逃ぐるが一の手
ついに研究所に突撃し、各棟で熾烈な戦いを繰り広げる蒼啓たち。仲間たちがは徐々に決着がつき、セントラルラボを目指す。しかし研究所側も一筋縄ではいかない。シュウの猛攻から逃れた研究所の現博士・我田は、セントラルラボへ逃亡する途中、同じくズイと流の猛攻から逃れた警備員・表裏と鉢合わせる。だが同じ研究所職員である我田に、表裏は銃口を向ける。ある程度の強さを持つズイと流を翻弄した表裏の正体は、シュウと肩を並べる、ハカリ博士の最高傑作・人造人間であった。
人造人間。
研究所の前博士であるハカリ博士に造られた、完全体の人間。
並の人間とは比較にならない能力を持ち、かつ高度な訓練により完成された、ハカリ博士の最高傑作。
シュウと肩を並べるその存在は、我田に銃口を向けたまま、白衣の袖から煙草を取り出し、火をつけた。
その光景に我田は眉をひくひくさせながら口を開いた。
「な、何故……生きている……?」
「二年前の事故で博士と共に死んだ……ように見せた。貴様はまんまと騙されたな」
煙草をふかしながらヒョウは淡々と話す。
「しかもその御陰で私たちを殺せると確信したろ?自分の研究を自任してな。……阿呆め」
我田は何も言えなかった。
「結局表裏と交わした契約も、土台無理な話だったというわけだ」
我田の顔がどんどん歪んでいく。徐々に顔が真っ青になり、ガクガクと顎を震わせる。
「貴様……ッ」
顔を上げた我田の額に、銃口を突きつけるヒョウ。額に当たる無機質で冷たい塊に、我田はさらに顔を青くする。
「時に我田……貴様はハカリ博士を殺したが……」
ヒョウの顔にだんだんと影が落ちていく。
「まさかそれを許してもらったとは思っていまいな……?」
縮こまる我田の頭上を、上から睨め付けるように見下ろし、突きつけた銃口をグリグリと額に押しつける。ヒョウの顔が完全に影で隠れ、弓なりに細められた浅緋の瞳がぽつんと暗闇に浮かぶ。不気味な笑顔。般若の形相というより、笑うおかめの形相と言った方が良いか。ただそれが輪郭とパーツだけを保って、暗闇の中ぼんやりと映る姿は背筋が凍るものがあった。
「ヒ……ッ」
喉がヒュッと音を立て、我田はもう動くこともできない。我田は目を瞑った。
「くたばれ」
そう言ってヒョウは引き金を引いた。
……が、引き金を引く音は我田の耳には聞こえなかった。
代わりに、ドサッという音が、我田の目の前で響いた。
我田が恐る恐る目を開けると、目の前に冷たい鉄の銃口は無く、膝をつくヒョウの姿があった。
「……?」
ヒョウは身体から力が抜けたように、だらんと腕が垂れ、銃に至っては握っているのがやっとというような雰囲気であった。
我田は銃が自分から離れたのをいいことに、尻餅をついたままじりじりと後ずさりした。
「な……んだ、これ……は……っ」
ヒョウは途絶え途絶えにそう呟き、全身に力を込めようとするが、震えるばかりで一向に立ち上がることができない。
「もし、や……これが……あいつの、言っていた……っ……?」
ヒョウは何か納得したようにほんの僅か微笑み、その後でギリッと歯を軋ませ、我田を睨んだ。
「ヒッ……」
その一睨みで、我田は逃げ出した。ヒョウが何故動けなくなっているのか、動けない今なら反撃できる、だとかそういう考えは頭からすっぽ抜け、ただがむしゃらに手足を動かし、セントラルラボの方へ逃げた。
