TUWの世界
1.
日本とはとても思えない夜空が視界いっぱいに映る。
砂粒のように小さな星々が夜空を隙間なく埋め尽くし、大地を空ごと蒼く、明るく照らしている。大部分の光源は、星が集中して敷き詰められそれらが流れていくように川になっている。視界の夜空の半分を占める天の川。静かな夜の、蒼い世界。
俺は思わず感嘆の声を漏らしてしまった。まるでサファイアで溢れた巨大な宝石箱を覗いているかのような。それだけじゃない。外れにある山の丘に立っているのか、眼下に町があった。西洋風の大きい町だ。建物の温かい灯りがその町だけを照らし包んでいる。ぼやけていて細かくは見れないがスケールがデカい。
突然、俺の真横に白い光が現れる。それは人の形をしていた。夜で暗い分、それは眩しかった。光が消えた後にそこには蓮が立っていた。そこで俺も蓮も神殿の跡地のような場所に立っていることに気が付いた。
蓮は目を見張った。俺と同じように感嘆の声を漏らした。すぐに意識を取り戻した蓮は、何で夜なんだ、と言った。そういえば夜だ。俺たちがゲームを始めたのは夕方の5時くらいだったはず。
「まあ今はどうでもいいか、奈那美は?」
「そういえばまだ来てないな」
辺りを見回すが、奈那美らしき人はいない。少しの人々が俺たちと同じように息を呑んだり、側をうろうろしていたりする。人がいることに今気が付いた。後ろは木々が生えていて森になっている。その木々はこの丘を視界にある町に向かって生え揃っていて、道標べになっているようだ。
「他にも人がいるんだな。ゲームのキャラだったりするのかな」
「いや、多分俺たちと同じプレイヤーだろう。あんな高性能な反応は見たことがない。今はTUWが流行ってるみたいだな。本当に死ぬっていうのに」
彼らは恐くないのだろうか。
「友綺?」
聞き覚えのある声だ。
「お、やっと来たな」蓮が声をかける。
「お待たせしてしまって申し訳ありません」奈那美が微笑顔で謝る。
その後、奈那美も夜空を見上げて、キレイ、と小さく呟く。瞳を大きくしてしばらく眺めている。
「まずはフレンド登録からだ」蓮が俺と奈那美にフレンド申請をする。「フリープレイヤー:レンがフレンド申請してきました。フレンド登録しますか?」と俺の目の前に白いパネルで表示される。
「これで、お互いの状況を詳しく知ることが出来る。これからのプレイの予定も立てやすくなる」
俺は「Yes/No」の選択肢で「Yes」を押し、質問した。
「メニューってどうやって開くんだ?」
「頭で念じて命令するんだ」
「それだけ?」俺と奈那美は聞き返す。
「それだけだ」
結構カンタンなんだな。頭の中で、メニュー出てこい、って念じたら早速、メニューを構成するそれぞれの項目が、バラバラに視界右端から飛び出してきて目の前で揃った。今までの白いメッセージパネルと同様に統一されたデザインのメニューだ。上から「マップ」、「装備」、「アイテム」、「ステータス」、「フレンド」、「コンフィグ」、「ヘルプ」、「セーブ」の8つが表示されている。俺は
「フレンド」の項目の先の、「近くのプレイヤーを検索」で「ナナミ」と表示されているアイコンをタッチする。「フレンド申請しますか?」の質問で、カタカナでナナミになってる奴でいいんだよな?、と奈那美に聞く。そうだよ、と返ってきたので「Yes」を押した。奈那美からフレンド登録されたことを確認する。俺のフレンド一覧には、レンとナナミが登録されている。レンが口を開く。
「マップを確認した限り、北にある『アドーミネムの宿場町』ってのはすぐそこに見えるあの町みたいだな」と、俺がさっき眺めていた町の方角に指をさす。
メニューの左上端にはHPとMPの緑と青のラインが敷かれ、その反対には時間と日付が表示されている。区別するように大きく表示されている時間は23時ちょうどで、日付は「2036/9/3/代四水曜」となっている。確かに今日は9月3日だ。だけど、俺たちは夕方5時に始めたはずなのに23時と表され、9月に入って一週目なのに第四水曜とはどういうことだろう。いや「第四」ではなく「代四」と表示されていた。何の表示だろう。俺がそのことを口に出すとレンが、
「俺にもよく分からないが、コウザカさんと合流した後で色々とこの世界について教えてくれるだろう。それより、装備やアイテムの確認をしよう」
そこで自分やレン、ナナミがフード付きのマントを羽織っていることに気が付いた。限りなく黒に近い茶の、赤墨色。肘までの長さのケープが、胸と肩回りを覆っている。材質は革だろうか。俺とレンは身体の前のマントが肌蹴ている。俺の腰には革のベルトで下げられ、同じように革の鞘で包まれた、剣が収まっている。レンは背中に鉄のヤリを背負い、ナナミは革のマントが全身を覆い、外に出ている腕の先には魔法使いが使うような杖を持っていた。全員が違うジョブを選んでいたみたいだ。皆、中世西洋の旅人といった風情を感じられる。もっと簡素なものだと思っていたけど、かなり重厚な見た目。カッコイイ。
俺はメニューで装備の確認をしてみる。シリーズ「旅人剣士セット」、武器:ブロンズソード、アクセサリー1:革のマント、頭:なし、胴:剣士の戦闘着、腕:剣士の小手、脚:剣士のブーツ、とある。ブロンズソードの攻撃力は10。防具の防御力も10。ただアクセサリーの革のマントは防御力が5だ。それぞれに重さの設定もあり、合計で5キロ体重が増えていた。装備を確認するまで気付かなかったが、装備の重量が5キロあると書かれていると確かにいつもより若干の身体の重みを感じる気がする。本当にわずかだけど。レンも武器以外同じようなものなので、ステータスは変わらないだろう。アイテム欄にはHPを回復するような物はなく、MPを現在の最大値50を全回復させる「魔法薬」が3つあるだけだ。かなり頼りない、危険だ。
他の規制の掛かっていない普通のVRゲームで剣を振ったことくらいはある。VRゲームは値が貼るから、体験版しかやったことがないが。その程度の腕だ。攻撃は防御なり。ブロンズソードを取り出してみたが黒く錆びついている。切れ味なんて考えたくないほどの頼りなさ。この世界のモンスターを倒せるのか心配になる。
レンはほんの少し瞼を開き、続いて気になったのか、地面の土を掴み始めた。レンの掌には掴んだ土がある。そこで驚きの表情を見せた。
「何か見つけたのか?」
