終わり始まり
セントラルラボに到着した蒼啓たち。しかし未だそこに仲間の姿はなく、いたのは研究所の現博士・我田。我田は何やら機械を動かしているようだが、その企みとは一体……?
「ハァ!?」
「チッ!」
我田のいた場所の空気を、蒼啓の拳とシュウの刀が切り裂く。ヒュッと風を切る音が鳴り、勢い余ってぶつからないようシュウは踏み留まり、蒼啓は顔面から地面に突っ込む。
「ギャ!」
「移動しやがったか……くそ……どこに……!」
シュウは崩れた口調でそう呟き、すぐに刀を鞘に収め、円盤状の台と繋がっている制御盤のような機械に向かっていく。
「あ、シュウさん!さっきなんかカウントダウンが始まって……!」
「隣の部屋にあった玉も割られてたぜ!!」
起き上がった蒼啓と、後ろで見ていた行雲が口々に声を出す。それらを耳に入れながら、シュウは盤のパネルの上で指を滑らせ、ピコピコと操作する。
「これは……まさか」
空中に固定されたデータたちを凝視し、シュウは自分の目を疑った。
研究所のポータブルクリスタルが全て割られているなら……これも処分するつもりなのかと、シュウは瞬時に頭を巡らせる。
「くそっ……逃げるとは思っていたが……こんな最後っ屁を残していくとは……」
喉の奥底から絞り出すような悔恨の声を上げながら、シュウは盤のパネルを必死に叩く。
「どうなってるんだ!?シュウさん!」
状況が全く分からない行雲は、それでも少し不安げな顔をしながら、シュウに尋ねる。
「世界線を移動できる装置はポータブルクリスタルと、この機械だけだ。ポータブルクリスタルが全て壊された以上、残りはこの機械だけ……しかしこの機械も、あと12分で使えなくなる」
シュウは盤を操作する手を止めずに、そう説明する。そうしている間にも、モニターには12:31の文字。シュウも焦っているのか、声に余裕がない。
ここまでシュウが焦っているところを、二人は見たことがなかった。それだけでも、今の状況が切迫していることが感じ取れる。
「なんとか止めることはできないんですか?」
「今やってる!しかし……他人の研究のデータは端から見ても……」
若干イラついているのか、蒼啓の問いに対し粗暴な物言いになるシュウ。こんなに感情を露わにしたシュウの姿は珍しい。
「じゃあ、俺たち、元の世界に戻れないのか?」
行雲はウサギのような悲しい顔をしてシュウに問う。シュウは行雲の顔を見て、自身もなんとも言えないような顔をしながら、手を止めて、口を開いた。
「一つだけ……方法がある」
シュウは心底悔しそうに声を絞り出す。顔を歪めて、ギリリと歯を食いしばっている。
「研究所はそれぞれの世界に支部を持っている。そのポータブルクリスタルを製造しているのはこの世界の研究所だけだが、移動式でない世界線移動装置は支部に一つずつあるのだ。研究所の支部を辿っていけば……」
シュウの言いたいことがなんとなく理解できた。つまり、別の世界線へ渡り、研究所の支部を探して、装置を使う。それを繰り返していけば……。
「ただどの世界線に行くかは完全にランダムだ。世界線の特徴は解析途中のようだし、望む所へ行けるわけではない」
ならば世界線ごとに研究所を見つけ、それを繰り返すことで一人ずつ確実に元の世界へ戻る、ということか。一縷の希望が見えて、蒼啓と行雲はちょっと明るい顔になった。
しかしそんな晴れやかな二人の顔と比べ、シュウの顔はどんどん険しくなっていくばかりであった。
「シュウさん?……何か問題が?」
「それはつまり、また研究所と戦う羽目なるになるということだ。君たちだけで……」
そのシュウの懸念に対し、蒼啓はきょとんとした。
