第16話 リュークとビューク
メロディたちが王都を出発して、すでに四日が経っていた。
一月七日の午後にはルトルバーグ領の調査を行い、天馬の馬車で領地を一周して黒い魔力の結晶の反応を確かめたが、結晶は沈黙したままだった。
ルシアナはほっと息をつき、一行はさらに北へと進む。
「今日はそろそろ降りましょう」
日が暮れ始め、メロディは馬車を地上へ降ろした。辺り一面、雪景色が広がっている。ルトルバーグ領を北上した先は、ユインズ侯爵領とシューデビッヒ辺境伯領の境にあたり、近くに街も村もないため、静寂が支配していた。
人の手の入らない広い雪原。メロディが小さな水晶玉を雪に埋め込むと、そこに丸太造りのコテージがふっと姿を現す。
「さあ、みんな、休みましょう」
「うひー、馬車って座ってるだけなのに、なんでこんな疲れるんでしょうねぇ。お邪魔しまーす」
疲れきった様子で、ガルムとグレイルを抱えたマイカが真っ先にコテージへ入っていく。ルシアナは入り口で足を止め、向こうの森を見つめていた。
「お嬢様も中へ。風邪を引いてしまいますよ」
「うん……地図によれば、あの森を越えたら次はロードピア帝国ね」
「はい。ここまで来て結晶が反応しないとなると、ガルムさんの弟さんは帝国内にいるのかもしれません」
「見つかるといいなぁ。メロディ、家に入ったらあつーい紅茶をお願い」
そう言ってルシアナもコテージへ。メロディも続こうとして、リュークがまだ外に立っていることに気付いた。
彼もまた、森をじっと見つめている。
「リューク、そろそろ入りましょう……リューク?」
声を掛けても返事がない。完全に意識が森に向いているようだ。
「……リューク?」
「……」
「リューク?」
「……」
「リューク!」
「――っ! ……なんだ」
「『なんだ』じゃないわよ。何度も呼んだのに気付かなかった?」
「……気付かなかった。すまない」
謝ると、リュークはまた森へ視線を戻した。
メロディもつられてそちらを見る。
「……あの森、何かあるの?」
「……いや、別に」
(そうは見えないけど……)
リュークはただ黙って森を見続けた。しばらくして、ようやく我に返ったらしく、軽く頭を振るとそのままコテージの中へ入っていった。
「……急にどうしちゃったのかしら、リューク?」
メロディはあらためて森を見やる。雪が積もった、どこにでもある普通の森。少し小振りではあるが、特別変わったところはない。
念のため魔力を瞳に集めて探ってみても異常は感じられなかった。リュークが気にするようなものは何もないはずだが……。
結局、答えが出ないまま、メロディはコテージへ入っていった。
そして翌日、一月八日。異変は起きた。
天馬の馬車が森の上空を抜けている最中、リュークは昨日と変わらず、じっと森を見下ろしていた。
メロディは黒い魔力の結晶を確認しつつ、ちらりと彼に視線を向ける。やはり様子がおかしい。昨日からずっと森に意識を取られている。
声を掛けようとしたその時、同じく窓から下を眺めていたマイカがぽつりと言った。
「あれ? あそこ、ぽっかり空いてますね」
「え?」
マイカが指差す先を覗くと、確かに森の真ん中だけ丸く切り抜かれたように木々が消えている。雪に覆われて輪郭はぼんやりしているが、何か建物のような影が見える。
(……村、みたいに見えるけど?)
メロディが首をかしげた次の瞬間――。
カチャリ。
馬車の扉が開く音がした。
「「「えっ?」」」
メロディ、ルシアナ、マイカの三人が同時に声を上げる。
空を飛行中の馬車で扉が開くはずがない。
振り向くと、そこには扉に手をかけるリュークの姿があった。
「リューク!?」
マイカが叫んだ瞬間、リュークはふっと馬車の外へ身を傾けた。
吹き込んだ強い風が、彼の髪と衣服を激しくあおった。
「リューク、ちょっと待っ――!」
メロディが手を伸ばすより早く、リュークは床を蹴った。
彼の身体は空中へ飛び出した。
「「「ええええええええっ!?」」」
叫び声が重なる。
メロディは慌てて馬車を急停止させた。
車体が揺れ、風が扉から吹き込む。
「リュークウウウウウウウッ!」
マイカが身を乗り出して叫ぶ。
視線の先には、落下しながらも風の魔法で速度を微調整し、森の中のぽっかり空いた空間へ向かっていくリュークの姿があった。
空を飛べはしないが、着地だけはできる――彼の言った通りだった。
三人は一瞬安堵したものの、それ以上に困惑が大きい。
「リュークったら、急にどうしちゃったの?」
ルシアナの問いに誰も答えられない。
三人は顔を見合わせ、静かに頷き合った。
「……とりあえず、リュークを追いましょう」
メロディの言葉に二人が頷き、天馬の馬車はリュークの向かった場所へ降下していった。
「……ここは、廃村かしら?」
ルシアナがぽつりとつぶやいた。
そう言いたくなるのも当然だった。そこは一面が雪に覆われ、建物はほとんど崩れ落ちている。かつて集落だったと分かるのは、雪からわずかに覗く柱や壁の破片だけ。人の気配は完全に失われていた。
「……こんな国境沿いの森の中に村があったなんて。もう誰もいなさそうだし、きっと引き払われたあとね」
「そうですね。テオラス王国とロードピア帝国は、シエスティーナ様が留学されるまでは不安定な関係が続いていたそうですし……普通はこんな場所に村を作りません」
二人の会話を聞きながら、マイカは必死に記憶を手繰り寄せていた。
(国境沿いの森にある村……まさか、ここって……)
「……シュノーゼル?」
「マイカちゃん、今なんて?」
「あっ、いえ、なんでもないですよ!」
慌てて手を振って誤魔化すマイカ。
しかしその一言は、すでに確信へと変わりつつあった。
(ロードピア帝国との国境の森にある、戦いを嫌った魔法使いたちの隠れ里――シュノーゼル。
……ビューク・キッシェルの故郷)
乙女ゲーム『銀の聖女と五つの誓い』第四攻略対象者――ビューク・キッシェル。
それは、記憶を失ったリュークの本当の名だ。
ゲーム内で語られていた故郷の情報は少ない。
『テオラス王国の北、ロードピア帝国との国境沿いの森にある隠れ里』――それだけだった。
幼いビュークの故郷は帝国の襲撃を受け、住民は子どもを逃がそうと抗戦し、命を落とした。捕らえられ奴隷となった者も、多くは過酷な扱いで命を落とし、生き残ったのはビュークだけ。
(もしここが、本当にシュノーゼルだとしたら……リューク、あなた……記憶が)
「リューク、どこ!?」
「マイカちゃん、待って!」
マイカは胸がざわつくまま走り出した。どこにいるか分からない。けれど、早く見つけなければという焦りが全身を突き動かす。
メロディたちも慌てて後を追った。
(記憶が戻るにしても……こんな場所でなんて、つらすぎるよ!)