「いや、大したことじゃない。このゲームのデータ量と造り込みに驚いただけだ。そんなことより、装備もアイテムも確認し終わったと思うがあまり頼りになりそうにない。もとよりゲームの運営委員会が俺たちを殺すようなもんだから、これが妥当だと思うが」
「確かに。慎重にいかないと危ないよな」
「私、サポートビショップっていって支援魔法っていうのが使えるみたいなんだけど、それが回復系の魔法がないんだよね」
「HPが回復する手段は今のところなし……か。これは相当だな」レンがぼそぼそと呟く。
その後は、その場にいる誰かが他のプレイヤーや俺たちを含めた全員を集め、話し合いをした。集団で視界の先にある『アドーミネムの宿場町』に向かうことになった。その間、レンは話を聞きながら意見は出さずメニューのヘルプを眺めていた。
それから10分ほど経って、今は夜で青になった草が踏みつぶされ、造られた砂利道を歩いている。さっきまでいた森の崖が後ろの遠くにある。俺たちプレイヤーが歩くその音だけが聞こえる。まだ最初だからだろうか、静かすぎる。モンスターも出て来ない。もっと狂気的な世界だと思っていた。
レンがネットで仕入れた情報によれば、ゲームクリアの糸口はまだ誰も見つけていないらしい。そして毎週のストーリーをクリアしていけばゲームから解放されるらしいのだが、延々と続いていくためまだ誰もクリアしたことがないらしい。
なあ、と声をかけられた。俺は話しかけられた。後ろを振り向くとその声の男が微笑んで、俺ケイタっていうんだ、お互い初めてのゲームだし仲良くしようぜ、と言ってきた。ああ、よろしくな、と俺も気さくに挨拶した。それから、このゲームに来た理由や目的などを話すことになった。俺は、警察が絡んでいる事もあって内容は簡潔に、友人探しだと言った。レンとナナミと一緒にこれからプレイするつもりだと。
ケイタとは話の馬が合った。彼も今の自分の住む社会に不満を持っているらしい。何でもかんでもナノマシンの指示があって、いちいち健康でいることを勧められることに慣れないらしい。昔はオーグなんて小うるさいものはなくて、皆自分のことは自分で予測して病気に対する予防をしたり自分の将来を目指していたという。祖父から聞いたと。彼も今の便利すぎる社会が嫌だと言った。
俺と同じだ。そうだよな、やっぱりこの社会は管理しすぎていると思う。
自販機の飲物を買うのも、電車に乗ることも、ありとあらゆるそういった生活の手続き全てにIDが必要だ。それに付け加え、最適な身体で在り続ける為にナノマシンの健康管理が一般化している。
医学は神の領域に達したらしいのだ、世間によれば。生活を管理することもその医学に入る。IDが必要なすべての行動は管理される、身体の状態も同じく。IDの認証は自分の行動ログ、ナノマシンの身体の管理は維持し続けるために誰かが見つめている。自分が行動した証をそうやって残し続ける。管理の眼に自分の全てを見つめられるために、管理の眼に自分の生き方を指示してもらうために。
考え方が矮小なのかなと思う。何故ならそんな管理大好き生活が現代の当たり前になっているからだ。
昔は抗えない自然の摂理があったそうだ。病死、餓死、貧困、格差、大災害。そんな経験をしてきた人たちがそんな事実を受け入れたくなくて今の社会が発展したらしい。その時代は全ての負に敏感に反応して、色々な所で目を向けられ解決しようと動いていたみたいだ。
身体の一部を亡くした盲人の部位再生、不治の病、差別、餓死、から、犯罪者の更生、借金返済の公的機関の手助け、思春期の不安定心理のカウンセリングなど行き過ぎたものまで。
望みたいように、与えられた自分という命が一人一人ちゃんと生涯を悔いなく過ごせるように。だから、そうやって今の社会が出来上がったのだと。
でも、
俺は現にこの社会を物足りなく思っている。何というか、あれこれ指示されたくない、と言うべきかな。そう思うのは俺と蓮くらいだと思っていた。でもここにもいた。他の人も思っていた。もしかしたら、こんな世の中でもいる奴は多いのかもな。
悲鳴が上がった。それほど多くない集団の先頭から。
前を向くと、列が乱れ始めていた。そしてその先には最初の町が遠くぼやけて見えた。森から降りてきたからだろうか。見下ろした時と見える景色が違う。
あれはイノシシ? それにあれはVRゲーム定番の痩せ細ったゴブリン? 飛んでる奴までいる。
敵だ。まだこのゲームを何にも分かってないのに、さっそく出て来やがった。
「構えろ、モンスターだっ」レンが叫ぶ。
痛っ、と叫ぶ声が聞こえた。痩せた黒い何か(さっき見えたゴブリンかな)が飛び込んで引っ掻いたような。呻き声を上げて悶絶する人もいた。痛い? ゲームなのに、どうして? 肩を押さえる者、尻餅をつく者がいた。VRゲームで痛みを感じた? どういうことだ? それぞれが赤く光る切り傷をつけていた。身体を構成する粒子が消えていくかのように宙をふわりと飛んでいる。
荒い鼻息を身震いしながら吐き出す、俺の腰辺りまでありそうなイノシシ。本でしか見たことないがおそらくイノシシ。10匹はいそうな黒く染まった痩せたゴブリン、白い点の眼がどこを見つめているのか分からない。そして手足は長い爪であろうものが生えている。
飛んでいる奴は、太ったコウモリ?
イノシシがこっちを睨んできた。俺を狙ってる? 獣の本能が俺を獲物として見ている。深く皺の刻まれた獰猛な顔面。突進してくる。蹄が地面の土を蹴り上げるたび、少しの泥がポロポロと宙に浮く。ぶつかる!
勢いよく、怒れるように真っ直ぐ突っ込んでくる。いきなりかよっ。無意識に本能で慌てた俺の身体は、身構えることに反応が遅れた。
足が縺れ、無様に尻餅をついてしまう。さっきまで俺のいた場所をイノシシが通過する。汗の臭いがした。一瞬間近で見えたその身体は脚の太股がゴツゴツした巨大な筋肉で隆起していた。泥のこびり付いた脚。一本一本が太く硬い毛がびっしり身体に、汗で濡れていた。
勢いを殺して滑りながら反転したイノシシは、今度は他のプレイヤー目掛けて突進していく。とても荒ぶっている。そのプレイヤーに、避けろっ、と叫んだが聞こえているのか分からない。咄嗟に叫んで主語が抜けた声は通じなかった。そのプレイヤーは後ろからまともに突進を喰らった。コンクリートの塊がぶつかったような鈍い音が鳴る。止まっていた息を吐き出すような音をあげる。コフッ、と情けない音が。そのプレイヤーに突進で倒れ込んだイノシシは後頭部を踏んで、元いた場所に走って行ってその場から見えなくなる。その人はゆっくりと立ち上がる。レンとナナミはっ?
