1492年8月、上海から南京へ
読んで頂いてありがとうございます。
ご要望がありまして、各年代の話題を5話ほどづつ続けることになります。
私も交互に書くのは読みにくいかな、とは思っていましたので、有難いアドバイスでした。
唐翔太は、父が中国人で母が日本人の20歳のハーフであるが、高中佐の部隊に加わっている。彼は、この明に行くという部隊の話を、父の中華料理店で聞き込んだのだ。そこで、父親の人脈を最大限に生かして、その人脈に熱心に頼み込んで明行きの部隊に加わることができたのだ。
彼は日本で生まれ育って、普通の教育を受けて大学生になっており、日本にもなじんで母の同胞である日本人に対してそれなりに好意を持っているが、父の同胞中国人に関してもその歴史を勉強して大いに誇りに思っている。
とりわけ、明の時代は漢民族の王朝としては最盛期の一つである。その時代に建設された南京と北京の壮麗な城郭都市に、その時代に大部分が建設された万里の長城は、歴史上どこの国にも現れなかった規模のものである。彼は旅行で南京と北京に行っており、中でも今回の祖国帰還部隊が訪れる南京に入るのを大変楽しみにしている。
これは、北京については21世紀にも明の時代に造られたその城郭は殆ど残っているが、南京はその城郭の大部分が破壊されて部分的にしか残っていない。そしてその規模は北京を凌ぐものである。
明代の南京は、中心になる矩形の宮殿が1.16㎢、それを取り巻く同じく矩形の皇城が6.53㎢にもなる。さらに、それらを取り込んでいる、市街地である自然の地形を生かした不規則な形の内城が55㎢もの広さを持っている。そして、それらの城壁には10以上の壮麗な門が設けられており、その城壁の高さは14m〜21mにも及ぶのだ。その建設に当たっては、20万人が20年間の従事したという。
この城壁は万里の長城と同じで、防御のためのものであるが、結局内部の乱れによる国力の低下のために、異民族を防げなかった訳である。従って、あまり実用性は無く無駄と言えば無駄な施設であるが、その意味で、エジプトのピラミッド、アンコールワット周辺の多数の巨石遺跡も似ている。
そして、それほどのものが一人の権力者の命令で作られたというのが、世界史の奇跡であり、人のある意味愚かさであり、ある意味凄いところだと翔太は思うのだ。
翔太たちは、荷下ろしを手伝いながら、上海で出発を待っていたが、その間は旅館で泊まっていた。なにせ、乗ってきた貨物船には、その人数を収容することは考慮されておらず、貨物室の荷物の間に無理やり居場所を作っていた状態だった。
食事もなかば携帯食みたいなもので、船内のトイレなど衛生施設も明らかにキャパオーバーであった。だから、元々の船員を除いたメンバーは、高などの先乗り隊によって手配された宿にすぐさま移ったのだ。
その旅館は、2階建ての安普請に6畳程度の部屋に分かれており、ベッドとして2つの一段高くなった台が作り付けられたもので、その上に厚手の敷物と上掛けがあった。まだ、一般庶民には布団などしゃれたものはない時代だ。季節は夏なので、それでも寝るには不自由はないということで我慢するしかなかった。
港町だけのことはあって、レストランはその旅館を含めて数多くあったが、意外にも中国料理の形はほぼ確立されており、いずれの食事もそれなりに美味しかった。酒はいずれの食堂でも紹興酒や白酒が供されていたので、潤沢に小遣いを渡された隊員は、500年もの前の食事を十分楽しむことができた。
「おい翔太、すこしは酔ったか?」
隣席の30歳台の尚がすでに赤い顔で、少し酔いに座った目で翔太を見て声をかける。
「ええ、すこし酔いました。それにしても、我が国の料理はこの時期殆ど完成していたのですね。味はあまり変わりませんし、紹興酒の味もほとんど変わりません」
