第074話:蒼き射手の矜持と、スーツを脱いだ部屋
乾いた3連射の破裂音が、地下射撃試験場の防音壁に跳ね返った。
タタン、タン。
50メートル先の固定標的。装甲板の中央に描かれた直径5センチの赤い円孔へ、青白い魔力光を帯びた徹甲弾が吸い込まれるように3発連続で着弾する。
装甲板が火花を散らして軋み、直後に青い火焔を吹き上げて破砕した。
「集弾率、100パーセント。目標の魔核ダミー完全沈黙」
射撃ブースのスピーカーから、記録員の無機質なアナウンスが流れた。
神崎葵は銃口を下げ、愛銃である魔導アサルトライフル『AR-09 ヴァルキリー』のセーフティレバーを親指で押し上げた。カチリ、と硬質な金属音が響く。
群青色のコンバットスーツの背部から、2機の燕型支援ビット『スワロー』が音もなく滑空し、葵の両肩のドックへと滑らかに格納された。
「見事なものだな、神崎主任」
後方の指令ガラスの向こうから、防衛軍の制服を着た中年将校が歩み出てきた。
肩に佐官の階級章を着けた男は、手元のタブレット端末に表示された弾道ログに視線を落としたまま、低く唸った。
「ハイペリオン社の重装兵装に比べれば一撃の破壊力は劣る。だが、ビットの偏向シールドで敵の弾道を逸らし、生じた死角へ即座に3点バーストを叩き込む。無駄のない戦術だ。先日のエキスポでの実演がフロックではなかったと、よく分かった」
「恐縮です、査定官」
葵は銃を両手で保持したまま、背筋を伸ばして一礼した。
「アルス・テックの思想は、過剰火力による単騎の制圧ではありません。現場の兵士や探索者が無傷で生還するための生存性の向上です。このスワローを小隊に2機配備するだけで、部隊全体の生還率は3割以上跳ね上がります」
「ふん、現場上がりのテストパイロットらしい台詞だ。机上の数字しか見ないハイペリオンの重役どもに聞かせてやりたいものだな」
将校は短く鼻を鳴らし、タブレットに承認サインの電子ペンを走らせた。
「装備庁への最終報告書には、我が第3師団として『極めて実戦的かつ即戦力』と明記しておこう。量産初ロットの納入時期、遅れるなよ」
「了解いたしました。期待を裏切るような製品は納品いたしません」
将校が踵を返して射撃場を去っていくのを見届け、葵はようやく肺の底から細く息を吐き出した。
肩の力を抜き、ヘルメットのロックを外す。
黒髪のショートボブが汗で額に張り付いていた。
首筋を手甲の甲で拭いながら、通路を挟んだ整備ドックへと足を向けた。
ドック内では、チーフメカニックの熊井剛三が巨大なトルクレンチを握り、予備ビットの排熱スリットを調整していた。
「おう、葵! 軍の石頭ども相手に、堂々とやり込めたじゃねぇか!」
「熊井チーフ、声が大きいです。まだ廊下に響いてますよ」
葵は苦笑しながら、作業台にヴァルキリーを置いた。
スワローの装甲カバーを外し、内部結晶の摩耗度をチェックし始める。
その時、隣の作業ブースから若い整備班員が頭を掻きながら熊井の元へ駆け寄ってきた。
「熊井チーフ、ちょっといいっすか?」
「ああん? 何だ手塚、油圧ポンプのエア抜きならさっき教えたろ」
「いや、そっちじゃなくて、屋外演習場の固定索敵センサー群なんですけど」
整備班員は手元の端末を困ったように突き出した。
「さっきから外部センサーの校正値がやたらズレるんすよ。位相ゼロ点が北東方向へ0.02ミリ秒ほど引っ張られてて。何度自動キャリブレーションをかけても、元のグリッドに戻らねぇんです」
「あ? 北東だと?」
熊井は太い眉を寄せて端末を覗き込み、すぐに豪快に笑い飛ばした。
「そりゃお前、先週の春一番で外壁の受光アンテナの台座が緩んだだけだろ! 風圧で数ミリ傾きゃ、位相データなんざ簡単に狂う。暇を見つけて足場組んで、ネジ締め直してこい!」
「うーん、アンテナの緩みっすかねえ。なんか、地面の奥から微弱な波形を拾ってる気もするんすけど」
「細かいこと気にしてたらキリがねぇぞ。精密機器なんざ湿気ひとつで数値が踊るんだ。さっさと手動でオフセット噛ませて校正済みにしとけ!」
