156.まだまだ俺を語ろう
ここにはもう気が狂うほど来たことがある。
いつも外で遊んで汚い服のままおじゃまして
「こんなに汚して!」と怒られることもなく毎度
「元気が一番!」と笑ってくれる場所。親子共々
よく似ている。ここに集まっては、バカ丸出しの
ことであったり、時には菓子袋をおっ広げて床を
汚して怒られたりもした。
今となってはいい思い出だ。
「ふっ」
ずっとここまで走り続けてきたせいで息が
落ち着かない。ぐっと胸を押さえつけて、
落ち着け落ち着けと3回ほど頭で唱える。
ぐっと家の鐘を鳴らす。どうにも前から調子が
悪いらしくこちら側に音が聞こえない仕組みに
なってしまっているらしい。プラスチックと
プラスチックが擦れる、グニッとした音が
指先で鳴る。
「はいはーい」
いつもの優しくもきっちりとした雰囲気の
声が家の中から聞こえる。どたどたと階段を
降りる音が聞こえなくなったと同時に重たい
家の扉が開く。晩御飯でも作っていたのか
扉の奥からこがした醤油と白米の香りが鼻を
よぎった。
「あら」
「こ、こんにちは」
「うっわーずいぶんと走ってきたんだねぇ」
「あっ」
服を見るとさっき引っ張られた跡に加え、
身なりかまわずに突っ走ってきたと言わん
ばかりに上着がよれてしまっている。
そういえば、見舞いでは来たことがないな
このタケちゃんの家は。
タケちゃんのお母さんが俺を応対する。俺は
いつも「お母さん」とは呼ばずに「おばさん」と
言ってしまうが、年も40近くとも聞いているし
「おばさん」ではなく「お姉さん」と定型句に
直して言うには難しい。それにおばさん本人も
そこまで気にしていない様子だからそう呼んでいる。
「あー、あれでしょ、休んだからプリントでも
届けに来てくれたんでしょ」
「あ、えっと」
そういえば先生から用事があるなら届けて
ほしいと頼まれていたプリントがあったな。
特に俺とよく遊んでいるのを見て、お届け隊に
俺を任命したんだった。すっかりマコトに呼び
出されて忘れていた。
「ありがとうね。それじゃ気を付けて帰んなよ」
「あ! あの、タケちゃんは……」
「あー、それがなぁ、さっきちょうど先生から連絡が
来てな。それでぶぅたれてしまってな。今は
部屋にいるよ」
「……」
会えないのか。そもそも今回の件に俺はいうなれば
部外者であってただ横やりを入れた不届きものでしか
ない。ここで励ましの言葉であったり、弁解の言葉を
述べるだけの権利を持ち合わせていないし、こんな
わざわざ家に来て会ったところでできることは限られる。
ならはなからプリントだけ渡してかえってもよかったか?
