誘う最深部
北日本の研究所を進む蒼啓たち。世界線移動という秘された研究と、それに絡む他国の陰謀を目の前に、蒼啓たちは、どうするべきか……そして、八方財閥の跡取りとなる沙生の決断は。
「おらおらおらどけどけどけ!!!」
先頭の二人……ズイと行雲が、前方から雪崩れ込んでくる警備員を、次々になぎ倒していく。二人がほとんど倒してしまうので、その取りこぼしを逸石と流れが片付けながら、蒼啓たちは二人についていく。
……と言っても、二人は行き先、つまり最深部がどこにあるか把握していないため、勘で突き進んでいるのだろうけど。何処へ向かっているのか聞こうにも、如何せん二人の足が速すぎて追いつかなくて。声を張っても聞いてないし、聞こえない程遠くにいる……ので、二人の姿が常時確認できるわけではない。 でも二人の足跡は、倒れている警備員の山で確認できるから、兎に角はぐれないように二人を必死で追いかける……
……はずだったのに。
「「うおおおおおおおお!!!!!!」」
蒼啓たちが向かっていた先から、何やら雄叫びがこちらに近づいてくる。それと同時に、ビーッという警報音と、ガシャン!という何かが落ちる音。
その音とズイ、行雲が、来た道を走りながら戻ってくる。迫り来る二人の背後に目が行く。ビーッという音と共に、ガシャァンッと重そうなシャッターがものすごいスピードで落ち、通路が塞がれる。
「えっ!ちょっ!!!!!」
これには、追跡メンバーも足を止め、逆方向へ転換し、再び駆け出す……が、その前に行く手を阻まれた。ガシャン!とシャッターが先回り。まずい、囲まれたと思った。しかしそんなことを思っている最中にも、シャッターは続々と落ちてくる。しまいには、挟まれた一行のうち、流、石華、逸石、疾風、そして戻りすぎた行雲のいた場所と、残りのメンバーの間にシャッターが落ちた。
「分断された!」
夢名がそう叫んだときには、もう向こうの状況は見えなくなっていた。
「くっ……こっちだ!」
あと7メートル程しかない通路の端にドアを見つけた政は、シャッターから逃れるために声を張り上げ、残りのメンバーを呼んだ。残っているのは政、夢名、蒼啓、ズイ、夜行の五人。政の声に、皆一散走りに、落ちかけたシャッターの下部へスライディングで体を捻り込ませ、なんとか通過。そのままドアの内側へと避難した。
「行雲さんたちどうなったんだ!?」
「シャッターで遮られてから、無線がすぐに切れた。妨害電波だな。あっちの連中はどこかへ移動させられたかも」
「戦力を削がれたな」
焦るズイと、冷静な夢名と政。続けざまに蒼啓は口を開く。
「みんなと離れたのも痛いけど……ここから、どう移動します?行き止まりだし……」
沈黙。外に出ても道はないし、この部屋も……他に出入り口はなさそうだ。皆頭を抱えて口を閉じる。
「……あれ、どうしたの凪ちゃん」
しばらく静かになった後、夜行がふと気づいたように呟いた。夜行の視線の先を辿ると、奥の壁の前で、夜行の守護霊……ハムスターの凪が、キューキューと鳴いている。何か言いたげな顔だ。
「夜行!こっちに道がある!」
凪の鳴いていた壁を疑問に思った、同じく夜行の守護霊の龍は、壁の向こうを覗いた。守護霊だから壁はすり抜けられる。壁の向こうを見て確信したのか、龍は壁から顔だけ出して夜行に言った。
「ほんと?たっちゃん」
夜行は壁に駆け寄り、壁をぺたぺたと触る。しかし……
「何の変哲もない壁に見えるけど……?」
調べてもドアらしきものはない。間接照明により青くぼんやりと照らされる壁を、夜行に続いて夢名と政も調べ始めた。
ピコッ
「「「「「?」」」」」
今何か壁から音がした。
ぺたぺた……
ピコッ
「!」
夜行が何かに気づき、振り向く。
