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草食女子が 悪の華  作者: S.U.Y
3/10

炎魔将ブレイグ 強引な男の流儀

 広間に上がった一本の火柱に、珠代は目を奪われた。珠代の人生で、それは初めて見る鮮やかで勢いのある炎だった。瞬く間に火柱が弾け、押し寄せる熱気に珠代は思わず顔の前へ手をかざす。

 熱気を感じたのは、ほんの一瞬のことだった。炎と珠代の間に、カリスの細く見えて広い背中が割り込んできたのだ。


「ブレイグ! 魔王様の御前で、はしゃぎすぎです! 鎮まりなさい!」


 落ち着き払っていたカリスが、声を荒げて呼びかけている。こんな一面もあるのか、と少し驚いて珠代が見つめるカリスの背の向こうで、豪快な男の笑い声が聞こえてくる。


「はっははは! 炎魔将ブレイグ、一番乗りだぜ! 新しい魔王様の面、見せてくれやカリス!」


 男がひと声発するたびに、熱波が広間を撫でるように吹き付けてくる。


「まずは、魔力を抑えなさい、ブレイグ。貴方の暑苦しい魔力に、珠代様が驚いておられます」


「タマヨサマ? ふうん、何か、変な名前だな?」


 カリスの叱責に応じるように、熱波が収まってゆく。ふうと息を吐いたカリスが、珠代の前からそっと身を退けた。


「新たに魔王となられた、朝倉珠代様です。一番乗りを褒めていただきたいのであれば、さっさと頭を下げなさい……珠代様、この男が、炎魔将ブレイグです。多分に失礼な言葉遣いがありますが、知能の足りぬ男ですので、どうかご寛恕ください」


 カリスが腕で指し示すほうへ、珠代は顔を上げて視線を向ける。


「よう、タマヨサマ! 俺が、魔界一の炎使い、炎魔将ブレイグだ! 以後、よろしくな!」


 片手を挙げて笑いかけてくる男に、珠代は息を呑んだ。長いたてがみのような赤毛に、美しい胸筋を隠そうともしないノースリーブの赤いベスト、褐色の肌の臍下をわずかにのぞかせ、腰履きにした黒いズボン姿の男がいる。全身から熱気を漂わせ、快活な笑顔を見せている。


「は、初めまして……朝倉、珠代です……」


 どこへ目を向けて良いか、珠代は視線を横へ逸らしつつ小さな声で名乗りに応えた。


「あ? よく聞こえねえな! もそっと、近づいていいか?」


「え、あ……」


 ブレイグが言うと同時に、珠代のすぐ近くにその顔が現れる。身をのけぞらせる珠代の瞳の中に、ブレイグの燃え盛るような赤い瞳が映った。


「ブレイグ!」


 横合いから、カリスの声が上がる。


「堅いこと、言いっこ無しだぜ、カリス!」


 ブレイグの腕が、珠代の肩を正面から掬い上げるように動いた。


「きゃっ」


「ブレイグ、珠代様に乱暴は」


「しねえよ。ちょいと、散歩してくるだけだ。いいよな、タマヨサマ?」


 そう言ったブレイグが、珠代の身体を抱き寄せる。あっと言う間もなく、珠代とブレイグの身体が炎に包まれ、広間から消えた。


「ブレイグ……転移を、したのですか。珠代様に、余計なことを吹き込まなければ良いのですが……まあ、ブレイグなら大丈夫でしょうか」


 消えた二人のいた玉座へ目を向けて、カリスが呟く。その背後で、再び空間が揺らいだ。


「さて、他の魔将には、どのように説明いたしましょうか」


 ふっと真顔になったカリスが、静かな声音で言う。その表情には、珠代といた時には寸毫たりとも見せなかった陰りがあった。





 ふっと身体の浮き上がる感覚に、珠代は思わずブレイグのベストを握りしめていた。


「そんな、しがみつかなくっても大丈夫だぜ、タマヨサマ」


 からかうようなブレイグの声に、珠代は顔を上げる。にっと笑う野性的なブレイグの顔が間近にあり、珠代は思わず目を逸らす。


「……あれ、ここは?」


 周囲を見回す形となり、珠代は声を上げた。珠代の視界に映るのは、先ほどまでいた広間ではない。そよそよと微風の通り抜ける、そこは建物の外のようだった。木の杭と板で作られた柵のようなものが続く風景は、地球の牧場のようにも見える。