「クソ……待て……」
ヒョウは荒い息を抑え、己の違和感に抵抗するのみだった。
我田の不規則な足音が、暗闇の中に消えていくのを聞きながら。
「オラオラオラ飛んでけ爆弾共!」
龍がそう叫びながら三文の周りに手榴弾を投げまくる。投げまくると言ってもポルターガイストで動かしているのであり、また三文にぶつけるわけではなく、三文の周りを取り囲むように手榴弾を移動させているだけだ。一個ずつ。龍、鬼婆、守衛門の三人で同時に三個、それを幾度となく繰り返し、夜行と沙生の周りの空に漂う手榴弾をどかしていく。
三文は先程の爆発が直撃し、しばらく白目をむいて口から煙を噴いていた。三文がハッと正気に戻った時には、部屋の空に散らばっていた手榴弾は、ほとんど三文の周りに集結していた。
「動いたら、爆発するよ」
夜行が三文に釘を刺す。そう告げた後、夜行は沙生に耳打ちをした。
「僕とたっちゃんたちであいつの注意を引きつけるから、沙生はあのレバーのとこに行って、レバーを下ろして」
夜行の言葉を聞きながら、戸惑う沙生。
「分かりましたけど……でも、下げた後はどうするんですか?空中の高いところにいたら、落ちて怪我しちゃう」
沙生の懸念は最もだ。今二人は部屋の天井近く、床から8メートル位は上のところにいた。そして、この部屋の重力を操作するレバーはり口の壁にある。レバーを下ろせば無重力は解除されるはずだが、その時に高い所にいては落下して床に直撃する。怪我どころでは済まないかもしれない。
それに、懸念すべきはそれだけではない。今空を漂っている手榴弾が床に落ちれば、一つ残らず衝撃で爆発するだろう。その爆発の規模は、手榴弾の数から察するにこの部屋を覆い尽くすような爆発が起きるのは必至。それに、一つが爆発すれば誘爆する可能性もある。どうにか手榴弾が床につかないようにするしかない。
「グアアア!!!」
ハッとして奇声の方角へ目をやると、三文が目を覚ましていた。
「てめえら……なんか超能力でも持ってやがるのか……?イカサマ野郎……」
先程の様子から一変。ドスの利いた声で夜行と沙生に詰め寄る三文は、喋る度に口から煙をパクパクさせていたが、確実に目がイッっていた。光の消えた目からは、ギャンブルのルールを破り場を乱す夜行たちに対する糾弾が見て取れ、激しい憎悪の炎が燃え上がっていた。
「は……」
龍が困惑気味に呟く。夜行も理由が分からず、怒る三文をじっと見つめる。
「てめえらがイカサマするってんなら、俺もするぜ」
三文がそう呟いた。次の瞬間、バリバリっと服を破り、三文の腕が、4本生えた。
「「え?」」
夜行たちはその光景に、目を疑った。三文の着ていたスカジャン。その脇部分が裂けたと思うと、そこから左右2本ずつ新たな腕がニョキニョキと生えてきたのだ。そして、新たに生えた腕と、元々の2本の腕には筒が。先程夜行たちも受け取った、空気を発射する銃のようなもの。三文が合計6本のそれで一気に手榴弾を撃った。すると先程のようにまた手榴弾が等速直線運動を始める。今度は同時に6つ。
まずい。6つ同時は止められない。先程のように守護霊たちが止めるにしても、1人1つまでしか動かせない。今動けるのは龍と鬼婆、守衛門だけ。3つが上限だ。
こうしている間にも、等速直線運動で迫ってくる手榴弾。もう、1つずつ止めていくしかないのか……!