立ち上がった俺はレンとナナミのいる所に駆け寄った。
「大丈夫かっ」
「ナナミッ、俺の後ろにいろっ」レンが必至になっている。数匹の太ったコウモリがレンとナナミに近づいている。それをヤリを前に振り回して追い払っているレン。
「どうすればいいの!? 何をすればっ?」誰にも問いかけずに、天にただ声を出しているかのようなナナミ。
あっという間に俺たちはモンスターと混戦している状態になった。
黒く線のように細いが、中身は筋肉のみのような素早い身体のゴブリン。その長い手足を使ってプレイヤーを引っ掻き、追い回している。コウモリは太った身体を使ってタックルしたり、噛みついたりしている。痛い、痛いとしか声を出さないプレイヤー。呻き声もある。
ケイタは? あいつはどうなった? いた。後ろの方で剣を抜いてはいるが防ぐことしか考えていないのか、その場しのぎの、形にならない防ぎでなんとかやり過ごしているみたいだ。みんな必死にモンスターの攻撃を防いでいる。ギリギリのやり取りをしている。ケイタも防御が間に合わなくなっていって、痛え、と言いながら防ぎ続ける。笑っている?
「ケイタッ」俺は近づこうとした。
目の前で飛び掛かった黒いのが俺の顔を引っ掻いた。突然現れて突然攻撃してきた。痛えっ、と思わず叫んだ。幼い頃、カッターで指を切ったことを思い出した。俺の身体は吹っ飛ぶ。砂ぼこりをあげて滑った。頬に1ミリ以上に狭く細長い面積に染みるようなヒリヒリとした、そんなような鋭い刃の切れ味を感じた。そこに触れてみると鮮やかなサラサラとした真っ赤が指に付着した。頬からおそらく鮮血であろうものが流れる。
俺はそこで初めて、この世界の傷と血を見た。
傷口から浮き放たれる赤い粒子。こぼれたコーラルレッドに光り輝く血は表示が荒くなり、デジタルポリゴンの形になって収縮、消えていった。
どうして? 痛い、すごく痛い。VRゲームで痛みを感じたことなんて今まで無かった。最近はゲームに触れてなかったから詳しくは知らないが度を超した痛みだ。
ありえない。
殺そうとしてる。
あいつらは俺たちを殺そうとしている。
HPが0になれば終わる、その言葉が自分を支配した。
逃げなきゃ。足がおぼつかなくても逃げなきゃ。死ぬ。意識したとき、視界の左上端にHPのラインがうっすらと現われた。緑があと僅かで黄色になりそうな所まで減っている。3分の2。
時間を掛けてゆっくり立ち上がった、途端に、目の前に現れたイノシシが俺に勢いよくぶつかる。胸の溝に顔面を突っ込まれた。息を吐き出す。再び、大きな夜空を見る。溝に痛みの跡が重く残る。胸が重い。鉄の塊でも置かれたのだろうか、潰れる。息が出来ない。視界いっぱいに広がる白の斑点と薄蒼い背景。逃げなきゃ。
「痛みだ! 痛みがある! これはきっと痛いってことなんだ!」ケイタの声が聞こえる。
ぼんやりとした視界の中で誰かが俺を覗く。誰かは俺の肩をとり引き摺っていく。視界が道とその先の人工の沢山の暖かい光を映す。しっかりしてっ、という音が聞こえる。
後ろで、これが欲しかったんだっ、お前は死んじゃダメだぞっ、じゃあな、と声がした。
その後、煙が勢いよく溢れ出たような光が、後ろから俺たちを通り越してやわらかに風に流れていった。そうして周りのモンスターがぞろぞろと俺たちを無視して後ろの光源に向かっていく。背後からしか、鈍い音や液体が飛ぶ音がしなくなった。視界の左上端に青いMPのラインが見える。ぼんやりしてハッキリしない。その上は何も表示されていない。いや、ちょうどそこの部分に不自然に赤い点があったような気がした。赤い星? 星にしては青いラインの上にずっと存在している。視界が緩やかに進んでいく中、目の前の男が黄色い斬撃を残しながら進んでいく。暗い茶のマントがひらめいている。その周りで無抵抗に存在を消していく、光のガラスが割れたかのようなフラッシュと消失するクラッシュ音。
2.
