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 急いでギルドに向かうと、受付のホールにはすでに大勢の人が難しい顔を突き合わせていた。

 その中には芭磁もいて、秋沙が駆け寄っていくのに璃華たちも後を追う。


「父さん」

「おう、来たか。璃華に、そっちの夜煌も」

「芭磁さん、いったい何があったの。キメラって」

「まあ待て、いまもう一度説明されるから」


 芭磁がそう制すると、ちょうど受付の脇にある階段からこのギルドのギルドマスターが下りてきた。

 ホールに集まっているのは、主にシーカたちだ。芭磁もそうであるし、芭磁の隊商にいる商人の幾人かもシーカを兼任しているのでこの場にいる。

 そのシーカたちに向かって、ギルドマスターは状況を説明していった。

 今日の朝方、このギルドに向かっていた職員がキメラに襲われているところを、酔っ払って朝帰りをしていた男がたまたま見かけたらしい。なんとその女性職員は、祭り初日に璃華が話したあの受付嬢であるようだ。

 キメラはその場で受付嬢を喰うことも殺すこともなく、猿のような手で抱えて連れ去ったという。

 その場を目撃した男性が助けに入れなかったことを咎めることはできない。むしろ、よく逃げ延びてギルドに知らせてくれたというべきだ。

 悲鳴を飲み込んで隠れた男は難を逃れたが、そのときすでに恐怖で酔いなど吹っ飛んでいたはずなのに、くらりと眩暈を感じたそうだ。恐怖による意識の喪失は違う、不可解な強い睡魔。歯を食いしばってその場を離れなければ、あの場で眠りこけていただろうと証言している。


「催眠効果のある香か魔法を使っているのだろう。間違いなくこれはキメラ単体の行動ではなく、裏で何者かが糸を引いているはずだ」


 厳つい顔に似合わぬ小さな眼鏡を押し上げ、ギルドマスターは重々しく断言した。

 ごくりと息をのむ音があちこちから上がる。

 いままで分かっている失踪者は全部で十三人。思ったよりも多い。そのいずれも、十代から二十代の若い女性だそうだ。

 なんと最初の被害者と思しき人が失踪しているのは、何ヶ月も前のことだった。これほど長い時間、どうして本腰を入れて捜査がされなかったのだろう。


「父さん、その中に結那と知澄も入っているの?」

「ああ、入ってる。噂を知ってたのに、護衛を付けなかった俺の失態だな」


 娘の問いに、芭磁は苦々しく頷いた。己の抱える従業員が危険な目に遭っているかもしれない状況は、剛毅な質の芭磁ですら言っても詮無いことを後悔させるのだろう。

 知っている相手が三人も行方不明ということに、璃華も内心かなり動揺していた。

 体の横できつく握りしめていた拳を、不意に温かなぬくもりに包まれる。


「璃華、大丈夫?」

「……うん、大丈夫」


 心配そうに見つめてくる夜煌にぎこちなく笑ってみせ、璃華は芭磁を見上げた。


「芭磁さん。領主様のところで調査隊を作ってるって聞いたんだけど、そっちに進展はないの?」

「ああ、それか。ありゃあ駄目だな。レリルの領主はずいぶん前から体調を崩して伏せりがちだし、そうなると領兵たちの統率も取れねえよ。有力な情報はなんにも掴めてないって話だ」


 芭磁は一介の商人だが、ギルドに在籍している年月は長く、剛胆で面倒見が良く豪快な性格と確かな手腕から、他の職種の人間からも多くの信頼を集めている。街々のギルドマスターたちも彼を頼りにしていて、政情やあらゆる裏事情にも精通していた。


「領主が伏せるとたいてい跡継ぎがどうにかやりくりするもんだが、この街の領主の息子は数ヶ月前に事故かなんかで恋人が死んで、それ以来部屋に籠もったまま出てこないんだとよ」

「こんなに一大事でも?」

「出てくる気配はねえんだろうな」


 呆れたように言う芭磁に、璃華も顔を顰めた。

 ギルドは基本的に依頼されて動く組織だ。今回のような場合、被害者の家族か領主など街の上役による依頼がないと簡単に動けない。それでもこうやっていま動き出せたのは、ギルドの仲間にまで直接害が及んだからである。