その時、龍が夜行の側を離れ、前に出た。ちょうど三文と夜行たちの間まで来ていた手榴弾に向かって、突進していく。
「たっちゃん!?」
龍は夜行の静止を無視して突撃していく。
そして、床にあった金属バットを浮かせ、自分の前まで持ってきた。
「……?」
突然浮いた金属バットに怪訝な顔をする三文。
龍はその場バットを握りしめ(るポーズをして)、向かってくる手榴弾を思い切り殴打した。
金属が触れ合うカァンッという小気味良い音が鳴る前に、ドガンと爆ぜる音と煙が充満する。
その後も、煙で見えない中、どこかで爆発音が鳴り、煙が益々濃くなっていく。
「たっちゃん!」
「龍さん!」
夜行と沙生が龍の身を案じる。しかしすぐに煙の中から龍が出てきて、
「ヘーキヘーキ!俺、死んでるから!」
そう言ってバットを肩に担ぐ。
夜行はそう言って笑う幼馴染の姿に、在りし日の光景を懐旧した。
「てめーら!夜行をいじめんじゃねえ!」
それは小学3年生の夏。それまで一緒だった龍と離れ、別々のクラスになった夜行。その頃、夜行はひ弱で気弱で。何かにつけて、体の大きい同年代の子に、訓練してやると言われてはパシられていた。重い物を取りに行かされたり、一人で長い廊下の雑巾掛けをやらされたり、意味も無く校庭を走らされたり。
夜行は幼弱で、「嫌だ」とも言えず。でも全て終わっていじめっ子がいなくなってから涙を流すような、どこか気骨なプライドがあった。
そんな時に助けてくれたのが、幼馴染の龍。野球チームに所属していた龍は逞しく、友達想いの少年だった。昔から夜行が困っているとすぐに助けに来てくれる。時にはいじめっ子と取っ組み合いの喧嘩になってまで。
そして、心配する夜行に、笑顔でこう言うのだ。
「へーキヘーキ!」
その言葉を、夜行は幾度となく聞いた。
中学生になり、反抗期を迎えた龍が、家出して夜行の家に泊まった時も。ちょっと悪い先輩とつるんで夜更かししているという龍に電話した時も。先輩のバイクに乗せて貰ったと龍が言っていた時も。バイクの事故の後、幽霊になった龍と再会した時も。
その言葉は時によっては元気で快活な様子ではなかったが、夜行を安心させようという龍の気持ちが籠っていたのは、夜行もいつも感じていた。
死んだ後ですら、自分のことを思って側にいることを選んでくれた龍の気持ちを踏みにじらないように、夜行は強くあろうとした。肉体的に……は難しいから、精神的に。いつの間にか守護霊がたくさん憑いて、それが異端だとしてまたいじめられるようにもなったが、龍同様、自分を選んで憑いてきてくれた霊たちのために、極力皆の前ではへこたれまいと努力した。
でも結局、自分は守られてばかり……。今もまた、龍に助けられた。龍の笑顔を見て、夜行は決心した。
「沙生、聞いて」
「え?」
煙が晴れる前に、夜行は沙生に思いつきを託す。この部屋は密閉され、換気扇などもないために、一度大きな爆発が起きるとなかなか煙が晴れない。三文も今は、煙に巻かれて身動きが取れないはず。それを利用して、この部屋を出る作戦を、二人は交わした。
まず手榴弾を一つずつ、天井すれすれまで移動させる。これは動ける夜行の守護霊たち、龍と鬼婆、守衛門が担当。守護霊は煙を吸わないし、自由自在に移動できるから、大して難しくもない。三人で一つずつ、順番に、この部屋に浮かぶ手榴弾全て。爆発しないよう、一定の距離を開けて浮かせた。
次に、沙生と夜行が床まで移動。壁を蹴れば、その勢いで飛んでいける。これは守護霊たちと違って、煙を避けていかねばならない。煙はこの円柱のような部屋の真ん中に漂って、だんだんと広がっているため、壁に沿って移動すれば、下まで辿り着ける。これもなんとか成し遂げた。
けれども、そこで下にいた三文と鉢合ってしまった。当然だが。しかし双方武器を持っていない。三文の近くにあった手榴弾も、既に天井近くまで上がっている。
「……!?……おい、お前ら、手榴弾はどうした?」
煙で何も見えなかったのだろう。三文は急いたように夜行たちを問い詰めた。守護霊の姿が見えない三文は、さっきから何が起きているのか分からないようだ。
「上ですよ」
床に足を着け一安心の夜行は、三文の後ろ、レバーの元へ回り込む沙生が見えないよう、三文の意識を集める。
「何を……」
三文は怒濤の怪奇現象に疲弊しきってしまったのか、もう会った時のような圧は感じられない。いや、夜行たちが慣れたからだろうか。
夜行たちの作戦はこうだ。床に足を着けている自分たちと、天井すれすれの手榴弾。この状態で無重力を解除すれば、手榴弾が落ちてくるまで時間がある。その僅かな隙に、扉の外まで逃げてしまえば、助かるはず。
夜行は無事レバーまで辿り着いた沙生に向けて、三文越しにアイコンタクトをした。沙生は頷き、レバーを勢いよく下げた。
「!」
