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 領主の館がどういった構造になっているのかは分からないが、璃華と秋沙は走った。

 とにかく外へ出たいと思ったが、璃華たちがいた場所は三階だったうえに窓はすべて閉め切られ、魔法がかけられているのか、どうやっても開けることは叶わなかった。


「とにかく下に下りるわよ」

「うん」


 キメラの足はかなり速いようだが、その速すぎる足が徒になっている。

 角を曲がるたびに壁に激突しているのを見て、ひやひやするばかりだ。

 あまり距離が開きすぎては、追跡を諦めて他の女性を殺しに行ってしまうかもしれない。だからといって追いつかれるわけにも行かず、下手に距離が縮まれば壁への激突に巻き込まれかねない。


「ねえ、窓が開かないなら玄関だって……」

「それは考えたくないわね」


 暗い想像は打ち切って、璃華たちは横手に現れた階段を駆け下りた。直後に階段の角にキメラが体を打ち付ける。

 振動でよろめいて手摺りにしがみついた璃華は、その近さにぞっとした。

 振り返りたくなるのをどうにか耐えて、同じように一瞬固まった秋沙の背中を叩く。

 二階部分も三階と同じような廊下だ。ただ近くに一階に続く階段はない。

 素早く左右を見回した璃華は、通路の距離が短い左側に行くことに決めた。


「秋沙、左!」

「ええ。……ちょっと待って、璃華」


 同じように足を踏み出しかけた秋沙が、なにかに気づいたように窓辺に駆けよった。


「なにしてんのっ」

「見て璃華、みんなが来たわ!」


 焦れる璃華を制して、秋沙は窓の外を指さした。

 その言葉に目を見張って、璃華も横から窓を覗き込んだ。

 どうやら璃華たちはコの字型の建物の右翼にいたようだ。

 窓からは、広い庭の向こうにある正門で仲間のシーカと門番や領兵が揉めているのが見えた。


「みんなっ、ここだよ!」


 窓硝子を叩いて叫ぶが、当然彼らに届くはずもない。

 駄目元で手をかけてみたがやはり窓は開かなかった。


「父さんたちは絶対来てくれるわ。それまで逃げ切るわよ」

「うん」


 気づいてきてくれた。きっと夜煌が知らせてくれたのだ。彼も来ている。

 危機的状況を脱したわけではないから、璃華は頬が緩むのを堪えた。

 秋沙を促して先へ進もうとしたとき、背後に風を感じて璃華は咄嗟に親友に飛びついた。

 もつれるようにしてふたり床に転がると、頭上を影が通り過ぎる。

 顔を上げると、行き過ぎたキメラが標的を見失って首を振っていた。こちらにはまだ気づいていない様子に、璃華と秋沙は折り重なるようにして硬直した。

 かすかな呼吸音さえもこちらの存在を知らせてしまいそうで、身動きできない。

 そんなふうに必死に息を潜めていたのに、蜥蜴の尻尾がずるりと床を擦り、キメラはこちらを振り向いた。

 闇の深淵を覗き込んでいるようなキメラの瞳。そこに怯え竦んでいる少女がふたり映っている。少女のうちひとりが片手を上げた。

 無意識だったその行動。手を上げたのが自分だと理解した璃華は、攻撃と防御、どちらを行うべきか逡巡した。

 刹那の思考。

 飛びかかってきたキメラに防御は間に合わないと判断する。

 璃華は風を作り出した。

 キメラの爪か牙は、秋沙に覆い被さる璃華に届くだろう。練りの甘い魔法はほとんどダメージを与えることは出来ないだろうが、それでも秋沙が璃華の下から這い出す時間くらいは稼げるはずだ。