「キメラが殺さず連れ去ったことから、まだ他の失踪者の生存も捨てきれない。よって、ギルドマスターとしてレリルにいる全てのシーカに通達する。犯人を捕まえ、彼女たちを救出するために尽力せよ」


 ギルドマスターの威厳に満ちる低い声に、応とシーカたちの声が揃う。

 もちろん璃華も否やがあるはずもなく、しかし横にいる夜煌をどう説得しようかと頭を悩ませた。

 おそらく囮捜査になるだろう。女性のシーカはどうしても男性と比べると少ない。

 十代から二十代の女のシーカが餌になって街をうろつくことになるだろうが、数が少なければ璃華が当たる確率もかなり高いくなる。そんな危険な仕事を、夜煌が簡単に許すとも思えなかった。

 案の定、作戦の詳しい説明になると夜煌は猛然と反対した。ざわりと鳥肌が立ちそうな圧力で睨みつけてくる。周りにいる熟練のシーカたちでさえ、異様な気配に圧倒されているようだ。

 繋がれたままだった手に力が入り、かなり痛い。その痛みを顔に出さないようにしながら、璃華は夜煌をにらみ返した。


「シーカとしての仕事なの。夜煌がなんと言おうと、わたしはやる」

「駄目だ」

「みんなが見回りをしてくれるから、何かあってもすぐに助けてもらえるんだって」

「こんな奴らなんか当てにならないだろ」

「そんなこと言わないでっ。……いまならまだ、助けられる可能性があるんだよ。彼女たちを見殺しにしろって言うの」

「別にそんなの、どうでもいい」

「夜煌っ!」


 普段はあまり見せない酷薄な瞳で言い切った夜煌に、璃華は怒りのまま声を荒げた。

 本気でそう思っているのが伝わる態度に周りが顔を顰める。向けられる非難の視線など意に介さない様子で、彼は璃華だけを見ていた。

 ホールの一角で始まった言い合いに、ギルドマスターが近づいてくる。彼は近くにいた芭磁と一言二言話すと夜煌を見据えた。


「ずいぶんと上から目線のようだが、お前も相当やれるんだろうな」

「俺は璃華の傍から離れない」


 ギルドマスターの質問に、夜煌は答えでない返事を返す。

 夜煌の紅茶色の瞳にちらちらと紅の炎が揺れている。気が高ぶるあまり、こんなところで本性を現したりしないかと、ふと心配になった。

 口調は淡々としているが、璃華に対してもこういう態度をとるとき、彼はかなり本気で怒っているのだ。

 魔王の片鱗を見せた眼光に、ギルドマスターはかすかに目を細めた。それでも一歩も引く気配を見せない辺り、さすが一つの組織をまとめる者だ。


「そうはいっても、璃華は貴重な戦力だ。戦える女は少ない。彼女には重要な役目を担ってもらわなければならないんだ。もちろん、警備は厳重にするし、お前もそこに参加すればいい」

「なんで俺がお前たちの中に入んなきゃいけないのさ。俺は璃華と一緒にいる」


 一切の検討の余地もないと言わんばかりに切り捨てる夜煌に、璃華もかちんときた。

 確かに魔王である夜煌の力なら、ここにいる全員を一瞬で消滅させてしまうこともできるのだろう。

 けれど璃華にとっては大事な信頼できる仲間だ。それに彼女自身にもギルドのシーカとして認められ、いままでやってきた誇りがある。

 それをまるで弱くてなにもできない守るばかりの存在のように言われてしまえば、腹立たしいことこの上ない。


「夜煌の分からず屋っ。そんなに聞き分けないなら、もうあんたと共演なんかしないから。しばらくは口も聞かない!」


 そんな子供のような捨て台詞を吐いた璃華に、いままで傲慢とも言える態度であった夜煌がさらした愕然したと間抜け面は、この後しばらくこのギルドで語り継がれることになった。