「ああ、その点は俺も意外ではあったな。500年前だから随分お粗末だろうと思っていたが、いや満足したよ。この料理の基礎は紀元前に確立されたというのだから、わが中華民族は偉大だな。ところで……」
人民解放軍出身の厳つい尚が、翔太に向けて身を傾ける。
「4軒隣に娼館がある。お前は経験があるのだろうな?」
「え、ええ、えへへ。まあ、ありますよ」
「よし、この時代はヨーロッパ人の持ち込んだ性病は入っておらん。従って、行くぞ!」
「なにが、『従って』ですか?でもまあ行きましょう」
こうして、そこの飲み屋で飲んでいた隊員は全員で娼館に消えていった。男共に変に金を持たすと碌なことをしないという例である。ちなみに、性病については中国古代でも話題にはなっているが、これは伝染性のものでないと考えられている。
梅毒のような伝染性のものは、コロンブスが西インド諸島から持ち帰り、バスコ・ダ・ガマなどの航行者がヨーロッパを通して東洋に伝えたとされている。人間、特に船乗りはどこに行ってもやることはやっているという厳然たる証拠である。
宋中佐の率いる車両の隊列は、元の時代に貿易都市として体裁を整えられた上海の町並みを走る。後部座席に座る宋の横には、上海において様々な準備をしてきた、広州機電社の高敬沈が座っている。早朝の道には歩行者がぼつぼつと歩いており、馬車や牛車が時々走って(歩いて?)いる。
それらの、歩行者は例外なく車の隊列を見て目を丸くして驚き、馬車や牛車に乗っているものも身を乗り出してみている。当然だろう。15世紀の上海にエンジン音を立てて、ランクル、トラック、バイクの車列が走っているのだから。
「宋隊長、いかがですか。15世紀の上海は?」
高が街中を走る車の中で、外のそうした様子を眺めながら聞く。
「うーん、広いねえ。特に空が広い。21世紀の上海は高層ビルで埋まっていたからね。ところで、高さんはこの上海で暮らしていたと聞いていますが?」
「ええ、妻と子がいましたが。住んでいたマンションのあったところは、この時代は池でした」
この重い言葉に、少しの沈黙の後に宋が口を開く。
「私は、妻とは別れまして。子供はいなかったのです。
まあ、ところで向かっている南京は明の副都という位置づけのようですが、皇族が副都長としておられるそうですね。それで、今度お会いするのは南京軍の司令官の崔閣下だとか」
「はい、崔圭人閣下は名門崔家の一員で、南京軍15万を率いておられます。私は、軍の幹部としてまず崔閣下に拳銃と小銃をお見せし試射して、軍務卿の周宗全閣下に繋いで頂いたのです」
「なるほど、しかし、短期間によくそれだけの段取りが組めたね?」
「ええ、その点はお金のお陰です。今の時代は、持ち込んだ銀が大きな値打ちを持っていますから。わが民族は、この時代も21世紀も結局は金次第ところがありますからね」
そういう高は、広州機電社の上海支点の45歳の輸出部長で、中国で買いつけたものを海外に売るというのが役割だ。たまたま、日本のクライアントと会う為に来日していて時震にあったもので、妻と娘は上海に残ったままだった。彼も、家族と職場を失った痛手でしばらくは落ち込んでいたが、明へ渡って中国の近代化を助けるという日本支社長の徐宇振の話に乗ったものだ。
そこで、彼は日本から送る部隊が上陸する上海に先乗りして、現地の調整・準備と明の役人との接触を行っている。彼は、中型の貨物船に乗って上海に入ったが、上海は物流と貿易港として整備されたものであり、港の周辺にはそこそこの建物が集まっているが、全体としてはそれほど大きな町ではない。
