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かつてこの世界には多くの神がいた。その中の一の神が世界を創造し、六つの国に魔力という祝福をもたらしたと言われている。
名さえ伝わっていない一の神は、世界の創造と共にどこかへと消え、後には名を持つわずかな神と、名の知れない沢山の神々が残された。
人はそれらの神を信仰する事によって一の神にも感謝を捧げ、祝福が続く事を祈るのだ。
花の王国『フルーフィーユ』
大陸の中で最も早く花を咲かせ、最も遅く散らせると言われている。
そしてフルーフィーユの中でも一番南に位置し、どこよりも早く季節を変える街『レリル』
その街で今、金茶色の長い髪が、軽やかなバイオリンの旋律に合わせてクルクルと舞っていた。
体の使い方から指の先まで洗練された動きで、彼女は観客を魅了する。
――繊細で美しく、大胆で豪快。
街の広場の中心には噴水があり、人々が集まる憩いの場となっていた。
噴水の周りにはベンチが並び、露店が開かれ、広場から伸びる大通りには人々が賑やかに行き来をしている。
その噴水の前で旅芸人と見えるふたり組が、昼前の広場に人だかりを作っていた。
ふたりとも着ているのは旅装束のままで、少女は灰色のマントを、青年は黒いマントを肩から掛けている。
直ぐ側にはふたりの荷物なのか、持ち運びしやすそうな大きな荷物鞄が置かれていた。
青年が噴水の縁に座って足を組み、優雅にバイオリンを弾いている。弦の上を滑るように動いている弓は、観客が感嘆の息を呑むほどに情感溢れる響きを生んだ。
それに合わせて優美に踊っているのは、十代半ばの少女だ。少女のマントが風を孕んでふわりと浮かぶ。普通なら動きを阻害しそうなマントも、彼女の肩に掛かっていれば、踊りをより良く見せる為の演出の一つとなった。
彼女たちの背後で噴き出る水が、陽光に照らされて弾けた。
楽しそうに芸を見せる二人は、お客に笑顔を提供する。そしてその笑顔は彼女たちの下から離れ、新たな観客へと伝播していき、人の輪がさらに大きくなっていった。
石造りの地面をブーツのつま先、踵で鳴らすリズムがバイオリンと見事な調和をなしている。市場から流れてくる活気溢れる喧騒さえも、今はこの二人の為の伴奏曲だ。
青年が立ち上がり、音調を上げ曲調を高め、音楽は佳境へと入っていった。
少女は踊りながら両手を広げ、観客へ共にステージに上がるように促す。
最初に彼女の招待に応じたのは小さな子供たちだ。歓声を上げながら少女の周りで思い思いに踊る。
決まりのない好き勝手な踊り。だがそれは、楽しさを体一杯で表現した子供たちの最高の踊りである。大人たちもそれを見て思わず体を踊らせる。
老若男女区別無く、この瞬間全ての人の顔には笑顔が浮かんでいた。
しばらく皆で踊ると、音楽はより一層激しさを増し、少女はいつの間にか青年の傍らへと舞い戻る。
体全体を使い、速いテンポで踊り続ける。
出演者は観客へと戻り、魅了される踊りを息を止めて堪能した。
締めのポーズに合わせた最後の一音が高々と広場に響いた。ふたりは一呼吸置くと、観客に向かって優雅に、恭しく一礼する。
一瞬の間。──そして、歓声と拍手が蒼天の空に突き抜けた。
***
公演の終わりと同時に興奮した観客もだいぶ引いていき、広場は日常の姿を少しずつ取り戻していった。
少女はお客たちとのお喋りを終わらせると青年の元へと戻った。
「お疲れさま。璃華」
外見年齢よりも少しだけ高くて甘い声。
二十前後の青年は、少年のように闊達な声でそう言うと、少女へと白いタオルを投げ渡した。
「夜煌もお疲れさま」
受け取ったタオルで汗を拭いた璃華は、ベンチに座ってバイオリンの手入れをしている夜煌の隣に座ると、青年の手元を見ながら少しだけ顔を顰めた。
夜煌が、不思議そうな顔をして彼女を見返す。
「どうかしたの?」
「夜煌って、バイオリン始めてまだ一週間経ってないよね」
首を傾げていた夜煌は、少し考えるように瞬きしたあと頷いた。
「前の街で璃華に買って貰ってからだから、今日で六日目かな」
「にしては、腹が立つほど上手いよねぇ。それだって、そんなに高い物じゃないのに」