「それに世界線によっては、君たちの持つ常識が通用しない世界もある。もしかしたら君たちが悪者になる可能性も……。そんな世界で戦い続けるのは難渋だ」
なんだ、そんなことか。
「私たちの研究所が元凶なのに、君たちだけにそれを任せるというのは……」
シュウが悔しそうな顔をしたその時、
「俺たちは戦いますよ。元の世界に戻れるまで」
蒼啓はそう言い放った。
確かに常識は違うかもしれない。それにより苦労するかもしれない。
だが、“元の世界に戻る”という目的に、何の間違いがあるだろう。理不尽に別の世界線に飛ばされた自分たちが、その元凶である研究所を倒すことに、何の悪があるだろう。
研究所は、自分たちの同じように飛ばされた人たちを犠牲にして、研究をしている。それは紛れもない事実だ。そして、悪行だ。
蒼啓は後ろでぼーっとしている一徹を見やり、拳をギュッと握り込む。
「これ以上の犠牲を出さないためにも、俺たちが研究所と戦わなきゃ」
顔を上げて、言い放つ。
「だから戦う覚悟は、はじめから出来ています」
その蒼啓の様子を見て、行雲も追随する。
「俺も同じだ。元の世界に戻るのがちょっと後になっただけだしな」
それを聞いて、シュウはきょとんとした顔をしてから、安心したように、ふっと笑った。
「ありがとう。蒼啓、行雲」
「だが……」と、シュウはタイマーを見つめながら突然考え込む素振りを見せた。
「この機械が壊れる前に皆がここに来れるかどうか……」
「「!」」
シュウの発言に、蒼啓と行雲はガツンと頭を殴られたように、ハッとした。
「そうじゃん!やばいぞ!」
「まずいよ皆!早く来てー!!!!!」
二人してそう叫んだ声は、部屋の中でこだました。
「くそ……まだか!?」
流は今、天井近くの横穴に待機していた。ここへ来る時に通った通気口の穴だ。排水される大量の水が作る滝と、段々と水嵩が増していく空間を見つめながら、心の中でズイを急かす。もうズイが潜水してから5分程か。声を出しても水面下には届くまい。だからひたすらに祈るしかなかった。
一方その頃、水面下のズイはあることに気がついていた。
目の前の壁、銛で叩いてみた感じ、他の壁より薄い。これは扉だ!そう感じて壁の継ぎ目を探す。
「あった!」
そう呟いたが水中で声が通るわけもなく、パクパクと口が動いただけ。
ガキンッと銛の刃を継ぎ目に突き立てては外し、溝を作っていく。
「くそっ俺一人じゃ力が足りない……」
ズイは諦めて、床を蹴り、反動ですいーっと水面に上がった。
「流さん!」
「ズイ!見つけたか!?」
水面に上がったズイを見て、流は天井近くから声を張り上げた。
「出口っぽいのあるんですけど!力が足りなくて!流さん来れます!?」
ズイも同じく声を張り上げる。水嵩はどんどん上がってきているため、もう天井と水面は距離にして3m程しかないのだが、いかんせん放出される水の音が激しすぎて、声を張らないと聞こえない。
「分かった!」
そう答えて流は両手を顔の前で合わせ、水へ飛び込んだ。同時にズイもまた潜る。
ゴボゴボと鳴る、最初の水面を越え、最深部まで一気に潜る。
流は忍であるため、常人よりも比較的長く潜ることができる。エラや水かきのあるズイには適わずとも、訓練で慣らした身体は水の中であっても、多少の抵抗を感じつつ自由に動く。
目的の壁に着き、ズイが溝を人差し指で指す。それで全て把握した流は苦無を取り出し、溝に突き立てる。ズイも先程のように、銛を差し込み、思い切り力を込める。
「うおおおおおお!!!!!」
力任せに動かすズイと、てこを使う流。2人の力が届いたのか、ガキンッと音が鳴って、鋼の板が浮いた。
「!」
すかさず流は浮いた板を掴み、バキバキっと剥がす。扉の奥に、長く続く廊下が見えた。