 死ぬかもしれない。ここまでで終わるのだとしても、自分の旅に後悔しない自信はある。

 だけれど、ここで璃華が死んだら、あのなににも執着しないという魔王はまた孤独の中に戻るのだろうか。

 風が手から離れ、爪が目前に迫った。

 痛みを覚悟した瞬間、だがキメラと璃華のあいだに障壁が出現した。

 爪が弾かれ、キメラが悲鳴を上げる。璃華の作り出した風はキメラの眉間に当たり、思った以上のダメージを与えられたようだ。

 どうしてだか死を回避できたという事実に、璃華は咄嗟に頭がついていかなかった。いつのまにか障壁は消失している。

 放心する璃華の腕を掴んだ秋沙が、起き上がる勢いで強く引っ張り上げた。


「行くわよっ!」


 力強い声に意識を引き戻されて、璃華は秋沙と一緒にまた走り出した。

 さきほど選ばなかった右の道だ。長い直進に不安を覚えたが、キメラはすぐには追ってこなかった。

 だが角を曲がって絶望する。

 その先の廊下は短く、行き止まりになっていた。左右の扉に取り付くが、やはり鍵が掛かっていてどこも開かない。

 背後から打撃音がして振り向くと、相変わらずキメラが壁に激突していた。壁際に置いてあった花瓶台をなぎ倒して、キメラは顔を上げる。

 先ほどよりも反撃の余裕はある。だがこの袋小路、退路はなく下手に魔法を使えば自滅さえしかねない。

 キメラが一歩近づいてくる。璃華と秋沙も後ろに壁しかないと分かっていても下がるしかなかった。

 いままであまりそういった素振りはなかったのだが、獲物をいたぶる楽しみでも見出したのか、キメラはそれまでの動きが嘘のようにゆっくりと向かってきた。

 体中を冷や汗が流れる。遠くで怒鳴り声や多くの人間の足音などが聞こえてきていたが、彼らの助けは到底間に合いそうにない。

 背中に壁が当たる。これ以上は下がりようがないと戦う覚悟を決めたとき、不意にキメラの動きが止まった。

 その場に縫い止められたように硬直し、大きな体が小刻みに震え出す。

 それはまるで、璃華たちがキメラを前にして、してしまった行動だ。


「ねぇ、自分が誰を襲ってんのか分かってるの」


 冷たい炎のような、冷酷な声だ。

 聞き慣れた声。けれどその声音は、あまり耳に馴染んでいない。璃華といるときの彼は、だいたい子供っぽいか甘ったるいかだ。

 キメラは巨大な体躯を、叱られた子犬のように丸めた。その体の向こうから、ゆっくりと歩いてくる青年に、璃華は鼻の奥がつんと痛くなった。


「……やこう」


 泣くのを堪えたせいで、呼ぶ声が揺れてしまった。

 真っ白な髪、血のように瑞々しい瞳、頬の刺青と尖った耳。

 魔族そのまんまの姿で、夜煌は悠然とキメラの脇を通って璃華の前に立った。

 彼女の存在を確かめるみたいに両手で頭に触れて、金茶色の髪ごと頬を包むと、ふわりと笑った。


「だから駄目って言ったのに、璃華の馬鹿」

「う……、ごめんなさい」


 夜煌の珍しい悪態に、心配させた自覚がある璃華は素直に謝った。

 確かな怒りを感じるが、おおむねいつも通りの彼にほっと安堵の息を吐く。もう怖いものなどない。

 気が抜けたせいで腰を抜かしそうになった璃華を支えて、夜煌はキメラの向こう側を睨んだ。


「それで……なにが命は大丈夫だって?」


 いつから居たのか、そこには凱が立っていた。

 夜煌の詰問に気まずそうにへらりと笑って頬を掻いている。


「悪かったよ。ちょっとした誤算だ。自分からキメラの標的になるとか、まさかここまで向こう見ずだと思わなかったんだよ。手を貸してやったんだから、それで相殺だろ。嬢ちゃんたち、俺の障壁が間に合って良かったな」


