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第2話 『整体部』の謎(2)~駒野絵美~

 整体部の部室は、校舎の隅にあった。

 想像していたより部室の中は広くって、教室の半分ぐらいの大きさがある。奥の方にはパーテーションで仕切られた空間があるから、おそらくそこにベッドがあるのだろう。


「空いてる部室があったから貸してもらっててさ。軽く改装したんだ。けっこう雰囲気出てない?」


 八草先輩の質問に、私は戸惑いつつ首を傾げる。

 雰囲気が出てる……と言われても、実際の整体に行ったことがないから、よく分からなかったのだ。


 そんな私の反応は気にも止めない様子で、八草先輩は入り口の近くにある棚の引き出しを開けた。


「そういえばキミって名前はなんていうの?」


 八草先輩に言われて、私はハッとする。そうだった。まだ私は自己紹介をしていなかった。


「あっ、すみません……駒野絵美って言います。自己紹介が遅れました」


「駒野さんね。じゃあこの服に着替えてもらえるかな?」


 そう言って、八草先輩は私に服を手渡してくる。

 少し厚手の半袖半ズボンで、上下ともに茶色だった。


「そっか……整体を受けるときって着替えるんですもんね」


 私はテレビで見たことのある整体のシーンを思い出した。

 たしかにみんな、こんな感じの服を着ていた気がする。


「そうそう。制服の上からだと筋肉の調子が分かりにくいし、何よりもシワが出来ちゃうからさ。悪いけどパーテーションの中で着替えてもらえる? 俺は外に出てるから」


 八草先輩は手を振ると、部室を出ていった。

 ガシャンッというドアの閉まる音がして、部室全体が静寂に包まれる。

 