その瞬間、ザザーッと空いた穴に向けて水が流れる……
と思われたが、不思議なことにその廊下の方へ、ズイと流が水と共に投げ出されることはなかった。
「??」
2人は顔を見合わせ、恐る恐る扉の奥へ手を伸ばす。すると今まで手にかかっていた水圧が、スッと消えるのを感じた。
「??」
そのまま扉の奥へ、手、腕、胸、頭と、領域に踏み入れる。その都度、身体の一部から水圧が抜けていく。
「??」
全身を奥に踏み入れた。そこにはもう、水圧どころか、水がなかった。
「どう……なってる……?」
流に続いたズイも、その変化に困惑している様子だった。
「なんだこれ、水が、止まってる?」
振り向くとそこには揺らいでいる水面。しかしその水面は地面と平行にあるのではなく、垂直にあるのだ。扉のあった場所、そこで止まるように、水面はきらきらと揺らめいていた。
人差し指で水面をつつくと、ズブっとまた水に入り込む。
「??」
「よく分かんないけど……流さん!先行きましょう!」
「あ、ああ……」
当惑しながらも、その水面に背を向け、二人は廊下の奥へ進む。
「沙生!あった!あったよ出口!」
夜行が沙生に声を掛ける。三文の前で蹲っていた沙生は、その声で我に返った。
夜行は入り口とは反対の壁に隠し扉を見つけたようで、もうその扉を開けていた。
「今行きます!」
沙生は立ち上がり、足早に夜行の元へ駆け寄る。しかし、その沙生の方を見た夜行の顔が、グッと強張る。
「……!沙生!危ない!」
夜行が沙生の方へ走り出したと思ったら、夜行は沙生をぎゅっと抱きしめ、身体を回転させた。
それと同時に、パンッと乾いた音が響き渡る。
「!?」
沙生の背中に回していた夜行の腕がずるりと下がり、夜行は肩を押さえる。
「夜行くん!?」
振り向いた沙生は、夜行が肩から出血していることに、目を疑った。
「なっ!?」
「!?」
夜行の守護霊たちも、その様子に愕然とする。
そしてその夜行の5m程離れたところで、立ち上がる影。
「おっと……もう超能力は使うなよ?」
少し煤けた顔でそう呟く影は、異形だった。脇から左右合計6本の腕が生え、それぞれに銃を持っている。
「安心しな……弾はねえからよ。こいつは空気を圧縮して弾にする。その弾の強度は人間の骨を貫く」
あの爆発を食らってもなお、倒れない。頑丈すぎる三文は、6つの銃口を二人に向けていた。
「夜行くん!これで止血して……止血!」
沙生は自分のハンカチを夜行の肩に結ぶ。
動いたら、弾が飛ぶ。動けない。守護霊たちは為す術がない。
しかし沙生は、キッと三文を見つめた。その様子に、辛うじて沙生を見上げた夜行は、目を丸くした。
今までの沙生は、頼りなく、優柔不断で、おどおどしていたのに。三文を睨み付けるその姿は、まるで別人のようだった。沙生もこんな顔をするんだなあと、夜行は痛みに耐えながらぼんやりと思った。
「……?」
三文も沙生の変貌に違和感を持ったのか、眉を顰めている。
そして、
「あなたはもう終わりです」
沙生は微かに震えた声で、毅然として三文にそう言った。
ドクンと三文の心臓が跳ねる。
「ぐ……っ」
それはやがて不規則な音を奏でながら、だんだんと三文の身体を駆け巡った。
「が……ァっ」
だんだんと呼吸の音が激しくなっていく。
息ができない。心臓の音もおかしい。手足に力が入らない。
三文は銃を取り落とし、ガクリと膝から崩れ墜ちた。
「な……」
「何をした」と、それすら口を動かせず、首を押さえてゆっくりのたうち回る。
そんな状態の三文を冷ややかに見下ろす沙生。
「麻痺毒です。あなたの周りに、散布させて頂きました」
沙生は淡々とそう告げ、腰のポケットから扇子を出す。