「ここ……材質が、他とちょっと違う……」
夜行の掌が触れている場所と、その周り。近くで見ても、同じ壁に見えるが、触ると違うらしい。蒼啓も触ってみると、その一部分だけ、まるでガラスのようにつるつるしている。その周りはそれよりも粗く、ざらついているというか。そして、その材質の違う場所に触れた時だけ、ピコッと音が鳴る。
「なんだろう?」
蒼啓と夜行が首を捻っていると、夢名がそこに割り込み、
「これでどうにか行けないか」
と言って、半ば賭けに出たような台詞を言う。と同時に、先程深部へ入る時に流が研究員から奪ったカードを、その音の鳴る壁に押しつけた。すると、ピッと音が鳴った。先程のピコッという音ではなく、認証したような短い音。
「!」
だが壁は開かず、代わりにそのカードをかざした壁の隣に、パネルが浮かび上がった。0~9までの数字が羅列した、典型的な暗証番号入力画面。
「ダブルキーか。厳重なこった」
政が呟くと、夢名は政と目を合わせてコクリと頷き、胸ポケットから何か小さな機械を取り出した。それを、出現したパネルにかぶせる。
「なんですか?それ」
ズイが目を丸くして、その小さな機械を見つめる。
「これは暗証番号の解読に使う……まあデジタルピッキングっつう機械だ。こういうパネル型とか、キーボード型の装置に使える。表面の指紋の付き方だったり、……これは無理だが、ボタンの擦り切れ具合とか……そういうとこから計算して番号を弾き出すツールだ」
「なるほど……」
「他にも、コンピュータ内に侵入して番号を得るハッキング型もある。用途に応じて使い分けるが……ハッキング型は相手に勘付かれる場合もある。まあ今回はもう見つかってるし、どっちでも良かったんだが」
政の説明を聞いているうちに、ピッとまた認証音が鳴った。それに反応して壁を見ると、ウィーンという静かな駆動音と共に、壁がスライドして、その奥に通路が見えた。
「よし、開いた」
「この先は……もしかして最深部か……?」
深部の奥にある、こんな、カモフラージュされた厳重なセキリュティ……余程隠したいものだろう。兎も角、退路が塞がれている今、前に進むしか道はない。蒼啓たちは、息を整え、通路の奥へと足を踏み入れる。
蒼啓たちと分断された次の瞬間、ふっと足の感覚が消えた。同時に視界も変わる。目の前には数メートル先の白い天井。それがだんだんと遠のいていく。体が仰向けになっていることに気づく。そして……落ちている、ということに気づいたのもその時だ。そこからは、もう視界はめくるめく勢いで変化し、目が追いつかなかった。ただ、どこまでも落ちていく。
しかし、一つだけ分かること。周りにいた皆の気配が散開した。意識を集中させ、他の皆の気配を探すが、近くには誰もいない。
「こっちも分断されたか……」
このまま落ち続けるかと思われたが、そのうち瞬時に地面の気配を察して、流は身を翻した。この判断はもう、勘、としか言い様がない。体術を鍛えた者の持つ、怪我を避ける方法。その勘がうまく働いて、流は特に怪我もなく、地面に足をつき、立つことができた。
「ここは……」
辺りを見回して息をつく。暗くてよく見えない。だが、広い空間なのは分かる。まずは目を慣らして……
「!」
パッと突然空間が明るく照らされ、目が眩む。と、その刹那、
ヒュッ
「!」
何かが目の前に迫り、咄嗟に流は首を動かす。今の今まで自分の眉間があった場所を、素早く回転する何かが通り過ぎていった。そしてそれは流の後ろを通り、美しく円を描いて横を通り、流の前方へ戻っていく。
円月輪か!私も使ったことがある……。見覚えのあるその軌道と輪っかのような形に、流はすぐに投擲された武器を特定する。