攻略対象者の中でも、ビュークの背景はとびきり過酷だった。
両親を殺され、故郷を奪われ、奴隷となり……その後は魔王に魅入られ、操り人形として生かされ続けた。
今のリュークはメロディの介入により、ゲームよりずっと早く魔王から解放されたが、その代償に記憶を失っている。
それは、むしろ救いだったのかもしれない。
だが、故郷を目の前にした彼は、制止を振り切って飛び出してしまった。
記憶を取り戻しつつあるのかもしれない。
だからこそ、マイカは一人にしたくなかった。
「リューク! どこ!」
「マイカちゃん、あそこ!」
メロディが指さした先。そこに、リュークはいた。
雪の中に残る家だったものの跡地――その前で。
リュークは、倒れていた。
◆◆◆
瞼がゆっくりと開く。差し込む光が少しだけ眩しい。
カーテンの隙間から橙色の夕陽が漏れ、部屋の空気をじんわりと染めていた。
(……日暮れか)
天井を見上げてすぐ、自分がベッドに寝かされていると気づく。
ここはメロディのコテージ。リュークの使っている寝室だ。かつて我が家であった故郷の跡地の前で倒れた自分を、彼らが運んでくれたのだろう。
リュークはゆっくりと上体を起こした。
体に不調はない。むしろ――。
(……意外と混乱していないものだな)
ビュークとしての記憶を取り戻したはずだが、特に違和感はなかった。ビュークだった頃の記憶と、リュークとしての日々は、途切れることなく一本の線につながっている。
もちろん、銀剣に封じられた黒い魔力に操られていた頃の記憶も、はっきりと残っていた。
拳が、自然と強く握られる。
(……悔しい)
けれど、そこでふと思い至る。
(……そういえば、あの剣はどこへ行った?)
体が今よりまだ幼かった頃に、折れた銀剣を持っていた記憶はある。だが、それ以降の所在は思い出せない。紛失してしまったのだろう。
今さらながら周囲に視線を巡らせてしまう。そして、ベッドの端に突っ伏して眠っているマイカに気付いた。
(……軽すぎて気付かなかったな)
どうやら看病してくれていたらしい。
ちょうどその時、マイカが小さく身じろぎし、顔を上げた。寝ぼけた瞳がリュークを捉え、そして徐々に大きく見開かれていく。
「……あっ、リューク!」
「おはよう、マイカ。……よだれ、垂れてるぞ」
「えっ、うそ!? え、ちょ……!」
「嘘だ」
「あうう、どうしよう……って、嘘なの?」
「ああ、嘘だ」
「「……」」
「もう! そういう恥ずかしい嘘、ホント禁止! 心臓に悪いんだから!」
そう言いつつ、しっかり口元を拭いているのがマイカらしい。
リュークは黙ってその様子を見ていた。
「リューク、体調は? 痛いところとか……どこか変なところは?」
「特にない。問題ない」
「そ、そうなんだ。よかった……。じゃあ、その……ええっと……」
心配しつつ、どう切り出すか迷っている様子だ。
「もしかしてなんだけど、その……リューク……ううん、えっと……ビュ――」
言い終える前に、リュークはマイカの頭を軽くポン、と叩いた。
「……俺の名前はリュークだ。お前がそう名付けたんだろ? 忘れたのか」
マイカは目を丸くした。
「……リューク、でいいの?」
「良いも悪いもない。俺はリュークだ……リュークがいい」
「……そっか。えへへ……そっかぁ」
頬をほんのり赤くし、マイカは照れたように笑った。
リュークはもう一度、軽く頭をポンポンと叩く。
「……っていうか! イケメンが女の子の頭をそんな気軽に叩いちゃダメなの! 乙女心を殺す気か! まったくもう!」
「……意味が分からない」
「わかんなくていいの! でも叩くの禁止!」
両手で頭を押さえ慌てふためくマイカを、リュークは首を傾げて眺める。
――記憶が戻っても、何も変わらない。
過去を取り戻したリュークは、それでもなお、前だけを見て歩くことを選んだから。
ここのお話は小説9巻でもうちょびっと加筆されています。
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