いいや、会いたくなったんだ。俺が、親友である
俺が会いたくなったからここに来たんだ。
「今って遊べますか」
「うーん、ちょっと待ってな」
そう言って、おばさんは家の扉を開けて戻る。
が、扉を開けるとすでにそこには部屋でぶぅたれて
いるはずのタケちゃんがいた。
「あ、呼んでたわよ」
「……おう」
いつもに増して元気のない返事をする。声の小さい
タケちゃんは実に新鮮だった。
それじゃ、とそのままおばさんは家の中に入って
しまい、玄関前には俺とタケちゃん二人が残された。
おばさんは今は、晩御飯の支度の最中だからそのまま
台所にでも向かったんだろうな。
「***」
「タケちゃん、はいプリント」
「おう、ありがとな」
わざと何も触れないような態度をふるまう。だが
俺の演技は下手を超えて”わざと”らしすぎる。
「なんだよ、なんで***が元気ねぇんだよ」
「え、い、いやいや元気元気」
ほんと元気な振りはへたくそだな俺。
「それで、風邪って聞いてたけど元気そうだね」
「おう! ちょっと熱があるぐらいだ!」
熱がある。ってことは今日の休みは本当に風邪で
休んでいただけなんだな。昨日の件なり、マコトらの
話が関わって、学校に行きたくないというわけでは
ないのか。
あるいはそれすら知らないか。と言って昨日の
万引き云々の話をここで持ち出すのはいささか
よろしくない。
「昨日の駄菓子屋さんはどうだった?」
「え、どうだって言われてもな。ふつーだよふつー。
ちょっとタバコくさいぐらいで」
「そうなんだ」
タバコの香りは好きではないが嫌いでもない。すっと
鼻につくと「ん」とは思う程度で、嫌々しい態度を
とるぐらいでもない。としてもそんなヤニ臭い
場所で駄菓子を売るなよ店主。とはいうものの
「時代」が時代か。ポケットに入る程度の小銭を
握って行ける場所だと余計そういうものか。
「そういやマコトがどうしたって」
「え」
「さっき先生から電話が来たんよ。かぁちゃんが電話に
出てたんだけどさ、マコトがどうたらっつっててな」
「あ、それは」
「マコトになんかあったのか? 風邪か!」
「それはタケちゃんでしょ」
何かあったのはタケちゃんのほうなんだよなぁ。
事を起こしたのはマコトらだったとしても。
「どうせ明日からまた学校だし、またな」
「え、明日は土曜日だよ」
「? あっ、そうだった!」
「……」
「へっ、どうしたんだよ、んな顔してさぁ」
「いや、えーっと、えー…… マコトってどんな
人なの」
「いいやつ!」
「……それってずっとってこと」
「おう! ずっとだ!」
「……」
「んだよ! マコトの野郎がなんかしたみたいな
感じしてさぁ!」
「……いいや、なんにもしてないよ大丈夫」
「そっか、それじゃ晩飯あるから!」
「うん」
バタム
ドアがうるさく閉まる。この音もなんだかいつも
聞いているようで集中して聞いていなかったのかも
しれない。
俺はまた走り出す。この思いを、決意を忘れない
うちにとどめておきたかった。タケちゃんはまだ
何も知らないらしい。なら知らないままでいい。
いつか知るその瞬間、俺の中のヒーローは必ず負けて
しまうと思えて仕方がない。ヒーローが無残な負け方を
するところを俺は見たくない。だから俺のこの思いを
「思い」で終わらず「決意」として昇華させることが
今の俺にできることだ。その思いが俺の足を前に
進ませている。
あっという間に俺の家についた。また上着がくしゃ
くしゃによれてしまっている。マコト……じゃなかった、
確かユウヤか。あいつに掴まれて少し伸びた部分が
もうどこだったかわからなくなってしまっている。
慌てる手元でポケットから鍵を取り出す。忙しく
玄関からそのまま2階に上って、俺の部屋を過ぎる。
おっと、と急ブレーキをかけて部屋に背負っていた
重たいカバンを放り投げて再び駆け出す。
俺はヒーローじゃない。この世界にヒーローは
二人もいらない。
「いいやつ」
「ずっとだ」
たとえマコトたちの所業を理解したとしても
そう言っていたんだろうな。そういうやつだ。
だが、それでもしこりは残るものであって、たった
一つそれがあればもう完全無欠のヒーローは俺の
中では消え失せる。
なら、俺がヒーローになるか?
違う。俺がヒーローにさせる。
そしてそれは俺にしかできない事だってことも
俺が一番理解しているし、どんなに不可能なことも
俺ではできてしまうこともわかっている。
俺は、俺は、俺は!
屋根裏の秘密の本棚からありったけの本をバラバラと
引きずりだす。ほこりがバサッと舞うが構わない。
俺は、俺は必ずタケちゃんをヒーローにさせる。
だから俺は今から、
新しい「俺」なる。