ガコンッという音と共に、沙生と夜行は床を蹴る……
はずだった。
「「……!」」
「おいどうした二人とも!?走れって!」
龍が声を張り上げる。しかしその通りに二人の体は動かない。
重いのだ。体が、とてつもなく。レバーを下げた瞬間、二人は膝から崩れ落ち、床に蹲ってしまった。
それはそうだろう。無重力状態に慣れた人の体は、そう簡単には戻らない。よくテレビ中継で宇宙飛行士が帰還したロケットから出て来る際に、何人もの人が彼らの体を支えている。そうしないと、地球の重力に負け、動けないからだそうだ。夜行と沙生はそれを知らなかった。
「(まずい……)」
「(う、動けな……)」
二人は指をピクピクさせることしかできなかった。二人の頭上に迫る無数の手榴弾。守護霊たちは夜行の周りを飛び回るが、生きているものを動かせない彼らのポルターガイストでは、夜行と沙生は移動できない。
「もうダメだ!」と、誰もが思い、目を瞑った。
しかし背中に何かが当たる感触はなく、爆発音もせず、しんと静まりかえった空間に、二人は当惑した。
「……?」
恐る恐る目を開け、重力に負けじと顔を上げて上を見る。
するとそこには、夜行たちの顔30cmほど上空で停止する手榴弾の大群。一つ二つではない。この空間にある全ての手榴弾が、空中で静止していた。
「あっ……」
夜行が空間を見渡して、目に入ったのは、部屋の真ん中で立ち上がって上を向いている、守護霊の伊藤。長い髪を逆立てて、両腕で何かを掴むように掲げている。
「伊藤さん!」
夜行が驚喜して伊藤の名前を呼ぶと、その声に反応したのか、「ウウウウ……」と俯きながら少し唸る伊藤。
伊藤のポルターガイストは他三人と違い、出力も大きく、範囲も広い。しかし伊藤の感情の振れ幅に大きく左右される。それに、伊藤がまともに他の人たちと意思疎通できること自体少ない。だから、伊藤は戦力としては微妙な立ち位置だった。
しかし今、夜行の危険に反応したのか、この世界に来てから初めて味方のために力を使った。
「うおお!伊藤さん!やった!」
「伊藤殿!久方ぶりの覚醒でござる!」
「ウ、ウウウ、ウウウ……」
龍と守衛門の歓喜の声に対し、何か伝えようとしているのか、伊藤は途切れ途切れに唸る。
しかし突然伊藤の活躍に浮つく一同の後ろに、仁王立ちの影。
「てめえら……俺のテーブルを壊しやがって……」
沙生や夜行と共に無重力から地球の重力まで落とされて、身動き取れないはずの三文が、6本の腕を従えて、立っているのだ。
「「!?」」
夜行たちは驚愕し、思わず口を開いた。
「な……なん、で、動ける……?」
「俺の作ったシステムだぞ?……ある程度体を慣らしてるからな。常人より慣れが速いんだよ……それより……」
未だ重力に床に押しつけられて身動き取れない二人を舐め回すように見て、三文は微笑を漏らした。
「どうやらお前ら、超能力持ってるみたいだな……」
倒れ込む夜行たちを見つめ、顎をさすりながら三文はたっぷりとした笑みを浮かべる。
「お前ら遊んでくれないし……それに、なんか興味深いデータが取れそうだ。研究に回すか」
そう言って三文が夜行に近づこうとすると、
「ウウウ!!!」
伊藤が大きく唸ると共に、停止していた手榴弾が一斉に三文の頭へ飛んでいく。
「あ?」
妙な雰囲気に気づいた三文が振り向き、間抜けな声を出した瞬間、三文の顔ど真ん中に、手榴弾が流星の如く降り注ぐ。
ドカンドカンと、一つ一つは小規模な爆発でありながらも、積もり積もって多大な威力となった手榴弾の爆発が、三文の顔を削り取っていく。
「……!」
三文は顔から煙を噴きながら、膝から崩れ墜ち、動かなくなった。
「伊藤さん……ありがとう……!」
「ウ、ウウ……」
夜行の言葉に対して、伊藤は嬉しそうに唸った後、立ち上っていたオーラを収め、またぶつぶつといつもの調子に戻ってしまった。
「よ、よし……」
夜行がなんとか腕に力を入れ、ゆっくりと立ち上がる。無重力空間にいたのが短い時間だったからか、割とすぐに動けるようになったみたいだ。そして、沙生の元へ向かい、同じく立ち上がろうとする沙生に夜行は手を貸す。
「ありがとう……夜行くん」
沙生も徐々に立ち上がり、お礼を言う。
「それに、守護霊の皆さんも!」
夜行の後ろに控える守護霊たちにも、沙生は欠かさずお礼を述べた。
そして、二人は、部屋の真ん中で焦げて座っている三文に近づき、夜行がつんつんと肩をつついてみた。
「……」
反応はない。
「もう襲ってこないかな?」
「うーん」
ピクリとも動かない三文から徐々に離れていき、どうにか次へ進むために、一同は部屋を調べてみることにした。
夜行と守護霊たちが部屋の壁などをペタペタと調べ回る中、沙生はあることが気がかりだった。
あれだけの爆発を持ってしても、外傷が見当たらない三文の体。
……このまま放置して、いいのだろうか?