一体いつまで進んでいくのだろうか、意識したら静かになったような気がした。また意識したら建物があったような気がした。賑やかな声や生活音が耳に入っていく。また意識したら壁に寄りかかっていた。完璧に意識がハッキリしたのは、青いビンの小ボトルを口に含まれた後だった。視界の左上の青いバー、そこの上に緑のラインが左から右に進んでいった。キラキラする光に包まれながら。
「トモキ、わかる?」
「大丈夫かっ?」
「……ここは?」
「アドーミネムの宿場町だ、ここじゃHPは減らない。助かったんだ。やっとついたぞ」
そうか、やっとついたのか。力が抜けた。しばらく休みたい。
「ありがとう、他の皆は?」
「皆とはここで解散した、町に辿り着くのが目的だったからな」
「そうか……」
あっ、ケイタは? 出来て間もない友達がいない。一言くらい声を掛けてくれてもいいのに。
「ケイタも離れたのか?」
「あいつは町に向かう野道で1人残った。もう町についてから10分は経つが見かけない」
思考が止まった。ほんの少しの間だけ。
そうか、あいつ、もういないのか……。さっきまで一緒に喋っていたのに。ケイタと話していたのが、亡霊と話していたように感じた。ホントにケイタは存在していたのか。
正直な気持ち、ただの虚しさしかなかった。悲しみも殺された怒りもない。ケイタがいて、ケイタがいなくなった。そういう一瞬の出来事。
「君がトモキ君かい?」
突然俺たちに声を掛けてくる者がいた。レンが、
「ええ、そうですけど。誰ですか?」
「僕はマサトさんの仲間のシュウっていうんだ」
マサトさん? 俺たちは何のことか分からなかった。
「あ、失礼。コウザカ マサトさんの仲間だ。警察のゲーム調査チームの」
「彼は来ないのですか?」レンが質問する。
「あれ、君達を基地に連れてくるよう僕はマサトさんから言われたんだけど……、聞いてないかな?」
「いえ、この時間にここに来るよう言われただけですけど」
シュウと名乗る男の人は、溜め息をついた。
「全く、相変わらずマサトさんは適当というか。仕事くらいは真面目にやってほしいなあ……」
何か行き違いがあったみたいだ。
「付いてきてくれた僕たちの仲間はいないの? 今どこに?」
「誰のことですか?」
「はじまりの神殿跡地で仲間が声を掛けて案内してくれたはずだけど」
「そんな人いませんでしたよ」
「おかしいな、それじゃ君達だけでここに辿り着いたのかい? こんな時間帯で?」
すごいな、それじゃ金は溜まったはずだな、聞き取るのに苦労する小さな声で呟いて、
「とにかく、今マサトさんは手が離せないから、僕が基地に案内するよ。ミツヨシ君のことやこれからの事をそこで話そう。ついておいで」
とりあえず安心した。これからは警察の人たちがついている。一瞬だったけど、さっきの恐怖は長く頭の中にこびり付いているみたいだ。全く何も出来なかった。待ち合わせ場所に辿り着く前に嫌な思いをするなんて、最初は頭が真っ白だった。逃げることに、いや攻撃をかわすことにしか集中していなかった。
警察と合流するだけでほっとした。
俺は立ち上がる。レンとナナミとシュウさんに付いて行きながら、町を見る。
宿場町って、日本の江戸情緒あふれる建物が並んでいると想像していたけど、おもいっきり西洋の街だ。地面は石のタイル。確かに建物が集まって出来てはいるけど、この表通りは広いし、装飾の川が真ん中を通って道を2つにしている。普通の宿場町じゃない。川の上には等間隔に小さな橋が架けられ、途中で反対の道に出ることが出来るようになっている。西洋のインテリアのガス灯が幾つも線上に通りを照らしている。上を見れば左と右の建物をロープで繋いで色彩豊かな旗やランプの灯りが吊るされている。そんな光景がどこまでも続く。初めてこの夜空を見上げた時から、信じられないことに30分しか経っていない。戦闘に集中していたからか。
今は23時30分。そんな時間でもこの通りはプレイヤーやNPCであろう者が溢れている。武器を睨んで唸りをあげていたり、店の外の2階テラスでパーティーを組んでいたり、楽しそうにお喋りをしていたり。視界に映るすべての人たちが戦闘で生き残るための努力をしたり、人とのつながりを一生懸命に行っているように見える。人殺しのゲームだから必死に生きようと、人とのつながりが辛さを忘れさせてくれるから笑顔と会話を。多分そうなんだろう。
町はオレンジの温か味に包まれ、建物から上はこのゲームを始めた時に、初めて見たあの夜空が変わらず青い光を放っている。
本当に綺麗な世界だ。元いた俺たちの住む世界と別の感慨をもたらしてくれる。
途中で建物の角を曲がって、隙間の狭い路地にシュウさんが入っていった。暖色の表通りと違って、灯りが灯っていない。明るく賑やかな世界から夜の寒い道だけの世界になった。今日は疲れた、話をするまえに1日休みたい。
「あのぉ、疲れたんで今日は宿とって休みたいんですけど……」俺はシュウさんに聞いた。
「もう少しで基地に付くからそこで休んでいくと良いよ。宿はギルがかかるしね」
宿代が浮くのは非常に助かる。救われた。安堵した。
窮地を超えて一安心、お金の心配なく疲れを癒せるなんて。
ありがとうございます、と礼を言った後はしばらく無言だった。いくつ数えたか分からないほど角を曲がっていった。今自分達がどこにいるのか分からない。
それにしても広い。最初の町にしては、村なんて規模じゃない。もう大通りの賑やかさも全く感じないほど歩いている。
「ここが僕たちの基地だ、さ、入ってくれ」
扉の取手を開けるのと一緒にそう言われたのは他の周りの建物と変わらない、溶け合っている家屋だ。ようやく着いたみたいだ。案内でもない限り、大通りには戻れそうにないな。
扉を開けて通された先は拳闘場のように真ん中を広く開けられた殺風景な部屋だった。天井から巨大な、それこそ天井の半分はあるんじゃないかと思うほどのぼやけた明るい灯りと大量のホコリの曇りが混ざって部屋の中央がぼやけている。隅にバーのテーブルやイス、丸テーブルがあり、そこに乱暴に腰かけたプレイヤーが5、6人はいた。
「すいません、ボス。これだけしか釣れませんでした」
「お、新しいエサか? やっときたか」中にいた、もはや巨人のような体格をした筋肉だけの男が言う。
俺たちは背中を蹴られた。拳闘場の真ん中に俺たちは無様に倒れ込む。
「ああ、そうだよ。お前は相変わらずレベルアップのことしか頭にないんだな」シュウさんが答える。
「ボスは? それにイベールさん達も見かけないが」
「ボスとイベールさん達は隣町の集まりに出かけていったぜ」
「ああ、もうそんな時期だったか。外と行ったり来たりしてると時間の感覚が鈍るな」
「ハメられたか」レンが舌打ちする。片膝をついて立ち上がろうとする。
シュウさんが立ち上がろうとしたレンの頭めがけて足の底を振り下ろす。床に少しヒビが入る。レンが痛みを堪える声を出す、頬を拳闘場の床に押し付けながら。
「な、なにしてるんですかっ」思わず出た声は上ずって、男たちの笑い物にされた。
後ろから蹴られたんだ。シュウさんしかいないのだから、言わずともそう導き出すしかない。
シュウさんは目元を隠しながら笑いを堪え、垂れた髪をかきあげた。
「ただのプレイヤー狩りだよ、トモキくん」
プレイヤー狩り? レンは足を払おうとするがシュウさんは全く動じない。シュウさんの頭の上にHPと「Lv.53」の文字が現れる。レンの頭上はHPがよく見るとオレンジになっている。レベルは2。圧倒的。ナナミのHPはイエロー、ゲージの半分がない。レベルは1。俺もナナミと一緒で戦闘行為をしていないので当然、レベルは1。
「君達さ、結構バカだよね。このゲームが広まったっていうのに。お外で堂々とプレイします宣言なんかしちゃってさ」
「だから、一体……何を?」声がどもる。
ナナミを見るが戸惑いを隠せていない。
「ダメでしょー、ゲームのルールも分からないでプレイしちゃ。プレイヤーがプレイヤーを殺せば、1人殺せば1、2人殺せば2、レベルが上がるんだよぉ」
「俺たちは死にたくねえからカモをエサにするわけだ、わかったか?」
ありえない、こんな事が。殺す? 騙されていた。
「人の多いとこで宣言だけじゃなくて、ベラベラ理由まで喋ってくれるんだから、もう騙すための演技がしやすかったよ」
デパートの広場のことだ。最初からこいつらに聞かれていた?