 私は着替えの服を持ったまま、パーテーションの中を覗いた。

 中は思った以上に質素だった。窓際だから明るいけど、カーテンとベッド以外には何もない。


 ――これなら、盗撮の心配はないよね。カメラを置けるような場所なんてないもん。


 そう確信した私は、次の瞬間には邪推してしまったことを恥じていた。

 今だって着替えるときは外に出てくれているぐらいだから、八草先輩に邪な気持ちなんてないはずなのだ。


 ――きっと純粋に、整体のことが好きなんだろうなぁ。


 八草先輩のことを考えながら、着替えを済ませる。

 半袖半ズボンだけど、厚手だからか思ったよりも寒くはなかった。


「すみません。着替え、終わりました」


 パーテーションから出て部室のドアを開けると、私は廊下の窓から外を眺めている八草先輩に声をかけた。

 八草先輩は振り向くと、笑顔で手を振った。


「ありがとう。じゃあ始めようか。ちょっと待っててね」


 八草先輩は棚から白くて細長いタオルを取り出した。

 それを持ってパーテーションに向かっていく。私もそれに着いていった。


「そこに寝っ転がって。あっ、上履きは脱いでベッドの下に入れてほしいな」


 八草先輩は私に指示を出しながら、ワイシャツを腕まくりした。

 そしてポケットから、薄手のビニール手袋を取り出して手に付けている。


「あれっ? 八草先輩は着替えないんですか? 白衣とか」


 私の質問に、八草先輩はキョトンとした顔を浮かべてから、合点がいったように「あぁ」と頷いた。


「別にマッサージをする時は白衣を着る決まりはないんだ。清潔に見えるから、みんな着ているってだけで」


「へぇぇ。そうなんですねぇ」


 ちょっとした豆知識に関心しつつ、私はベッドに上がった。

 そして仰向きかうつ伏せか少し迷ってから、うつ伏せで横になった。痛いのは肩だから、この格好が適切だと思ったのだ。


「上にタオルかけるね。寒かったら毛布もかけるけど、どう?」


「いえ、大丈夫です。ちょうど良いぐらいなので」


 私が答えると、肩のあたりにバサッとタオルがかかる。


 ――タオルまでかけてくれるんだ。色々と徹底してるなぁ。


 そう思いながら私はベッドの上に両腕を乗せると、そこに顎を乗せた。

 もうこの時には、私はすっかり八草先輩に心を許してしまっていた。


「それじゃあ早速マッサージを始めていくね。なるべく優しくするつもりだけど、もし痛かったらすぐに言ってね」


「分かりました。お願いしますっ」


 私の返事から少しして、八草先輩の手が肩に乗っかる。服とタオル越しだからよく分からないけど、私よりも大きな手のひらだった。


「まずは肩周りを温めていくね」


 そう言って、八草先輩は私の肩周りを擦り始めた。あんまり刺激は感じないけど、徐々にポカポカと温かくなってくる。


 ――あぁ。気持ちいいなぁ……。


 少し夢心地になってしまう。この場所はカーテンから陽の光も差し込むから、程よく暖かい。

 こんな環境で眠くならない方が無理な話だ。まったく反則的である。


「次は肩のツボを押していくね。『痛いけど気持ちいい』ぐらいがちょうど良いから、もし強すぎたり弱かったりしたら言ってね」


「はぁ~い。……って、すみませんっ」


 つい間の抜けた返事をしてしまった。相手は上級生なのに。


「ははっ。いいよいいよ。こういうマッサージはさ、リラックスするのが大事だから。全然気を遣わなくったっていいんだよ」


 八草先輩は私に優しく笑いかけると、そのまま肩のあたりをグッと押した。

 押された直後は痛いけど、その痛みがすぐに「気持ちいい」という快感に昇華されていく。不思議な感覚だった。


「八草先輩、うまいですねぇ……どこで習ったんですか?」


 その気持ちよさに瞼が重くなってきた私は、眠気を覚ますために八草先輩に話しかけた。

 もっとも、それは純粋な疑問でもあった。どうして高校生が、こんな整体のスキルを持っているのか。そして何で部として活動しているのか。


「ありがとう。昔っからマッサージが好きでさぁ。家族で旅館とか行くと、いっつもマッサージチェアとか使ってたんだよ。今思うと小学生のくせに、一体どこの筋肉を解すんだって話なんだけどさ」


 笑いながら、八草先輩は身の上話をしてくれる。


 どうも小学生時代にマッサージの気持ちよさを知った八草先輩は、その時に『将来は整体師になる』と決めたらしい。


 そこからは勉強の連続だったという。中学生になるとお小遣いで実際にマッサージを受けに行ったり、独学で色々な本を読んで人体のことを勉強したのだとか。


 そして高校生になり、より多くの経験を積むためにこうして学校でマッサージをするようになったという。

 先生も「将来の夢のため」という八草先輩の熱意を否定することができず、まずは『同好会』として活動しているという話だ。


「だから『整体部』なんて言われているけど、本当は『リラクゼーション同好会』なんだ。整体師もマッサージ師も、本当は資格がないと名乗ったら駄目だしね」


「へぇぇ。そうなんですね。でもさっき八草先輩、整体部って名乗ってませんでしたっけ?」


「それは仕方なく名乗ってるだけだよ。なんか知らないけど『整体部』って名前で噂が広まっちゃったからさ。いきなり『リラクセーション同好会です』って言われるより、分かりやすいでしょ?」


「ははぁ。確かに言われてみれば。リラクセーション同好会ですって言われたら、怖くて逃げ出してたかもしれないですもん」


「ははっ。それは正しい判断だと思うよ」


 雑談をしながらも、八草先輩は手の動きを休めない。ツボを刺激される度に快感が身を包む。

 マッサージがこんなに気持ちいいものだとは思わなかった。


「ところで駒野さんはさ、何か夢とかあるの?」


 そんな雑談のような言葉が、私の胸に深く突き刺さった。


 ――夢。そんなものは私にはなかった。


 ただひたすら勉強をして、少しでも良い大学に入れれば御の字だと思っている。大学に入った後にどういう勉強をしていきたいか、どういう仕事がしたいかなんて考えてない。というより、考えられないというのが本音だ。


 ――だから少し、八草先輩のことが羨ましい。小学生の時から夢を見つけて、それに向かって邁進している八草先輩のことが。


「……まぁ、夢なんてゆっくり探しいけばいいと思うよ。まだ若くて先は長いんだからさぁ」

 

