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12


 カーテンの引かれた薄暗い室内の中、寝台に腰掛けた男に向けていた冷めた目を外し、部屋の中を見回した凱はふんと鼻を鳴らした。


(狂ってんな。まあどうでもいいが)


 どこの人間がどんなふうに狂っていても凱は特別嫌悪感を抱くこともなければ、興味を持つこともない。

 だいたいにおいて、己よりも力の弱い人間に興味を持ち、ちょっかいを出すのは格の低い魔族のすることだ。

 魔族の性として強者に対しては目を向けるが、ゆえに力が強くなればなるほど、あらゆるものに対する興味は薄れていく。その傾向が一番顕著なのが頂点に君臨する魔王、ルフュゼだろう。

 彼はなににも興味を持たなかった。目を向けるものがなさすぎて、生きることさえ無気力になっていた。死さえも厭う様子もなかったが、必要性がなかったから死ななかっただけだ。

 凱が知るだけでも数年間、彼はなにをするでもなく岩に腰掛けてぼうっとしていたこともある。

 部屋の外に気配を感じて、凱は寝台の男に背を向けた。床に転がっていたものを踏まずに跨いだのは、ちょっとした気まぐれだ。

 廊下に出たところにいた男に薄らとした笑みを向ける。それは長年の友に向けるのとは種類の違う笑みとなっているだろう。どちらかといえば、いま浮かべているのが魔族としての本質だ。

 廊下の男が口を開く。


「人間たちがようやく動き出したようだ。本当に奴も来るのか」

「来んだろ、たぶんな」

「……ふん。いまはお前を信用してやるよ」


 奇妙に籠もった声を残して、男はその場からふっと消えた。

 凱は壁に凭れて、自身の黒髪をがしがしと掻いた。


「信用、ね」


 そんなもの、魔族にとっては何の価値もない。いつだって価値があるのは力だ。

 誰よりも強く、なににも執着を見せなかった魔王。強者にしか興味を示せない性。

 ならばその彼が人間たちに混じってまで傍にいることを望み、言葉や行動に一喜一憂させられ、なんとしてでも守ろうとしている少女は――。





 ***





 花散祭三日目。

 レリルのギルドにいた女性のシーカは、璃華を含めて六人。一緒に行動するのはあまりに効率が悪く、危険度は高いがそれぞれで動くことになった。

 踊り子としての本業は脇に除け、いまは祭りを楽しむ街娘に扮して露店や演し物を冷やかして歩いている。


「それにしても、璃華。あなた本当に大事にされてるのね」

「言わないでよ。一応、自覚してるから」


 露店の髪飾りを覗き込みながら秋沙に感心したように言われ、璃華は赤くなりそうな頬を眉間に力を入れて耐えた。


「帰ってからも大丈夫だった? まだ怒っていたでしょう」

「怒ってたっていうか……」


 なぜか噛みつかれた。しかも幸せそうな笑顔と楽しそうな笑い声つきで。本当に意味が分からない。

 一度は耐えた熱が顔に上がって、ぱあっと赤面した璃華に、秋沙はなにを想像したのかにやにやした笑みを浮かべてきた。


「なになに。なにがあったのよ」

「ななっ、なんでもないよ。別になにもなかったよ」

「あぁら、真っ赤になって動揺しちゃって、かぁわいい」

「ちょっと、スケベ親父みたいな口調止めてよっ」


 璃華と秋沙のじゃれあいに、露店の店主が可笑しそうに笑う。いたたまれなくなった璃華は、店主にぺこぺこと会釈をすると、含み笑いを続ける親友の手を取って足早にその場を離れた。


「もうっ、やめてよね。……それよりも秋沙、本当にいいの? わたしと一緒にいるなんて、危ないかもしれないんだよ。芭磁さんも心配するよ」

「父さんも了承済みよ。うちの従業員も攫われてるのかもしれないのに、じっとなんてしてられるもんですか。わたしだって、シーカになれるほどじゃなくても護身術くらい教わってるもの」


 商会の会頭でありながら、シーカとしても一目置かれるほどの実力を持つ芭磁は、昔から愛娘に武芸をたたき込んでいたそうだ。旅に危険はつきもの。もしなにかあったときに自分の身くらい守れるようにならなければ、やっていけないだろうということらしい。