「フェンフーリュン……」
そう呟いた声は電子的で。変声機を通したような声だった。いや、実際、通しているのか。円月輪の戻っていった先には、赤いレインコートで全身を隠した、男か女かも分からない人影。フードの中の顔は、暗闇に覆われ、臨むことができない。肌の露出している部分が一つもなく、ゴツゴツとしたハイカットブーツに、手袋。どちらもレインコートと同じく赤い。得体の知れない不気味な奴だ。
しかし今の言葉……日本語の発音ではなかった。流はあまり外国人と喋ったことがないため、その発音がはっきりとは分からない。しかも今聞いた一言だって、短すぎてよく聞こえなかった。フェイ……フー?辛うじて中国語かと予想できるくらい。
「オマエは……侵入者?」
今度は日本語。だが片言だ。やはり日本人ではないのかも。その質問に答えることなく、流は懐に手を入れ、手裏剣を掌に収める。
「シェンフー!!」
その声と共に再び円月輪が流に向かい、二人の中間地点で、流の放った針型手裏剣とかち合った。
疾風は開いた扉から、ほんの少しだけ身を乗り出して、部屋の中の様子を見ていた。仲間と分断され、落とされて、着地に失敗して背中を打った。体は丈夫だが地味に痛い。ひりひりとする背中を手の甲でさすりながら歩いていたら、通路の先に一つ部屋があった。扉は開いていたが、なんだか中の様子が妙で、こそこそと様子見していた。どっちにしろこの部屋以外進む道はないので、入るしかないのだが……。
「嫌だね騒がしくって。しかし、そんな喧騒の中にいる僕たちもまた、美しい……」
部屋の中心で椅子に座り、足を組んで上機嫌に話す男。
「そうね館くん。騒がしい有象無象の中でひときわ輝く存在……それが私たちね!」
その隣でニコリと笑う女性……
「ああ。君の恋人である僕も、鼻が高いよ。ハナハナちゃん」
「うふふ。嬉しい!私も、貴方の恋人で幸せ!」
疾風はそう楽しそうに話す2人の前を素通りし、こそこそと奥のドアに近づいていった。
ガチャン。
無情にも奥のドアは開かない。
「あ、くそ。開かねえ」
「ところでハナハナちゃん。彼は誰かな?ドアを開けようとしてるみたいだけど」
「侵入者じゃないかしら館くん!ふふふ。あの子、ドアの鍵を貴方が持ってること知らないんだわ!」
その声に、疾風は思わず悪態をつく。
「くそ。なるべく関わりたくなかったのに。鍵持ってるのかよ……」
奥のドアは重厚な作りに見える。ガラスや木の扉だったら斧で壊してしまえるが、研究所というだけあってハイテクなので、そうはいかない。今までもそう簡単に壊してしまえるドアなどなかった。大人しく鍵を奪うしかないか……
「どこからの侵入者だろうね?東日本のスパイかな?そうであれば、きちんと殺さなければいけないね」
物騒なことをいう、館と“名乗った”男。
「俺はスパイじゃねえよ。ていうかさっきから間接的に会話すんのやめてくれ」
そう。こいつはずっと間接的に話している。
「スパイじゃない?でも、さっき東日本の人間と居たわよね?見たところあなたは一般人にしか見えないけど」
「そうだねハナハナちゃん。でも彼は臨戦体勢だから油断できないよ。ほら、斧なんか持ってる」
「やだ怖いわ!あれでバラバラにされちゃうかも!」
「しねーよ。人形なんかバラバラにしたらバチ当たるわ。ていうかもう面倒だから聞くけど、お前、何だ?腹話術ずっとしてて、疲れねえのか?」
冷めた表情で応える疾風。疾風の目の前には、異様な光景が映っていた。
館という男は、ずっと、右手に持った50㎝ほどの“人形”と会話していた。
「腹話術だって!君、面白いこと言うね。……僕は館。四天王の中で最も美しい男。そしてハナハナちゃんは僕の恋人さ」
