19 完全終止
玉座の間に響き渡ったのは、北部の澄んだ空気のように凛とした一人の女の声だった。
……待ってろと言ったのに。驚愕に目を見開くダリウスと、幽霊でも見たかのように体を震わせるデイヴを眺めながら、心中で「よく来たな」と独りごちる。
入り口に立つシーナは、出会ったばかりのひ弱な令嬢ではなかった。その頬は雪焼けで僅かに赤らみ、目は獲物を見据える鷹のように鋭い。背筋を真っ直ぐに伸ばしたその佇まいは、北部の厳しい寒さに耐え抜いた者だけが持つ独特の重みを纏っていた。
「お、お前……生きていたのか……!? 確かに傭兵からは『始末した』と……」
デイヴが信じられないといった様子で声を漏らす。
「ほう。始末したと、そう聞いたのか? デイヴ・ラスタール」
俺の問いかけにデイヴが自分の口を両手で押さえたが、もう遅い。広間の衛兵たちの目が一斉に彼へと向けられた。
「あいにくだったな。お前の手元に届いた報告は、俺が北部の伝書を使って送らせた偽報だ。まんまと信じてくれて助かったぜ」
俺が嘲笑混じりに告げると、デイヴはその場に力なく膝をついた。
一方でダリウスの動きは速かった。奴は事の重大さを察するや否や、周囲の混乱に乗じて玉座の間の脇出口へと脱兎のごとく走り出したのだ。
「逃がすかよ!」
「じーさん! これだろ!」
シーナの隣に立つロベルトが叫び、懐から一本の矢を取り出して俺の方へ思い切り投げ放った。放物線を描いて飛来する一本の矢。俺はそれを空中でひっつかむとボウガンに装填し、弦を引き絞った。
――ビシュッ!!
鋭い風切り音と共に放たれた矢は逃げようとしたダリウスの豪華な衣装の裾を正確に射抜き、石床へと深く突き刺さった。
「ひっ、あああぁっ!?」
足先数ミリの場所を射抜かれたダリウスが、情けない声を上げて転倒する。
「動くんじゃねぇぞ。次は綺麗な服だけじゃなくてその細い足首を縫い付けてやっからな」
俺の脅しに、ダリウスは文字通り凍りついた。即座に若王の合図で動いた近衛兵たちが、抵抗する間も与えず奴を取り押さえる。
「離せ! 私を誰だと思っているんだ! こんな野蛮な真似が……!」
「野蛮だって? それは他人の領地を我が物顔で荒らしていた貴方様の方でしょう? ……陛下、この矢をご覧ください」
喚き散らすダリウスの前に、ロベルトが悠然と歩み寄る。そして先ほど俺が放った矢の尾羽を指差した。
「あの羽は、ダリウス卿の領地にしか生息しない鳥、シルコンドラのものです。俺は彼女と一緒に、オルン砦に送られた密猟者どもの荷を精査し直しました。当時の状況と、現場の矢じりに残されていたこの特異な羽。これらはダリウス卿の関与を裏付けています」
ロベルトの追及に、ダリウスの顔がみるみる土気色に変わっていく。さらにシーナが一歩前へ出た。
「陛下。発言をお許しください」
「許す。君は……」
「シーナ・リンドと申します。人獣共生協会の協会長という立場にありました。王妃殿下のご用命によりヴィンターハルトに視察に赴いたのですが……手配された護衛に襲われたところで、シグムント様に保護頂いた経緯がございます」
「襲われたですって……?! そんな、陛下、わたくしは何も知りません!」
必死の形相で頭を振る王妃の様子を見るに、彼女の預かり知らぬところで計画されたことなのかもしれない。だからと言って許されることではないのだが。
「その際に彼らは私の鞄を奪っていきました。なんとかこの手に戻ってきましたが……鞄には、こちらを忍ばせておりました」
シーナが、首から下げていた細い鎖の先に繋がれた一本の鍵を取り出した。
「祖父オイゲンが私に託したこの鍵は、『王立中央保管庫』の第零号私庫を開くためのもの。祖父は、ダリウス卿が長年にわたり密猟組織と癒着していた証拠をそこに封印しておりました」
「な、何を……! そんなものは出鱈目だ! だいたい、あそこは王の勅命なしには……!」