ありえない。人間に殺されるのか? モンスターにじゃない。同じ人間に。
シュウさんが、取り出した剣をレンに向ける。青銅の鈍い輝きがギラつく。
「ミツヨシくん? ってさあ、TUWのシステムに関係してるんだって? 何かをやらかそうってことだよね? ついでだからそれ教えてよ」
何だって? ミツヨシがTUWのシステムに関係してる? 一体何の話だ。
「俺たちはミツヨシについては何も知らない。知ってるのは警察だけだ」レンがシュウさんを睨みながら答える。
「そう……それは残念だ。元より期待なんかしてなかったけど」
剣を振り下ろそうとする。レンが死ぬ! そんなの認めるかっ!
俺はシュウさんに抱き付く形で体当たりした。ショックから早く立ち直ると思っていなかったのか、隙を見せていたシュウさんは脇からの衝突を無抵抗に受けた。ホコリが舞って互いに倒れ込む。
てめぇっ。シュウさんは悪態をつく。レベル差の力で強引に引き剥がされ、腹のど真ん中を溜めた力を放つように乱暴に蹴られる。腹を蹴られたことで三日月型に湾曲した俺は地面が霞むように流れていくのを一瞬見て、次に堅い壁に打ち付けられた。木材の軋む音がした。視界がぼやける。耳鳴りがする。腹と背中にどんよりとした痛みが居座って動かない。また息をするのが苦しい。それが苦しい。イノシシの突進の時と同じ感覚。
イエローだったHPゲージが赤の一点を残すのみになった。やらなきゃやられる。やらなきゃ考えるための手立てを稼ぐ時間も作れない。一瞬たりとも。逆らうことで恐い目に遭うと分かっていても、殺されるよりマシだ。
昂坂さんは来てくれるだろうか。そのための時間稼ぎをしよう。
レンが立ち上がり、俺の名を呼ぶ。ナナミとレンが駆け寄る。
いや、まだこっちで会っていないのにどこにいると分かるだろうか。いないことに気づいてもおそらく見つけることは出来ないはず。
……。
自分達でどうにかしなきゃ。
恐い。奴らに対して、恐怖に対して抵抗することが恐い。
でも死んだらそう思うことすらできない。何より死ぬ瞬間の恐怖を味わいたくない。
考えろ、考えるんだ。考えなきゃ、死ぬっ。
溜め息をついたシュウさん。
「……そうだ、久しぶりに楽しませてくれよ。セコいやり方で逃げてばっかで、我慢できないんだ。圧倒したいなぁ」
2人に助け起こされた俺はそんな言葉を聞く。人が人を殺す、何の後ろめたさや恐怖を感じることなく、抵抗感なく。俺は奴らを睨む。
「まあ、今回は俺たちの独断でやったことだし? わざわざぶっ飛ばされるのは癪だから、俺たちのつまみってことで」
「どうするよ、レベルの配分は?」
「それな」
レベルアップのためだけに俺たちを。どうやら本気で言っていたみたいだ。どうしてそこまで、レベルアップにこだわる。
「とりあえず、俺はちびちびと追い込みながら恐がる所がみたいな」シュウさんが言う。
賛成だわ。と声がする。全員が剣を取り出す。
レンはオレンジという5分の2ほどのHP。ナナミはイエローで半分、一番体力が残ってる。俺はというと、レッドゾーン。それも1ミリほどの。
「自分にスキルや技があるか確認しろ。それと俺のも見ておけ」レンが突然言い出す。目の前に白いパネルが文字を映し出す。スキルは「攻撃力アップ」。技はなし。
えっ? ナナミは聞き返す。まだ呆然としている。
それもそうだ。女の子がゲームをする。ゲームの感覚も知らないうちにこんなことになるんだ。そのうえ、戦争も過去のものとなったこの時代で自分の命を狙われる、なんて感覚。受け止められるわけがない。
まだ自分が本当に殺されると思っていないのだろう。何かの冗談だと。
自分が勝手に取り違えて考えてるだけだと。
自分が間違っているのだと。
でも、事実だ。慣れないが事実だ。それが今この瞬間の事実。俺も受け止めなくちゃならない。でも、こんなHPでナナミを、そしてレンを助けられるだろうか。何より次攻撃を受けたら、俺はそれで本当に死ぬ。身体の震えが勝手に。
モンスターに襲われてHPが確認しづらかったあの時と同じ。猛烈に気怠さと体の重量を感じる。こうして考えるのも、無理矢理なくらいに。
何をしたらいい? 何とかしてあの扉の向こうに、外に出なきゃ。
男が動き出す。シュウさんは後ろで試合を楽しむように見ている。周りのプレイヤー達は俺たちの周りを歩き出す。ヘラヘラしながら、しかし構えながら。
レンがヤリを突き出し、男がそれを横に跳んでかわす。もう一人のバンダナは横から剣を振り下ろす。それを前転でかわす。その前転はただ転がるだけじゃなく、腕から身体をひねるように回転させ着地の時の身体の位置を、バンダナに向けていた。地面を蹴ってその相手に突きかかる。剣で真横に弾かれる。その勢いで体勢を崩し、四つん這いになるレン。最初の男が腹目掛けて蹴り、レンは吹き飛ぶ。吹き飛んだ先の木箱やタルをぶちまける。中身ごと。割れたビンの破片。駄目になった果物が汁を垂らしている。
「レンッ!」シュウさんよりもレベルの低い男の蹴りは、レンのHPを削ったが奇跡的にまだオレンジゾーンだ。
レンは重い一撃を喰らってもひるまず、突っ込む。俺も何かしないと、何かしなきゃ。あ、スキル。それに技は何がある?
