表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
草食女子が 悪の華  作者: S.U.Y
4/10

嵐魔将ハリィ 触れたい幼心

 目の前の景色が、テレビのチャンネルが変わるように切り替わる。握っていたブレイグの感覚が手首から消えて、珠代の身体は空中に放り出される。ぽすん、と着地をしたのは、一瞬後のことだった。


「おかえりなさいませ、珠代様」


 カリスが、珠代へ恭しく礼をする。


「あ、えっと、はい……ただいま、です」


「いきなり最敬礼はやめろよカリス。魔王様が戸惑ってるだろうが」


 玉座の背もたれへ肘をかけたブレイグが、カリスへ向けて横目で言った。


「……珠代様を勝手に連れ出して、一体何をしてきたのですか、ブレイグ?」


 魔王様、と珠代を呼んだブレイグに、カリスが僅かに目を大きくして問う。


「そりゃ、秘密だぜ。なっ、魔王様」


 悪戯っぽく笑いかけてくるブレイグに、珠代は微かな微笑みで応える。珠代の腕の中で、紅い仔羊がメェーと鳴いた。


「……珠代様、その、魔界羊は一体」


 ちらりと仔羊へ目を向けて、カリスが今度は珠代に問いかける。


「これは、その……説明するのは、少し難しいのですけど……」


 何から説明をしたものか、と珠代が言いよどむ。そこへ、カリスの背後から声がかかった。


「おい、さっきから、おれは無視かよ。カリスもブレイグも、そこのただの人間の女もさ」


 それは、不機嫌そうな少年の声だった。カリスの長身で隠れて、珠代からは声の主が見えない。身体を伸ばし、首を動かす珠代に気付いたカリスが、すっと優雅に身体を退けて背後を向いた。


「ハリィ、先程言っておいた筈ですが。この御方は、ディアブロ様の跡を継ぎ魔王の座に君臨される、朝倉珠代様です。無礼で頭の悪い言語は、慎みなさい」


 カリスの口から、辛辣な言葉が飛び出してくる。それを向けられているのは、一人の少年だった。


 浅黒い肌に、十代前半くらいに見える華奢で小柄な身体を、ボロボロの朽ちた布のようなマントに包んでいる。白みのかかった銀髪に、藍色の瞳は吊り上がっている。眉は細く頬はシャープで、きつい印象の美少年、といった風体である。


「話は聞いたさ。でも、おれは認めてない。こんな、魔力も無いクズみたいな人間の、しかも女が、おれたちの上にくるなんてさ」


 甲高い声に、とげとげしさを乗せて少年が言う。唐突に寄せられた敵意に、珠代はぐっと息を詰まらせる。


「ははは、馬鹿だなハリィは」


 固まりかけた空気を、陽気な笑い声が破砕する。少年の側へ転移したブレイグが、そのままぱかんと少年の頭を叩いた。


「いてっ! 何すんだよブレイグ! あと、馬鹿が馬鹿って言うな! 少なくともお前よりは賢いぞ!」


「ヒトを見た目で判断するようなガキは、馬鹿で充分だよ、馬鹿」


 殴られたダメージよりも、馬鹿と言われたことにショックを受けたのか少年は顔を真っ赤にしてブレイグを睨み付ける。対するブレイグは、余裕たっぷりに腰に腕を当てて仁王立ちでにやにやと少年を見下ろしている。二人の身長差から、珠代は二人が兄弟のように感じられた。


「……この、妙にほっこりしてこっち見てる女のどこが、魔王に相応しいんだよ」


「あー、そりゃ、アレだ……カリス、頼む」


「少なくとも、嵐魔将と呼ばれ恐れられる貴方の前で、平然としておられるところには、魔王様の度量を感じられますよ、ハリィ」


「へん! それは、おれの力を知らないからだろ? 切り裂け、風よ!」


 鼻を鳴らした少年、嵐魔将ハリィが珠代へ手のひらを向けて叫ぶ。ハリィの手のひらの前で、空気がくしゃりと歪んだその光景を、珠代が見たのは一瞬のことである。直後に、大きなものが珠代の眼前に立ち視界を塞いだ。