夜煌の持っているバイオリンは、彼女たちが数日前に訪れていた街の古市場で、彼にせがまれて璃華が買い与えた物だ。
中古品であるし、買った時には多少の痛みがあった。何よりも、夜煌は楽器という物に今まで触った事など無いと言っていたのだ。
それなのに今では本職顔負けの演奏をする。手入れの仕方も完璧で、夜煌はそれをバイオリンと一緒に買った『初心者入門』と書かれた古冊子一冊を読んだだけで出来るようになってしまったのだ。
「そりゃあ、少しでも早く君の踊りに合わせたかったから。これでも頑張ったんだよ」
当然のように言う夜煌に、璃華は少しだけ照れ臭さを感じた。
自分と一緒にやりたかったのだと言われれば、やはり悪い気はしない。旅の同行者が伴奏をしてくれるなら、とてもやりやすいというのも事実だ。
璃華は旅をしながら主に踊りを見せる事によって生計を立てている芸者だ。
元々孤児だった彼女は、世話になっていた孤児院の院長の趣味で歌や踊りなど、楽について色々と教わっていた。
悲しい事や辛い事があったら、歌って踊って笑って吹き飛ばせを信条にしていた院長の孤児院は、とても愉快で温かい場所だった。
そして今、璃華はそれを糧に生きている。音楽無しで踊る事もあったけれど、行く町々で楽人と組んだりもしていた。
それを知った夜煌が、だったら自分が彼女の専属になると言いだしたのは、ほんの数日前。
楽器を触った事もないと言った彼に、璃華は無理だろうと呆れた。
だが、基本的に物事に対して無関心だった夜煌が珍しくどうしてもと食い付いたので、あまり高値でなく状態の良いバイオリンを購入したのが六日前。
「だからってねぇ」
たったの六日だ。
璃華はバイオリンの表面を指先で撫でる。
感じるのは滑らかな木の感触。くたびれた感のあった楽器は、今はもう青年の手によって見事に磨き上げられていた。
「不公平だと思わない?」
必死に練習をして、それで生活をしている人に謝りなさい。と言いたくなってくる。
「世の中は不公平で出来ていると言っても過言ではない。と古き偉人は言っているよ」
「それって、この前わたしが貸した本に書いてあったやつでしょ」
ご名答と言って青年は楽しそうに笑うと、バイオリンケースに入れられたものを璃華に見せた。
「今日はみんな奮発してくれたみたいだ」
そこには、銀・銅の大小様々な硬貨が入っていた。客からの投げ銭だ。
「きっと今日は天気が良いからだね」
人の目や心は天候に作用されることも多い。今日は気持ちのいい晴れ空。
璃華はうんと体を伸ばした。
空に向かって真っ直ぐに伸びた木に赤い花が咲いている。その先の青い世界には数羽の白い鳥たちが舞っていた。
袋に移した硬貨を璃華に渡した夜煌が、バイオリンを仕舞うと璃華と同じように伸びをして飛ぶ鳥の数を数え始めた。
一、二、三……と呑気に数を数える夜煌の声を聞きながら、璃華はゆっくりと深呼吸を繰り返した。
踊った事によって溜まった疲れを外に吐き出す。
青年の声が六までいったところで、璃華が立ち上がって夜煌を振り返った。
間近で夜煌の瞳を覗き込むと、鳥が飛ぶ青い空を映していた彼の紅茶色の瞳に、璃華の瑠璃色の大きな瞳が映り込む。
キラキラと輝く瞳はどちらのものか。
「しばらくこの街で稼いだら、次は海を越えるからね。ちゃんと体も休めること! 良い?」
腰に手を当てて覗き込んだ璃華に夜煌が苦笑し、彼女の額を軽く小突くと身軽に立ち上がった。
「いったぁーぃ」
悲鳴を上げる璃華に、彼の溜息の気配が届く。
「だぁれに言ってるの? 俺がそんな柔な訳ないじゃん。休むべきは君でしょう」
軽くといってもそれなりに痛い攻撃に璃華が額を押さえていると、夜煌は彼女を置いてさっさと歩き出した。
夜煌が持ってくれている自分の荷物を受け取ろうと璃華が慌てて追いつくと、その頭をポンポンと叩かれる。
彼には少女に荷物を持たせる気は無いようだ。
それを分かってしまったから、璃華は荷物を取り返すのは諦めた。
隣に並ぶと見上げるほどのこの身長差が恨めしい。
「ありがと」
むくれながらもしっかり礼を言う、璃華の妙な律儀さに彼が思わずというように吹き出した。