レンはまた突きの攻撃。顔を狙われたバンダナは笑みを隠さず首を傾げてかわした。それがいけなかったのか、突きは、腰を落として力を入れた横薙ぎに変わる。すごい。こんなにも戦い慣れているなんて。だがそれでも、食い込み浅い切り傷しかつけられなかった。バンダナは刃が斬ったことに痛みを感じた。
コーラルレッドの光輝くそれは僅かな浅い切れ込み。傷口から浮き放たれる赤い粒子。赤く光る傷跡、ダメージ。レンは驚いた表情をした。相手のHPが多少削れた気がしたが、その程度だ。首が落ちると思ったが、レベル差なのか? レンのその残虐的な行動に吐き気がした。人が人の首を斬り落とそうとした。
「ナナミッ、何か補助系の技もってないのかっ?」俺は焦りを感じながら聞く。俺のスキルも技もレンと同じ。「攻撃力アップ」に技なし。
「えっ、えと。……」ナナミは動かない。ダメだ。混乱している。
クソガキがっ。バンダナが悪態をついて、剣を横に思い切り振る。レンは受けた時の衝撃を身体で吸収するつもりかヤリを身体にピッタリつけて防ごうとした。だが防ぎきれずにこっちまで吹き飛ばされる。
まずい。非常にまずい。レンのHPがレッドに変わった。レンだけじゃ絶対に無理だ。死んでしまう! とにかく何も考えず走り出した。
「トモキ、1人で突っ込むなっ」レンが叫ぶ。
俺は手前のバンダナに突っ込む。最初にレンの攻撃をかわした奴や他のプレイヤーは、戦闘半ば野次半ばのようにやる気があるのかないのか分からないが俺たちの周りを囲み終わる。
俺は目をつむってその男に斬りかかった。やっぱり恐い。だけどそれに感触はない。ダークブラウンの剣線が虚しく消える。
「なに、歯食いしばってんだよ?」嘲笑う。恐いのか? と挑発された。
「恐いよなぁ、それが普通だぜ? スカしたガキは最初から覚悟あったがなぁ」
「ほらほら、ぼっとしてると女もスカしたガキも殺しちまうぞぉ?」
その言葉に憤りを感じた。ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなっ。
「おいおい、ちゃんと当てろよ~。そんなんじゃコケちまうぜ」
接近して斬っても斬っても当たらない。剣の筋を見られてる。無様にもめちゃくちゃに振り回してる。隙をつかれて肩に手を置かれ強く振り飛ばされる。地面に摩擦を感じながら滑っていく。
片膝をつく。やっぱり人なんて斬れるわけない。それに俺の体験版程度の剣術ではやつらを倒せない。
考えるしかない。周りを見る。
レンが吹き飛ばされて散らかった木箱やタルの中身が目に入る。ビンの破片だ。そして天井には鉄の分厚い傘のついた灯り。破片を掴めるだけ掴んで投げ付けけん制して、この銅の剣を灯りに投げる。重量のあるあの灯りを男の脳天に直撃させれば、このボロボロに錆びた剣よりよっぽどダメージを与えられそうだ。
ダメだ。さっきみたいに意識が遠くなる。またあの気怠さ、身体の重さ。かぶりを振って意識を保つ。
側のビンの破片を一掴みし、とにかく投げる。投げまくる。
「おいおい、頑張れよ~」男は言いながら自分の視界を腕で遮り、身を守る。
今だ。立ち上がって、剣を槍投げのように握って構える。思い切り腕を振って天井目掛けて投げる。天井と灯りの鎖の繋ぎ目に的より大きな剣の刃が断ち切る。呆けた眼で男は剣を追い、そして灯りが急激に大きくなることにきずく。鉄の塊がガツンと落ちる音、光源を覆うガラスの割れる音、男がそれらにぶつかる音、倒れる音。盛大にやらかしてしまった。それでいい、相手は敵だ。モンスターと同じだ。
苛立つようにそれらを投げ捨て、どける、立ち上がる男。赤く光る流れる血。赤い粒子が砂粒程度に浮いて、消えていく。
「痛えなぁ、今のはきいたぜ」一番最初にレンに攻撃を仕掛けた男。そのフルゲージのHPはレッドゾーンに入っていた。落下物の力は凄い。
「けど、もう攻撃に使えそうな大がかりな物はねえなぁ。そこの手放したなまくらの剣で斬れるのか?」向こうの地面に落ちた俺の剣を見ながら言う。
おもわず腰をついた。そうだ、まだ倒せていない。それにフルゲージの敵はまだ何人も残ってる。力が入らない。カクンと間接から折れ落ちる腕。大の字に寝てしまった。頭が真っ白だ。
どうやって生き残る? どうやって逃げ延びる? レンと俺のHPやナナミの混乱、それらを見て戦える余裕はないと確信する。
戦えない。力が入らない。
「よけろよ~っ」他の男が剣をかざしてこっちに飛び上がってくる。仰向けからうつ伏せに力を振り絞り、なんとか替えてかわす。
俺のHPが赤くなってから、息が上がってばかりだ。これ以上は絞っても力が出ない。目線が揺れる。
ナナミ、突っ立ってる場合じゃないぞ、お前の力も必要なんだ。それに、足掻かないとお前も死ぬぞ。死ぬのは見たくない。
3.
あれからどれだけ経った? 何時間もやり過ごしているように感じるが、10分、20分程度だろう。他のゲームでも、VRに関わらずテレビゲームでも戦うことがあるが、戦闘行為は以外と時間が短い。足が思うように動かない。
腹から声を出したつもりだが、かすれて聞こえていない。振りかぶった剣は地面に金属音を、堅い物が乱暴にぶつかった音をだした。その場に膝から倒れ込む。全く的が外れていた。足のつま先から頭のてっぺんまで痺れる。小刻みに全身が震える。それらをもう何度繰り返しただろうか。
「そろそろお開きにするか。俺はこいつな」男がレンに馬乗りになり剣を振りかざす。
「おいおい、いきなり始めるなよ」じゃあ、俺はこいつだ。と、そう言ってナナミの首を捕まえる。
チクショウッ。うつ伏せに横目で俺はナナミとレンを見る。また視界が霞む。
マントから肌蹴た剣士の戦闘着の襟袖を掴まれ、持ち上げられる。
何でこうなる。何なんだ、この光景は。
レンが馬乗りの相手の腕を弱々しく掴む。その腕は震え、息が上がっている。
ナナミが首を掴まれながら、壁に打ち付けられる。剣を向けられる。
こんな所で終わりなのか? 冗談だろ。
レンが半ば諦めているのか、力が入らないのか、半目で虚ろに呆けているのがぼやけた視界からでも分かる。
ナナミが殴られ、口から血を流している。嫌がり、泣きじゃくっているのが分かる。
ふざけるなよ。
こんな終わり方って、ないだろ。
何したら、こんな目に遭うんだよ。
俺たちが、俺が弱いから? そうなのか? だから死ぬしかないのか? 俺たちだって、弱くても人間だぞ。本当に殺すのか?