「沙生はさ、今までの人生、本当に決断したことないの?」
「えっ」
訓練中のシュウとの会話。
「沙生は本当の危険に遭ったことがないんだろうね。家柄も、関係しているのかな」
「本当に危険な時、人間は本能的に選び取るんだよ」
「危険にさらされたら、決断できるかもね」
「そういう時こそ、変わるチャンスだよ」
シュウに言われた言葉。それをふと思い出す。
何故今この言葉を思い出す?沙生は自分の、制御の効かぬ深層心理に困惑した。
何かの前触れなのか?危険の起きる前兆?シュウさんに言われたように、私の本能が、何かに反応している?グルグルと頭を巡らせるも、答えてくれる人はいない。
目の前の、外傷の見当たらない三文の身体。もしまたこの人が動き出したら?さっき“研究に回す”と言っていた。この人が本気で私たちを捕獲しに来たら、抵抗できるのだろうか?いや、夜行くんはともかく、私は自衛できない。
漠然とした危険の予兆を沙生は感じた。
「(……それなら……!)」
沙生の初めての決断は、シュウの言った通り、危険に迫られて行われた。
ブォンと大きな物体が空を切る音が、ひっきりなしに響く。そして時折、ドゴッと鈍い音が空間を切り裂いていく。
拳や足が空振る音と、四肢がぶつかり合う音。それらが譜面に書かれた音符を奏でるように、どこかリズミカルに、発せられていく。
これが、カイイと疾風・石華の呼吸なのだ。定型がないようで、実はある。息をつく暇も、力を込めるタイミングも、それが着弾する時も。まるで完成された回旋曲のように、各々が空間に音を轟かせる。戦況は拮抗していた。
その完全な譜面から、意図的に音を外す。
パンッという音と共に、柏手を打つ巨躯。
音を外したのはカイイだ。
それまでその巨躯で疾風と石華二人の攻撃を受け止め、交互に攻撃を仕掛けていたカイイは、まず石華を豪腕で吹き飛ばした。石華はガードしたものの、勢いを殺しきれずに後方へ飛ばされる。
そしてその直後、一人になった疾風の背後へ回り、後方から掴みかかる。
「サワロォォォスープレックスウウウウウ!!!!」
プロレス技よろしく疾風を軽々と投げ飛ばす。最早勢いが大きすぎて地面に叩きつけたように見える。
「がッハ……」
背中に走る衝撃……と呼ぶには足りないくらいの酷烈な痛みに耐えながら、疾風は体勢を素早く立て直す。
今カイイは、疾風と石華を別々に倒そうとしている。石華を弾き飛ばした上で、疾風に技を掛けたのが何よりの証拠だ。しかし、二人で同時に攻撃したとて、その巨躯で先程のようにいなされてしまうだけだ。
なら、
疾風は再び斧を担ぎ前を向く。いなせない程の大きなダメージを与え、姿勢を崩した所にさらに追撃すれば。
できるのか自分に。もう既に疾風も石華もボロボロだ。カイイがあの体躯に変化してから、休む暇もなく攻撃を繰り出してきたから、もう体力も限界に近い。
次で決めなければ。
思い出せ。森の中で同じくらいの熊と戦った時のことを。体の大きさも力も、素早さも上回る相手に勝つ方法を。
「(まずは目潰し!!)」
襲いかかってきた熊の目に人差し指と中指を突き立てる。
「ギャッ!」
カイイは顔を覆って後ろへよろよろと後退。
そして、
「(次は筋肉で防御できない首!)」
黒い影の、ちょうど細くなっている場所へ、思い切り斧を振り上げる。
「……ッ!」
流石に首の大動脈から出血すれば死んでしまうので、刃のない方で思い切り首を叩く。
しかしカイイは涙目を微かに開いて、振り下ろされる斧を首スレスレで握った。
カイイの巨躯が、疾風を飲み込もうとジリジリ力を込めてくる。
ぐおおおお!押し負けるな!力を込めろ!