 ***



 窓辺に立って何事かを考え込んでいる夜煌を、璃華は寝台に腰掛けながら窺い見た。

 明日の打ち合わせを終え、ギルドから戻ってきてからだいぶ時間が経っている。

 けっきょくあの後、璃華の言葉が効いたのか、夜煌が折れる形で決着がついた。ただ、彼はどこの見回りの隊にも入らず、明日はひとりで行動するようだ。

 外の夜祭の明かりに照らされた端正な横顔は、男のくせにはっとするくらい綺麗だ。表情のない顔は人形めいていて、人によってはうっとりと鑑賞する類のものだろう。

 ただ璃華にはひどく落ち着かなかった。いつものように、だらしないくらい表情を緩めてくれている方がいい。

 酷薄なばかりの表情を見ていると、彼が魔王なのだと突きつけられているようで、そばにいれない気がして、少し怖い。


「夜煌?」


 璃華が呼ぶと、彼は外に向けていた視線をこちらに移した。

 赤い瞳にあたたかみが宿り、優しげに目元が下がる。顔はまだ強張っているが、いつも通りの彼に璃華はほっとした。

 夜煌は窓辺を離れ、璃華の横に腰掛けた。距離が近い。同じ寝台に並んで座るのはさすがに初めてだ。

 夕方、彼の意見を強硬に拒否した手前、この程度で文句をいうのも憚られて璃華は視線を泳がせた。この近さで視線を合わせるのはどうにも気まずい。


「璃華」

「なに?」


 声に怒りは込められていない。もう怒ってはいないのだろうか。


「俺の名前、魔族としての名前。ルフュゼっていうんだ」


 脈略なく教えられた名にそっと目を上げると、穏やかな瞳がこちらを見下ろしていた。

 夜煌は璃華の手を取ると、刺青の入る自分の頬に押しつける。手のひらに伝わる人肌の体温。

 その状態のまま、彼は口を開いた。


「呼んでみて」

「……ルフュゼ」

「うん」

「綺麗な名だね」

「でも俺は、璃華が付けてくれた名前の方が好きだ」


 蕩けるような甘い笑顔でそんなことを言う。ぼっと上がった体温に狼狽えるが、視線は魅せられたように外せない。


「呼んで」


 嬉しそうな幸せそうな顔で促されて、なかば無意識に声が出る。


「や、夜煌?」

「もう一回」

「…………夜煌」

「うん」


 目を瞑ってうっとりと頷いた夜煌は、璃華に顔を寄せ――――喉に噛みついてきた。


「いッた……ちょ、なに? ……いっ、やだ、痛いって……っ!」


 璃華の悲鳴を無視して、彼はガブガブと本気で歯を立ててくる。

 喉は人体の急所だ。そこに固いものを当てられる恐怖に身が竦んだ。猫に甘噛みされたり爪を立てられるのとはわけが違う。相手が夜煌でなかったなら悲鳴を上げていただろう。

 普通の人間なら魔族である彼だからこそ悲鳴を上げるのだろうが、璃華にそれを思い出す余裕はない。

 本気で噛み千切られそうな気配はないが、血は出ているかもしれない。それくらいの痛みは感じた。

 押しのけようと肩や髪を掴むが、全くの無意味だった。ならば自分が後ろへ下がろうとするが、うなじを押さえつけられていて逃れられない。八方塞がりの状態で目尻に涙が溜まってきた頃、最後にぺろりと舐めて夜煌は離れた。

 体を離された瞬間に逃げ出して距離を取る。慌てて喉を押さえるが、もう痛みはなかった。ぜったい血は出ていたはずだから、魔法で治癒されたのだろう。

 涙目でキッと睨みつけると、夜煌が可笑しそうにくすくすと笑った。


「ちょ、意味分かんないから! なんなのっ。いったいなんなのっ!」

「うん。ごめん」

「謝られても意味分かんないからっ!」

「あはは」

「笑ってんなっ!」


 璃華の怒りなどなんのその。完全に笑って誤魔化すつもりだ。

 意味が分からなすぎて腹が立ってきた璃華は、怒りの勢いのまま夜煌を寝台から蹴り落とした。ついでに枕も投げつける。


「もういいっ。寝る! おやすみ!」

「うん。おやすみなさい」


 布団を引っ被る璃華に、床に転がって笑ったまま、夜煌の挨拶が返ってきた。

 怒りと羞恥となんか色々なものがぐるぐる回って、璃華は布団に潜ったまま静かに悶えつづけた。興奮した気持ちはなかなか収まらず、赤い顔が熱を引くまで眠気が訪れてくれることはなかった。


「ねえ、璃華。もしなにかあったら、俺を呼んで。いつでもどこでも、君が呼んでくれれば飛んでいくから。だからぜったいに呼んで」

「……」


 とても優しい声。どうしてか返事ができない璃華は、きつく目を瞑った。

 璃華が彼のこの不可解な行動の意味を知るのは、もう少し後のこと。




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