闇の大輪 珠玉の決意
暗雲の中に聳える堅牢な古城、魔王城。そこから伸びる闇の街道を、一人の男が駆けて行く。時折城を振り返るその顔には、恐怖と絶望が深く刻まれている。
男の身につけている装具は白骨の彫刻された禍々しい趣の品で、一目見ればそれは呪いの品であることが解る。
男は数刻前、きらびやかな女神の祝福を授けられた黄金の鎧を纏い、魔王城へ乗り込んできた勇者黒川勇樹そのひとであった。呪いの鎧に身を包み、逃げ去るその姿のどこにも、最早勇者の輝きは無い。あるのは、惨めな敗残者の漂わせる卑屈な空気のみである。
魔王城の玉座の広間で、カリスティレスの見せる光景を珠代はじっと、見つめていた。
「溜飲が、下がったかな?」
玉座の前に立つ、アーシスが珠代に向ける笑みには、どこか皮肉の色があった。だから、というわけではないが、珠代は笑みを返して口を開く。
「少しだけ、そういう思いがあることは、認めます。でも、あの人に、勇者に呪いの装備を着せて放逐してもらったのには、それ以上の目的があるんです」
珠代の言葉に、アーシスの視線に興味の光が現れた。
「それは、聞かせてもらっても?」
アーシスの問いに、珠代は挑むような心持ちでうなずく。
「はい、大丈夫です。というより、聞いてください。アーシスだけでなく、皆も。まず、今回の私の 魔王就任、並びに勇者襲来までの一連の流れは……たぶん、ディアブロの立てた予想を、大きく越えることはありませんでした。勇者の惰弱さも含めて、です」
「ふうん? ってことは、ディアブロ様は、あのクズ いたいな馬鹿が来るって判ってたから、タマヨサマを魔王に据えた、ってことか?」
ブレイグが手を挙げて、珠代に聞いてくる。興味津々、といった表情のブレイグに、珠代は首を横へ振る。
「少し、違います、ブレイグ。私が魔王になったから、弱い勇者が召喚されたんです。そこは、ディアブロも確証あってのことでは、無かったんでしょう。ですから、 万一の保険として、私の中へ自分の魂の欠片をくっつけたんです。予想が外れた時に、私を守る為……だったら嬉しいんですけど、たぶん、それ以上に貴方たちの反応を楽しみたい、そんな悪戯心があったんでしょうね」
苦笑しつつ言う珠代に、魔将たちと執事が少し考える様子を見せ、ほどなく皆珠代と同じ表情になる。
「あー、ディアブロ様ならやりかねねえやな、確かに」
「私たちの反応は、魔王様の魂の中にある欠片を通じて、間違いなく伝わっているだろうね、ディアブロ様に」
「腹抱えて、笑ってんだろうな、きっと。おれ、珠代にやられっぱだし」
「自分には、疚しい所は何も……どうして半眼になるんだ、ブレイグにハリィ」
「ディアブロ様……」
魔将たちがそれぞれの反応を見せる中で、カリスティレスがいち早く真剣な顔つきに戻り珠代へ視線を向ける。
「それでは、珠代様のお考えとしては、ディアブロ様の意図は、どこにあったのでしょう」
カリスティレスの問いに、珠代は表情を固くして口を開く。
「ディアブロの考えは……彼の目標は、おそらく、勇者を送りつけてくる、女神への、攻撃ではないかと、思うんです」
「女神……天上界への、侵攻を……」
珠代の言葉に、カリスティレスと魔将たちの顔に緊張が走る。
「ええ。そうして、世界の均衡を破壊して、魔族に繁栄と安寧を……とか、真面目な目的もあるかもですけど、きっと面白半分なんでしょうね」
「……なるほど。ディアブロ様であれば、あり得ることです」
「それは、今回の魔王様の、勇者への対応と関係のあることなんだね?」
納得した様子のカリスティレスに代わり、アーシスが問う。勿論です、と珠代はうなずいて見せた。
「魔王にとっての強敵である勇者は、魔族にとっても大きな脅威になります。ですが、女神が召喚した勇者は、おそらく一人しか世界に存在できないと思います。少なくともディアブロ時は、二人以上の勇者がやって来たことは無かったのでしょう?」
珠代の言葉に、アーシスがハッとした顔でうなずく。
「言われてみれば、その通りだね。これまで、勇者に仲間がいたことはあったけれど、勇者だったのは一人だけだった。それは、ディアブロ様から聞いていたのかな、魔王様?」