その機能は港を活用した物流の中心という役割に加え、周辺の綿花畑の収穫物を集めた綿糸・綿布の産業が盛んになりつつあるというような土地柄だ。港湾の機能としてはまだ中途半端であり、部分的に石積みの突堤はあるが、基本的には桟橋は木造である。これらは、中国の普通のジャンクに適応したもので、数万トンクラスの船の横付けは無理である。
だから、今回の2隻の船は沖において、ジャンクで荷揚げすることになったものだ。高は桟橋を適切に補強する手配はしたつもりであったが、荷物輸送のプロから見ると不十分ということで、再度補強の必要があったのだ。そのような苦労はあったが、必要な車両と機材を揚陸して、ようやく副都である南京への移動の準備が整ったことになる。
とは言え、まだ貨物船から機材の運び出しは終わっていない。銃器や弾薬の製造を上海で行うことになるが、最初は動力確保が容易な船内で行う予定であったが、揺れる船内では難しいということになった。
そこで古い紡績場の建物を買収して、そこに据え付けて製造を行うことにしている。そのような作業の運搬据付の作業、人員の宿舎の手配などは、日本に一緒に出張していて取り残された部下の遼に任せてある。
ちなみに、こうした工作には多額の金が必要であるが、当然日本にいた中国人が明の正式通貨である永楽通宝を大量に集めるのは不可能である。しかし、この時期は、銅銭のみでは経済が回らないということで、商取引には銀が使われているので、高は銀のインゴットを3トン持ち込んでいる。
銀は、日本が世界有数の銀産出国であった昔ならいざ知らず、現在国内の鉱山は全て閉鎖されており、産出は廃棄物からの回収のみになっている。従って、海外からの輸入が途絶えた今は品薄になってきている。
おかげで3トンの銀は、時震前の相場の3倍近い5億円をかけて入手する必要があった。しかし、その苦労のおかげで明に渡ってからは、交渉を捗らせるための様々なルートへの賄賂や、人の雇用、建物の購入などの費用を十分賄うことができた。
上海の町並みは15世紀では10万都市程度のものであるが、主要道路は幅が30m〜50mほどもあって街並みは宋も言うように広々している。中国の道路は、秦の始皇帝の時代には、皇帝の通る幹線道は幅70mあったとされ、それから遥かに時代が下ってもゆったりした広い作りになっている。
その路面は一部がレンガ敷になっているものの大部分は砂利交じりで締め固められた土であり、そのため相当な凹凸があり、ぬかるんでいるところもある。しかし、もっと悪いコンディションを想定していた宋中佐の一行については、南京までの道のりはそれなりの揺れがあったものの快適なものであった。
隊列は大体時速30〜40km前後で走ることができているが、途中の橋の床板の傷み(穴)でトラックが通過できないところがあり、さらに斜面下の狭い道で牛車に遮られて時間を要した結果、途中で日が落ちた。とは言え、馬車を使って場合は6日から7日の工程であるので非常に早いのであるが、その夜は南京泊りであるためにライトをつけて走っていた。
「ん、宋中佐あれはなんでしょうか?」
先頭車の高が、遅くなったのをグチグチ言っている宋に話しかける。
「う、うむ。どうも馬車が襲われているらしい、守り側の何騎か抵抗しているが、襲っている方も騎馬だな」
白く見える道路にあって、馬車らしい塊とその周辺にいる数騎に向かって騎馬の群れが襲っている状況である。馬車の周りで馬に乗った数人が松明を持っている光で、襲っている側に10騎、守っている側に3騎ほどがいるのが解る。
そして、宋は急ぎ無線機をケースから取り出して、スイッチを入れて呼びかける。
「民中尉、民中尉、応答せよ」
一拍おいて無線機が応える。
「はい、宋中佐殿。こちら、明中尉です」
