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雨の回廊 ―四十人、三十日。廃都の水から国をつくる―  作者: 八夜巡


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第26話 勝者を裁く

 勝利の後、最初に増えたのは旗ではなく帳面だった。

 捕虜の氏名、出身、所属、傷、帰還希望。

 戦死者の名、遺品、遺体を渡す家族、扶養を要する子供と老人。

 負傷者の治療、働けない見込み、失った馬と道具。

 接収した槍、弓、軍馬、荷車、水袋、穀物、硬貨。敵本営から運ぶたび、財務担当と、その品を見つけた都市か村の立会人が別々に数えた。二つの数字が合わない物は倉庫へ入れず、封印した区画へ置く。

 戦勝品だから先に取った者の物だ、と言う兵もいた。

「では、その槍で死んだ者の家族へ先に渡すか」

 ナディアが聞くと、誰も手を伸ばさなくなった。

 受水門から回収された銀杯一つまで、持ち主不明の欄へ記された。

 カイの曲刀も、同じ封印区画に入っていた。セヴランと戦った橋へ落とし、敵装備と一緒に拾われたからだ。

「自分の物だと証明できる?」

 財務係が尋ねた。

 柄の内側に、ヴァラド路守隊の貸与印がある。

 カイは印を見せ、立会人の署名を二つもらってから受け取った。

 勝った側が自分の武器を取り戻すにも記録が要る。

 その面倒さが、戦場に落ちた物を権力者の倉へ変えないための最初の壁だった。

 帳面は、物だけでは閉じなかった。

 四十五人の死亡欄から、同じ家に二人の死者がいる世帯を抜き出す。負傷百三十五人のうち、次の播種期まで働けない者、片腕や片脚に長い治療を要する者を治療役が分ける。扶養を受ける子供、老人、病人は、戦死者一人につき一世帯と数えず、実際の人数と同居先を確かめた。

 没収した敵軍資金を、すぐ戦死者家族へ分けろという声が出た。

 だが、その硬貨には雇兵の未払い分、北方商人からの借入れ、占領村から奪った可能性のある金も混じる。持ち主不明のまま分ければ、後で返すべき相手からもう一度奪う。

 当面の扶養は三都市と村地区が人口と負担能力に応じて立て替え、接収資産の帰属審理後に精算することになった。

 勝利で得た金を配るより先に、勝利の費用を共同の負債として引き受けた。

     *

 公開審理は、火災の跡が残るネレイ市場で行われた。

 屋根の半分は焼け、壁には敵の矢が刺さったままだった。傍聴席には三都市と十一村、捕虜側、外国使節の席を分けた。発言と証拠は旧帝国共通語で記録し、地域語でも読み上げる。

 裁定役は三都市から一人ずつ、村地区から二人を選んだ。ネレイの水役家と取引関係があった者、ミラの開門に直接助けられた家族を持つ者は、ミラとハリムの審理から外れた。代わりの裁定役が入る理由も、傍聴席の前で読み上げた。

 助けられた者が裁いてはいけないのか、と火消しの一人が不満を口にした。

「証言はできる。判決票だけを持たない」

 ミラが本人より先に答えた。

 感謝を無かったことにはしない。だが、感謝だけで規則違反を正当化したことにもしない。その線を引くところから審理は始まった。

 最初の被審理者は、ミラだった。

 彼女は予備水路を開いたときと同じ灰色の上衣を着ていた。袖の煤だけが洗っても落ちていない。

「水判官見習いミラ・アディール」

 裁定役が告げた。

「正規権限者と商業評議会定足数を欠くまま、ネレイ予備槽の副排水路を破壊し、開門したことを認めるか」

「認めます」

「緊急だったから違反ではないと主張するか」

「手続には違反しました」

 ミラは自分で書いた申告書を開いた。

「正鍵も副鍵もなく、評議会は二席しかいませんでした。平時法の開門条件は満たしていません」

 傍聴席がざわめいた。

 火を消し、住民を救った者が、自分の正しさから話し始めなかったからだ。

 証拠は時刻順に出された。

 通用門が開いた時刻。公の鉢三か所を閉じた水役家の封印。南市場の出火。評議員を呼びに行った使いの証言。開門前の予備槽水位を別々に測った二本の尺。母水最低線の赤い紐。目盛りごとの開門量。火が油倉へ達すると見込まれた時刻。

「他の方法は」

 裁定役が聞いた。

「飲用桶二十を火へ使う方法がありました。それでは避難民の最低飲用水を失い、火勢を止める量にも足りません。定足数を待つ方法もありました。到着見込みは、油倉への延焼より後でした」

「母水を使ったのか」

「最低線より上だけを使いました。閉門時、水位は赤線より掌三つ分上でした」

「根拠は」

「第四誓と第六誓です。母水を最低線より下まで汲み切らない。公の鉢を開き、住民の最低水を閉ざさない。平時手続の目的を両方守るには、上部水だけを測って開く必要があると判断しました」

 立会人四人の記録は一致した。

 火消し頭は、開門があと四半刻遅ければ油倉へ火が移ったと証言した。水利書記は、ミラが流量を増やせという声を二度退け、最低線を測り続けたと話した。

 カイも、外から命令しなかったことを証言した。

「私の軍事命令だったことに書き換える案が出た。拒んだ。判断したのはミラで、私は後から支持した」

 審理は、開門行為を雨路の六誓と緊急性に適合すると認めた。

 処罰はしない。

 同時に、次の火災で同じ者の勇気だけを待たないため、暫定非常開門則を定めた。

 侵攻、大火、水路崩壊で正規権限者と定足数を待てない場合、水判官または現場水利責任者は、上位法を守る最小量だけ開閉できる。発動時刻、理由、開閉前後の水位、量、代替手段、立会人二名以上をその場で記録する。命令は翌日の同時刻に失効し、三日以内に公開審理を受ける。恒久権利と配水順は変えられない。