「へいへい、了解っす」
班員は肩をすくめ、端末をポケットに突っ込んで戻っていった。
葵はスワローの接続端子をアルコール綿で拭きながら、そのやり取りをぼんやりと眺めていた。
北東方向。
その方角の先にあるのは、防壁都市の中央にそびえ立つ、東京ピラーの巨大な影だ。
30年前に空から降ってきた金属の巨塔。
だが、葵はすぐに思考を切り替えた。
「熊井チーフの言う通りね。屋外のセンサーなんて、風や地盤の振動でいくらでも数値がブレるんだから」
深層遠征で手に入れた未知の爪の解析や、試作長剣の励起回路の打ち合わせで、開発部全体がここ数日フル回転している。
機材の些細な不調にいちいち構っている余裕はなかった。
時計の針を見ると、すでに17時を回っている。
「熊井チーフ、私、今日の予定試験はすべて終わりましたので、これで上がります」
「おう! 主任殿、ご苦労存分! たまには美味いもんでも食ってゆっくり休めよ!」
「ありがとうございます。お疲れ様でした」
葵はロッカールームへ戻り、汗を流してシャワーを浴びた。
群青色のテストスーツを脱ぎ捨て、着慣れたジーンズに薄手の白いニットを合わせる。
鏡の前で髪を軽く乾かし、鞄を肩に掛けた。
*
アルス・テックの通用門を出ると、夕暮れ時の冷涼な風が頬を撫でた。
防壁内に作られた安全居住特区の街並みは、夕方の帰宅ラッシュで賑わっている。
葵は駅前の大型スーパーへ足を向けた。
「間宮さん、深層から帰ったばかりで、きっと冷蔵庫の中身も空っぽよね」
野菜売り場で買い物カゴを腕に掛けながら、独り言を呟く。
あの人は自分の食事となると驚くほど無頓着だ。
解体屋時代からの癖なのか、放っておけば栄養補給ゼリーや缶詰で適当に済ませてしまう。
まして今は、2泊3日のお留守番を頑張った鈴の世話で手一杯のはずだ。
昨日の公園で食べたハンバーグはおいしかったが、あれだけのものを作るのにどれほど朝早く起きて仕込んだことか。
「今日は胃に優しくて、栄養がつくものにしよう」
新鮮な春キャベツに、人参、長ネギ、しめじ。
精肉コーナーで柔らかい豚ヒレ肉の薄切りを選び、豆腐と昆布をカゴに入れた。
鈴用には、デザートとして無添加の焼きプリンを2個。
レジ袋を提げてスーパーを出る頃には、空は濃い藍色に染まり、タワーマンションの窓々に温かな明かりが灯り始めていた。
*
エレベーターで15階へ上がり、見慣れたドアの前で立ち止まる。
インターホンを鳴らすと、室内から「はーい、今開ける」と凌の落ち着いた声が返ってきた。
続いて、内側からバタバタと小さな足音が玄関へ駆けてくる気配が響く。
ガチャリと鍵が外れ、凌の手によって重い防音ドアがゆっくりと開かれた。
その足元から、黄色いトレーナーを着た鈴がひょっこりと顔を覗かせる。
葵の姿を認めた瞬間、小さな両手をいっぱいに広げて満面の笑みを咲かせた。
「あおい!」
トタトタと短い足で駆け寄ってきた鈴を、葵は荷物を床に置き、膝をついて受け止めた。
「鈴ちゃん! ただいま!」
ぎゅっと抱きしめると、日向とベビーソープの甘い匂いが胸いっぱいに広がる。
鈴は葵の首に柔らかな両手を回し、すりすりと頬を寄せてきた。
日中の試験折衝や軍の査定官相手の張り詰めた緊張が、一瞬で溶けていくのが分かった。
「おいおい鈴、いきなり飛びついたら危ねぇだろ」
ドアを押さえていた凌が、洗い晒しのシャツの袖をまくった腕を下げて苦笑いを浮かべた。片手にはドライバーと乾いた布を持っている。
「悪いな葵、わざわざ来てもらって」
「いいえ。ちょうど買い物帰りで、近くを通ったから」
葵は床の買い物袋を持ち上げ、玄関へ上がった。
「間宮さん、また何か分解してるんですか?」
「ああ、佐伯の親父から試作アキュラの鍛造に入ったって連絡があってな。レイヴンの接続ポートの同調ラグを少しでも削っておこうと思って、ポッドの端子を磨いてたところだ」
「もう! 深層から帰ってきたばかりなんだから、少しは身体を休めなさいって言ったでしょ!」
葵は腰に手を当てて怒った顔を作ってみせた。
