第001話:過疎地の駆除任務と、地蔵堂の鈴
おいおい、マジかよ。
泥水を跳ね上げながら突進してくる黒い獣の群れを視界に捉え、俺、間宮 凌は、心の中で全力の悪態をついた。
聞いてない。絶対に聞いてない。
「防壁外の旧集落で、迷い込んだ野犬型の魔獣を数頭間引くだけの簡単なお仕事です」
ギルドの受付窓口で、愛想の良い職員がそう言って差し出してきた依頼書を思い出す。
だが、目の前にいるのはどう見ても数頭どころじゃない。
体長2メートルを超える漆黒の変異野犬、ダイアウルフの成体が、ざっと数えても6頭。赤く光る双眸に、涎の滴る牙。
「どこが数頭の野犬だ。完全に一軍の群れじゃねぇか。詐欺だろこれ!」
文句を吐きながらも、体は下積みの習慣で勝手に動いていた。
派手なステップもアクロバットも無縁。地面を転がるように、半壊したコンクリート壁の陰へ身を滑り込ませた。
直後、ガァァンッ! と鈍い破壊音が響き、俺がさっきまでいた場所の壁が木端微塵に砕け散る。
飛びかかってきた先頭の魔獣が、勢い余って瓦礫に頭を突っ込んだ。
「チッ、弾薬代、絶対に上乗せ請求してやるからな!」
左手の愛銃、量産型の魔導拳銃を突き出す。下請け時代、爪に火を点す思いで自腹で買った相棒だ。
マガジン底部のスタンダード魔石から微小なエネルギーがバレルへ流れ込む。
狙うのは胴体じゃない。魔力で強化された分厚い筋肉は、安物の拳銃弾を1発や2発撃ち込んだところで止まらない。
狙うのは、関節だ。
バシィィン!
乾いた発射音が曇天の空に響き渡り、銃口から放たれた青白い魔力弾が、瓦礫から身を抜こうとした魔獣の右後ろ足の膝を正確に粉砕した。
キャうんッ! と情けない悲鳴を上げ、巨体がバランスを崩して泥濘の中へと崩れ落ちる。
泥まみれのまま地を這うような低い姿勢で肉薄する。格好つけてる暇なんて1秒もない。
腰の鞘から引き抜いたのは、刃渡り約30センチの大型魔導解体ナイフ。細身のダガーではなく、鉈かボウイナイフを思わせる肉厚で無骨な重刃だ。
柄の振動スイッチを押し込むと、キィィンと高周波の共鳴音が刃先を満たした。
「悪く思うなよ!」
解体包丁を差し込む要領だ。骨と骨の継ぎ目、頸動脈が通る急所へ、無駄のない角度で刃先を深く滑り込ませる。
ズシュッ、と確かな手応え。振動刃が分厚い毛皮と筋肉を難なく裂き、頸椎の隙間を断ち切った。
暴れていた魔獣が、一瞬でビクンと痙攣して動かなくなる。
「はい1頭! 次!」
振り返る暇もなく、背後の2頭目の気配を察知して横へ泥臭く転がる。泥水が顔にかかり、視界を手の甲で拭いながら、立ち上がりざま銃口を跳ね上げた。
バシィン! バシィン!
2連射。1発が喉元を焼き、もう1発が前足を砕く。怯んだ隙を見逃さず、踏み込んで重刃を一閃。首筋を叩き割り、即座に死角から飛びかかってきた3頭目に向けて銃口を押しつけ、零距離で引き金を絞った。
ドシュッ!
至近距離で頭部を撃ち抜かれた魔獣が泥の中へと沈む。
息をつく暇もない。泥にまみれ、遮蔽物に身を隠し、弾薬を節約しながら急所だけを最短距離で削り取っていく。
エリート探索者のような華麗な技なんて何一つない。ただ泥水を啜りながら、生き残るためだけに魔獣を解体し続けてきた、25歳の底辺Eランク探索者の泥臭い実戦技だ。
残る3頭は、仲間の骸を前に後ずさる。リーダーを失った獣は脆い。ナイフを構え直すと、甲高い悲鳴を上げて森の奥へ逃げ去っていった。
「ふぅ、はぁ」
肩で荒い息を吐きながら、へたり込みそうになる足を叱咤して踏みとどまる。全身泥だらけだ。買ったばかりの機能性パーカーが、泥と返り血で無残な色に染まっている。
「最悪だ。クリーニング代、絶対に出ねぇよな、これ」
肩を落とし、残弾を確認する。残り4発、予備カートリッジはあと2つ。ギリギリの採算だ。素材を丁寧に剥ぎ取らなければ赤字だった。
だが、安堵のため息を吐きかけたその瞬間だった。
ズズズズッ!