ありえない。
扉が乱暴に開けられた。
俺たちが入ってきたあの扉が開けられ、そこには男が立っていた。
真っ赤な、ワインレッドの、前を片方の右肩まで肌蹴させたマントを纏っている。踊り燃えるように装飾の施されたそのマントの下に、着物の装束が覗いていた。マントの肌蹴た肩の下の腕は戦闘向きにしては薄く小さい和手甲に包まれ、手の平は握られている。足は忍者の履くもののように膝から下は黒い布で足のラインが分かるほど強く巻かれていた。そして黒い足袋。前髪をかきあげた黒髪。暗い黄色、そのオリーブの眼は、若干のネコ科動物を思わせる。その眼は、切れた瞬間の冷めたオーラを醸し出していた。途端
「てめえらっ!」もはや獣の咆哮とでも言わんばかりの声音を出した。空気が振動を起こし、その微動が俺の頬を通して感じる事が出来た。
「あっ、あれは……」男が尻餅をつく。
「……あの赤いマントに、武士の装束っ」恐怖の対象に出会ったとでもいうような口振り。俺の首を掴んでいた手を放す。空気を思い切り吸い込む。そして吐き出す。腰から地面につく。
「朱雀炎舞うぅっ!!」シュウさんが男に突っ込む。雷を帯電し、今にも暴走しそうに震える剣を突き出した。男はその場に棒立ちになったまま、表に出した腕で剣先を握り止める。マントがひらめく。溜められた電気は外に解放され、少量の血を垂らした腕から、身体に感電した。残りの電気が空気中に拡散しながら。
殺してやる、殺してやる。と吐き出すシュウさん。
「へえ、恨みを動力にして得た力はこの程度か。ならず者に加えて半端者、要らない命だな」冷たく言い捨てた男は剣先を握りつぶす。
男のHPとサカトという名前、レベルが表示される。
レベルがおかしい。
10114。
確かにそう書かれている。ありえない、桁数が違いすぎる。こんなプレイヤーがいるのか。
シュウさんは驚く。1万? と微かな声を出した。手にしていた砕けた剣を落とす。
「やっぱここらへんじゃ、武器すら使うまでもないな」そう言って拳を構える男。
あ、と弱々しく口から漏れるシュウさん。途端、シュウさんは吹き飛ばされる。俺の横を通って、何かにぶつかる音がする。ナナミを捕まえていた男とぶつかった音だ。拳は前に放たれ、武道の残身をしているかのように殴ったまま構えは解かれない。腕や足、頭、胴体が沢山打ち付けられていた。それぞれの付け根は赤く光って大量の粒子を浮き放っていた。どうなってる? シュウさんと男は壁に打ち付けられていた。そういう事だ。間違いなく、吹き飛ばされたのはシュウさん達。壁の石が大きくえぐれ、地面に瓦礫が溜まっている。一瞬の出来事、拳が突き出された所は見えなかった。
そのまま、シュウさんと男は光に包まれガラス細工が破裂するように爆散する。モンスターだ。モンスターと同じだ。プレイヤーも。
シュウさん達はプレイヤーだよな? モンスターじゃないよな? 同じように消えていった。何の躊躇いも無く、システムに消されていった、男によって。
男は構えを解き、その眼で俺たちを見つめる。
「今回、とても言葉じゃ済ませない事をしたな、悪かった。もう遅刻はしない」
そのままこっちに歩いてくる。
残った5人は意識を取り戻し、尻餅をつく。この場に立っている者はレベル1万の男ただ1人。レベル1万、その数字はシステムによって刻まれた疑いようのない力の証。
その存在は大きく、歩く音、身体を動かすこと、その眼が見つめていること全てに恐怖を覚えた。また同じ震えが俺を支配する。
動かない、動けない。
動かせない、震えるだけ。
意識を保っている、保っていない、ぼんやりしている。
「お前ら……」
残りの5人が身体をはねる。
「何人殺した? 今まで……」
俺の目の前にいたレベルの一番高い大柄な男、「Lv.51」が
「お、俺は1人も殺してねえっ、ウ、ウソじゃねえ、地道にモンスター倒して……」男に持ち上げられる、巨体が。まるで筋肉質な巨体など形だけで中身は空っぽだと言わんばかりに。非常に奇妙な光景だった。仮想世界だから出来る事、そういう事だろう。
「仕草を見れば分かる」そう言って男はゴミを乱暴に捨てるかのように放り投げた。男の目の前に巨体が落ちて来た瞬間、
下半身と上半身に別れた。横一文字に赤い光が走る。別れた間に映る赤い血飛沫という名の粒子、男の研ぎ澄ました表情、横に振られた手刀。
落ちた上半身と下半身が目の前に。その接合部は赤い。中は空洞で血と同じ赤だ。ドットで構成されたかのような網目状のラインが体中を走っている。ただそれだけ。
自分達はこの世界において、物を構成する物体、街や外、森、空、そしてモンスターと同じようにデータで出来ているんだと知った。
データイコール命。全てが同じ物で。
それは光に包まれガラスのように割れ、弾け飛んだ。それがこの世界の死。男の存在は証拠1つもない、完全な無。一瞬。
男は次々と動かない敵を、尻餅をついたままの敵を消していった。1人を残して。そのプレイヤーに
「お前はまだ畜生じゃない。勇気を持ってこの町から歩みだせ」力が抜けたのか、そのプレイヤーは倒れ込む。意識を失ったみたいだ。
「これがこの仮想世界の物理だ。レベルで簡単に差を開けることが出来る。……」
男は俺たちに向かって話す。
弱い奴は死ぬだけ。
過去に何があったか、
どんな生き方をしたか、
どれだけ強い信念があろうとも、
どれだけ強い復讐心があろうとも、
関係ない。
ただ、技術と物理のみが結果を決める。
「まあ、そんな事より」安堵の表情を浮かべた。
「お前らが無事でよかった。真っ直ぐ前を見つめ続けてる奴が死んでいくのは、いつ見ても耐えられん」
あ、その声は。
「昂坂雅斗だ。覚えてるか?」
ああ、もう緊張しなくていいんだ。張りつめた空気が溶ける。
全身から力が抜けた。目の前が真っ暗になった。
5.