「今日の夕飯は私が作りますから、間宮さんは工具を片付けて座っててください。豚肉と春キャベツの重ね蒸し鍋にします」
「重ね蒸し鍋か。ありがてぇ。腹が減ってたところだ」
凌は素直にドライバーを工具箱へ戻し、頭を掻いた。
その飾り気のない仕草に、葵の口元が緩む。
キッチンに立ち、エプロンを締める。
土鍋の底に昆布を敷き、ざく切りにしたキャベツと薄切りの豚ヒレ肉を交互に敷き詰めていく。
料理酒を回しかけて蓋をし、弱火にかける。
やがて湯気とともに、甘いキャベツと出汁の香りがリビングを満たし始めた。
「鈴ちゃん、お腹空いたでしょ? もうすぐできるからね」
「まんま!」
鈴はテーブルの子供用チェアに座り、奇跡の銀匙を両手で握ってご機嫌に足を揺らしていた。
ポン酢を少し垂らし、柔らかく蒸し上がったキャベツと豚肉を小鉢に取り分ける。
凌が一口口に運び、目を細めた。
「うまいな。出汁がよく染みてる」
「よかった。脂身の少ないヒレ肉だから、胃にも重くないはずです」
鈴もフーフーと冷ましたキャベツをスプーンで口へ運び、ほっぺたに手を当てて嬉しそうに声を上げた。
「おいち!」
「ふふ、いっぱい食べてね」
賑やかで温かな食卓。
開発部の冷たいコンクリートや、硝煙の匂い漂う射撃試験場とは全く違う、体温の通った空間。
葵の胸の奥に、言葉にならない充足感が満ちていく。
*
夕食を終え、片付けを済ませた後、葵は鈴を抱えてバスルームへ向かった。
「はい、鈴ちゃん、あわあわ流すよ。目をぎゅーっとしてね」
「ぎゅー!」
シャワーのぬるま湯をかけ流すと、鈴は葵の腕の中で気持ちよさそうに身を委ねた。
頭の泡を流し終え、顔を拭いてやると、鈴がパッと目を開けて葵の顔を見つめ、濡れた手で葵の頬をペタペタと触ってきた。
葵は吹き出しそうになりながら、柔らかいバスタオルでその小さな身体を包み込んだ。
湯上がりのリビング。
羊の絵がついた黄色いパジャマに着替えさせた鈴を膝の上に乗せ、葵は絵本を開いた。
森の動物たちが次々と眠りにつく、優しい色合いの絵本だ。
「ことりさんも、おやすみなさい。うさぎさんも、おやすみなさい」
葵が穏やかな声で読み聞かせると、鈴は大きなあくびを一つした。
小さな手が葵のニットの裾をぎゅっと握りしめ、やがてその重みが葵の胸元へゆっくりと預けられる。
すやすやと、規則正しい小さな寝息が部屋に満ちていく。
「寝ましたね」
葵が小声で告げると、向かいのソファで資料を読んでいた凌が立ち上がり、寝室から子供用の毛布を持ってきて鈴の背中にそっと掛けた。
「助かったよ、葵。お前が来てくれると、鈴も本当に嬉しそうだ」
「私も、嬉しいですから」
葵は毛布の上から、鈴の小さな背中を優しく撫でた。
凌が淹れてくれた温かい麦茶の湯気が、テーブルの上で揺れている。
「間宮さん」
「ん?」
「新型ビットのスワロー、防衛軍の制式採用が決まりました。初年度で300機です」
「そうか。よかったな、葵。お前が毎日泥だらけになって調整してたの、知ってるからな」
凌は静かに笑い、湯呑みを手にとった。
大袈裟に褒めそやすわけでもなく、ただ当然の努力の結果として受け止めてくれる。
その言葉が、どんな賛辞よりも葵の胸に深く染み渡った。
「私、もっと強くなります。主任としても、テストパイロットとしても」
葵は膝の上の温もりを見つめながら、静かに言葉を紡いだ。
「間宮さんが深層へ行く時も、この地上で鈴ちゃんが笑って暮らす日常も、全部守れるくらいに。アルス・テックの装備で、誰も死なせない戦い方を確立してみせます」
「頼りにしてるよ」
凌は短く頷き、窓の外へ視線を向けた。
タワーマンションのガラス越しに、遥か遠く、夜の帳の中に佇む東京ピラーの巨大な輪郭が見える。
街の灯りに照らされ、静かに沈黙を守るその巨塔。
昼間、整備班の手塚が言っていた固定センサーのズレのことなど、温かな部屋の空気の中ですっかり忘れ去られていた。
鈴の小さな寝息が、部屋の中に穏やかに響いている。
葵はその温かな手触りを確かめるように、もう一度そっと抱き締めた。




