第118話:届く刃と、届かない問い
ドーム全体の大気が、皮膚を裂くような高密度の魔素圧によって軋みを上げていた。
中央の多面体構造体が、けたたましい重低音の唸りを響かせながら激しく振動している。
展開された三門の結晶砲門だけでなく、外殻に刻まれた幾何学ラインのすべてが、深紅から白熱した紫電へと変色していた。
迎撃プロトコルの最終段階。
神殿空間の全魔素を強制収束させた、最大出力の殲滅砲。
ドクン、ドクン、と空間そのものが心臓のように激しく脈打つ。
放たれれば、この直径数百メートルのドーム空間そのものが完全に分子崩壊を起こし、跡形もなく消滅する規模のエネルギーだった。
だが、俺の足は一歩も引かなかった。
「逃げ場なんざ、最初からねえんだよ」
呟き、俺は白銀の床面を強く蹴りつけた。
完全版アキュラ『天鷲』の刀身に仕込まれたスラスターが青白い燐光を噴き上げ、爆発的な推進力で俺の身体を前へと射出する。
キィィィィィン!
多面体構造体の砲門が、臨界に達した光を放った。
照射されるのは、先ほどの一撃とは比較にならない太さの空間歪曲熱線だった。
さらに、残された十数本の自律迎撃アームが一斉にしなり、逃げ道を塞ぐように無数の高周波ブレードを四方から撃ち下ろしてくる。
空を埋め尽くす光と鋼の壁。
「行け、レイヴン!」
俺の咆哮に呼応し、頭上で旋回していた2機の自律誘導端末『レイヴン』が、音速を超えて前方へ突撃した。
ガガガガガッ!
2機のレイヴンが、迫り来る殲滅熱線の軸線上へと自ら割り込んだ。
葵から託された超高密度バッテリーを全開で過負荷燃焼させ、雫の位相キャンセラーを最大出力で励起する。
ピキィィィィン! と空間が割れるような凄まじい金属音が炸裂した。
膨大な熱線に呑み込まれながら、レイヴンの刀身が激しい火花を散らして赤熱する。
一瞬の後、限界を迎えた2機の端末が、激しい爆炎とともに粉々に砕け散った。
だが、その自己犠牲のコンマ1秒が、熱線の軌道をわずか数センチ、外側へと屈折させた。
俺の鼻先を、灼熱のプラズマと空間の歪みが薙ぎ払っていく。
タクティカルスーツの肩口が炭化し、皮膚が粟立つほどの熱気が突き抜けた。
けれど、砕け散ったレイヴンがこじ開けてくれた細い射線は、真っ直ぐに敵の懐へと通じていた。
「よくやった」
心の中で短く呟き、俺は熱波のカーテンを突き破った。
シュウウウウゥッ!
最大出力を放ち切ったアルケー・コアの多面体装甲が、激しい排熱蒸気を噴き上げながら強制開放された。
過負荷で焼き切れるのを防ぐため、重装甲の外殻ブロックが一斉に左右へとスライドする。
露わになったのは、青白く脈動する直径1メートルほどの球形中心核。
30年間、この東京ピラーという巨大な迷宮を脈動させ、世界の地下を支配し続けてきた心臓部だった。
冷却のために開かれたタイムラグは、わずかコンマ2秒。
俺の身体はすでに、その中心核のゼロ距離へと到達していた。
その瞬間だった。
頭蓋の奥底へ、冷たい濁流のような何かが直接流れ込んできた。
それは言葉ではなく、純粋な概念と記憶の超高密度な奔流だった。
底知れない漆黒の宇宙空間。
見渡す限り広がる無数の恒星の海。
そこから青い地球へ向けて射出された、12本の巨大な金属柱。
地表へと突き刺さり、惑星の地殻深くへと根を張り巡らせていく幾何学の巨構造体。
人類の文明など比較にならない、途方もない超古代の知性による意思と計画。
降柱事象の真実。
ピラーが何のために飛来し、世界をどう作り変えようとしていたのか。