風が、珠代の耳元を通り抜けていく。だが、今の珠代にそれを気にする余裕はなかった。


「大丈夫ですか、珠代様?」


 問いかける声が発した吐息が、珠代の頬に触れる。それほど近くに、カリスの顔があった。恐らく、ハリィの行動は攻撃的な力が込められていたのだろう。咄嗟にカリスと、そしてブレイグが動いていた。


「だ、大丈夫……です」


 かろうじて答える珠代であったが、カリスの美しい相貌が間近にあっては落ち着かない。微かに漂う柑橘系の、少し甘い香りに珠代の心臓はどくどくと音立てんばかりに高鳴ってゆく。


「ふうん、ちぃとは、やるようになったじゃねーの、ハリィ」


 カリスの向こうで、ブレイグが挑発的な声を上げる。目を向ければ、ハリィと珠代の間を遮るように伸ばされたブレイグの腕が、赤黒く染まっていた。ぽたり、ぽたりと滴の落ちる音に、珠代はその腕がずたずたに裂けていると解った。


「ブレイグ……っ!」


「あー、大丈夫だぜ魔王様。俺は、頑丈な馬鹿だから。これくらい、大したことないぜ」


 カリスが身を横へ避け、珠代が身を乗り出して呼びかける。ブレイグが何でもない、という風に負傷した腕を振って見せれば、傷口から炎が噴き出し血が止まる。


「なんでだ? なんで、そいつを庇うんだよ、ブレイグっ!」


 猛然と、ハリィがブレイグに食って掛かる。


「何でってそりゃ、魔王様だからだぜ?」


 対するブレイグが、ハリィに首を傾げて言った。おまけとばかりに両手を拡げて上げ、訳が分からない、と小馬鹿にしたジェスチャーを見せる。


「だ・か・ら! 馬鹿のくせにいちいちヒトを馬鹿にすんなよ! せっかく、そいつにおれの力を思い知らせてやれるチャンスだったのに、なんで邪魔すんだってこと! おれが言いたいのは!」


 いきり立って増々言い募るハリィに、ブレイグは動じない。


「お前、ディアブロ様がなんつってたか、忘れたのか? 新しい魔王様を送るから、そいつを担いでテッペン獲れって、言ってたろ?」


「ディアブロ様はそんな頭悪い言い回ししない!」


 ハリィとやり取りをするブレイグは元気そのもので、大怪我を負った痕跡は微塵も感じられない。本当に、大したことはないのだと知り珠代はほっと胸を撫で下ろす。


 改めてハリィを見れば、珠代の視線に気づいたのか目を鋭く細めて見上げてくる。


「……なんだよ、女」


「ハリィ……珠代様?」


 表情を険しくするカリスを、珠代は手で制する。そうしてハリィの瞳に、真っすぐな視線を返す。


「まずは、ブレイグに謝りなさい、ハリィ」


「なっ……なに言ってんだよ、女のくせに」


「私が女であるということと、あなたがブレイグに怪我をさせたということは、関係ありません。それとも、あなたは誰かに怪我をさせて、謝ることも知らないお子様なのかしら?」


 珠代の言葉に、ハリィが口をぱくぱくとさせて絶句する。その間に珠代は玉座を降り、ハリィのすぐ側まで歩み寄ってしゃがんで目線を合わせる。


「あなたが言うところのクズみたいな人間でさえ、あなたの年頃には悪いことをしたら謝るっていう常識くらい、知っているわ。もちろん、あなたも知っているのよね、嵐魔将の、ハリィくん?」