 私が返事に窮していることを察してか、八草先輩は励ますように言った。


「まるで先生みたいなこと言いますね、先輩は」


 そう言って二人でクスクスと笑い合う。

 ひとしきり笑いあった頃、八草先輩が「仰向けになってくれる?」と言った。


「巻き肩の場合って、胸筋が縮こまっている場合が多いんだ。だからそこを解してあげると効果があるんだよ」


「へぇ~。肩が痛いのに、胸の筋肉が関係してるんですか?」


「そっ。筋肉は繋がってるからねぇ」


 八草先輩の話を聞きながら、ベッドの上で仰向けの体勢になる。

 さっきまで視界には壁とベッドしか映らなかったけど、今は目の前に八草先輩がいるからちょっと気恥ずかしくなった。


「眩しかったら目にタオル乗せるけど、どう?」


「あっ、じゃあ……はい。お願いします」


 ここでも八草先輩の気遣いが発揮された。

 特に眩しくはなかったけど、ずっと八草先輩と目が合うのは恥ずかしいので、私は目にタオルを乗せてもらう事にした。


「了解。ほいっ」


 緩い掛け声と同時に、八草先輩が目にタオルをかけてくれる。

 その瞬間、視界が真っ暗になった。さっきまでの緊張感が消え去って落ち着いた気持ちになる。


「それじゃあ胸筋を解していくから。多分ここはすっごい痛いと思うけど、少し我慢してね」


 今までとは違って「痛かったらすぐに言ってね」と言ってくれなかったことに、少し違和感を抱く。

 そして八草先輩が私の鎖骨あたりにある筋肉を押した瞬間、その言葉の意味を理解した。


「い――ったぁ!」


 あまりの痛さに、悲鳴にも似たような声を出してしまう。

 さっきまでとは全く違う痛さだった。まるで針で突かれたような衝撃が身体を駆け抜ける。


「胸筋って、普段はあんまり使わないからさ。特に巻き肩の人だと凝りに凝ってるから、ガッチガチに固まってるんだよ。それを解してるから痛みが出るの。ちょっと我慢してねぇ」


 こんなにも痛いのに、八草先輩は「痛かったらちょっと加減する?」とは言ってくれない。


「こっ……ここって、そんなに大事なところなんですか?」


「うん、そうだね。かなり大事なところかな。どれだけ肩を解しても、胸筋が縮こまってたら結局また巻き肩になっちゃうからね」


 なおも八草先輩はマッサージの手を止めようとしない。

 私は身をよじったり足をバタバタさせたりしながら、なんとか痛みを堪える事しかできなかった。


「よーし。これぐらいでいいかな。終わったから、ちょっと起き上がって肩を動かしてみてもらえる?」


 八草先輩が私の左肩をポンッと叩くと、目に置かれたタオルをどかしてくれた。

 急に視界が開けて眩しい。私は目を細めながら、ベッドの上で上半身を起こした。


 そして右肘を上げて、肩の調子を確認する。


「……おおっ」


 あまりにもスムーズに肩が動いたので、思わず感嘆の声を漏らしてしまう。

 続いて左肩の調子も確認するけど、同じように軽快に動いてくれた。


「すごいですっ。とても快適になりました。これで巻き肩は治ったんですか?」


「一応良くはなったと思うけど、治ったかどうかって言われると、微妙なところかなぁ。一時的に良くなってるけど、結局姿勢が悪かったりすると、すぐに胸筋が固まってしまうしね。とりあえず意識的に姿勢良く過ごすように心がけて、一ヶ月ぐらいしたらウチにおいでよ。また診てあげるから」


「えっ……いいんですか? だって私、お金とかないですけど……」


 私の言葉に、八草先輩が「ははっ」と吹き出す。


「お金なんて取らないよ。学校でやってる事なんだから。それに俺は今は経験が欲しくってさ。むしろ駒野さんみたいに、定期的に通ってくれる人がいてくれると助かるんだけど」


 八草先輩に言われて、私は自分の左肩を手のひらで撫でる。

 そうか。八草先輩にとっては、私は貴重な練習台――もしくは被検体なのだ。であればここで遠慮する必要はないのかもしれない。


「それじゃあ……ぜひ。また一ヶ月したら、お邪魔させていただきますね」


 私が頭を下げると、八草先輩は笑顔で「助かるよ」と言った。


 それから着替えを済ませて、少し世間話をしてから八草先輩と別れる。

 ひっそりとした廊下を一人で歩きながら、グルグルと両肩を回した。うん、快調。これなら勉強にも集中できそうだ。


 ――これからは、本腰を入れて勉強してみるか。あと、将来の夢も探さないと……ね。


 八草先輩の将来の夢に感化された私は、前向きに自分の未来のことも考えてみよう、と思ったのだった。

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