重苦しい地鳴りが足元から響いてきた。背筋に冷たいものが走る。咄嗟に身を伏せ、崩壊した家屋の陰から広場へ視線を向けた。
「おい、嘘だろ」
集落の一角、完全に倒壊した民家の瓦礫を吹き飛ばしながら、そいつは姿を現した。
全高3メートルを超える黒褐色の巨影。筋骨隆々の四肢と、甲殻のように硬質化した背中の皮膚。伸びた鉤爪は、大木すら軽々と両断しそうだった。
大型地上変異種、デスクローベア。
「グルルルルルァァァッ!!」
鼓膜を劈くような咆哮が、過疎集落の廃墟に木霊した。
足元には、原型を留めていない人間の残骸が散らばっている。野犬の群れは前座に過ぎなかった。この集落を壊滅させた元凶は、間違いなくこの化け物だ。
「Eランクの駆除依頼に、なんでD級上位の変異種がいんだよ! ギルドの情報部は何を見てやがった!」
逃げるか? いや、無理だ。あいつの脚力なら、背を見せた瞬間に追いつかれる。
やるしかない。幸い、あいつはまだ瓦礫の下の獲物に夢中で、風下の俺には気づいていない。
俺は息を殺し、大型解体ナイフの振動スイッチを指先で確認した。
魔力保有量は128。瞬間最大出力は15。派手な放出魔法なんて撃てないし、人型兵器のような大火力もない。だが解体屋として、何千頭もの骨格を解剖してきた経験がある。
熊型の変異種の急所は二箇所。硬質な頭蓋骨に守られた脳幹ではない。狙うのは、下顎の柔らかい付け根と頸椎の継ぎ目にある神経節だった。
俺は泥濘に身を沈め、音もなく瓦礫の残骸を縫うようにして間合いを詰めた。
5メートル、4メートル、3メートル。
パキリ。
足元の枯れ枝が、わずかに音を立てた。デスクローベアの赤黒い双眸が、ギロリと俺を捉える。
「ガァァッ!」
丸太のような剛腕が、轟音とともに横薙ぎに振り抜かれた。直撃すれば上半身ごと消し飛ぶ一撃。
跳ぶのではなく、泥濘の中へ前のめりに滑り込む。頭上を猛烈な風圧が通り過ぎ、千切れた衣服の切れ端が舞う。
「そこだっ!」
そのまま懐の真下へ潜り込む。見上げる視界、剥き出しの下顎裏側、毛皮の薄い急所へ左手の魔導拳銃を突き当てた。
バシィィン! バシィィン!
ゼロ距離での2連射。至近距離で炸裂した青い光弾が顎下の肉を貫き、巨熊の喉頭を内部から吹き飛ばした。ゴボッ、と血泡を吐き出し、巨体が苦痛に仰け反る。
「これで終いだぁぁっ!」
泥濘を蹴って跳ね起き、大型ナイフを両手で握り直す。振動音が極限に達する。
仰け反った首元、喉仏と頸椎の間の隙間へ、刃渡り30センチの重刃を体重ごと突き立てた。
ズドォォッ!
