第1話 『整体部』の謎(1) ~駒野絵美~
学校に『整体部』がある。
私がそんな奇妙な話を聞いたのは、一年生の夏だった。
「えー、なにそれぇ。整体部って、整体をする部活ってこと? 高校生がそんなことするのぉ?」
昼休み。教室で友達から整体部の話を聞かされた私は、思いっきり笑い飛ばした。
整体というと、大人が好きなイメージがあった。それなのに高校生が整体をしているなんて、何とも奇妙である。
「そうらしいよ。なんでも、野球部の司先輩が整体部の施術を受けたんだって。そしたら今まで酷かった腰痛がすぐに回復! うちの学校が甲子園に行けたのも整体部のおかげって、もっぱら評判だよ」
「へぇ~。あの司先輩がねぇ……」
私はリプトンのミルクティーをストローで啜ると、窓の外のグランドを見つめた。
昼休みだというのに、外では一部の野球部員が熱心にランニングに勤しんでいる。もちろんその中にはエースの司先輩の姿もある。
――整体部のおかげで、司先輩が活躍できたんだ。
密かに司先輩のことを遠巻きに見つめる事が好きだった私は、その話を聞いて、少しだけ整体部の事が身近に感じられた。
◇
残暑がまだまだ厳しい九月。夏休み前の期末テストの点数が芳しくなかった私は、今日も学校の図書館に籠もって問題集を解いていた。
もちろん赤点を取るほどではないけど、どの教科もギリギリ平均点に到達していない。
悪くはない――のは確かだ。しかし志望校のレベルを考えると、まだまだ全然足りていない。
――どうして、こんなに勉強しているのに学力が追いつかないんだろう。
勉強に行き詰まった私は、少し休むために天井を見上げた。
そして痛くなった左肩を、右手でやさしく揉んでいく。
もともと私は中学校では優秀だった。
だから県内でもそこそこの進学校に入学できたのに、徐々に落ちこぼれてきている。
勉強が嫌いな訳ではない。しかし最近は、どうしても勉強に身が入らないのだ。
首や肩が痛くなって、座っているのも辛い時があるし。
――はぁ。こんな状態で勉強を続けたって、意味がないよね。
大きく息を吐くと、私は帰り支度を始めた。家でお風呂にでも入ってから勉強を再開しよう。
教科書やら文房具やらをバッグにしまい込むと、そのまま図書室を出る。
放課後なだけあって、図書室の外は閑散としていた。図書室で談笑にいそしむような生徒もいないから、シーンとしている。
残暑が厳しいとはいえ、陽の光も入らないこの廊下は、少しひんやりとしている。
風邪を引いては元も子もないと、私は駆け足ぎみに下駄箱に向かった。
そして廊下の角を曲がろうとした時。
突然目の前に人が現れて、避けきれなかった私はそのままぶつかってしまった。
「いったぁ……」
尻もちをついてその場に座り込む。
思わず床に右手をついてしまった私は、慌てて手首を回したり、手のひらをグーパーしたりした。
……うん、大丈夫。右手は怪我をしていない。これで骨折でもしたら、本当に救いようがないところだった。
「――ごめん、大丈夫? いきなり飛び出してきたから……」
目の前から、心配しているんだか言い訳しているんだか分からない声が聞こえてくる。
その弱々しい声の主に視線を向けると、そこには長身の男子生徒が立っていた。上履きの色をみると、どうやら二年生らしい。
「……大丈夫です。失礼しました」
私は相手が上級生であることに気付くと、立ち上がってそそくさとその場を立ち去ろうとした。
同級生なら文句のひとつでも言おうと思ったけど、上級生相手に喧嘩を売る勇気はなかった。
「あっ、ちょっと。待って待って」
しかし立ち去ろうとする私のことを、上級生は許してくれなかった。
廊下の角を曲がった私の背中に、上級生が話しかけてくる。
「……なんでしょうか?」
私は振り返ると、上級生に対して怪訝そうな顔を向けた。
見た感じ、上級生は人畜無害そうな顔をしている。しかし人は見かけにはよらないというし、警戒しておくに越したことはないだろう。
「その肩……大丈夫?」
上級生に言われて私はハッとした。
もしかしたら、さっきぶつかって転んだ拍子に、どこか怪我してしまったのかも知れない。
急いで制服の両肩を引っ張る。しかしどれだけ見ても、血みたいなものは付いていなかった。
触ってみても特にどこも怪我をしていないようである。
「……どういうことですか?」
何に対して言われたのかが怖くなって、私は上級生に問いかける。
すると上級生はバツが悪そうに頬を掻きながら「えーっと」と言い淀んだ。
「その、さ。俺は二年の八草っていうんだけど……整体部に入ってて。だから人体のことにちょっとだけ詳しいんだ」
そう言いながら、上級生――八草先輩は私に考える暇も与えずに近づいてくる。
少し後ずさりした私の肩を指さして、八草先輩は言った。
「ひどい巻き肩だ。こんなに重症なのは見たことがない。もしかしなくっても、ずっと痛いんじゃない?」
八草先輩が指をさしている私の右肩を見る。
巻き肩――?