「あなたには外傷がなかったから、また起きたら大変だと思って……さよなら」
そう言って沙生は三文に背を向け、夜行の怪我していない方の肩に手を回す。あっけにとられる守護霊たちと夜行と一緒に、通路へ出た。
「大丈夫……じゃないよね。夜行。歩ける?」
沙生の心境の変化により変わった口調にも、夜行は気づかずに、痛みをひたすらに堪える。
「ゆっくり……なら、大丈夫、かも」
そう呟き、足に力を込めて一歩一歩歩き出す。
「沙生殿、助かり申した」
「俺たち、手出しできなかったから、助かったぜ。ありがとうな」
守衛門と龍が口々に感謝を述べる。
「いえ、それよりごめんなさい。対策はしていたのに、夜行に怪我させちゃった」
沙生がそう謝ると、夜行の肩の上で、凪がキューと鳴く。
「これくらい、大丈夫、だよ」
夜行は痛みを我慢しつつふっと笑う。
「それにしても、よく毒なんて持ってたね」
それは最もだ。鬼婆が呟いた疑問に対し、沙生はふふっと笑って答える。
「シュウさんがくれたんです。自衛の術として」
「そうだったんだ……」
「シュウさんには、助けられてばかりだなあ……」
沙生はしみじみ、といった風に脳裏にシュウの顔を思い浮かべ、感謝した。戦えないのに仲間に入れてくれて。衣食住確保してくれて。自衛の術まで教えてくれて。何か返せるといいな……と思いつつ、沙生は夜行と共に歩く。
「おーい」
その時、通路の向こうから声が聞こえた。聞き覚えのある、男性の声。
「?」
暗闇から飛び出してきたのは、トゲトゲの毬栗頭。
「疾風さん!」
その名を呼ぶと、その後ろからまた一人、顔を出した。
「大丈夫?沙生、夜行」
「石華!」
疾風と石華が、二人を迎えに来た。まさにベストタイミング。
「夜行!怪我してるじゃねえか!?大丈夫か!?」
疾風は夜行のぐったりした様子にあたふたして、石華にチョップされた。
「騒ぎすぎ。この出血の量ならまだ大丈夫よ」
「とりあえず、乗れ!」
疾風が夜行をおぶる体勢になり、夜行は「へ?」とあっけに取られた。
「いや、少しずつなら歩けるし……そこまでしてもらわなくても……」
夜行は遠慮したが、すぐに石華が口を開く。
「二人とも、訳あってもう時間が無いのよ!急がないと!」
石華はもう既に走る準備をしている。というかその場でシャカシャカ走ってる。
「??……どういうこと?」
夜行と沙生が頭の上にクエスチョンマークを浮かべたが、夜行を背負った疾風の「行くぞ!」という掛け声につられ、四人は出発した。
「お?シュウさん……と、行雲、蒼啓、お前らだけか」
セントラルラボに、逸石が到着した。
「さっき疾風さんと石華も来ました!でも沙生と夜行が心配だっつって……」
「二人を迎えに行ったぞ!」
蒼啓と行雲が逸石にそう言うと、逸石はフーと深呼吸をして、その場に座り込もうとした。
が、
「逸石、早速ですまないが、ちょっと困ったことになってな、聞いてくれ」
シュウがそう口を挟んだために、逸石は中腰体勢になったところから徐々にまた立ち上がった。
「ハァ!?装置が使えなくなる!?」
今の状況を聞かされた逸石は、これまでにない程大きな声で叫んだ。逸石がこんなボリュームの声を出したのは初めてで、蒼啓も行雲も、少しだけ吃驚した。
「この装置が破壊されるまであと5分しかない。それまでに君たちを別の世界線へ送らなければならないんだ。このプログラムの解除はできない。あとの6人が時間内に来れるかどうか……こればっかりは信じるしかない」
シュウは苦い顔をして床を見つめる。
逸石はシュウのその「信じる」という言葉に眉を顰め、静かに舌打ちした。
その時、
「着いたぞー!」
