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エピソード2

ホームルームが始まっても、教室はざわついていた。

いつもジャージを着ている担任の古賀が今日はスーツだ。

「何かあるんじゃないか。」と生徒たちが話している。

黒板に特別授業と書くと古賀は面倒そうに言った。


「はい静かに。今日から通常授業の他に、新しいプログラムが始まる。文科省の人がわざわざ授業をしてくれる。こんなにうるさいと支援制度がなくなるかもしれないからな。ちゃんとやるように。」


「支援制度がなくなる。」古賀は軽く言ったが教室はすぐ静かになった。


静かになってすぐ、教室の扉が開いた。

入ってきたのはスーツ姿の男だった。


三十代くらい。

黒いスーツ。

細い銀のフレーム眼鏡。

笑顔なのにどこか温度が低い。


「初めまして。文部科学省未来育成制度推進部から来ました、伊藤です。」


名前を聞いた瞬間、なぜか数人の生徒が背筋を伸ばした。圧があるわけじゃない。なのに空気が変わる。


古賀は自分よりも20は若いだろう伊藤へ腰を屈めて「どうも。」と挨拶すると、すぐに場所を譲り教室を出ていった。


「今日は適応観測プログラムについてご説明します。」

伊藤は自然な口調で続けた。


「適応観測プログラムは簡単に言うと、皆さん一人一人の能力を、より正確に分析をする試みです。まずはスライドを見てください。」


「よいしょ」とスクリーンをおろし、プロジェクターの電源を入れた。

数秒するとぼんやりしていたスクリーンにスライドがはっきりと映る。

明朝体で書かれた文字が規則的に並んでいた。


「4つの能力測定」

1、判断能力

2、ストレス耐性測定

3、リーダーシップ評価

4、集団意思決定演習


「皆さんには、4つのプログラムを受けてもらいます。モデル校の皆さんは受講義務があるので真面目に行ってくださいね。3年間で能力を開花させ日本の未来を支える人材になってください。」


伊藤はそう言って微笑んだ。

よく見ると整っている伊藤に微笑まれ照れる女子たちもいた。生徒の何人かは真面目に取り組もうと意気込んでいる。


でも。


僕は違和感を覚えていた。

さっきから、伊藤は能力としか言わない。


よく国が言いそうな

好きを実現しよう。

夢をつかもう。

自分らしく生きよう。


そんな言葉は一度も言わなかった。


「では、まずは測定に必要なバンドを配ります。フリーサイズなので各自調整して腕に巻くようにしてください。左右どちらでも構いません。このバンドは皆さんに差し上げますので、無くさないよう毎日つけるようにしてください。」


スマートウォッチのようなバンドはオシャレで、生徒たちから小さく歓声が上がる。


「はい、全員つけ終わりましたね。では早速ですが…」


伊藤がタブレットを操作する。

さっきまで文字が並んでいたスクリーンに、別の文章が表示される。


【設問1】


あなたは沈没する船に乗っています。

救命ボートの定員は五名。

しかし乗客は六名います。


あなたなら、誰を降ろしますか。


---


教室が静まり返った。


「皆さんタブレットを出してください。タブレットから回答できるようになっています。」


伊藤が回答方法を伝えても

「……なんだこの問題」

どこからか不安そうな声が漏れ聞こえてくる。


伊藤も聞こえたのだろう。

「正解はありません。自由に答えてください。」

生徒の不安を和らげるように説明した。


ネットで同じような問題を見たことがある。

でも正解がないなんて嘘だ。

こういう質問をする人間は、最初から答えを持っている。


「制限時間は三分です。それでは始めてください。」


生徒たちがタブレットを触り始める。

僕も画面を見る。

選択肢が並んでいた。


* 老人

* 医師

* 妊婦

* 小学生

* 警察官

* あなた自身


単なる倫理の授業。

そう思おうとした。

でも、その下に小さく表示されていた文字を見て、指が止まる。


《回答速度・視線移動・脈拍変動を計測しています》


答えじゃない。

迷い方を見ている。


僕は反射的に教室を見回した。


みんな難しい顔をしている。

悩んでいる。

普通だ。


だが、一人だけ。

窓際の席の男子――さっき“S判定”を受けていた生徒だけが、もう入力を終えていた。


開始から、十秒も経っていない。

その顔には、迷いが一切なかった。


僕は警察官を選択した。


ピピピピーとタイマーが鳴る。


「はい、終了です。」


教室のあちこちでため息が漏れた。


「無理だろあんなの……」


「誰選んでも後味悪いし」


「ていうか、自分を選ぶやついる?」


そんな声が飛び交う。

伊藤はその場で、僕たちの回答をタブレットで確認していた。

その視線が、一瞬だけ窓際の男子で止まる。

ほんのわずか。

だが確かに、満足そうだった。

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