 ただ性別はいかんともし難く、魔力も持ち合わせていなかった秋沙はシーカの称号を手に入れるほどにはなれなかったし、どうやら芭磁もそこまでは期待していなかったらしい。


「父さんの後を継ぐのに、これくらいのことに首を突っ込まないようじゃ、やっていけないわ」

「それにしても無謀だよ」

「あら、厄介ごとに首を突っ込む頻度と、お人好しさ加減ではとうてい璃華に敵わないと思うけど」

「そうかなぁ」

「まあ、自分のことは分からないと言うしね」


 肩を竦める秋沙に、納得しきれないものの頷いておく。

 路地や店の影に怪しいものがないか見回していた璃華の手をとって、秋沙はにんまりと笑った。


「なんにせよ、仕事をせずに祭りを見て回るなんて初めてよ。少しくらい楽しんでも罰はあたらないと思わない?」


 目をぱちくりして言われたことを理解した璃華は、少しだけ考えて苦笑した。


「だいたい犯行時刻は早朝か、夕方から夜だもんね」


 いまはだいぶ陽が昇り、あと二時間ほどでお昼だ。大通りはもちろん、この時期のレリルには路地にまで人が行き交っている。


「あ、あの露店見てみましょうよ」

「ええっ、またアクセサリー?」

「ペンダントトップとかチャームの単体ね」


 覗いた台の上に置いてあったのは、秋沙の言うとおりまだ装飾具になる前のものだ。


「お揃いの、なにか買いましょうか。わたしと璃華と結那と知澄で」


 ぽつりと呟いた秋沙に、一緒にしゃがみ込んで商品を見ていた璃華は顔を上げた。

 ちらりと目線だけを向けてくる秋沙は、困ったように笑う。


「げん担ぎに」

「そうだね。四つ買おう」


 明るく振る舞っていても、秋沙も不安なのだ。怖いのだ。その気持ちを感じ取った璃華は、あえてにっこり笑って本気で品物を物色し始めた。

 いろいろ吟味して選んだのは、花散祭らしい花のチャームだ。金の枠に色ガラスの花びらが嵌められてとても可愛らしい。それをそれぞれの瞳の色に合わせて買う。

 恰幅のいい女性店主が包んでくれているのを待っていると、不意に腰の辺りにすり寄せられるぬくもりを感じて、璃華は目を瞬かせた。

 覚えのある感触にまさかと振り向けば、やはりそこには白い猫が璃華に体を擦りつけていた。朝から見かけないと思ったら、このタイミングで出てくるとは。

 璃華の視線を追った秋沙も、そこに猫がいることに気づいて目を丸くした。


「璃華の可愛いナイトじゃない。ついてきちゃったの?」

「……みたいね。仕方ないなぁ、もう」


 璃華は深々と諦め溜め息を吐いて、甘えてくる夜煌の頭を撫でた。


「猫がいたからって、キメラは襲ってくるの躊躇したりしないよね」

「なによそれ。するわけないじゃない」


 秋沙は可笑しそうに笑うが、獣の本能で彼の正体を察したりしたら、ぜったいに近づいては来ないだろう。

 だが前に猫の姿だと無力なのだと夜煌は言っていた。危険かもしれない場所にそんな姿になってでもついてこようとする彼をさすがに無碍にもできず、璃華は白猫版夜煌を抱き上げた。