「魔界羊の牧場だ。見てみろよ、タマヨサマ」


「……私は、珠代です」


「わかってる。ちょっと、からかってただけだ。それより、ほら。あそこにいる黒いのが、魔界羊だぜ」


 珠代の抗議の声を受け流し、ブレイグが彼方を指差した。小さく息を吐き、珠代はブレイグの腕の中から身を離してそちらを見やる。

 丸い、毛玉のような黒い塊があった。よくよく見れば、塊の下には足のようなものが六本生えており、中心には毛の無い部分があってコミカルな顔のようなものもある。


「メェー」


「……可愛い」


 ひと鳴きして、短い手足を懸命に動かし近づいてくる動物に、珠代は声を漏らす。柵の外から手を伸ばせば、丸いその身体をすりすりと擦りよせてくる。ふわふわとした不思議な感触に、珠代は思わず目を細めた。


「魔界羊は、人間には決して懐かねえ。そんなナリだけど、優秀で凶暴なモンスターなんだぜ。でも、珠代は人間だな? 身体から、ディアブロ様の匂いがするけど、人間っぽい匂いもする」


 ブレイグの言葉に、珠代は慌てて丸い動物を撫でる手を止めて自分の手の臭いを嗅いだ。


「……私、そんなに臭います?」


「そうじゃねえ。人間の匂いだっつってんだよ。たぶん、魔界羊は珠代についたディアブロ様の残り香に、懐いてるんだと思うんだが……あんた、一体何者だ? どうして、カリスはあんたを魔王に仕立て上げようとしてるんだ……って、やっぱヤメだ。俺の頭じゃ、説明されても理解できねえからな」


「そう、ですか……」


 あっさりと言うブレイグの態度に、珠代はどうしていいかわからず再び丸い動物をもふもふと撫でる。黒い毛皮の手触りに、珠代の心はどこまでも和んでゆく。


「ごめんなさい。私にも、よく解らないんです。ディアブロに、この世界へ召還された事以外、何も。カリスは、私を魔王様、と呼んでいたんですけど」


「そっか。ま、あんたに解んねえことが、俺に解るわけねえな。でも、それなら」


 ブレイグが、珠代に視線を合わせるように、身を少し屈める。視線の高さが重なり、真正面から珠代はブレイグを見返す形になり、ぎゅっと魔界羊を抱き締めた。


「なん、ですか?」


「帰りたい、って思わないのか?」


 炎の色を宿した瞳が、珠代の瞳の奥を見据えていた。眩しく力強い光を感じて、珠代は俯く。


「……わかり、ません。ですけど、今は、まだ、帰りたいとは思いません」


 元の世界へ、帰れば何が待っているのか。何もない、全てを失った、現実。珠代はそこへ、帰りたいとは思わない。消極的な、それは逃避であった。


「そっか。それじゃ……いや、これは、聞くより見せた方が早えな。よっと」


 ひょい、とブレイグの手が伸びて、珠代の腕の中から魔界羊を取り上げる。


「あっ」


「ここに来りゃ、いつでも会える。それより、行くぜ」


 ぽい、と放り投げられた魔界羊に珠代は視線を向ける。そのほんの一瞬の空隙に、ブレイグの腕が珠代を包み込むように動いた。


「ふえ?」


「次行くぜ、次」


 軽妙な口調とともに、珠代とブレイグの全身を炎が包んでゆく。ふわり、と浮遊感を珠代は再び感じた。


「メェー」


 ぽす、と牧草の上に落ちた魔界羊が、抗議するような鳴き声を上げる。しばらく中空を見つめていた魔界羊であったが、応えるものもいない時間が過ぎ、やがて足元の草を食み始めるのであった。




 すとん、と地に足がつく。珠代は、いつの間にか固く閉じていた目をゆっくりと開いた。そこは小高い丘の上のようで、眼下には石造りの道のようなものが見える。さんさんと降り注ぐ陽光に、珠代は額に手をかざして目を細くする。


「相っ変わらず無駄に眩しいぜ、ここは」


 ふっと、珠代の上に影が差した。見上げると、ブレイグが珠代を陽光から庇うようにして立っていた。


「……今度は、どこへ連れて来たんですか」


 強引すぎるブレイグのやり口に、珠代は口調にほんの少し棘を混ぜる。


「怖がらせちまったか? そりゃ、すまねえな、タマヨサマ」


 お道化るように肩をすくめて見せるブレイグに、珠代は小さく頬を膨らませた。それは、珠代の出来る精一杯の抗議である。しかしブレイグは、そんな珠代の態度を意に介した様子もなく丘の下を眺めていた。


