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 白猫の姿は無力だ。すごい勢いで離れていくキメラにしがみついていることもできず、夜煌は無様に路地に転がった。

 キメラの動きは驚くほど静かで俊敏だ。路地から屋根に上がり、またたく間に姿を消してしまった。人間の目では追えない速度だろう。

 小さな獣の姿ではもちろん追えない。璃華を連れ去られる瞬間に本性へ、もしくは人間の姿にでも戻っていればむざむざ連れ去られたりせず、一睨みだけでキメラを下がらせることはできた。

 しかしあのとき、キメラを通して誰かがこちらを見ていたかもしれない。

 あの場でキメラを倒してしまえば璃華たちの目的は果たせず、黒幕へたどり着くことは出来ないし、攫われたとかいう人間も助け出せない。

 そんな人間たちのことなどどうでもいいが、夜煌が手を出して璃華に怒られるのも、彼女が責任を感じて落ち込んでしまうのも嫌だった。

 なによりもこの街に潜んでいる魔族に自分の存在を、璃華のことを知られるわけにはいかない。今回の黒幕か、またはその裏にか、どちらかまでは分からないが確かに魔族の気配がある。

 三日前にかけた目眩ましの魔法は、あくまでこちらの存在を感知されにくくするものだ。認識されてしまった時点で効果はなくなる。

 璃華自身は攫われてしまったが、それは一連の誘拐事件の延長で、夜煌の大切な人であるからと狙われたわけではない。まだ気づかれてはいない。

 路地に転がったまま目を閉じてキメラの行き先を探る。複合的に混ざり合った歪な魔力を追うのはそれほど難しくない。


「死んでんのか、この猫。あ、生きてる」


 聞き慣れた声がしたと思ったら、ひょいと首根っこを掴まれてつるし上げられた。

 近づいてきていた気配には気づいていたので、鬱陶しく思いながらも目を開ける。

 にやついた凱の顔が目の前にあった。


「ま、当然だよな」


 にやにや笑う凱にいつまで持ち上げているのだと睨みつけるが、旧友はますます楽しそうに笑うばかりだ。


「その格好で睨まれても、ぜんぜん迫力ねえし。魔王もこれじゃあ形無しだなってか?」


 イラッとしたので爪を隠さない猫パンチを繰り出したが、凱の顔に傷を付ける前にひょいと宙に投げ捨てられた。

 地面に下り立つ前に変身を解いた夜煌は、何日か前に消えたきり、全く音沙汰のなかった友人を睨みつけた。

 さすがに猫の眼光よりは効果があるのか、凱は肩を竦めてみせる。


「そんなに睨むなって。まだ嬢ちゃんなら大丈夫だ」


 軽い調子で言ってくる凱に、視線だけで先を促す。


「女を集めてんのは生気を吸うためだ。生気を吸われている間は生命維持はされる。本当の目的は明日にならねえと達成されねえんだと。それまでは生かされるはずだぜ」

「生気を吸われる? 冗談じゃない。なんであろうと彼女を少しでも損なわせるなら、即刻抹消対象だ」

「……うわぁお」


 冷え冷えと吐き捨てた夜煌に、凱はわずかに顔を引き攣らせて呟いた。

 ふつふつと自分の中からわき出してきた殺意で、周りの空気が凍っていく。空気中の水分が小さな氷となって、人気のない路地にぱらぱらと散らばった。

 怒りのあまり人間の形を保っていられなくなりそうになったので、ふぅっと深く息を吐き出した。

 ほんの少し冷えた頭でこの先の行動を考える。

 さっさと助けに行くことはできる。本当ならいますぐにでも行きたい。呼んでくれれば飛んでいくのに。

 けれど夜煌では、全てを殲滅して璃華を連れ出すことしかできない。それでは彼女の願い通りとはほど遠いのだろう。だいぶ人間界で生活してきて、それくらいは分かるようになってきた。

 だったら事後処理のできる人間を利用しなくてはいけない。それは夜煌にとってひどく面倒な作業だが、璃華が望むのならと踵を返した。

 少なくとも、いますぐ璃華の命に危険はないと、凱の言葉で納得はした。

 とりあえず、彼女が親しくしていた芭磁とかいう男を見つけ出さなければ。

 背を向けた夜煌を凱が呼び止める。


「嬢ちゃんが連れてかれた場所、知りたくねえの?」

「この街で一番でかい屋敷だろ。そこでキメラの気配が途切れた」

「ご明察。じゃあ、後ろで糸を引いてる魔族の正体は?」

「興味ない」

「あっそ」


 璃華を害されることは許せないが、その魔族自体にはさしたる興味がないのが事実だ。

 それは誰であっても変わらない。だから凱が「なら俺は見学させてもらお」と呟いて消えたのも放置した。

 昼時の空は、夜煌の心を映したかのようにますます暗みを増していた。









 ふと意識が浮上して、璃華は目を瞑ったまま、思考が回り始めるのを待った。

 体の前面に当たる固い感触に、床にうつ伏せで倒れているのを認識する。頬に当たる柔らかなくすぐったさは、上等な絨毯のものだ。


(ここ、は。……わたし、確か。……夜煌?)