背中に感触がある。暖かい布に包まれている。
思わずあくびがでた。木で出来た天井を見ている。ここは? 小鳥が泣いている。
部屋だ。横目で確認する。木のベッド、木の棚、透明なガラス花瓶、その水に浸かった紫の花、石で出来た床と壁。真夏のような明るい陽射しが開け放たれている窓からベッドに差し込む。そんな場所で寝起きを向かえる。中世の西洋人として暮らしているみたいだ。
木のイスにもたれかかる昂坂さん。寝ている。ああ、ゲームか。ここはゲームの中なのか。
身体を起こす。しばらく頭が覚醒するのをぼんやり待つ。
久しぶりの心地良さ。こんな不思議な寝覚めは初めて、いや久しぶりだ。少し身体が気怠い。伸びをする。それにしても不思議だ。何でこんなに気持ちが落ち着くんだろう。現実にいた頃でも、この空気はちょっと思い出せない。
外だ。外が見える。窓から昨夜の通りが見える。外を知りたくて、ベッドから出て昂坂さんの脇を通り、窓に歩み寄る。
快晴の青空の元、昨夜見た通りとは印象が違った。中世の街だ。それはそうだが、白煉瓦で出来た通りや建物。昨夜の大通りではないのだろう。通りの真ん中に川は流れていない。それに少し通りは狭い。川の代わりにこの窓まで届く緑の葉の生い茂る木が生えていたり、花壇がありそこの鮮やかな色とりどりの花や緑の雑草が目に映る。花に水をやる主婦、外を走り回る少年達、花を摘んでいる女の子。ここがゲームなんだよな、信じられないくらいに安らぐ風景。なんかいいな、こういうの。安らぎに心が落ち着いていく。
いや待て、ここがゲームなら外にいる彼らは? プレイヤー? 主婦、少年、少女。皆ゲームを、やっているのか? レンが言っていた。子供もこのゲームに手を出していることを。だとしたら不自然だ。彼らが皆プレイヤー? 奇妙な感覚を味わった。
「起きたか」唸りを上げて昂坂さんが目を覚ました。
「気持ちいいだろう、この世界は」
「おはようございます。あの……、昂坂さん、外の人たちは? プレイヤーですか?」俺は少し焦りながら聞いた。
「下の名前で呼んでくれないか? 苗字は好かん。外のは皆モブだ。生身の人間じゃない」
「あっ……」そうか、何も考えてなかった。
「寝惚けてるのか。その様子じゃもう回復したみたいだな」その顔は笑っている。細くなった目だけを見た。ネコ科動物の眼。それで思い出した。
昨夜のプレイヤー狩り。傷つくレンとナナミ、男たちを葬った昂坂さん。
「レンとナナミはっ、どうなったんですかっ?」
「安心しろ、2人とも無事だ」
良かった。ホッとした。2人とももう下に降りてる、と昂坂さんは言った。
「どうだ、後悔したか?」
それは……。
「光義を探すって、息巻いて友達も巻き込んじまってな。向こうにはない世界、感動、命を噛みしめる瞬間、恐怖。初めてだらけの刺激だったろう」昂坂さんは言う。
「初めて死に掛けた感想は?」
そう、強い刺激が立て続けに流れた。普段見ることのない星空、行き止まりなんて見当たらないどこまでも見渡せる草原、西洋の街、暖かい光、そして、モンスター、プレイヤー狩り、痛み、血、命を狙われる恐怖、違和感。
震えが出て来た。抑えられない。身体が勝手に。
最初にこのゲームに手をだそうとした動機は刺激が欲しかったから。確かに手に入れた。最初はモンスターと戦うこと、その生身の命をやり取りすること、世界を冒険すること、感動すること。それらのために。でも、いざ味わってみると恐いと感じた。そしてそれに気づくと今度はもう味わいたくないと感じた。それらを含めてカッコいい人生になる、憧れの生き方が出来ると思っていた。いざ感じてみれば、幻滅だ。恐怖なんか要らない。楽しいことだけ欲しい、と思った。いやそれは違うな。もうプレイしたくないと思った。どうしてこんなものに手を出したんだろう、と。
「恐かったです、もうプレイしたくないと思いました」声が震えてしまう。
「何でこんなもの手出してしまったんだろうって……」
おいおい、暗くするために聞いた訳じゃねえんだ。と昂坂さんは慌てる。
「生きてる、そう思っただろう?」
言葉が胸に響いた。
そうだ。この世界の広さと美しさに感動を覚えて、自分の命が狙われて自分に命がある事を知って、そんなの現実で生きてたら気付けなかったことだ。
そう感じた途端、お腹が鳴った。
「この世界でも空腹は感じられるんだぜ? 下に行こう、飯が待ってる」
マサトさんと宿の1階に降りてみると、そこは宿の広間だった。入り口があって真ん中に丸テーブルがある。その奥には受付のカウンターがあった。部屋の真ん中のテーブルにはレンだけが座っていた。何か考え事をしているみたいだ。ナナミがいないことが心配で聞かずにはいられなかった。
「ナナミは?」
「ログアウトしたよ。顔に表情がなかった」
「さすがに刺激が強すぎたか」マサトさんは言う。
「そりゃ、女の子が命狙われて殴られるんですからね、警察はまた間に合わなかった訳だ」レンは大人に対する尊敬や人としての礼儀を弁えず、わざと狙ったように言った。
また、とはどういう事だ? マサトさんは沈黙している。
とにかくナナミが心配だ。プレイヤー狩りの男達に俺やレンだけがいたぶられたわけじゃない。女であるナナミも例外なくあいつらは襲った。最初からナナミは思考停止していたはずだ。自分が命を狙われていると認識できないまま、何度も顔をぶたれ、殺されかけたんだ。ショックは相当なものになったはずだ。
「とにかくナナミの様子をみよう、マサトさん、プレイは日を改めてからでいいですか?」俺は提案する。
「俺も賛成だ、警察に意見を聞く必要はない」レンは頷く。
「1週間でプレイを再開するぞ、プレイ時間を稼がないと生きていけなくなるからな。これだけはゲームのルールだからどうしようもない」マサトさんは言う。
「分かりました。それじゃあ、また後で」俺はそう言ってメニューを呼び出し、一番下のセーブからログアウトした。
ナナミ、トラウマにならなければいいけど。
不安を抱えながら、白い光に包まれ自分がこのゲームから離脱するのを感じる。