館が持っている人形は黒っぽいヒラヒラした服を着ていた。いわゆるゴスロリファッションというやつか。ファー付きの黒ロングコートに赤タイツ。黒の厚底ブーツ。髪は肩ぐらいの長さの黒髪、サイドは前に行くほど長くなり、前髪はナナメぱっつん。赤い薔薇のヘッドドレスをつけた目の引く服装。小さいとはいえ人形がこんな格好をしていると、妙にリアルで、しかもその人形と館は喋っているのだから、より不気味に思える。
因みに一方の館はというと、ホワイトの燕尾服をカスタムして、少しゴシックなスタイルにした真っ白な装い。また、赤い装飾がゴテゴテとついた白いステッキを、白い手袋を嵌めた左手で持っている。そして、その右手にハナハナとかいう、対称的な黒いゴスロリ人形。
「え?それが恋人?その人形が?」
「失礼ね!レディをそれ呼ばわりしないで!館くん、この子、鍵が欲しいみたいよ。どうする?」
やはり腹話術で喋っている。ハナハナの声は男性の裏声だ。つまりこいつは一人二役で人形と喋っている。改めて考えなくても、こいつはヤバイ。もうヤバイ。既にヤバイ。
「ハナハナちゃん。こういう時はね、“僕に勝ったらあげよう”って言うのが決まりなのさ!」
疾風が呆れていると、館はそう言って、ハナハナを手から離し、地面に投げ捨てた。
「え?」
思わずその投げ捨てられた人形を目で追う疾風。すると館はステッキを両手で持つと、スッとステッキを抜き去り、そこからレイピアを出現させ、顔の前で構えた。
「さあ男同士の決闘だ!美しく行こう!」
ばっちり顔をキメて疾風と対峙する館と、床で力なく倒れた人形とを目で見比べて、疾風は戸惑いの声を上げる。
「え?あ、あのさ、それ……恋人なんじゃないの?」
疾風は武器を向けられても、困惑して斧を構えるのを忘れてしまっていた。
しかしそんなきょとんとした疾風の様子に構うことなく、館はキラッと笑ってステップを踏む。
「恋人だよ?さっき言ったじゃないか」
「なら……なんで投げ捨てるんだよ、可哀想じゃねえか。恋人ならもっと大切に扱うだろ」
至極真っ当な疑問を投げかけたつもりだったのだが、
「大丈夫さ!壊れたらまた僕が直してあげるからね!」
「うわあ、意味わかんね……」
やっぱりこいつはヤバイ。とてつもなくヤバイと、疾風は目を回した。
タッタッタッタッと心地よい足音のリズムで、行雲は通路をひた走る。しかしどれだけ走っても、現れる景色は同じもので。
「迷ったな」
さすがに学のない行雲でも分かるくらい、ずっと同じ場所を走っている。しかし行雲が方向音痴なのではない。行雲はジャングルで育ったからか、方向感覚だけはしっかりしている。その行雲が迷わされたということは、この通路の仕組みがおかしいとしか言いようがない。行雲にとっては新鮮な、金属やガラスの壁。それがどうやらうねうねと蠢いて、迷宮を作り上げているようだ。
「おっかしーな?ここ何回も通ったぞ?」
頭をかきながらキョロキョロと辺りを見回しても、答えてくれる人はいない。しかし行雲はこういう時の対処を知っていた。
「こーいうときは!高いところから見る!!!!!」
そう宣言して、高い場所を探す。高いところと言えば、上……と思いつき、上を向く。
すると、
「お?」
通路の天井に扉のようなものが。
「よー」
思い切りしゃがみ込み、
「いしょっと!!!」
地面を蹴って跳ぶ。突き上げた拳がその扉を破壊し、ガラガラと音を立てて落ちてくる。
「こっちだな!」
もう一度跳んで、扉のへりに手を掛け、一気に登る。中は筒のような形状で、少し斜めっているし、先の方はほぼ垂直だ。行雲はうまく両手両足を壁にひっつけ、蜘蛛のように上へと登っていく。
それを20m程続けると、頭がつかえた。
「ん?」