 思い出したのは、最後に見た白猫の姿だ。

 必死にキメラにしがみついている姿は健気で、そんなに頑張らなくてもいいよと言いたくなる。

 そう、璃華はキメラに連れ去られたのだ。抗いきれぬ眠気に意識を失ったのだということを思い出す。


(信じてる。きっと来てくれるって)


 心の中で呟いて、璃華は瞼をそっと開けた。

 状況を把握しようと目だけを動かす。どこか室内なのは間違いない。薄暗いのはそれだけ時間が経ってしまったからだろうか。

 頭が酷く重怠かったが、ポケットの中に忍ばせているものを意識すると、霞みがかった思考がすぅっと晴れた。

 目だけで周囲を窺おうとしたとき横から呻き声が上がって、璃華は場所も忘れて飛び起きた。


「秋沙っ」

「……り、っか?」


 顔を顰めて薄らと目を開けた秋沙は、こちらに気づくと苦しそうに璃華を呼ぶ。

 璃華はポケットから魔法具を取り出すと秋沙に握らせた。

 ギルドから配布された眠気払いの魔法具だ。いまこうやって目を覚ますことができたのも、強制的な眠りから覚めさせるこれを、気を失う瞬間に起動させられたおかげである。

 魔法具を秋沙の手に握らせると、彼女はゆっくりと身を起こした。残った倦怠感を振り払うように頭を振って、ふと何かに気づいたように顔を強張らせる。


「なによ、これ」

「え?」


 首を傾げた璃華は、親友の視線を追って振り返り、そこに広がっていた光景にぞっと怖気立った。

 床の上にたくさんの女たちが転がっていた。皆一様に固く目を閉じて、人形のようにぐったりと身を投げ出している。彼女たちの脇には、まるで献花のようにたくさんの花が落ちていた。


「知澄、結那」


 比較的近いところに友人たちを見つけて、璃華は慌てて駆け寄った。

 呼吸と脈を確かめて、ほっと息を吐き出す。


「生きてる?」

「うん。生きてる」


 璃華が頷くと、秋沙は安心したように力を抜いて座り込んだ。

 脱力する親友の肩に手を置いて、周りを見回す。どうやら全員生きているようだが、だいぶ衰弱している者もいるようだ。


「ここから出よう。早く助けを呼ばないと」

「それは困るな。お嬢さん」

「……――っ!」


 突如響いた青年の声に、璃華は舌打ちを堪えた。

 不測の状況で気を失ったとき、次に目を覚ましたら跳ね起きたりせず、慎重に辺りを窺ってから行動をしなければいけなかったのに。慎重さを怠ってしまった璃華の失態だ。

 シャッとカーテンの引かれる音がして、わずかに室内が明るくなる。

 曇っていた空はさらに暗みを増したようで、まだ日は暮れていなさそうなのに窓から入ってくる光量はかなり少ない。

 金縛りにあったように動けない璃華たちを、窓辺の青年が静かに見つめてくる。


「ここに来て目を覚ましたのは君たちが初めてだ。どうして魔法が効かなかったんだい」


 強制的な眠りに対して発動するギルド特製の魔法具のおかげだ。

 もちろんそんなことは答えず、璃華はじっと青年を観察した。

 栗色の髪の穏やかそうな青年だ。いくらか頬が痩けてやつれているようだが、キメラを使って女性を誘拐するなんて、そんな大それたことをするようには見えない。

 それにぱっと見回しただけの室内も上等のものだった。

 無造作に転がされていてもそれほど痛みを感じなかった肉厚の絨毯、十数人の人間が居るのに窮屈さを感じさせない広さ、壁紙や天井の飾り彫りも見事である。

 間違いなく権力も財力もある人間の住む部屋だろう。

 璃華と同じように青年を見ていた秋沙が、何かに気づいたようにはっと目を瞠った。


「まさか、あなた……」

「秋沙?」


 声を震わせた秋沙に、いったい何に気づいたのかと不安になる。


「僕を知っているのかい」

「……レリルの領主の、息子ね」


 秋沙の責めるような声音に、彼は口端を上げた。穏やかなのに、なぜかぞっとするような笑みだ。

 領主の息子。確か恋人を失って、失意のあまり部屋に引き籠もっていると言われていた。


「どうしてそんな人が、こんなことを……」


 呆然と呟く璃華に答えず、領主の息子は窓辺を離れて部屋の奥に置いてある寝台に近づいた。

 青年の目が離れたところで、秋沙が璃華の手を取った。璃華も頷いて握り返すと、すぐにでも逃げ出せるように、ふたり身を寄せ合いながら立ち上がる。

 ここに囚われている人たちを救いたい。けれどそれには自分たちの身を守らなければ始まらないのだ。

 指に付けた魔法具をさりげなく見る。着けた者の所在地を離れた場所にいる人に伝える魔道具だ。

 さきほどから気になっていたのだが、どうにも作動している気配がない。キメラに攫われたときに壊れたか、すでになんらかの対策を講じられていたか。

 これではギルドのみんなに、自分たちがここにいると知らせられない。

 璃華は不安を押し隠して顔を上げた。魔法具で知らせられないなら、どうにかして自力で知らせなければ。

 目線が上がったことで、璃華は寝台に誰かが横になっているのに気づいた。

 女性だ。長い髪が綺麗に整えられ、シーツの上に流れている。寝台の上には床に落ちているものの比ではないほど、たくさんの花で埋め尽くされていた。


「綺麗だろう。僕の恋人だ」


 愛おしそうに告げられた青年の言葉に戦慄した。すぐに意味が呑み込めないのに、体が震え出す。


(だって、数ヶ月前に死んだって)


 二十歳前後の美しい人だ。長い睫、滑らかな頬。生気は薄いが、ほんのり頬も色づいている。

 あり得ない。もう腐敗したっておかしくないだけ時間が過ぎているはずだ。


「な、んで……?」


 璃華の掠れた疑問に、青年は優しく目を細め寝台の向こう側、窓辺の光の届かない暗がりに目を向けた。


「この子が彼女のために生気を集めてくれたおかげさ」


 その言葉に応えるように、暗がりからのそりと巨大な体躯が現れた。






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