疾風はその掴まれた斧に渾身の力を入れ、押し負けまいと、斧をカイイの首前まで移動させる。
「何を……」
またもや拮抗した。カイイは疾風の力の強さに困惑する。それに加え、首の側面を狙ったと思ったら、今度は前?疾風が移動させた斧の位置に、意図を見い出せず、カイイは疑問符を浮かべる。
「(俺には……まだやるべきことがあるんだッ!!!)」
「石華!」
疾風は心の中で叫ぶと共に、仲間を呼ぶ声を上げる。
カイイはハッとした。さっき吹き飛ばした石華の姿が見えないことに、狼狽えた。壁まで飛ばしてひどく体を打ち付けたはずなのに、そこに石華はもういない。どこに……
そう思って目を忙しなく動かした瞬間、斧がまた一段と首に押しつけられ、自分の硬い手の甲が喉に食い込む。
しかし、ぐっ……と苦悩の音を出す前に、カイイの首から音が鳴る。
ミシミシボキィと乾いた重低音が鳴り、カイイの首が前後くの字に折れ曲がった。
「……!」
突如天井を仰いだ自分の首の動きに困惑し、カイイは声を出せなかった。声を出せないまま、カイイはうつ伏せに倒れた。
辛うじて、首の骨が折れたということをしばらく経って理解したが、筋肉量の少ない首は、頭を支える程の筋肉を集めることができず、首は後ろに傾いたままだった。
後ろを仰いだカイイの瞳に、覗き込む石華の顔が映る。
「や……やるわね……ッ!動け……ないわ」
グググッと力を入れて体を動かそうとするカイイ。首が折れているのにここまで意識がはっきりして、身体を微かに動かせるのも、改造の賜か。恐ろしい技術だ。
「私の首を固定して……後ろから蹴って骨を折ったのね……弱点を突いた……いい戦い方だ……わ」
今にも動き出しそうな顔で、しかし覇気の無い声で、カイイはまだ声を絞り出す。
カイイの脳内に、在りし日の記憶が蘇る。
私は元々、腕っ節を買われて警備員になった。
小さい頃から怪力で有名だった私は、プロレスラーを目指していた。しかし社会情勢の悪化と共に娯楽は制限され、その夢も潰えた。
しかし夢を潰されても、私は身体を鍛え続けた。鍛えたら鍛えた分だけ結果が出る自分の肉体の美しさに、惚れ惚れした。
警備員となった後も、毎日欠かさずトレーニングを続け、他の腕自慢と手合わせしながら、限界を追い続けた。いつしか私の周りには、敵どころか肩を並べる存在すらいなくなっていた。
しかし……
「おい!ハカリ博士が人造人間造ったってよ!」
「滅茶苦茶な訓練積ませてるらしいぞ!」
そんな同僚の会話を耳にした時、全身が震えた。
戦ってみたい。人造人間というからには、備わった能力も相当のものだろう。それに加え、訓練もしているなら……考えるだけで筋肉が浮つく。
そして、いつだったか。その人造人間との手合わせが実現した。名をシュウと言った。人造人間は二人いたが、シュウの方が強いと片割れが言うので、そのシュウと戦うことになった。
手合わせは、10秒と持たずに終わった。
私は最初の拳を繰り出した後、それを止めたシュウの姿しか記憶に残らなかった。後で審判だった人造人間の片割れに聞いた所によると、拳を止めたシュウが私の裏へ回り込み、絞め技で落したとのこと。
目覚めた時にはもうシュウの姿は無かった。
信じられなかった。あの細腕に、私の首の筋肉が負けたというのか。いや、それよりも最初の攻撃。あれを止める力が、あの身体の何処にあったというのだ。私は最初、全力で拳を振るった。床を蹴り、前のめりになって、全体重を掛けた拳を、繰り出したつもりだった。それを、あの細腕が止めただと?