頭が天井に当たっている。が、天井も僅かに動いた。もしかしてまた扉か?と思った行雲は、
「どりゃ!」
手足に力を入れて、一気に上へとジャンプ。石頭で吹き飛ばした扉は、近くに落ちた。
「お?新しい部屋……か?」
ひょっこりと吹っ飛んだ扉の穴から顔を出す。扉の先には、なんだか行雲にとっては好ましくない部屋が広がっていた。壁一面に並ぶ本とその棚。それは高い天井にどこまでも続いている。中央には重厚なドーナツ状のカウンター。マルーンの絨毯。まるで文明開化後の西洋式書斎のようなインテリアの数々が施された、密閉されたような空間は、行雲に息苦しさを与えた。
普段ジャングルで過ごしていた行雲にとって、閉鎖的な空間は、居心地が非常に悪い。案の定、行雲はげんなりした顔をした。しかし普段見慣れない本の壁に、興味はある様子で、ちらちらと視線を動かしている。
そんな部屋の片隅に、
「多くの工の、心を尽くしてみがきたて」
立っている男がいた。いや、立って本を読んでいる男がいた。いや、立って本を音読している男がいた。
「唐の、大和の、めづらしく」
小学生がクラスメイトと担任に見守られながら、起立して教科書を音読するが如く、正しい発音で、手を伸ばして本を持ち、背筋を伸ばし、ハキハキと音読するさま。だがそれを成人男性が一人薄暗い部屋で行っている光景は、ハッキリ言って滑稽だった。
「なにしてんだ?」
「えならぬ調度ども並べ置き、前栽の草木まで心のままならず作りなせるは」
「それ読んでるのか?」
「見る目も苦しく、いとわびし。さてもやは長らへ住むべき。」
「それ面白いのか?」
「また、時の間の烟ともなりなむとぞ、うち見るより思はるる。」
しかし行雲は行雲で目の前の光景の奇体なさまに気づかず、意気揚々と男に話しかける。音読男は音読男で、読書に集中しているのか、全く行雲に気づいていない。そんな蒟蒻問答が、三往復続いた。
音読男は、突然パシッと両手で持っていた本を畳み、ギロッと隣に立つ行雲を睨んだ。
かと思うと、胸ポケットにあった万年筆を、流れるような仕草で手に取り、また流れるような仕草でキャップを外すと、
「!」
突然行雲の首目掛けてそれを突き刺しに来た。行雲はさっと飛び退いて、それを難なく避ける。
「いきなりなにすんだ」
「小生の邪魔をするからだ」
ゆらりとした動きで、音読男は体勢を立て直す。そうして改めて対面した目の前の男は、驚くことに、かなり顔が良い。それに、混血、いわゆるハーフというやつなのでは?と思うような顔だ。切れ長で涼しげな目もとは、瞳がインディゴブルーで、それを囲む黒のスクエア眼鏡。髪は左側を耳に掛けたロングストレートで、その左側には剃り込みが入っている。また服装は、黒のアシンメトリーコートに、黒Tシャツ。下は前にスリットが入った黒のブーツカットパンツに黒のショートブーツで、足が非常に長く見える。そして背が高い。行雲もまあまあ高い方だと思うのだが、それより高い。シュウさんよりも高いのでは?と思う高さはあるものの、如何せん横が細く見えるのは服のせいだろうか。
「おまえは誰だ?」
しかしそこまで頓着しない行雲は、すぐに音読男へ声を掛ける。
「小生はシテインベルク。……貴様こそ何者だ。何故ここに居る」
先程のハキハキとした音読と同様、芯のある声で、音読男はシテインベルクと名乗った。それにしても“小生”だの“貴様”だの、謙譲なのか倨傲なのか分からない態度である。もしかして読書の賜なのだろうか。
「俺は行雲だ!研究所に来たはいいが迷ってしまってな!最深部へ行くとこだ!」
行雲は馬鹿正直に喋った。しかしシテインベルクは「そうか」と言い、また本を開いた。
「何者だろうと小生の読書の邪魔をするな」