「ばっ、馬鹿にするな! それくらい……知ってる! おい、ブレイグ! その……ごめん」


「へ? ああ、別にいいぜ。もう跡も残って無えしな」


 珠代に大見得を切り、ブレイグに向けてハリィが頭を下げる。ブレイグは一瞬きょとんとした顔をしたが、言葉通り傷の無い右腕を掲げて笑顔で応えた。


「……これでいいか、女」


 頬を膨らませたハリィが、珠代へ向き直って言う。珠代は、そんなハリィの頭をゆっくりと撫でた。


「ええ、よくできました。それから、私の名前は朝倉珠代。ちゃんと、人を呼ぶときは名前で呼びなさい」


「子供扱いすんな!……おまえ、おれが怖くないのか? おれの力は、さっき見せてやっただろ?」


 珠代の手を払いのけようと、ハリィが腕を伸ばす。ひょいと腕を上げてそれを避け、珠代はにっこりとうなずいた。


「凄い力だとは思うけど、怖くは無いわ。カリスや、ブレイグを信頼しているというのもあるけれど、あなたからは、本気で私を傷つけようっていう意思は、感じられなかった。やんちゃな子供の、ちょっとした悪戯みたいって思ったら、何ともないわね」


「こ、子供……!? おれが、幾つか知って言ってんのか?」


「いいえ。あなたのことは、まだ何も知らないもの」


「少なくとも、精神年齢は十歳くらいのガキだけどな。ははは」


 横合いから、ブレイグが楽しげに混ぜっ返す。顔を真っ赤にして、うーとハリィが唸る。その仕草に、珠代は小動物のような愛らしささえ感じてしまう。恐怖など、抱きようも無いものだった。


「……今年で、百歳だ! おまえより、ずっと年上なんだからな!? わかったら、もう子供扱いすんなよ!」


 ぷい、とそっぽを向く美少年の横顔に、珠代は驚きよりも可笑しさがこみ上げてくる。子供が戯れに、自分の年齢に十や百を掛けて言ってみる。そんな趣が、ハリィにはあった。


「……ごめんなさい。たぶん、それは無理」


「なっ、何でだよ! おまえ、何歳なんだよ! まさか人間のくせして、おれより年上だったり……いてっ!」


「軽々しく、女性に齢を尋ねるのはマナー違反です、ハリィ」


 いつの間にかハリィの横に立っていたカリスから、ハリィへ拳骨が落ちる。


「……私、別に気にしていませんけど」


「躾の問題なのです、珠代様」


「躾!? おまえまで、おれを子供扱いすんのか、カリス!」


「そうされたくなければ、相応の言動と振る舞いを身に着けることですね」


 今度はカリスへ牙を剥くように、ハリィがぐるると唸る。それは精一杯の威嚇のようだったが、珠代の頭の中には子犬が意地を張っている姿が浮かんでしまい、思わずくすりと笑ってしまう。


「~~~~~っ! おれは、子供じゃねええええ!」


 二つの微笑ましい視線と、カリスの冷たい視線を受けてハリィは顔を真っ赤にして叫ぶ。同時に、ハリィの身体を包むように小さな竜巻が巻き起こり、すっとその姿が消える。


「まったく、転移をするならもう少し上品にすれば良いものを……珠代様、ハリィの不作法、申し訳ありません」


 身体で風圧を遮り、苦い顔をしたカリスが珠代に言った。


「平気、です。何ともありませんから……」


 何気なく密着してしまった体勢から、珠代は慌てて身を退ける。


「本当に、申し訳ありません。ハリィが、あのような態度を取るとは……後程、きっちりと言って聞かせますので」


「別に、私は気にしていません。可愛らしい弟みたいで、いい子だと思いますよ?」


 重ねて詫びるカリスに、珠代はそう告げる。カリスの端正な顔が、きょとんと一瞬崩れたものになる。


「良い子……ですか?」


「ええ。私には、弟はいなかったんですけれど……男の子って、あの年頃は生意気盛りで、やんちゃなものですよね。ちょっと、ほっこりしちゃいました」


 ハリィの消えたあたりへ目をやって、微笑みとともに口にするそれは珠代の本心であった。


「……なるほど。そういうことですか」


 怪訝な表情から持ち直したカリスが、思案顔でうなずく。引き締まった顔つきを見ていると、先程の表情はレアなものだったのだろうか、などと余計なことを考えそうになる頭を振って切り替え、広間を見渡しつつ珠代は口を開いた。