 勝ったと言わんばかりに満足げな顔で首に頭を擦りつけてくる。昨日噛みつかれた場所でもあって文句を言いたかった璃華だが、横に秋沙がいるのでは諦めるほかない。

 結局この日は本当にただの祭り見物に終わり、翌日、花散祭四日目。


 それは早朝から起きた。


 三日目の夜から天気が悪くなり、どんよりと曇った空が朝を告げた。

 もし雨でも降れば外を出歩くのが不自然になり、敵をおびき出すのが難しくなる。そうでなくてもこの華やかな祭り中の悪天候はみなの気分を思いっきり盛り下げるだろう。

 宿の外で空を見上げ、どうにか持ち堪えてくれと璃華が祈っていると、通りの向こうから硬い顔をした芭磁と秋沙がやって来た。


「おはよう」

「はようさん。例のキメラだが、今日の朝すでにお出でなすったぞ。ひとりで歩いてたシーカに襲いかかった」

「本当にっ? それでどうなったの」

「運がいいのか悪いのか、たまたま通りかかった通行人が悲鳴を上げたら、そのまま逃げたそうだ」

「そう」


 璃華は落胆して息を吐く。慰めるように腕の中にいる夜煌がにゃーと鳴いた。今日も彼は猫仕様でついてくるそうだ。

 秋沙が璃華の横に来ながら、難しげに眉を寄せる。


「でも、いままでは全く手がかりを残していかなかったのに、ここに来て急に二回も目撃されたのね」

「どういうこと?」

「……つまり、なにかを焦っているんじゃないかしら。慎重さを捨ててでも急いでいるのよ」

「その可能性はあるな。ギルドもそう判断した。少なくとも、まだキメラは狩りをやめてねえ」


 璃華はごくりと唾を飲んだ。

 光の陰る曇り空。祭りの活気が薄れ、少しよそよそしい空気。昨日までの熱気との対比でよけいにそう感じるのだろう。何かが起こりそうな気がする。

 重々気をつけるようにと注意を受けて、見回りに行く芭磁と別れた。

 空は曇っていようと人通りは多い。ちらりちらりと心配そうに空を見上げる人々とすれ違いながら、二人と一匹は昨日と同じように街中を歩き回った。

 祭りの冷やかしを装い、さりげなくいままでの事件現場だと思われる場所を通る。

 正午を過ぎた頃、ふと横から生温い風を感じて璃華は足を止めた。

 足下の夜煌と横を歩いていた秋沙が一歩進んで振り返る。


「璃華?」


 秋沙の声を聞き流しながら、璃華はじっと路地の奥を見つめた。悪天のせいでいつもより薄暗い路地。たいして広くもなく狭くもないそこに、いまは誰も歩いていない。

 低い唸り声が、聞こえた気がした。

 引き返してきた秋沙と強張った表情で顔を見合わせる。それでも気丈に頷いてきた親友に頷き返して、路地へと踏み出した。

 励ますように足下に纏わり付く夜煌を蹴っ飛ばさないように、慎重に、それでも不自然にならないように気をつけて進む。

 路地には異常はなかった。いくつかの木箱や空の酒瓶が置かれ、頭上には家から家に渡されたロープにかけられた洗濯物がはためいている。

 なんでもない風景。聞こえたと思った獣の唸り声は聞こえてこない。過敏になった神経がただの風を聞き間違えたのか。


(でも、いる)


 理由もなく確信したとき、ぴくりと夜煌の三角の耳が動いた。彼が振り返るのに一瞬遅れて体を捻ると、ほとんど足音もなくそれは現れた。

 大型犬をさらに一回り大きくした漆黒の体躯。下半身は鱗のようなもので覆われ、尾は蜥蜴のような爬虫類の形状だ。背中からまるで翼のように生えた二本の巨大な猿の腕。


「ひっ……!」


 隣で秋沙が悲鳴を上げる。璃華も恐怖に思考が固まった。

 合成獣には遭遇したこともある。いろいろな形状のものを文献で知っている。その中には想像すらしたくないと思うものもあったが、いま目の前にいるものほど怖気だつものではなかった。

 巨大な体躯も剥き出しの牙も、猿の腕も蜥蜴の尻尾もどうでもいい。そう思ってしまうほどのものが、背中にある二本の腕の中心にあった。

 それは人間の上半身。女性の胸もとから上、剥き出しの肩や丸みをおびた頬に生気が宿り、それがなによりも違和感を発している。閉じた瞼がいまにも開きそうだ。その瞬間を思い浮かべただけで寒気がする。

 忘我の時間はほんの一瞬だ。夜煌の鋭い鳴き声にはっと我にかえったときには、キメラはすでに目前へと迫っていた。

 庇うように前に立った白猫を飛び越え、猿の腕が左右でそれぞれ璃華と秋沙の体を掴む。わし掴まれた痛みよりも、目の前に現れた艶めかしい人間の肌にぞっとした。

 くらりと眩暈。それらしい薬の匂いはしないから、おそらく魔法の類だ。

 すでに秋沙は猿の手の中でぐったりとしている。璃華は自由になる手首から先で、どうにかポケットの中に入っている魔道具を発動させた。

 視界の端で白猫がキメラの尾にしがみついているが見えた瞬間、抗いきれない眠りに完全に意識が閉ざされた。




大ピンチ!

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