「ちょっと、びっくりしただけです。それより、ここはどこなんでしょうか」


「ああ。ここは、人間の領域だな。おっ、いたいた。なあ、珠代。あれ、見てみろよ」


 言われて、珠代はブレイグの指さすほうへと目を向ける。丘の下の道を、黒く小さな塊がふたつ、動いていた。


「あれ……魔界、羊?」


「ああ。親子連れみてえだな。野生の奴らだ。人間の間じゃあ、サタンシープ、とか呼ばれてるけどよ。様子からして、追われてるみてえだぜ」


 すっと、ブレイグの人差し指が右手へ動く。そちらを見ると、二人の人間が魔界羊へ猛然と駆けよるのが見えた。


「あれは、誰です?」


「冒険者って、奴らじゃねえかな? 人間の中で、群れないほうの馬鹿だぜ」


 ブレイグの言葉の意味を、珠代は頭の中で噛み砕いてみる。冒険者、というのは、ファンタジー小説などで出て来る無頼者のことだろうか。群れない馬鹿、というからには、群れる馬鹿、というものもいるのかも知れない。なんとなく、珠代はローマ時代の歩兵を思い浮かべていた。


「ピギェー!」


 眼下で、悲鳴が上がったのはその時だった。はっと意識を戻した珠代は、親羊の胴体に突き立った矢を視界に捉える。


「ああっ!」


「ヒュウ、やるねあいつら。魔界羊の心臓、一発で撃ち抜きやがった。ありゃ、親がやられちまって足が竦んぢまったのか? 仔のほうも、こりゃダメだな」


 悲鳴を上げる珠代の横で、ブレイグが変わらず陽気な口調で言った。


「そ、そんな! 助けて、あげられないんですか!?」


 ブレイグの腕を掴み、珠代は言う。


「ん? ああ、いいけどよ。あいつを助けるってことは……」


 必死の形相で訴えかける珠代に、ブレイグが冒険者を指し示す。


「あいつらを、殺すことになるぜ」


 その言葉に、珠代ははっと息を呑む。逡巡している間に、仔羊が足に矢を受け膝をがくりと折った。冒険者たちが、手負いとなった仔羊に慎重な足取りで近づいてゆく。その手には、抜身の剣が提げられている。


「迷ってる時間は、無いぜ」


「……あの仔を、助けてください」


 問いかけるようなブレイグの視線を真正面から受け止めて、珠代は言った。自分の言葉が、どこか遠くの声のように小さく珠代の中に響いてゆく。それは、ディアブロの意思なのか、それとも珠代の中で、何かが変わり始めているのか。冒険者を、人間を殺し魔物を救うという決断を、珠代は極めて冷静な思考で行っていた。


「良い目だ。わかったぜ、()()()


 にっ、とブレイグが獰猛な獣のような笑みを見せる。その表情は、珠代の中にくっきりと何かを刻み付ける。言葉では言い表せないような、奇妙な感覚に珠代の思考は一瞬、停止した。


 ブレイグが珠代の肩を抱き寄せ、転移する。三度目の体験ともなると、慣れがあるのだろうか。今度は目を開けたまま、珠代はそれを受け容れた。

 視界が瞬時に変化して、珠代とブレイグは冒険者たちの背後へと現れた。


「よう、援護するぜ!」


 慎重に歩を進める二人の冒険者へ、ブレイグが声をかける。


「なっ、いつの間に……?」


「援護はいらない。このサタンシープは、俺らの獲物だ!」


 唐突な出現に驚きつつも、冒険者たちはブレイグに背を向けて仔羊と対峙する。


「そうかい」


 無防備な冒険者たちの背中へ、ブレイグが手のひらを向けた。鮮やかな朱色の炎が、ブレイグから直線状に伸びる。珠代は、転移の時よりも色濃くなったその炎に見惚れ、口をぽかんと開けた。


「ぎゃああああ! ああ! あああああ!」


 炎の直撃を受けた冒険者が、全身を炎に包まれて叫びを上げる。


「何っ! お、お前っ!?」


 泡をくって振り向いた冒険者へ、ブレイグが再び手のひらを向けた。


「俺が援護するっつってんのは、そっちの魔界羊の方な」


 にやりと不敵に笑いながら、ブレイグが炎を放つ。


「馬鹿なあああ! あああ! あひいいい!」


 ブレイグの炎は相当な高温のようで、ほどなく冒険者たちの断末魔の叫びはふっつりと途絶えた。熱風が、珠代の前髪を僅かに揺らす。肉の焦げる臭いも何もかも、吹き去る風と共に消えた。


「ま、こんなもんだぜ。満足したかい、魔王様?」


 珠代に振り向いて見せるブレイグだったが、次の瞬間に珠代は仔羊のほうへと駆け出していた。小さな肢からは、どくどくと黒い体液がかなりの量、流れ出してしまっている。びくびくと震える矮躯を、珠代はそっと抱き上げる。