男にしては高い大きなその声に振り向くと、ズイが大の字になって床に倒れ込んでいた。その後ろには、流もいる。
「ズイ!流さん!」
蒼啓が歓喜の声を上げる。
よし……あと4人!そう思ってタイマーを見ると、「03:05」の文字。それまでの嬉しさに、不安と心配が混じり込む。
あと3分……そう思った蒼啓は、一徹の元へ駆け寄った。
一徹の手を握り、引っ張って歩く。
「?……蒼啓、誰だそれは?」
その光景を、流が不思議そうに眺める。その声を無視して、蒼啓はシュウの元へ。
「シュウさん、一徹を……お願いします」
蒼啓は、シュウに一徹の、繋いだ手を差し伸べた。
「一徹は俺の親友です。俺と同じように、ここへ飛ばされて、改造人間にされてしまいました」
それを聞いて、シュウは悲しそうな顔をした。
「蒼啓、すまない。私たち研究所のせいで……」
シュウは心の底から謝った。その声には、自分の不甲斐なさに臍を噛むような感情の起伏が乗せられていた。
しかし蒼啓はそれに答えることなく、言葉を続ける。
「シュウさん、研究所の人間の、そして人造人間のあなたなら、一徹を元に戻してくれるって、信じてます」
その言葉に、シュウの顔が固まった。
「どこでそれを……?」
何故蒼啓が自分の正体を知っているのか。言っていないはずだ、誰にも。
「双子の警備員に聞きました。人造人間のあなたなら、同じ仕組みの改造人間のことも、分かると思って」
蒼啓は俯いて答える。正直、もうシュウの真意はどうでもいい。人造人間だから?俺たちに秘密を隠していたから?それがなんだ。言いたくないことくらい、人にはいくつもあるはずだ。何より、シュウがさっき見せた悔しそうな顔。悲しそうな顔。それだけで、蒼啓の疑念は蹴散らされた。
「あなたは俺たちのためにいくつものことをしてくれました。助けてくれたし、教えてくれたし、寄り添ってくれた。だから、俺はあなたを信じます」
人造人間だろうが、この人の人間性は、信用できる。
蒼啓は顔を上げ、しかとシュウの目を見つめてそう言った。
その蒼啓の姿に、シュウは昔の、あの面影を重ねる。シュウの瞳が、かすかに水分を帯びる。
「……分かった。君の親友は、必ず元に戻してみせる」
「お願いします」
「あと1分切った!」
ズイが声を張り上げる。今の間に、逸石がズイと流に説明したようだ。
その時、壁の向こうからバタバタと騒がしい足音が聞こえ、その音に蒼啓たちは顔を綻ばせた。
「すまん!」
「着いたわ!」
疾風と石華が部屋に到着し、遅れて沙生が息を上げながら入ってきた。
「皆、台に乗ってくれ!」
すかさずシュウがそう叫ぶ。
「早く!」
「え?え?」
急かす石華と状況が分からず困惑する夜行と沙生。言われるがままに皆台の上に乗った。タイマーの文字は「00:10」。
「皆!ありがとう!」
シュウが突然声を上げた。
「この研究所を倒してくれて!私もきっと、この研究を止めてみせる!これ以上、被害者を出さぬよう!」
シュウの目が潤んだのを見て、蒼啓もそれにつられた。
タイマー「00:03」
「健闘を祈る!」
ビーッと耳をつんざく音が鳴り響き、カウントダウンが終わった。タイマーは「00:00」。
もうそこには、仲間たちの姿はなかった。
バサバサと鳥の羽ばたく音が研究所の空に消えていく。大きな鳥だ。鴉のような黒い羽と、それと同じ烏衣。その上に対照的に光る白衣を着た人間の形。その、羽をはためかせる人間が、残陽の空に絵の具で黒い点を置くように飛ぶ。
「ここに居たか」
大きく羽ばたいていた翼が失速し、ふわりと研究所の屋根に足をつける。
目の前には自分と同じく浅緋の瞳を持つ人間。研究所の屋根……特に落下防止の柵などもない、屋根の端に座り、足を空中へ投げ出している自分の片割れに、ヒョウは声を掛けた。