「民中尉、貴官の車が先に出て、前方の馬車を救え! ただ、基本的に射撃は馬を狙え。貴官と部下が襲われるか弓などで狙われない限り、人に向けては撃つな」
「は、了解しました。では加速します」
その声とともに、減速した先頭車を後ろのヘッドライトが迫ってきて追い抜いていく。追い抜いた車には5人が乗っているが、馬車が襲われている場所から、30mほどの距離で減速してブレーキ音を立てて止める。
そこまで近づくと、男の叫びと女性の悲鳴のような声が聞こえ、松明の明かりで地面に横たわっている人が数人見える。突然迫ってきたヘッドライトの群れに、騎馬の者達が驚いて固まっている。それに対して、ヘッドライトの光の中に、追い抜いた車から小銃を構えて4人が下りて若い声が叫ぶ。
「馬車を助けにきた。襲っているものは去れ。去らないと撃つぞ!」
そう言った途端に、松明を持っている騎馬の一人の脇に、3発の連射をする。パリパリパリと音が響き、暗い中に火柱が瞬いて連続した火矢が男の傍を走り抜ける。音と光に馬が驚き暴れ始める。その状況を見てひとりが「引け!」と叫び、ヘッドライトの反対側に駆けだす。
「民中尉!2騎ほど馬を撃って、騎士を捕らえよ」
宋が銃を構えた兵に向かって叫ぶと、「は、了解!2騎の馬を撃ちます。周!俺の撃った隣の馬を撃て!」命じた周は馬を御すのに手間取って逃げ遅れている馬に3連射する。
それを見て、その隣にいた馬に向かって命じられた兵が同じく3連射する。2頭の馬は「ギィヒヒーン」と悲痛な声をあげて倒れ込み、一人の騎士はそれに巻き込まれ、1人は馬を蹴って着地する。
そして、彼は、慌てて立ち上がり逃れようとするが、バイクが一台走り寄り、拳銃の握りで頭を殴りつけ昏倒させる。それは翔太であった。
高はその一連の立ち回りを見て、宋中佐の有能さを実感した。やむを得ないことで遅れたことをブチブチ言うなど、『こらえ性のない奴』と能力に疑問を持っていたが、的確な判断と指示は申し分ない。『“文句垂れ”なんだな。文句を言わないとやる気が起きないとか』そのように高は思うが、彼にとっては共に働く部隊の指揮官が有能であることは大いに歓迎すべきことである。
その馬車には、南京の大商人である梁家の令嬢が乗っており、別荘に行っての帰りに車軸が壊れてスピードが出ずに暗くなって襲われたものであった。昼間はともかく、暗くなるとしばしば盗賊に襲われることもあるこの街道であるが、車軸については別荘の使用人の仕業ということが後に解っている。
護衛の7騎の内3騎の騎士は、すでに盗賊に打ち倒されていたが、1人は重傷ではあったが生き残った。また、小銃で打ち倒した騎馬の一人は、足を銃で撃抜かれてさらに馬の下敷きになる形で死んでいたが、拳銃で叩かれたもう一人は生き残って、南京の軍に引き渡された。
その18歳の小柄で美しく勝気な令嬢は、メイドが泣き叫ぶ中でも気を張っていたが、助かったと解った途端に気を失いそうになったものの、それでも気を持ち直していた。そして、宋と高の家まで送るとの誘いに、彼等の顔を見て、また率いている部隊の様子を見て決然と頷いた。商人の娘として、これだけ商売の種になりそうな相手と近づきになる絶好のチャンスだ。
このようにして、彼女とお付きのメイドは宋の指揮車のランクルに乗って、南京の梁家に送り届けられることになった。彼女らを梁家の壮麗な屋敷に送り届けたとき、その夜は主人が不在であった。しかし出て来た夫人は大いに感謝して引き留めようとしたが、丁重に断ってその場を辞している。
「これは、運が良かったとしか言いようがないですね。梁家といえば明最大の商家だ。何とかつなぎをつけようと思っていろいろ動いていたのですよ。商業・工業の改革を進めようとすれば、大商家とどうしても組まざるを得ない」
宿に向かう道の中で、高は宋に言った。