私の身体は今が全盛期。そう思って慢心していた。
でも、後で知ったけど、シュウはまだ成長途中で、身体も訓練も仕上がっていなかったらしい。そんな中途半端な状態の人間に、負けてしまった。それを知って、さらに打ちのめされた。
人造人間に勝つには……どうしたらいい?
そう思っていた時、我田の“改造”の研究を知った。そして私は、自ら実験体に志願し、研究は成功。皮下で絶え間なく膨張する筋肉を制御する力を手に入れた。
ただ……それでもシュウには勝てなかった。
私はずっと努力を続けているのに。
なのに。
人造人間どころか、ただの人間に、しかも年下の子に負けてしまうなんて。
「私ももうダメなのかしら……」
カイイが先程のテンションと段違いな弱音を吐いたのを聞いて、石華は目を丸くした。
こんな努力と根性の塊みたいな人なのに、一気に弱々しくなってしまった。
「私とあなたの違いは何?」
カイイはそう石華に尋ねた。
石華はよく分からなかったが、
「うーん。世界線の違い、かしら?」
と、思いつく限りの返答を即座に返した。考えてもそれくらいしか思いつかない。生まれた世界線が違うから、強くなる方法もそれをできる環境も、違うでしょ?と付け加えて。
「……ふふっ。そうね……そうなのかも……」
カイイは石華の返答に最初ぽかんとしたが、すぐに納得して、手を動かした。
「……私の負けよ……はい」
震える手でポケットを探り、取り出したのは、カードキーらしきもの。カイイはそれを石華に渡して、目を閉じた。
「……」
石華は戸惑いながらもそれを受け取り、握りしめた。
「扉の鍵だろうな。これで進めるな」
石華の隣に戻ってきた疾風が、カードキーを見てそう言った。
「じゃあ行きましょう。夜行と沙生が心配だわ」
「そうだな、とりあえず、セントラルラボへ行ければ、そこから逆走して隣の棟に行けるかも」
そう投げかけて、ボロボロの身体に鞭打ち、二人は先へ進む。
「あっ!行雲さん!5階ですよ!」
階段を駆け上がっていた三人は、ついに連絡通路のある西棟の5階まで到達した。
階段を上りきった蒼啓は、どっと疲れが出てその場に座り込む。ソカに刺された二の腕の傷も、一応手当しているが、痛む。
「さ、さすがに疲れた……」
「そうか?」
行雲はさすがと言うべきか。5階まで階段と廊下を走ってきたというのに、息切れすらしていない。まあ1階から5階までぶっ通しでは無かったが。それでも間に休憩ではなく戦闘を挟んでいるのだから、体力はその分削られているはずだ。しかし行雲は少しもその疲れを見せない。その隣でぼーっとしながら虚空を見つめる一徹も、改造されたからか、体力は少しも削られていないようで、無心に二人の後を付いてきていた。
一徹のように改造人間になった者は、基本的に命令がないと動かない。加えて命令は口頭で伝えるだけではなく、特殊な機械を内蔵したマイクを通さねば意味がない。これは、研究所側が改造人間を管理しやすくするためだ。
だから蒼啓は、一徹を連れていく際に、ソカの落したマイクを使い、それを通して一徹に声を掛け、一徹を同行させていた。
正直一徹を連れていってどうしようと思っていたわけではないが、あの部屋に置いておくわけにもいかない。
それに、シュウさんならどうにかできるかもしれないと蒼啓は思った。元研究所の人造人間……真相は分からずとも、あの人ならどこにかできるかもしれないと期待してしまう何かがシュウにはあった。
「もうみんな来てるかな?」
息を整え、また歩き出しながら蒼啓は行雲の声を聞く。
「うーん。俺たちかなり手摺った感じしましたし、もうみんないるかもですね」
そう言いながら、連絡通路を通り、廊下を走り、大きな扉にさしかかる。
ウィーンという機械音と共に開いた扉の先、その部屋の中を見て、蒼啓たちは絶句した。
そこには、床一面に散らばるガラスのような透明な石の破片。大小様々な大きさの破片が、天井から降り注ぐ光に照らされて、キラキラと反射している。
「……?」
「なんだこれ」
明らかに普通の状況ではない。壁際には丸い穴が空いた棚のようなものが、一面にびっしりと並んでいる。
「これって……あれじゃねえか?」
行雲があれ、あれと連呼する。名前を思い出せない様子だが、それより前に蒼啓は察した。
「(これは……ポータブルクリスタル……!)」
前に一度、それも一瞬見ただけだが、棚に空いた丸の大きさ、飛び散った破片の質感から見て、それであることは明白だった。
「なっ、なんで……こんなっ!」
割れた破片を両手で掬い上げ、蒼啓は焦る。地震でも起きたのか、というくらいに、悉く木っ端微塵になった様子。これが使えなきゃ元の世界には帰れないのに!