「お前の言う通り、我田には傷一つつけられなかった……やはり何か細工されている」
淡々とした声でそう言い、シュウの斜め後ろに立つ。
「私も念の為三度試したが、無理だった」
「これは早急になんとかせねばな」
お互い視線を交わすことなく、日の傾く遥か空の向こうを見つめ合う。
「お前、博士の研究漏らしてないだろうな」
ふと考えついたように、シュウが小言っぽく漏らす。
「……私が何の為にクソ野郎に付き従ったと思ってる。あの裏切り者に成りすまし、我田に研究開示契約の条件としてお前を殺すことを取り付けた。我田は馬鹿正直にそれを守ったさ。フン……パラレルワールドの研究以外は何も盗られちゃいない」
ヒョウはそのシュウの小言が耳に届いた瞬間、冠を曲げたようになり、僅かに怒気の籠った口調で捲し立て、途中で息をつき最後の言葉を放った。
それを聞いてシュウは、隣にいるヒョウにすら分からない程小さく息をつき、ほっと胸を撫で下ろす。
「それなら良いんだが……」
ぼそりと安堵の言葉を零す。
「なんだかな……昔のことを思い出してしまった」
しばらく沈黙が続いた後、シュウが懐旧の熱を帯びて口を開く。
「は?」
心ないヒョウの訝しみは、もう慣れっこのシュウの心を傷つけることはない。シュウは勝手に話を続ける。
「もう随分前のことなのに……こんな風に思い出すなんて……」
斜陽を眺めながら、昔を偲ぶシュウの横顔は、悲哀に塗れていた。
「お前が弟子を取っていた頃にか?」
その横顔を窺い見て、ヒョウは少し温良な声でそう問いかける。
「ああ……あいつによく似ていた」
シュウは昔出会ったある顔を追懐して、ヒョウの方を振り向いた。
「お前も弟子を取っていたろう?」
その言葉に少しだけ顔の筋肉が反応し、ヒョウはしばし黙った後、口を開いた。
「まあ……そうだな」
その返答を聞き、シュウは大きく溜息をついた。そして俯き、
「あいつに会えるのはいつなのかなあ……」
悲愁の思いで呟いた。
「いつになったらあいつに会えるのかな……」
暗涙に咽ぶように、もう一度ぼそりと呟いたシュウの言葉を、ヒョウは聞き逃さなかった。
「お前な……前にも言ったが、あの世なんて、私たちにあるか分からんぞ」
呆れた顔で、しかし情けをかけるように、夕日を見据えて言い放つヒョウ。その言葉を理解したのかしていないのか、シュウは苦笑して、自分を憐れむように呟いた。
「分かってる……でも、あいつはきっと待ってくれているから……」
ヒョウはそんなシュウの様子に惻隠の情を禁じ得なかったが、シュウの思考までには追随することはできなかった。ヒョウはあの世なんてあると思っていないし、死んだ人間に会えるなど夢のまた夢であろうと歯牙にもかけていなかった。
だが、
「お前も、もしかしたら博士に会えるかもしれないぞ」
そう言われて息が止まった。
「……」
今まで、そのように考えたことは無かった。確かに博士は死んだ……しかし、自分たちを待っていてなどくれるだろうか?
いや、無いな。あの人はそんな人じゃない。
そもそもあの世なんて……とまた思考を引き戻し、否定を結論づけた。
しかし一方のシュウは自分で納得したようで、ゆっくりと立ち上がり、また斜め後ろのヒョウへ振り向いた。
「まだやることはあるけど……それが終わったら、一区切りとしようか、ヒョウ」
シュウの決意を固めた顔と、その提案には、妙な納得感があった。
「そうだな。お前がそう言うなら、そうするか」
その受け答えからはシュウに対する肯定的な盲信の意が見て取れた。
二人のその穏やかな笑みは暮相の空の色と溶け合い、暖かい空気をその場に充満させ続ける。




