またねっ
「えっと、青木くんはコーヒー好きなの?」
「えっ!? えっと~……」
ムーンバックスカフェの小さな丸テーブルの席で、俺は正面にいる初対面女子こと、小川陽菜の質問に戸惑う。
コーヒーなんて普段飲んだりしない!! 何というか苦みのイメージが強すぎて美味しそうと思わないというか。でもコーヒーの香りは嫌いじゃない! 現にこのムーンバックスカフェに満ちている香りは心地良い。そして、俺が注文したエスプレッソラテの香りも同様に。てか……、
エスプレッソラテってなに?? これ美味しいの?? 自分で注文しておいてだけども!
「……、こほん」
「いっ!?」
小さい咳払いにハッとした。エスプレッソラテに向いていた視線を、小川陽菜に慌てて向ける。彼女はどこか満足げにほほ笑むと、
「エスプレッソラテとは」
鈴音のような心地いい声音が俺の耳をくすぐる。
小川陽菜は、シンプルな銀縁の眼鏡を片手で少し摘まみ上げ、得意げに説明を続けた。
「コーヒー豆を専用機械にて高圧で一気に淹れたエスプレッソコーヒーに、ミルクを加えた飲み物なのですっ」
「ほ、ほう」
「エスプレッソコーヒーの濃い苦みをミルクで和らげつつも、コーヒの深い味わいを楽しめます」
「ほ、ほうほう」
そう言い終えると、小川陽菜は、ふぅー、と小さく満足な吐息をついた。俺は、ほうほう、としか言えず、なんだか情けない。
「ねえ、青木くん」
突然名前を呼ばれてドキッとしたのもつかの間、小川陽菜は少し身を乗り出し俺にそっと聞いた。
「エスプレッソラテの説明、分かり易かった?」
「あ、ああっ。わ、分かり易かった」
「そっかぁー。ふふっ、私もそう思います」
と、片手に持っていた文庫本を丸机にそっと置いた。
【コーヒー図鑑】
ん…………?、もしかして、先ほどの流暢な説明って………、
俺は小川陽菜の顔を見つめる。すると彼女は、楽しそうに微笑んだ。
「ふふっ、本の受け売りですっ」
「うっ、やっぱり」
やられた。眼鏡女子のインテリ雰囲気も手伝って、よく知ってるなぁと、ちょっと感心もしてたのに。
「あっ、騙されたぁ〜って、思ってる?」
「そ、そんなことはない」
「ふふっ。でもウソはついてないからね」
まあ、そうだけど。ちょっと腑に落ちない。
「じゃあ次は青木くん」
小川陽菜の瞳が、興味深げに少し見開いた。
次は俺? 一体何のことだ?
すると、小川陽菜はエスプレッソラテに人差し指を向けた。
「飲んだ後の感想を聞きたくてっ」
と、両頬に小さくできたくぼみと共に微笑んだ。
あどけない可愛さに、俺の心音が跳ね上がるなか、気になったことがあった。
俺は控えめに口を開く。
「えっと、エスプレッソラテを飲んだことないのか?」
その質問に、彼女は少しの間の後、照れ臭そうに頷いた。
「コーヒーの苦味がねっ、まだ得意じゃなくって。香りは大好きなんだよ」
それを聞き、俺はちょっと安心した。
ムーンバックスカフェに行き慣れていても、コーヒーの苦味には、互いに不慣れってこと。だから、今から初めて飲むエスプレッソラテに俺が苦戦したとしても、恥ずかしくはない。
俺は、丸テーブルに置いてあるエスプレッソラテを手に取った。プラスチックのクリアなコップ越しから伝わる冷たい触感に、喉の渇きがうずく。
小川陽菜が興味深げに見守るなか、俺はコップにゆっくりと口を付けた。
舌に広がる最初の味わいは、独特の苦味。コーヒーだっ。いや、当たり前なんだけど。
でも、不思議だった。
美味しい。
エスプレッソラテの苦味はほんのりとした感じで。ミルクが入っているおかげなのか、まろやかで飲みやすい。あと、ほのかに感じるミルクの甘さ良い。
うん、こういうコーヒーもあるのかぁ。んぐ、んぐ、んぐ。
一口飲んだ後も、俺は自然と続けて飲んでいた。そしたら、
「あのぉ………」
控えめな声音で問いかけられハッとした。
一旦飲むのを止めて、小川陽菜に目を向けると、ちょっと不服そうな目線で俺を見ていた。うっ、感想を求められていたんだった。は、早く言わないと。
でも、気恥ずかしくて中々声が出なかった。両頬が変に熱っぽくなってきて焦りが込み上げてきたとき、小川日菜が目を細めて小さく笑った。
「ふふっ、うん。言わなくてもすごく伝わりました」
えっ? そ、そう??
俺が何も言えずにいると、彼女はふわりと笑う。
「ふふっ、すごく美味しそうに飲んでたから。青木くんて、表情が素直かも」
「す、素直!?」
初めて言われたぞ、そんなこと。つまり俺は、感情が顔に出やすい!? それは恥ずいんだけど!?
「まあまあ、良いじゃないですか」
「いっ、いやいや! 良くないからっ!」
「でも青木くんの素直な表情のおかげで、エスプレッソラテがとても美味しいことがわかったから」
ありがとっ、と小さく笑った小川陽菜。彼女の瞳もその柔らかな笑みにつられて細くなる。可愛い表情と、無機質な銀縁眼鏡のギャップに、俺はまた鼓動が早くなる。
「こんどは私も頼もうっと。エスプレッソラテ」
「っ!? お、おう、良いと思うぞ」
「うんっ。あっ、私、もうそろそろ帰らないと」
そう言って、どこか残念そうな表情をしたように見えたが、きっと気のせい。非モテの俺の悪い癖だ。
俺が、そっか、と小さく言うと、彼女は席から立ち上がる。
俺は、手持ち無沙汰でまたエスプレッソラテを飲んだ。やわらかな苦味が心地いい、ん??
小川陽菜が、俺に本を差し出していた。
「はい、貸してあげる」
俺は、慌ててエスプレッソラテを机に置く。差し出された本をとりあえず受け取る。
「えっ、えっとー」
「私、毎週金曜日に来るの、大体この時間帯。だから、」
小川陽菜は、俺に少し顔を近づけた。そしてて、
また会おうねっ。
そう言い終えると、小川陽菜は満足そうな表情で、どこか楽しげに笑う。俺は、このときどんな表情をしていたかは、分からない。でも、変な表情ではなかったと思う。彼女の、親しげな笑みを見ながら。
バイバイ、と小さく手を振る彼女に俺も合わせて手を振る。そして、店の出入り口に向かう小川陽菜の背中を見送った。
1人、残った俺。
小さな丸テーブルに、本をそっと置いた。
【コーヒー図鑑】
鼓動が、慌ただしい。
なんだか周りの目が気になって、俺は残りのエスプレッソラテを飲み干す。
優しい苦味。気持ちが、落ち着いた気がした。コーヒーって………、なかなか良いもんだな。
この落ち着いた機を逃してはいけない。
俺は席から立ち上がり、歩き出す。
飲み干したカップをダストボックスに入れ、早足で店の外へ。
陽はだいぶ落ちて、薄暗い。涼しい風が頬を通り過ぎていく。
ふぅー、とりあえず、帰ろう。
片手の【コーヒー図鑑】の感触が変に意識されるなか、俺はまた早足で家に帰って行った。