 廊下に倒れたまま風を放ったとき、目の前に現れてキメラの攻撃から守ってくれた障壁。

 凱の言葉でそれが彼が作ったものだと知り、璃華は目を瞬かせた。

 お礼を言うべきだろうか。だが凱の真意が分からない。

 困惑する璃華に食えない笑みを浮かべて、凱は大人しく身を縮めているキメラの尻尾を踏みつけた。

 キメラの体がびくりと大きく震える。どうやら夜煌だけでなく、凱にも怯えているようだ。


「それでこの駄犬、どうすんだ?」

「殺処分。それ以外は興味ない」

「じゃあ俺が遊んでいい?」

「好きにすればいい」


 夜煌が感情のない声で言った瞬間、キメラは脱兎の勢いで逃げ出した。


「おうおう、逃げろ逃げろ。思いっきり遊ぼうぜ、犬っころ。魔王のもんに手ぇ出したんだ、覚悟は出来てんだろ?」


 凱はゆったりとした歩調で、キメラの後を追いかけていく。

 その姿が角に消えてから、秋沙が訝しげに呟いた。


「……魔王?」

「あぅ」


 言い訳のしようもなく、璃華はその魔王の腕の中で項垂れた。










 囚われた女性たちを解放するため、璃華たちは領主の息子の部屋に戻った。

 その途中で非常に遊び満足した表情の凱が合流した。あのキメラがどうなったのか、おそらく聞く必要はないだろう。

 部屋の中では領主の息子が恋人の名前を何度も呼びながら寝台に突っ伏していた。

 そこにあの女性の姿はない。シーツの上には灰が広がっていた。

 救いだったのは、攫われた女性たちの命に別状はなかったことだろう。全員無事に保護された。

 璃華たちがその室内へ入るのと同じくらいに、シーカたちも領主の息子の命を受けていた領兵を退けて、どうにか屋敷内に入ることができたらしい。

 遅れて部屋に入ってきた彼らは、室内の惨状に顔を顰めながらも迅速にその場を片付けていった。

 ねぎらいの言葉をかけてもらった璃華たちは結局その場ではすることもなく、多くの人が慌ただしく出入りしている玄関脇の花壇のところで、邪魔にならないように立っていた。

 芭磁をはじめ、ギルド幹部などは病床で伏せっている領主のところにおもむき、今回の事件の全容を説明しにいっているということだ。

 入り乱れる人々を眺めながら、璃華はよく分からなかった部分について魔族の青年たちに質問をしていた。もちろん彼らの姿は、他の者に見つかる前に人間のそれと同じにしてある。


「合成獣だからいろんな動物の体が混じってるのは分かるんだけど、あの背中にあった女の人の体って……?」

「キメラが生気を吸って分け与えてたんなら、その女が母体だったんでしょ。その女から取り出した核を中心に作ったから、まあ、ああいう風に出てきたんじゃないかな」

「なら、その母体の女性が灰になっちゃってたのって」

「キメラが死んで、生気が送られてこなくなったからだね」


 夜煌は面倒くさがらず説明してくれるが、その様子はキメラにも女性にもなんの興味もなさそうだ。

 凱が何の感傷もない様子で後を続ける。


「死んだ肉体を無理矢理保ってたんだ。生気の供給が止まれば反動であっという間に退廃するのは当然だな」


 璃華は複雑な心境で屋敷を振り返った。

 もともと死んでいた女性とキメラ以外、死者が出なかったから思うことではあるが、それでもあの青年を哀れに思った。

 ただひたすらひとりの女性を愛し、それゆえに壊れてしまった青年。もし彼女が死ななかったら、いずれいい領主となっていたかもしれない。

 璃華の隣で青年たちを警戒するように見ていた秋沙が、かすかに眉を寄せて首を捻った。


「けっきょく彼の言っていたことは本当だったの。生き返らせられるって」

「まさか。死んだ奴はそこで終わりだ。何人生け贄にしたって叶いっこねえよ」


 呆れたように言う凱を、璃華は睨みつけた。


「ならなんで、彼を止めなかったの」


 いつから彼が関わっていたか知らないが、領主の息子はあの場に凱がいることを訝しんでいなかった。

 つまり、すでに面識があったということだ。


「俺に止める義理があるか? 別にあの坊ちゃんにもキメラにも興味なんかねえしな」


 なんとも魔族らしい返答に、璃華は頭が痛んだ。

 夜煌ほど何事にも興味がないわけではなさそうな様子は、逆に彼が招く災厄が多いということだろう。


「ならあなたは何の興味があってここにいるのかしら」


 秋沙も璃華と同じような頭痛を感じたのだろうか。顔を顰めて凱を睨む。

 彼は璃華と秋沙を見て、次であくびをかみ殺している夜煌を見た。


「俺が興味あんのは強さだ。今回は……」


 夜煌と凱がぴくりと顔を上げる。

 途中で途切れた言葉に首を傾げていると、夜煌が急にこちらへ手を伸ばしてきた。


「璃華っ!」



 切羽詰まった声で呼ばれた瞬間、璃華の視界が暗転した。









一難去って、また一難。

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