絶対零度の表情でそう吐き捨てると、また良い姿勢で読書……音読を始めた。
しかしそんな氷のような態度も、行雲は受け取らない。
「なー最深部どう行くのか教えてくれよ」
シテインベルクの周りをぐるぐるしながら顔を覗き込み、行雲は話し掛け続ける。一分程そうしていたが、先程の会話でなんとなく想像できるシテインベルクの性格通り、プツリ、とシテインベルクの何かが切れた。
またも襲ってくる改造万年筆の刃を、行雲は軽々と避ける。
「邪魔をするなと言ったはずだ……!」
ビキビキと見えない青筋を立てるシテインベルクに向けて、行雲はしたり顔をして、
「じゃあ俺が勝ったら教えてくれよな!!!」
と宣言すると、シテインベルクも読んでいた本をカウンターに置き、やっと万年筆を構えた。
「読書の邪魔をする奴は……処す!」
逸石は襲ってきた人物に、すぐさま発砲した。しかし、
「!?」
相手の生身の体に当たったと思われる銃弾は、ガキィン!と音を立てて跳ね返り、逸石の小鬢を掠め、後ろの床へ着弾する。一瞬のことながら、己の放った銃弾が相手の体を突き抜けなかったことだけは、この目で確認した。
「どうなってる……!?」
「ンフフフフ!残念でした!」
逸石の戸惑いに答える声が、四方八方から聞こえてくる。声が複数いるのではない。その音源が、忙しなく動いているのだ。
今逸石がいるのは、なんだか用途のよく分からない部屋だった。部屋の規模自体はそこまで広くもなく、四方の幅は7~8mくらいか。だが、その空間に床から天井まで、一定の間隔おきに長い鉄の棒が張り巡らされていた。
その鉄の棒を伝いながら、襲撃者は笑う。
「俺ちゃんの体、銃弾通さないから!」
上から降ってきたその言葉により、逸石の口から小さく「は?」と零れる。
思わず声の方を見上げると、その声の主が、鉄の棒を軸にくるくると回っていた。……いわゆるポールダンスというやつか。
またその声の主の姿も非常に奇体である。上半身裸で、というか身に纏っている服はデニムのホットパンツのみ。それ以外は肌を晒し、靴下さえ履いていない(ポールダンスにはその方が都合がいいのか?)。だが筋肉はほどよくついている。細マッチョというくらいか。その上異様なのが、顔まわりがバチバチのヴィジュアル系だということ。襟足の長い紫の髪に、メイクも同じ色を基調としたもので、顔から下のシンプルさに比べて顔から上の威圧感が凄い。それにその顔で一人称“俺ちゃん”とは……なんかいろいろ残念な奴だ。
それは兎も角、銃弾が通らないとはどういうことだ。
「俺ちゃん、改造して鋼の体を手に入れたんだ!銃弾なんか跳ね返せるし、常人の拳も砕けるほどだぜ!」
得意げな声を発しながら、ポールからポールへ飛び移る。
「でも柳に雪折れ無しって言うからね!鋼の肉体を手に入れたからと言って、ポールダンスができなくなっちゃ、意味が無い!だからこの肉体でも滑らかに動ける仕様になっているのだ!!!」
聞いていないことをペラペラと喋るその男は、常にポールに巻き付いている。
「お前……何者だ」
一応まだ銃を下ろさず、逸石は上へ問いかける。
「俺ちゃんは五代院。ポールダンスが趣味の警備員だ」
「……警備員?」
五代院と名乗った男の最後の一言に、困惑する逸石。改めて上で踊っている男を見る。どう見たって警備しているようには見えないのだが。逸石がそう思っていると、
「警備はしてるよ!俺ちゃんなりのやり方でね!」
心を読んだのか、五代院はそう言って、ポールをくねくねと伝いながら驚くべきスピードで逸石に接近し、
「ッ!」
流れるような動きで蹴りを繰り出してきた。予測不能な五代院の動きに、逸石は照準を合わせることすらできなかった。