硬い軟骨を断ち割り、振動刃が神経節の奥深くへと到達する。デスクローベアの巨体が激しく震え、四肢から力が抜けていく。
ドォォン! と地響きを立てて、巨大な変異熊が泥濘の中へ倒れ伏した。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ!」
返り血を全身に浴びながら、俺はその場に膝をついた。心臓が早鐘のように胸を打っている。
手足が震えるのを無理やり抑え込み、倒れた巨獣の首から大型ナイフを引き抜いた。刃こぼれはない。手入れを怠らなくて本当に良かった。
ふと、倒れたデスクローベアの巨体から、淡い青白い粒子が立ち上るのが見えた。
魔素、アストラル粒子だ。地上の魔獣は死骸が残っても、宿っていた魔素の一部はこうして大気に溶け出していく。
その粒子が、ふわりと俺の胸元へと引き寄せられ、皮膚を通って体内の魔力回路へと浸透していった。
「ん?」
胸の奥がじんわりと温かくなった気がした。だが劇的に魔力が増えた感覚はない。強いて言えば、消耗した疲労がほんのミリ単位で和らいだ程度だ。
「気のせいか。早く素材を剥ぎ取って、ここを出るか」
集落は全滅していた。
壊滅した木造家屋。荒れ果てた畑には、冷たくなった村人たちの遺体が点々と横たわっている。
防壁都市からそう遠くもないこの場所で、これほどの惨劇が起きていたことに、喉の奥が苦くなった。
そう自分に言い聞かせ、立ち去ろうと踵を返した、その時だった。
ふっと、雨上がりの冷たい風が集落の奥から吹き抜けた。風に乗って、澄んだ小さな音が耳に届く。
チリン。
静まり返った廃墟に、似つかわしくないほど清らかな音だった。
「あ?」
音のした方へ顔を向ける。倒壊した民家の残骸の向こう、鬱蒼とした木々の手前に、小さな木造の建物が佇んでいた。
周囲が破壊し尽くされている中、そこだけが奇跡のように無傷で残っている。
小さな屋根に、木製の格子扉。軒先には真鍮の風鈴が下がっていた。
地蔵堂だ。
風が揺れるたび、軒先の鈴がチリン、チリンと頼りなげに鳴る。その合間に、何かが聞こえた。
「ふぇぇ、うぁ」
空耳か?
眉をひそめ、足音を殺して泥濘を踏みしめ、地蔵堂へ近づく。近づくにつれ、声ははっきりと聞こえてきた。
「ひっく、うぁぁ」
間違いない。声だ。
拳銃の安全装置を外し、警戒しながらお堂の古い格子扉に手をかける。ギィ、と乾いた軋み音を立てて扉を引いた。
お堂の中は線香と埃の匂いが混ざり合っていた。中央の石造りのお地蔵様、花立てには萎れかけた野花。
足元の薄暗い影に、泥で汚れた毛布の塊があった。
毛布が、小さくもぞもぞと動いている。
「おい、まさか」
俺は銃をホルスターへ戻し、慎重に膝をついて毛布の端に指をかけた。そっと布をめくる。
「っ」
息が止まった。そこにいたのは、小さな、本当に小さな赤ん坊だった。
年齢は1歳半か、せいぜい2歳前後だろうか。柔らかな髪に、涙で濡れた大きな瞳。
親が命懸けでこの地蔵堂に隠したのだろうか。魔獣の爪痕ひとつない姿で、女の子がお地蔵様の足元に丸くなっていた。
「うぁ?」
光に目を覚ましたのか、女の子は涙で潤んだ瞳をパチパチと瞬かせる。血と泥にまみれた俺の顔を見つめ、ふに、と小さな両手を伸ばしてきた。
「あぅ、だぁ?」
怯える様子もなく差し出された小さな手のひらに、泥を拭った人差し指を近づける。女の子の両手が、俺の太い指先をぎゅっと握りしめてきた。
温かい。小さな、小さな体温だった。冷たい雨と血生臭い空気の中で、その手の温もりだけが、痛烈なほどに鮮明だった。
だが、次の瞬間。
おいおい待て。
今年で25歳の独身だぞ? 定職と言えば聞こえはいいが、実態は日銭稼ぎの底辺Eランク探索者だ。貯金もろくにねぇし、アパートは狭いワンルーム。子育ての知識なんてこれっぽっちもない。
「とりあえず、街へ連れて帰ってギルドか警察に丸投げしよう。うん、そうしよう」
声に出して自分に言い聞かせる。しがない男が抱えていい命じゃない。防壁都市の児童福祉施設か、身元調査の専門部署に引き渡すのが、この子にとっても一番いいはずだ。
「おい、離すぞ。って、おい」
指を抜こうとするが、女の子は小さな手で俺の指を掴んだまま離さない。作業着の袖に顔を擦り寄せ、安堵したように「くぅ」と息を漏らし始めた。
「ったく。調子が狂うな」
ため息を吐きながら、汚れた毛布ごと小さな温もりを両腕に抱き上げた。腕の中の重みは、驚くほど軽かった。
お堂を出ると、雲の切れ間から陽光が差し込み、軒先の真鍮の鈴を金色に照らし出した。
チリン。
澄んだ鈴の音が、もう一度だけ、静かに廃墟の集落に響いた。
最後までお読みいただきありがとうございます。
底辺探索者の凌が、地蔵堂で小さな女の子を拾うところから始まる物語です。
更新は基本毎日を予定しています。
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