「ええ。だからこそ今ここで陛下に鍵をお渡しするのです。そこにはリー家のすべてを終わらせる『真実』が保管されていますから」
シーナの声に淀みはない。臆すことなく真っ直ぐにダリウスを睨みつけている。一方で追い詰められたダリウスの理性は、絶望的な想像によって今にも焼き切れようとしていた。
――もしも、本当にあのおいぼれがそんな証拠を残していたのだとしたら、と。
鍵が、王の手のひらに置かれた。
「ダリウス……デイヴ……。貴様ら……!」
王の低い怒号が響く。その時だった。
「待って……待ってくださいませ!」
それまで呆然と立ち尽くしていた王妃が、震える声で叫んだ。彼女の顔からは血の気が引き、今この場にいるのが不釣り合いなほどに憔悴している。
「嘘……嘘ですわ。お父様が密猟に関わっていたなんて。わたくしに、動物を守れと仰ったのはお父様ですのよ? 愛護の精神を、共生の素晴らしさを説いてくださったのは……!」
王妃は縋るような瞳でダリウスを見つめた。だが、娘の「慈愛」を利用して金を得ていた父親は、今や娘と目を合わせることすらできずに顔を伏せている。
「お父様がそんな野蛮なことをするはずありません! わたくしたちの協会は、動物たちの命を守るための場所なのですよ!」
「王妃殿下。貴女は私のことをなんて聞いていたんですか?」
「それは……不幸な事故にあったと……」
「いいえ。先ほど申し上げた通り、貴女が手配して下さった護衛に殺されかけました。シグムント様が助けてくださらなかったら、私は北部の雪山に埋まっていたことでしょう」
シーナは冷徹なまでの静けさで、激しい動揺を見せる王妃を射抜く。
「知らなかったでしょう? そう、貴女は何も知らないのです。貴女が無知を振りかざして『殺すな』と叫ぶたび、密猟者たちは笑っていたのです。取り締まりが緩み、邪魔な猟師がいなくなり、自分たちが自由に獣を狩れるようになるのだと」
「そんな……わたくしのせいで動物たちが狙われたのだと言いたいの?!」
「――ええ、その通りですけど?」
王妃の瞳が大きく見開かれ、唇が情けなく震える。
「……これは貴女のことを想って伏せておりましたが。貴女が愛用しているその扇は、スノーミスト・レースが使われたものです。『月の光を紡いだ絹』だなんて呼ばれてますが、とんでもない。それはムジカのお腹の毛を……それもまだ親離れもしていない幼い個体の、最も柔らかい産毛だけを贅沢に使ったものです」
それはきっと、ダリウスの領地で密かに作られた超高級品。あの一振りの扇を作るために、一体どれだけの可愛いムジカの皮が剥がされたことか。
「産毛が使われていることは分かっていましたけれど、貴女が私を北部に送ってくださったおかげで、私も原料を知ることが出来ました。その点については感謝しております」
「そ、そんな……! このわたくしが、そんな、悍ましいものを……!」
自分の高潔な行動が、実は愛する獣たちを殺す手助けをしていた。しかもその成果品を自らの愛用品としていた。
その残酷な真実が彼女の薄っぺらなプライドを根底から粉砕したようだ。王妃は扇を投げ捨てるや膝から崩れ落ち、その場に蹲って泣き声を上げた。
「あああ! なんだってこんなことに! ……お前さえ大人しく死んでいれば、私の将来は約束されたものだったのに!」
突然、デイヴが狂ったように叫び出した。奴は懐から隠し持っていた短剣を抜き放ち、シーナめがけて一直線に飛びかかる。
だが、俺が動くよりも速く、白銀の閃光が弾けた。
「ガァッ!!」
凄まじい衝撃音と共に、デイヴの身体が石畳に叩きつけられる。ノースがデイヴの胸にのしかかり、その喉元に鋭い牙を突き立てようと大口を開いた。
「ひっ……! あ、あぁ……!」
恐怖で失禁しながらガチガチと歯を鳴らす男を見下ろし、俺はノースの頭を宥めるように撫でてやった。
「……お疲れさん。あとは俺たちに任せときな」
笑いかけてやれば、シーナの肩の力がふっと和らいだような気がした。




