笑い合う二匹
ひとまず余所者の我々は客間へと押し込められた。「おとなしくしていろ」といわれたが、ヒイクの巣窟で落ち着いていられるわけもない。気張る必要のなくなった氷雲がのんびりと寝ころがっている周りを、私はぐるぐると歩いて回った。
「兄ちゃん、目が回っちゃうよ」
氷雲が眠そうな声でいった。透に食べさせてもらったものがだいぶ腹にたまっているようである。
「しかし、落ち着かん。いきなり話が違うではないか。おそらく栄が家督に話を通すと主張したのは、ヒイクの因習の一環だろう。家督がいないとなると、我々はどう扱われたものか、分かったものではないぞ」
氷雲は興味がなさそうにあくびをした。
「大丈夫じゃないかなぁ。それより、今は休める時に休んどいたほうがいいよ」
「今日はそれほど多く歩いていないだろう」
「兄ちゃんをこのまま歩き回らせてたら、今日歩いた分の倍になるだろうけどね」
めずらしく皮肉っぽいいい方をするものだから、片ひげを揺らして見やると、氷雲はころりと体を転がせて仰向けになった。
「兄ちゃんはやっぱりヒイクが嫌いなの?」
チュダイにとって、この質問はなんとも奇妙である。それはたとえるなら、息をするのが好きかどうかを訊ねられたようなもので、ともかく好き嫌いの以前にチュダイとヒイクは相容れないものであることを信じて育った私には、ヒイクに良い印象を抱くというのが想像だにつかない。
ただ、単純に嫌いというわけではないことは、少しずつ身に染みていた。栄もいっていた、チュダイとヒイクが種としては同一のものであるという話は、しばらく栄と行動を共にしているこの短い間にも、ますます信憑性を帯びてきている。栄は私と同じように親のことで悩む若鼠であるし、透がみすぼらしい我々にためらいなく救いの前足を差し伸べたのは、由依花と同じように心根が良い者だからであろう。
ヒイクを疎んじてきた理由は、もはやそういうものだという概念であったが、さて実際に関わったところで、危害を加えられたことはあっただろうか。
「さあな。分からなくなった。やはり好きではないがな」
私がうなる頃には、氷雲は寝息を立て始めていた。
氷雲の規則正しい寝息を聞いているうちに、私も少しうとうととしてしまったらしい。尻尾の先を蹴り飛ばされて、はっと目が覚めた。
「暢気な奴だ。おい、丈」
栄があきれた声でいった。わざとらしく偽名で呼んだのは、透が近くにいることをさりげなく教えてくれているのだろう。私はできるだけ恐縮しているふうな声を作った。
「失礼。なにせ、久しぶりの棲み処だったのだ。あまりに居心地が良くて」
ヒイクに向かっておべっかを使わなければならないのはしゃくに障るが、透に怪しまれて良いことはあるまい。私は今まで演じた舵谷丈の性格を思い出して、少し大げさにへりくだることにした。
「私のような宿無しにとっては、整えられた床があるだけで値千米というもの。寝ていて小石が腹に突き刺さらないのは、いや、何年振りか、まことありがたくて、涙が」
「ええい、もういい。さっき話し合ったのだが、知ってのとおり今は家督が不在だ。代理には俺ではなく透が立てられている。分かっていると思うが、家督に話が通らなければ、余所者をどうこうすることもできないから、しばらくあんたたち兄弟にはこの家に泊まっていってもらうことになった」
「それはありがたい。願ったり叶ったりだ」
口調だけは真摯に応じながら、私は栄の胸ぐらへ飛びつかんばかりに身を寄せた。
「話が違う」
小声でいうと、栄は目を泳がせながら私の肩をとんとんと叩いた。
「家督代理に権限は少ない。だが、現状俺には代理ほどの権限もない。透が親父に取り次ぐべきだといってくれたことに、むしろ感謝しろ」
どうも、栄にはどうしようもないややこしい事情、おそらくヒイクの因習があるらしい。歯がみしながら引き下がると、栄はチュッと咳払いをした。
「ああ、丈、氷、ぜひゆっくりとしてくれ。特に、透が氷のことを心配していてね。元気になったなら、一度顔を見せてくれるといい」
私と栄は、ぐっすりと寝入って、いびきをかきそうにまでなっている氷雲を見つめた。
「本当に暢気な奴だ」
「このくらい平和でいられる方がいい」
氷雲はころりと寝返りを打って、なにかむにゃむにゃと寝言をいった。
斎家に逗留して五日。そのあいだ、顔を合わせた斎家の者は栄と透の二匹だけだった。ほかの鼠は気配こそすれ、決して客間に近寄ってこない。こちらも客間と透の寝床のあるところ以外は、進入をやんわりと禁じられていた。
栄によると、棲み処はヒイクにとって、客に対して秘密にすべきものであり、我々が透の寝床へ通えることが異例なのだという。また、客のもてなしは必ず家督がするものであり、代理がもてなしたからといって、家督に目通りさせずに帰すわけにはいかないのだそうだ。その他、いくつかのヒイクにとっての常識をこっそりと教えてもらいながら、我々は暢気に暮らしている以外に出来ることがなかった。
せめて斎新が帆河家に出向いた目的を知りたかったが、それについては栄もいまいち事情が分からないらしい。ならばと透に水を向けてみても、いつも余裕を見せながらさらりとかわされてしまう。
「新さまがお帰りになるのはいつか、私にも分からないのですよ」
透は、すっかりなついた氷雲と遊びながらいった。
それにしても氷雲は、舵谷氷として振る舞うのが実に上手い。初めのうちは私の影に隠れるようにして若干おびえている風にしていたものの、何度か透に食事をさせてもらい、遊んでもらった途端、今度はべったりと甘えるようになった。これほど甘える氷雲は、私や亮雲でさえ知らない。まさに、常に不安を抱いていた幼鼠が初めて安らぎを見つけた時の依存の仕方であった。それでいて、不意になにかの物音が鳴ると、とっさに跳びあがって私の影に飛びこむのである。
透はその様子を見て、舵谷丈は弟のことをいつも守ってきたのだとすぐに認識して、我々兄弟が必ず二匹一緒にいるよう取り計らってくれている。氷雲の演技のおかげで、私まで透の信頼を得た形であった。
いったい、氷雲の振る舞いは演技なのか、私でさえ分からなくなることがある。氷雲と呼びかけていいのか、氷と呼ぶべきなのか、曖昧な心持ちを持て余して、なんとなく弟と気楽に喋ることが出来なくなっていた。
そんな私の悩みを知ってか知らずか、氷雲は平気で透とじゃれ合っている。二匹はずいぶん親密になって、今日などは透が栄に使っていたあの媚びたような声を、つい氷雲に向けたのを聞いた。透はすぐに気づいて恥ずかしそうにしていたが、氷雲はその声を真似して笑った。すると、透もにっこりと笑った。チュダイとヒイクが、私の目の前で笑い合っていた。




