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草食女子が 悪の華  作者: S.U.Y
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執事カリスティレス 悪魔の忠誠

 目の前に、紅い液体の入った白磁のティーカップがあった。ふわりと上がる芳香に、珠代の意識は現在へと引き戻される。


「私達の主人だった、ディアブロ様のことを思い出しておられたのですね」


 白い手袋にカップを持った、美しい執事姿の青年が柔らかい笑みで言う。


「あり、がとう……ございます。カリス、ティレス、さん」


「カリス、でよろしいですよ、魔王様」


 カップを受け取り長い名をつっかえながら口にする珠代に、カリスが苦笑を見せる。珠代は、カリスの口から出た敬称に首を少し傾げた。


「魔王様って……どういうことなんでしょうか」


「ディアブロ様から、詳しいことを聞いておられないようですね。ではまず、そこからご説明いたしましょう。もし、途中でご気分が優れない、といったことがあれば、遠慮なくお申し付けください。少し、長い話になりますから」


「は、はい。大丈夫、です」


 付かず離れずの距離で、カリスがまた微笑んで見せる。スマートな執事服の全身から、珠代への気遣いが溢れているのを感じて珠代は気恥ずかしくなり顔を俯けた。


「ディアブロ様は、この魔界における最高の実力者であり、権力者でした。来るべき神の使徒との戦いに備え、側近を鍛え、多くの兵を集め民衆を導き……凡そ、理想的な魔王として君臨していたのです」


 静かな声音で、カリスが語り始める。ソフトな音色が、優しく珠代の耳朶を打つ。ぶっきらぼうなディアブロのそれとは違い、熟れた甘い果実のようである。視線を背けていれば、なおのこと意識してしまい心臓が落ち着かず珠代はカリスへと視線を戻した。


「君臨して、『いた』?」


「はい。今、貴女が魔王様と呼ばれている通り、ディアブロ様は既に魔王ではありません。数日前、あの御方は突然、その権力の座を降り、全てを捨てて姿を消してしまったのです。『近いうちに、新しい魔王を召喚する。そいつを担いで、神の使徒どもを返り討ちにして見せろ』と、言葉を残して。残された私達は、困惑しました。どうして、ディアブロ様は姿を消したのか。私達の中で、議論が重ねられましたが、答えの出ないまま、数日が経過しました。そして……貴女が現れたのです。魔王の座するべき、この魔王城の玉座に」


 言われて、珠代は自分の座っているものに改めて視線を向ける。手触りのよいクッション部分に、精緻な彫刻の施された、金色の枠部分。ぴかぴかに磨かれた小さな模様の隙間から、ぼんやりとした珠代の顔が映る。平凡で、ありきたりな女の顔。泣いたことで、化粧が少し落ちてみっともないことになっている。


「私は……あの人に、ディアブロ、さんに、選ばれたのでしょうか」


「恐らくは。強固な結界に護られたこの城の中枢へ、偶然転移されることはあり得ません。また、魔力を感じないところを見れば、貴女が途方もない実力を持つ人間の魔術師である、そういった可能性も無い。ですから、ディアブロ様が、貴女をここへ送り込んだ。そう考えるのが、理にかなっているのです」


「どうして、私なんかを……?」


「それを知り得るのは、ディアブロ様のみでしょうね。ともあれ、貴女はこの城の、この地の全ての魔族と魔物の王、魔王となられました。私は魔王様の執事として、貴女に忠誠を誓います。それが、ディアブロ様の意思なのでしょうから」


 すっと膝を落とし、胸の前に手を当てたカリスが深く頭を下げる。ドラマの中でしか見たことの無いような、それは完璧な一礼だった。優雅で、見る者を惹きつける静かな魅力を持つ青年。それが、ちっぽけな時分に最高の礼節を以て接している。その事実に、珠代はただ戸惑うばかりである。呆然と見つめる珠代の視線と、造り物のように美しい顔を上げたカリスの蒼い瞳が、しばし見つめ合う。


「魔王様。まずは、貴女のお名前を、聞かせていただけませんか?」


 問われて、珠代は自分が名前さえ告げていない事実を思い出す。全ては、唐突に過ぎたのだ。咎められる筋合いは無いが、申し訳ない気持ちでいっぱいになった珠代は慌てて立ち上がり、カリスの所作とは比べ物にならないほどの拙い礼をする。


「わ、私は、朝倉、珠代と、申します」


 言いながら、名刺を渡さなければ、とハンドバッグを探し……珠代は動きを止める。手元に、バッグは無い。そして、この場において、名刺を渡す必要も無い。まして、名刺に印字されている企業は、既に潰れてしまっている。身体を硬直させた珠代の思考が、徐々にそこへたどり着いてゆく。