「ンフフフ!!拳銃じゃ俺ちゃんには勝てないぞー?」
四方八方ポールへ飛び回りながら煽る五代院に目を向け、逸石は静かにジャケットの懐に手を入れた。
「柊!お父さんは!?それに、みんなは!?」
沙生は玄関に入るなり、目の前で出迎えた柊に詰め寄る。
「お帰りなさいませ。お待ちしておりました、お嬢様」
深刻な顔をして詰め寄ってきた沙生に対し、柊は冷静に返す。しかし柊も、内心ではあれこれ気を巡らせていた。
「旦那様は、先程手術が終わったようで、まだ意識は戻っていませんが、一先ず大丈夫だと連絡が来ました」
その言葉に、沙生はほっと息をついたが、それでもまだ気は休まらない。父のことも心配だったが、それよりも……
「みんなの方に、トラブルが発生したって聞いたんだけど」
縋り付くような目で柊を見上げる沙生。
柊は、先程、也太郎が倒れたという連絡の後、沙生に再び報告をした。それは、北日本の谺からの報告。内容を要約するなら、「研究所にて三カ国の陰謀」という感じか。北日本の研究所という舞台で、「北日本と東日本の同盟」、「北日本と西日本の結託」、「東日本と西日本の対立」、という三つの関係が、複雑に絡み合っている。そこから導き出される最悪のシナリオ。それは最早、現場の蒼啓たちや、谺たち八方財閥北日本情報支部はおろか、財閥の情報部全体でも手に余る大きな厄介者だった。いくら八方財閥が大きな勢力だとしても、一国の一財閥が対応する事の大きさではない。これは、現在の日本の四カ国体制を揺るがす、大変な事件、に成り得るものだ。
しかし今回の場合、下手に事を大きくするわけにはいかないのだ。(既に収拾がつかない程大きいとはいえ、)別世界の人間である蒼啓たちが事の中心にいる限り、それは、世界線移動という秘された研究諸々を表舞台に引っ張り上げることになる。現在その世界線移動云々を知っているのは、八方財閥の中でも、也太郎と沙生のいる宗家だけ。それ以外の家には、混乱を招くことを懸念して、伝えていない。そんな状況で、その秘された研究が表に出ることになったら、この世界の情勢が変わることは想像に難くない。大きな混乱を招くだろう。
だから、今回ばかりは、できるだけ小さな規模で、この状況を潜り抜けるしかない。幸いなことに、北日本も東日本も西日本も、まだ裏の人間しか動いていない。唯一、東日本の田子外務大臣のことも報告があったが、大臣は公務ではないとの裏付けはすぐに取れた。三カ国お互いに、まだ水面下の動きなのだ。従って、こちらも暗々裏に事を済ませる。「蒼啓たちを無事送り出すこと」、「北日本と西日本の陰謀を阻止すること」、この二つのタスクを、同時進行で進める。
しかないのだが……問題は、その指揮を執る財閥のトップが、今不在だということ。蒼啓たちのことを聞いていた也太郎がいれば、そちらにも配慮しつつ、それらが表に出ないよう的確な動きを情報部に指示できたかもしれない。しかしその也太郎は今意識不明。そのおかげで財閥内は混乱している。
それは執事長である柊もだった。
「お嬢様……今財閥内……特に宗家は混乱しています。情けないことですが私も……収拾の目処が立ちません」
柊は眉間を抑えて俯いている。その様子を見た沙生は、背筋がひやりとしたような気がした。いつも凜とした表情を崩さない、頼もしい柊が、こんな顔を見せるなんて。よっぽど切羽詰まった状況なのだろう。沙生はふっと一度目を閉じる。
「詳しく話を聞かせて。柊」
開いた褐色の目は、柊の目をしかと見つめていた。その真摯な眼差しに、柊は静かに息を飲む。
「私にできること、するから」
そう言った沙生の瞳には、静かに光る決意が籠っていた。
投稿が二ヶ月弱遅れました。すみません。