「しっかりして……ねえ、ブレイグ。この仔の怪我、治せないかしら」


 仔羊を膝の上に乗せて、珠代はブレイグに問いかける。


「俺は、燃やすほう専門なんだけどな……ま、魔力を分けてやりゃ、どうにかなるか」


 歩み寄ってきたブレイグが、仔羊の肢の傷へと手を伸ばす。きらきらとした、紅色の炎がその傷へと吸い込まれてゆくのを、珠代はただ黙って見守るばかりだ。


「メ、メェー」


 弱々しく、仔羊がひと鳴きする。


「大丈夫?」


「魔力を分けたから、じきに元気になる。心配すんな」


 ブレイグが言ったが、珠代は不安になって仔羊の身体を温めるようにそっと抱き締めた。腕の中で、細かく震える小さな身体が少しずつ、温かくなってゆく。ほうっと、珠代が息を吐いた、その時。


「え……きゃっ」


 黒い仔羊の身体が、深紅の光に包まれた。


「あ、やべ……ちょいとやり過ぎたぜ」


 ブレイグを見れば、笑顔が引きつっていた。


「え、ちょっと、どう、なってるの?」


 珠代の腕の中で、仔羊がさらに輝きを増してゆく。もふもふとした手触りの毛並みが、ふわふわとした触り心地に変わってゆく。珠代は戸惑い、しかし手を離さずにいた。


「魔力を与え過ぎた。進化しちまったみてえだ」


 しばらくして光が収まり、黒かった仔羊の毛色は鮮やかな紅色へと変わってしまっていた。


「怪我が、悪化しちゃったわけじゃないのね……良かった」


 安堵の声を漏らす珠代の腕の中で、仔羊がもじもじと身じろぎする。手を離してやると、仔羊はしっかりと自分の肢で立ち上がり、珠代の膝にすりすりと身を寄せてくる。ふわふわになった毛並みをしばらく堪能して、それから珠代はブレイグに顔を向けた。


「あ……ありがとう、ございます。この仔、助けてくれて」


 小さく頭を下げる珠代へ、ブレイグが照れくさそうに手をひらひらと振って見せる。


「礼には及ばねえよ、くすぐってえ。俺は、あんたの……魔王様の、覚悟に応えただけだぜ」


「覚悟……?」


 仔羊と一緒に首を傾げる珠代に、ブレイグが焦げ跡になった二つの消し炭を親指で示した。


「あいつらのことだよ。曇りの無い、いい踏ん切りだったぜ。さて、あとは……」


 言って、ブレイグは首を回す。その視線を追いかけた珠代は、目を見開き仔羊を抱き寄せた。ブレイグが見やるのは、親羊の遺骸だった。


「あいつを、ちゃんと還してやんねえとな」


 ぴくりとも動かない、大きな黒い遺骸にブレイグが手のひらを向ける。血のように赤い炎がその手から放たれ、ゆっくりと遺骸を包んでゆくのを珠代は息をつめて見つめ続けた。


「メェー」


 珠代の腕の中で、小さな鳴き声が上がる。別離の寂しさを、仔羊は感じている。珠代は、頭の中で確信しつつ、仔羊の背をそっと撫で続けた。しばらく、そうして静かな時間が過ぎていった。


「これで、人間に死体が利用されることも、無くなった」


 遺骸に燻っていた火が消えて、ブレイグがぽつりと言った。そうしてブレイグは、炭になった遺骸の中から何かを拾い上げ、珠代へと差し出してくる。それは、手のひらに収まるくらいの黒い水晶のような石だった。


「これは?」


「魔石だ。魔物は、死ねばこうして石になる。そいつの、親の形見になる。魔王様、あんたが持っててやってくれ」


 言われて、珠代は黒い魔石を受け取った。魔石に触れたとたん、珠代の中に何かが流れ込んでくる。ぎゅっと石を握りしめ、珠代は静かにうなずいた。


「……うん。私が、守るから」


 石へ向けて、珠代は自然にそう言っていた。召喚されてから、ずっと靄がかかっていたような頭の中が、少しだけすっきりとした。進むべき道を、ぼんやりとだが見つけることができた。浮き立つ気分で顔を上げ、ブレイグに微笑みかける。


「それじゃ、帰りましょうか、ブレイグ」


「……あんた、良い顔できるじゃねえか」


 笑顔の珠代に、ブレイグが笑みで返す。仔羊を抱いて伸べる珠代の手を、ブレイグがそっと取って握る。


「ずっと笑ってろよ。その方が、あんたはずっといい」


「……ありがとう、ブレイグ」


 二人と一匹の身体が、炎に包まれ消える。石造りの道の上を風が吹き抜ければ、もうそこには誰も、何もいなくなってしまっていた。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

今回も、お楽しみいただけましたら幸いです。

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