そんな言葉は聞いたことがない。
しかし「ずっと痛い」のは事実だった。
いやいや。それもあるけど、今はそれより。
――この人だったんだ。野球部の司先輩の腰痛を治したのって。
そう言われてみると、たしかにスラッとした長身と刈り上げた頭が如何にもテレビなんかで見る整体師っぽい。
白衣でも着たら、それこそ整体師にしか見えないんじゃないだろうか。
「……あの。大丈夫?」
妄想に耽っていた私の顔の目で、八草先輩が手をひらひらとさせる。
現実の世界に舞い戻ってきた私は、思っていることを聞いてみた。
「たしかに肩が痛いです。……どうして分かるんですか?」
「そりゃあ、さっきも言ったように『人体のことにちょっと詳しいから』だよ。より具体的に言うと、歩くときの姿勢だね。巻き肩で常に前かがみになっちゃってる。これだと疲れも取れないし、勉強とか部活にも集中できないんじゃないかな」
ズバリ、と私の悩みを言い当てられる。
たしかにその通りだった。最近は寝ても疲れが取れないし、勉強にも集中できていない。部活は入ってないから外れているけども。
「前かがみ……ですか。あんまり、自分だと分からないんですけど」
呟きながら、肩を擦ってみる。言われてみると、確かに少し肩が前に曲がっている気がした。
でも"普通の肩の向き"が分からないから、これが異常なのか自分ではサッパリだった。
「けっこう重度だと思うよ。今まで整体とかに行ったことはないの?」
八草先輩の質問に、私は「お金ないので……」と静かに首を振る。
毎月お小遣いは貰っているとはいえ、整体に行けるほどの余裕はない。勉強に専念するためアルバイトもしてないから、常に金欠なのだ。
「そっかぁ。まぁ整体も高いしね。じゃあウチに来る?」
「えっ?!」
突然の誘いに、思わず目を見開いてしまう。
この先輩は、いきなりなんてことを言い出すんだろう。
「ごめんごめん。言葉が足りなかった。ウチの部室で整体を受ける? って聞きたかったんだ。ほら、俺は整体部だから」
八草先輩の説明を聞いて、ようやく内容を理解した私は「あぁ、そういう……」と呟いた。
いきなり誘ってくるなんて随分と非常識な人だと思ったけど、どうやら誤解だったようだ。
……いや、でもどうだろ。いきなり下級生を整体に誘うのも、ちょっとアレな気がするけども。
「いや……そうだね。急に誘うのは失礼だったかな。これは出過ぎた真似をしてしまった」
私が不審な視線を向けている事に気付いたのか、八草先輩は取り繕うように慌てて言った。
大人しく引き下がった八草先輩を見て、私は少し好印象を抱いてしまう。やましい気持ちなんか微塵もなくって、純粋に私の身体を心配してくれているように感じられた。
――そうだ。そもそも八草先輩は、司先輩の整体だってしたんだもん。男子にそういうことするってことは、やましい気持ちなんかないよね。それに学校が認可してるってことは、ちゃんとした部活なはず。
「いえっ、そんなことないです」
私はゆっくりと首を左右に振ってから、自分の気持ちを八草先輩にぶつける。
「もし八草先輩さえ良ければ――整体、お願いしてもいいですか?」
ペコリ、と頭を下げる。顔を上げると、八草先輩は口をあんぐり開けていた。
まさかこの流れで整体を依頼されるとは思っていなかったのだろう。
しかし私が同意してくれたことが嬉しかったのか、すぐに笑顔になった。
「いいの? じゃあ施術するよ。今から部室に来られる?」
八草先輩の質問に、私はコクリと頷いてみせた。