「そういえば、他の魔将たちは、いないのでしょうか? ええと、氷魔将に……」


「土魔将ですね。両名とも、本日は待機しております。珠代様も、お疲れでしょうから」


 言われてみれば、珠代の肩にぐっと重いものがのしかかってくるようであった。異世界転移に、カリス、ブレイグ、そしてハリィとの出会いで、珠代の頭の中には濃い疲労があった。頭も少しぼんやりとして、思考も逸れてしまいがちである。

 ぱんぱん、とカリスが両手を鳴らす音に、珠代はぼうっとしていた顔を上げる。


「身の回りの世話をする者を、呼びました。今日のところは、湯浴みをなさって、そしてゆっくりとお休みください。残りの魔将には、明日、お引き合わせいたします」


 カリスの言葉が終わらぬうちに、その背後へ二人のメイド姿の女性が姿を現した。


「初めまして、魔王様。メイドのリミですわ」


「同じく、リナです。精一杯、お世話いたします」


 丁寧に頭を下げた二人のメイドに、珠代もつられて頭を下げる。


「ど、どうも。朝倉珠代です。えっと、よろしくお願いします」


 そうして珠代は、メイドに促されるままに広間を去って行った。


「……まずは、順調、といったところでしょうか」


 広間の扉が閉まり、カリスがぽつりと呟く。


「あん? 何がだよ」


 珠代の後姿へひらひらと手を振っていたブレイグが、頭の後ろで両手を組んで訊いた。


「あなたには関係の無い、また理解もできないことですよ、ブレイグ」


「かもな。けど……あんま根を詰めすぎんじゃねーぞ、カリス。それと、魔王様の部屋、どこだっけ?」


 陽気な笑みで問うブレイグを、カリスが冷たい横目で見返す。


「知って、どうしようというのですか」


「別にやましい考えなんか、無えよ。まあ、魔王様が望むんなら、それもアリだけどよ……冗談だって。あいつ、部屋に届けてやらねえとって、思ってな」


 視線を鋭くするカリスを笑顔でいなし、ブレイグが指さすのは玉座にちょこんと乗っている魔界羊である。


「……あの御方のお部屋と、変わりませんよ。魔王の、住まわれるべき場所です」


「そっか。んじゃ、ぱぱっと行ってくるぜ。また、明日なカリス」


「ええ。御機嫌よう、ブレイグ……」


 魔界羊を掴んだブレイグの身体が炎に包まれ、姿を消した。口を閉じ、しばらく佇んでいたカリスも、やがて闇の中へ消えてゆく。そうなれば、もう広間には誰も残ってはいなかった。




 ちゃぷちゃぷと乳白色の湯を掬い上げ、珠代は思案する。頭の中を、日中の様々な経験が流れていた。


「……私、どうしてしまったんだろう」


 湯の中に腕を沈め、珠代は口の中で呟きを漏らす。珠代の心の中で、言葉で言い表せない変化が起きている。それは珠代の行動となり、言動となって発露されていた。


「人間が、死ぬところを見ても……何も感じない……」


 そっと右手を胸に添えてみても、珠代には正常な鼓動が感じられるばかりである。


「一つ間違えば、死んじゃうようなことも……あっさりと受け流して……」


 広間で受けた、ハリィの風の魔法について、思い返してみる。珠代の顔に向けられていたそれは、ブレイグが腕を盾にして止めてくれた。でなければ、珠代の顔があのときのブレイグの腕のように、ずたずたに引き裂かれてしまっていたことだろう。

 思い返してみても、しかし恐怖は感じられない。


「……お湯、気持ちいい」


 肌に良いのだ、とメイドが説明してくれた湯に浸かりながら、珠代は身をほぐす。


「ディアブロ……私、どうなっちゃうのかな。どうすれば、いいのかな……」


 湯気にのぼせてか、頭の中に浮かべたものにか、珠代の頬は桜色に染まってゆく。静かな水音だけが、珠代の耳に届いてくる。答えの出ない問いの中へ、珠代はしばし身を浸すのであった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

今回も、お楽しみいただけましたら幸いです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