「探し物は、こちらでございますね、珠代様?」


 無意味な行動で礼を失してしまったのでは、と顔を青くする珠代の前に、カリスが白い小さなバッグを差し出してくる。


「あ、はい……あ、ありがとう、ございます……」


 居たたまれない気持ちになりつつも、珠代はバッグを受け取り中身を確かめた。財布に携帯、化粧のポーチにカード入れ、そして、銀色の鈍い光を照り返す指輪がある。どれも、珠代の持ち物だった。


「礼など、とんでもありません。全て、珠代様の持つべきものなのですから。むしろ、珠代様のものへ、手を触れてしまった無礼をお許し願いたいくらいです」


 艶然とカリスが微笑み、冗談とは思えない声音で言った。その声が自分へ向けられている、と意識をしてしまい、珠代はバッグを握りしめて顔を俯ける。この魅力的な青年の前で、醜態を晒していることがひどく恥ずかしい。カリスが目の前にいなければ、すぐさま化粧を直してしまいたい。ちらと、珠代がそんなことを思った、そのとき。


「珠代様、お顔に、触れてもよろしいでしょうか?」


 カリスが、とんでもないことを言い始める。駄目です、と即座に言いかけた珠代であったが、カリスの白手袋に包まれたしなやかな指先は既に、珠代の頬のすぐそばにあった。ぴくり、と小刻みに震えた珠代の反応を許諾と受け取ったのか、カリスの指先が頬に触れる。


「失礼ながら、少し、身嗜みを整えさせていただきます。珠代様は、魔王となられたのですから。私に、そのご尊顔を彩る栄誉を、どうぞお与えください」


 触れてくる指先の少し硬い感触、そして毛穴さえ見えそうなくらいに近づいたカリスの顔に珠代はただただ硬直するばかりである。そうしていると、顔の表面に、暖かなものを感じた。それは一瞬のことで、終わった後にはカリスは指を離し、珠代から離れて一礼していた。


「どうぞ、ご覧ください」


 言いながら、カリスがどこからともなく手鏡を取り出し珠代に見せる。高級そうなアンティークものの手鏡の中には、すっかり面相を整えた珠代の顔が映っていた。


「これ……私ですか……?」


 呟く珠代に合わせて、鏡の中の珠代が口を動かす。長く艶やかな睫毛と、目鼻をくっきりと際立たせる肌色、瑞々しいルージュの引かれた唇。それは全体的に珠代の容姿を損なわせず、なおかつ肌にしっくりと馴染んでいる。ぷにぷにと頬に指で触れてみても、違和感のない肌の感触が返ってくる。描かれた細い眉は、珠代の感情に合わせて豊かに動いた。


「ベースに合わせて、珠代様を彩る魔法を用いさせていただきました。お気に、召されましたでしょうか?」


 微笑のまま問いかけてくるカリスに、珠代はこくこくとうなずく。


「これが……魔法、ですか」


「はい。御髪も、整えてしまいましょうか」


 カリスの指が、今度は珠代の髪へと触れる。少し痛んでいた毛先が、さらさらと耳元を流れてゆく。頭皮から、生まれ変わったような感覚に珠代は目を細めた。


「気に入らなければ、仰ってください。珠代様の身嗜みを整えることは私の仕事であり、喜びでもあるのです」


「気に入らないことなんて、ありません……私の世界の常識では、計り知れないことで、少し戸惑ってしまいますけれど……ありがとうございます、カリスさん」


「カリス、と。どうぞ呼び捨てになさってください。それが、魔王たるものの取るべき態度なのですから」


「は、はい……ありがとう、カリス」


「勿体なき、お言葉です。さて、次は御召し物を」


 言いかけたカリスが、ふっと言葉を切る。


「どうか、されたのですか、カリス?」


 小首を傾げる珠代に、カリスが広間へと目を向けたまま口を開く。


「どうぞ、玉座へ御着きください、珠代様。魔将たちが、やって参ります」


 有無を言わせぬ口調のカリスへ、珠代は思わず素直に従ってしまう。柔らかなクッションに迎えられ、珠代の小さな身体が少し跳ねた。


「魔将って……何でしょうか?」


 珠代の問いに、カリスが広間へ向けて小さく息を吐く。


「魔王様の側近の中で、特に力の強い者達のことを指します。炎魔将、氷魔将、嵐魔将、土魔将の四名から成る精鋭なのですが……些か、空気の読めない連中です。どうぞ、ご注意ください」


「は、はい……」


 不機嫌そうに言うカリスに、珠代は背筋を伸ばして返事をする。先ほどまでの甘やかな空気を纏っていたカリスの変貌に、戸惑いつつも広間の中央へと視線を向ける。

 

 直後、珠代の視界の中に鮮やかな爆炎が飛び込んできた。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

今回も、お楽しみいただけましたら、幸いです。

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