて見たな」
「へぇ、詳しいのね、リューク」
「まあ……最近までこっちにいたので」
ルシアナの何気ない質問にリュークは答えるが、口調はやや歯切れが悪い。奴隷として扱われていた帝国に、いい思い出などあるはずもない。
「と、ところでお嬢様! 黒い玉の様子はどうですか?」
マイカは慌てて話題を変えた。その様子を、リュークはやはり内心で訝しむ。
(……マイカ、もしかして俺の素性を知ってるんじゃないだろうか)
だが、それを口にすることはない。
マイカはマイカなので。
考えるだけ時間の無駄である。
「うーん、さっきまで反応はなかったし、多分今も……え? メ、メロディ!」
「どうしました、お嬢様?」
「黒い玉が光ってる!」
「本当ですか! 光はどこへ?」
黒い魔力を凝縮した結晶である黒い玉には、メロディのメイド魔法『人工敏感肌』がかけられている。
黒い玉に宿るものと同じ黒い魔力の波長を察知すると、その方向へ光の線が伸びる仕組みだ。
この光の線は、黒い玉を手にしている者にしか見えない。
猛吹雪の中で馬車の操縦に専念していたメロディは、黒い玉を持つルシアナに尋ねた。
「う、うーん……光ってはいるんだけど、光の線なんて出てないというか……」
困惑した様子で黒い玉を見つめるルシアナ。
「お嬢様、私にも見せてください」
マイカがそう言うと、ルシアナは黒い玉を手渡した。
手のひらにのる黒い玉を見つめたマイカは、不思議そうに首を傾げる。
「確かに、黒い玉は光ってます。でも、お嬢様が言う通り光の線は出てないですね」
「……魔法を失敗したかしら?」
メロディが心配そうにそう呟くと、マイカは眉を寄せた。
「うーん、何だろうこれ? 光がぐにゃぐにゃしてる」
「「「ぐにゃぐにゃ?」」」
マイカ以外の三人の声が揃った。ぐにゃぐにゃとは一体……?
「ちょっと説明が難しいんですけど、なんか、光の線が出ようとして、だけど出ないみたいな? 黒い玉の全方位でそんなで、光がめっちゃ歪んでます。ホントになんだろこれ?」
「全方位……まさか」
何か思い至ったのだろうか。マイカの不明瞭な説明を聞いたメロディは、瞳に魔力を集めた。周囲をグルリと見回し、驚愕の表情を浮かべる。
「まさか……!」
「どうしたの、メロディ?」
「……お嬢様、落ち着いて聞いてください。今、この辺り一帯に吹き荒れている雪、全部に黒い魔力が宿っています」
「……え?」
メロディの答えに、ルシアナは一瞬理解が追いつかなかった。
ゆっくりと窓の向こうに目をやる。視界が霞むほどの猛吹雪が広がっている。
その全てに、黒い魔力が……?
「ええええええええええええええっ!」
ようやく理解が追いついたルシアナは、思いっきり叫び声を上げた。
「この雪全部に!? じゃあ、地面に降り積もっている雪も? 雪を蓄えている雲も……?」
「……はい。全部に、黒い魔力が宿っています」
「……嘘でしょう?」
「残念ながら……」
黒い玉の反応は正しかった。全方位に黒い魔力が広がっていたせいで、反応が散乱してしまっていたようだ。
ルシアナだけでなく、全員がこの結論に呆然としてしまう。
「とりあえず、どこかで一旦休憩しないか。思考が追いつかないだろう」
そう提案したのはリュークだった。
「そ、そうですね」
「もう少し進んだ先に確か街があったはずだ」
「それじゃあ、その近くに馬車を下ろしましょう」
メロディ達は正式な関所を通らずに帝国に入っている。
街には入らない方がいいだろう。とはいえ、何となくだが、人が住む街の近くに行きたいと思うのは人間の本能なのかもしれない。
ほどなくして、メロディは雪の上に馬車を下ろした。
コテージを出現させ、四人と二匹の一行はリビングに集まった。さすがはメロディの魔法といえばよいのか、コテージの中は暖かく、外の猛吹雪の気配を感じさせない。
メロディが紅茶を淹れ、ようやく一息つくことができた。
「街の近くって言ってたけど、どこにあるのかしら。全然分からなかったけど」
窓を眺めながら呟くルシアナに、メロディが答えた。
「実はさっき見逃してしまって、街を追い越しちゃったんです。ここは街から少し北に進んだところですね……吹雪で全然見えませんけど」
「確か、あの街より北は大きな山があったはずだ」
メロディの説明を補足してリュークが言った。
「じゃあ、ここは街と山の中間地点なんだ……雪崩とか起きないよね?」
ちょっと悪い予想をしてしまったマイカに、リュークは「どうだろうな」とだけ返した。
「マイカちゃん、雪崩くらいならこのコテージはびくともしないから、安心してね」
「メロディ先輩、できれば別の方法で安心させてほしいですよぉ」
災害に耐えられることではなく、災害自体を回避できる方向で安心したいマイカである。
「それにしても、あの雪全部に黒い魔力が宿っているだなんて、どうなっているのかしら?」
若干、途方に暮れたように呟くルシアナに、誰も答えを返せない。
「少なくとも、このままではよくないことは確かです」
メロディもまた不安そうに、窓に映る吹雪の景色を見つめる。
夏に訪れたルトルバーグ領では、地下深くに封じられていたガルムの黒い魔力が溶け出し、作物の実りに悪影響を与えていた。
その時は滲み出る程度の魔力量だったが、黒い魔力の影響で作物の味は悪くなり、小麦の生育が阻害されたせいで、あのまま放置されていたらルトルバーグ領は立ちゆかなくなっていただろう。
それが今、このロードピア帝国にも起きようとしている。
それどころか、空から降る雪に黒い魔力が含まれているのだから、被害規模は相当な広範囲に及ぶことが予想される。
大地に降り注ぐ魔力量も、その範囲も、ルトルバーグ領の比ではない。
どれほどの被害が発生するのか、まったく想像できなかった。
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