全12本の柱が共鳴した先にある、この世界の結末の姿。
人類の誰も知り得なかった世界の秘密が、奔流となって俺の脳髄を焼き尽くそうと押し寄せてくる。
学者なら発狂してでも受け入れようとし、英雄なら世界の命運を背負って立ちすくむはずの真実。
だが。
「知るかよ」
俺は奥歯を砕けんばかりに噛み締め、その膨大な情報の奔流を、力ずくで脳裏から叩き出した。
星の歴史などどうでもいい。
誰が何のためにこの柱を打ち込んだのかも、知ったことではない。
この柱のせいで街が壊れ、人々が怯え、娘のいる日常が脅かされている。
現場の解体屋にとって、それ以上の理由など必要なかった。
俺の心を満たしていたのは、夕暮れの帰り道の茜色だった。
保育所の玄関で響く、真鍮の鈴の軽やかな音。
通園リュックを揺らしながら駆けてくる、小さな足音。
両手を広げて飛び込んできた愛娘の、柔らかくて温かい体温。
『ぱぱ!』
満面の笑顔で咲いた、あの愛おしい声。
今夜は何を作って食わせようか。
スーパーで買った新鮮な野菜をどう煮込んで、あの小さな口を喜ばせてやろうか。
守るべきものは、ただそれだけだった。
何万光年の星の彼方など、娘の笑顔の足元にも及ばない。
「俺が知りたいのは、今夜の夕飯の献立だけだ!」
俺は天鷲の壱ノ刃と弐ノ刃を、両腕の筋肉が千切れるほどの力で握り直した。
佐伯親方が槌を打ち下ろして鍛え上げた、極限の鋼。
雫がミリ単位で刻み込んだ、二重螺旋の魔力励起回路。
仲間たちが託してくれたすべての想いを、俺の変換効率92パーセントの魔力循環が極限まで加速させる。
ジャキィィィィン!
二振りの刀身が、眩い青白の超高周波熱光を帯びて咆哮した。
装甲が閉じ始めるコンマ05秒前。
俺は二振りの刃を交差させ、露出した中心核の継ぎ目へ向けて一閃を放った。
神速の交差斬撃。
ガギィィィィィンッ!
硬質な衝撃音がドームに木霊した。
天鷲の切っ先は、超高密度の中心核の表層を捉え、親方の鋼と雫の回路が一切の抵抗を許さずに内部へと食い込んでいく。
パキ、パキパキッ。
中心核の表面に、細い亀裂が走った。
次の瞬間、溜め込まれていたアストラル魔素が青白い光の奔流となって吹き荒れた。
ズバッ!
俺の両腕が振り抜かれ、二振りの天鷲が中心核を真一文字に両断した。
プシューッ!
激しい排熱蒸気とともに、中心核から眩い光の粒子が天へと舞い上がっていく。
30年間拍動を続けていた古代の心臓が、真っ二つに割れて光を失った。
ガタガタと激しい振動を立て、アルケー・コアの外殻装甲が機能を停止していく。
宙に浮遊していた巨大な多面体構造体が、重力を失ったかのように低く沈み、白銀の床へと音を立てて接地した。
振り上げられていた無数の迎撃アームが、プツンと糸が切れた操り人形のように力を失い、床へと崩落する。
カラン、コロンと金属片が転がる音だけが響き渡った。
そして。
神殿全体を染め上げていた禍々しい深紅の警告灯が、一斉に掻き消えた。
大気を震わせていたけたたましい警報音が途絶え、壁面の幾何学ラインが穏やかな微光へと戻っていく。
絶対の静寂が、第60層を包み込んだ。
俺はゆっくりと立ち上がり、天鷲の二振りを静かに構え直した。
周囲を見渡すが、動くものは何一つない。
解体完了。
胸ポケットに手を当てると、真鍮の鈴が温かく手のひらに収まった。
荒くなった息をひとつ吐き出し、俺は刃についた結晶の粉塵を軽く払った。
「よし。帰るか」
俺は天鷲を背中の鞘へと滑り込ませ、愛娘の待つ地上へ向けて、静かに踵を返した。