問いかけに、珠代は首を横へ振る。
「いいえ、これは予測でした。ディアブロの考えと、アーシスの話してくれた、勇者の情報と……組み合わせてみれば、そうじゃないかな、って思えたんです」
「だから、勇者に呪いの装備を着せたんだね。彼が死なない限り、次の勇者が現れる可能性は、限りなく低いだろう。そして、私の用意したアレは、寄生タイプのものだから、可能な限り宿主の勇者を生かそうとするだろうね。それこそ、人間の寿命を、遥かに超越してもね」
「加えてあの勇者には、カリスマ性も話術もありません。おそらくは、私との因縁だけで、勇者として召喚されただけの人ですから。呪いの装備を身に付けた上で、勇者として戦線に戻ってくることも、無い筈です」
「たとえ奇跡的に呪いが解けたとしても、女神の祝福を受けた勇者の装備はこちらの手にあるから……と、そういえば、あの金色の鎧と剣は、どうするつもりだい?」
「研究素材として、アーシスに託します。これからの私たちにとって、女神の力の分析は、必要なことですから」
「女神の力……というと」
「もちろん、私も魔王として、ディアブロに加勢をしようって、考えていますから。敵を知り、己を知れば百戦百勝危うからず、これは、私の世界の言葉ですけどね」
珠代の宣言に、一堂は息を呑む。
「なあ、タマヨサマ。女神ってのは、人間の守護者って馬鹿で、それと敵対するってことは」
短い沈黙の後、ブレイグが口を開く。みなまで聞かず、珠代はうなずいた。
「もちろん、人間は滅ぼそうと思います。私以外、ですけどね。そうすれば、女神本人が、出てこざるを得ないでしょう?」
珠代の言葉にブレイグが口をポカンと開く。
「自分と同じ種族を、滅ぼす? なあ、タマヨサマ。なんで、そこまで思い切れるんだ?」
「それは、私が……」
言いかけて、珠代は頬を染める。俯き、膝下に視線を巡らせ躊躇を見せ、ゆっくりと上げるその顔には蕩けんばかりの笑みがあった。
「ディアブロを、好き、だからです。大好きな人と同じ道を歩みたいと思う気持ちに、間違いはありません。ここへ来るとき、ディアブロは、思う通りにやってみろって、言ってくれましたから。それに……」
言葉を切って、珠代は腕の中のメーを抱きしめ、カリスティレスと魔将たち一人一人に視線を向ける。
「ここにいるメーや皆、そして魔界に生きる全ての生き物が、私にとってはもう、家族みたいなものですから。それを脅かそうとするものがいれば、闘うのは当たり前のことです。だから、私は人間を滅ぼします。ですから、そのために……皆の力を、貸していただけませんか?」
言って、珠代は待った。好きな人と、同じ道を歩みたい。それは、珠代の一方的な気持ちである。家族を守る、という理由もあるが、それは人間たちと積極的に闘う理由にはならない。専守防衛に徹しても、守ることだけならば出来るのだ。だから珠代にとってこれは、自分勝手な目的で皆を巻き込むことと同義であった。
「ホント、馬鹿だなタマヨサマは」
長い沈黙を経て、まず口を開いたのはブレイグだった。
「はい。馬鹿で、自分勝手だとは、思います」
「そうじゃねえよ」
俯く珠代の前に、ブレイグがすっと歩み出てくる。そうして、首を傾げる珠代の頭に、ブレイグがポンと手を乗せた。
「俺は、タマヨサマが好きだ。ちっちゃくて、怖がりだけど一生懸命なとこが。他のやつにゃ負けねえって思うけど、皆気持ちは同じだろうよ。だから、俺らはタマヨサマのやることに、ついてくつもりだぜ。魔王様なんだから、もちっと自信持てよ、タマヨサマ」
にやり、と笑う野性的な顔には、一切の曇りもない。どこまでも晴れ渡る、それは青空のような笑みだった。
「ありがとう、ブレイグ。でも、その呼び方、そろそろちゃんとしてほしいかな」
感激に声を震わせる珠代の前から、ブレイグの姿が消える。
「どさくさに紛れて、抜け駆けすんじゃねーよ、ブレイグ!」
ブレイグを押し退けて珠代の前に立つのは、ハリィxである。
「お、おれは別に、違うからな、珠代」
「ハリィ……」