そう感じた矢先、隣の部屋からビーッとブザー音のような音が聞こえた。
「!?」
「何の音だ?」
蒼啓と行雲は同時に隣の部屋へ続く扉へ目を向けた。何か隣から物音が聞こえる。カタカタ、ピーッという機械音。
二人はその扉に近づき、隙間から様子を窺う。
大きな部屋……数多の機械と棚が並ぶいかにも研究室っぽい雰囲気。その中心に、仰々しい機械。円盤状の台のようなものと、それと繋がる盤、そしてその上、空中に浮かび上がる数々のモニター。透明で、奥の景色が透けて見える。
そして、その前でキーボードを操作する白衣の人物。研究者っぽい見た目だが……?
「よし……これで、あいつらでも追ってこれまい……」
何か操作した?そう蒼啓が思った瞬間に、新たなモニターが空中に浮かび上がり、「15:00」という数字の羅列が表示された。
そして、その白衣の人物が盤のボタンを押すと、「14:59」と数字が切り替わった。
「!」
なんだ?何かのカウントダウン?
蒼啓は瞬時にそう捉えたが、数字すら読めない行雲は何が起こっているのか分からない様子。
嫌な予感がする……。
「ポータブルクリスタルは全て処分した……そして直にこれも使えなくなる。あとは私が移動すれば……」
白衣の人物がそう呟いたのを聞いて、蒼啓は思わず扉を開けた。
「お前!何しやがった!?」
「!?」
先程の発言……この大きな機械は世界線移動装置?ポータブルクリスタルの親機のようなものだろうか?……まさかとは思うがポータブルクリスタルを全て割り、親機も使えなくしようとしている?俺たちを足止めするために?瞬時にそこまで考えて蒼啓は白衣の人物に思わず声を掛けてしまった。
「あ、ああ……あの人間擬き《もどき》の仲間か……フン、もう遅い」
白衣の人物は蒼啓の方を見やった後、円盤状の台の上に乗った。
その瞬間、ドコォンッと、白衣の人物の後ろにある扉が吹っ飛び、扉と一緒に人影が飛び込んできた。
「「!?」」
飛び込んできたのは、辛うじて人だと判別できるくらいに破壊され尽くされていた人間。両腕は無く、折れた肋が露わになり、全身の至るところから血を流している。
「……!」
白衣の人物はそれを見てぎょっとしたものの、すぐに下卑た笑みを浮かべて、
「1001番!よくやった!お前の時間稼ぎのおかげで逃げることができる!安心して死ね!」
その身体の欠けた人間にそう言った。
白衣の人物は逃げる気だ。どこへ行くのかは分からないが、恐らくあの円盤状の台は世界線移動装置。
「待ちやがれ我田ァ!!!」
聞き覚えのある声が、扉のあった場所の奥から聞こえた。そこから現れたのは血塗れのシュウ。返り血だろうが、元の着物の色と合わせて真っ赤に染まったシュウの姿は、まさに鬼神のような出で立ちだった。ここまで怒りを露わにしたシュウを見るのは蒼啓たちは初めてだった。
だが蒼啓にとってそんなことはどうでも良く、シュウの発した言葉が蒼啓の頭を駆け巡る。
“我田”……。さっきソカから出た名前。一徹をこんな風にした……。
「お前かあああああああ!!!!!」
刹那の間に蒼啓の頭に血が上り、額にビキリと血管が浮き出す。その咆哮と共に走りだし、我田の顔目掛けて拳を振るう。
シュウも同じタイミングで刀を振り上げ、我田の首目掛けて振り下ろす。
蒼啓の拳とシュウの切っ先が届く間際、我田はニヤリと憫笑を浮かべた。
ヒュッ
そしてそれが届く前に、我田の姿はこの世界から消えた。