「ち、違う! 力を貸すのが嫌とか、そーいうんじゃねえから! そっちは違わない! だから悲しそうな顔すんじゃねえ! そ、その、違うっていうのは……と、とにかくそーいうことだ!」
「ふふ、何だか、よくわからないわ、ハリィ」
支離滅裂に口走るハリィの頭を、珠代はくしゃくしゃと撫でる。
「やめ……なくていい。こ、これは協力の、見返りとして受け取ってやる」
「うん。ありがとう、ハリィ」
ツンツンとしたハリィの硬い髮質を、珠代はしばし堪能する。
「次は、私だね、ハリィ」
ひょい、と小柄なハリィの身体を抱えて退かし、入れ替わりに立つのはアーシスだ。
「非常に興味深い。君も、君の目指す、目標も。だから私も、力を貸すよ。出来れば末長く、研究させてくれたまえ、珠代さん」
甘い声で、名前を呼ばれる。珠代の背筋に、快い何かが駆けてゆく。
「こ、こちらこそ、不束な魔王ですけど、よろしくお願いします……」
かしこまってぺこりと頭を下げる珠代の前で、アーシスが小さく手を振って離れる。続いて後ろに控えていたキュイスが、進み出た。
「魔王様」
「ひゃいっ」
「怯えなくとも、大丈夫です。自分も、皆と同じで魔王様に力を貸すことは、最初から決めていますから。ですので、自分にも、ハリィと同じ報奨を戴けないでしょうか」
言ってキュイスが、頭をそっと差し出してくる。恐る恐る手を伸ばし、珠代は狼耳の頭をゆっくりと撫でた。
「有り難うございます、魔王様」
「いえ、こちらこそ、ありがとう、ございます」
ぴくりと動く耳の感触を楽しみつつ、珠代は答える。
「魔王様」
「なんでしょう」
「ディアブロ様と番になられた暁には、自分にも御子を抱かせていただけますでしょうか?」
不意に放たれたキュイスの言葉に、珠代は咳き込んだ。ディアブロとのイロイロを、想像してしまったのである。
「大丈夫ですか、珠代様。キュイス様、そろそろお下がりを。そして、待て、です」
カリスティレスがキュイスをさがらせ、気を付けをさせる。その間に珠代は、何とか息を整えカリスティレスと正対した。
「カリスティレス。私は」
「それがディアブロ様の意志である限り、私は珠代様に従います。ですから、珠代様。どうか私を、いえ、私たちをディアブロ様へとお導きください」
綺麗な所作で、カリスティレスが一礼する。
「はい。必ず、ディアブロの元へ皆えお導くと、お約束します。会いたくてたまらないのは、私も一緒ですから」
うなずく珠代に、カリスティレスがにこりと微笑する。
「ディアブロ様の次に、ですが、珠代様にお仕え出来ることを、私は幸せに感じておりますよ」
執事としてではなく、それはカリスティレスの本心からの言葉なのだろう。微かな甘味を含んだ声音に、珠代は面映ゆさとときめきで頬が熱くなるのを感じた。
「ありがとうございます。皆が力を貸してくれるなら、きっと……ディアブロに、あのひとの目指す道に、たどり着くことが出来ます。私ももっと、魔王に相応しくなれるよう頑張りますから、よろしくお願いしますね」
立ち上がり、珠代はぺこりと頭を下げる。最高の男が託してくれた、最高の仲間たちは歓声をもって珠代に応えるのであった。
異世界より悪魔に拐かされた人間の女性は、こうして魔王としての道を歩み始める。無惨に敗れた勇者に、人々は恐怖と絶望の底へ落とされる。人類の敵として君臨した魔王朝倉珠代の名はその後、人間の歴史に大きな爪痕を残すこととなった。
魔王朝倉珠代が、ディアブロとの再会を果たすことは出来たのか。それは、誰にも知る術は無い。ただ、人間の守護者である女神と、魔族たちが大きな戦いをしたことだけは、滅びかけた人間たちの遺伝子に、
深く刻まれることとなったのである。
「私を放っておいて、女神なんかにうつつを抜かすなんて、許せませんから」
にっこりと、とても良い笑顔で魔王が言ったその言葉が、魔将たちのあいだでしばらく、語り草になっていたという。
このお話は、これで終わりとなります。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
今回も、お楽しみいただけましたら、幸いです。