 条文は一度で通らなかった。

 火消し側は、立会人二名を探す間に人が死ぬと反対した。水利側は、一人の判断で開けられるならハリムと同じ私物化へ戻ると警戒した。

 そこで、生命へ直ちに危険がある場合は開閉を先行できるが、最初の一目盛りを越える前に立会人を呼ぶ、と補った。立会人は開門へ賛成した者でなくてよい。反対者にも、時刻と水位を測る権利を認めた。

 非常時に速く動くことと、後から都合のよい記録を作れないことを、同じ文へ入れた。

「この規則を、あなたの無罪の根拠に遡って使うものではない」

 裁定役はミラへ告げた。

「あなたの行為は、当時存在した六誓と事実によって判断した。新しい規則は、次の者が同じ孤独を背負わないために作る」

 ミラは、そこで初めて肩の力を抜いた。

     *

 ハリム・サーレクの裁判は、三日続いた。

 証拠台には、レシアが持ち出した三冊の帳簿が置かれた。

 公称備蓄と実在量の差、五百十四袋。

 市内向けと偽った北方への塩百二十袋、革水袋三百枚。

 セヴラン領の信用符。タルサ日別水量と迎雨標工期の送付記録。南通用門の見取り図。敵前衛を入れる時刻。予備水路と公の鉢を閉ざす命令。占領後もサーレク家の配水権を認めるという覚書。

 ハリムは、証拠を見ることも、証人へ問い返すことも認められた。

「北方との取引は、ネレイを養うためだった」

 彼は言った。

「二十三年間、どの都市も我々を助けなかった。塩と水袋を売り、穀物を買った。表帳簿へ書かなかったのは、商人が買い占めるのを防ぐためだ」

「五百十四袋はどこへ行った」

 倉庫席が聞いた。

「非常備蓄として分散した」

「場所を示せ」

 ハリムが示した倉のうち、二つは空だった。一つはサーレク家親族名義で、穀物の半分が高値で売られた記録がある。残る場所は存在しなかった。

「通用門を開けたのは、虐殺を避けるためだ」

「商業評議会へ降伏案を出したか」

「評議会は感情で拒む」

「だから自家だけで敵と契約したのか」

「水は、責任を負える家が管理しなければならない」

 ハリムは最後まで、そこだけは譲らなかった。

「雨が戻り、群衆が鉢へ押し寄せれば、公開だの平等だのと言う者から水を使い切る。辺境伯は軍で秩序を作る。私は、水を知る家が残る条件を取った。町が生き残るには必要だった」

 レシアが証言台へ立った。

「公の鉢を閉じたとき、南市場にいたのは群衆ではありません。タルサと二つの村から来た避難民です」

「水を守った」

「自家の権利を守りました」

「お前も、その帳簿で給金を得た」

「はい」

 レシアは否定しなかった。

「三年、数字の違いに気づきながら、命令された訂正を書きました。私の加担も記録してください。だから、持ち出した後だけを功績にしないでください」

 ハリムの家族、使用人、取引相手も、一人ずつ関与を調べた。

 妻と二人の子は、帳簿と内通に署名していない。家令一人と護衛二人は通用門計画を知り、実行に加わった。倉庫人足の多くは、封印された袋を運んだだけだった。

 家の姓だけで被告席へ置かなかった。

 判決は、ハリム個人へ下った。

 不正に取得した穀物、銀貨、倉庫持分と、サーレク家が私物化していた売水所、予備水路鍵、配水関連資産を没収する。正当に取得した家族の住居と生活財は残す。

 終身公職追放。

 長期禁錮。

 内通、横領、住民の最低水閉鎖を別々の罪として記録し、家族と使用人は個別審査する。水役家という家系そのものを犯罪とはしない。

 ハリムは判決を聞いても、頭を下げなかった。

「次の渇水で、私の言葉を思い出す」

「思い出すために、記録する」

 ミラが答えた。

「正しかったことも、奪ったことも」

     *

 バシュとナディアには、新しい長い審理を重ねなかった。

 バシュの告白書は、ネヴァ村の生存者を探す記録とともに継続案件へ移された。セダル長老の「今度は開けた」という証言も、九人以上を死なせた記録も、同じ束へ入れる。赦免しない。新しい軍公職へ就くなら、被害者証言を含む再審査を要する。

 バシュは、副長印を求めなかった。

「名が戻る前に、話を聞く相手がいる」

 そう言った。

 ナディアは、戦時に出した荷車、穀物、運賃のうち、実際に軍と避難民が使った分だけを請求した。失った三台へ将来利益を上乗せせず、組合の正式決裁を待たなかった責任は自分へ残した。

 隊商組合は、彼女の組合長代理権を停止した。

 同じ週、ネレイ商業評議会の小商人席、車大工・鍛冶席、隊商席の一部が、ナディアを今後の三都市交渉代表へ推薦した。

「昇進は遠のいたな」

 カイが言うと、ナディアは没収品の荷車を数えたまま答えた。

「組合の中ではね。道の上では、仕事が増えた」

     *

 最後に、カイ自身の記録を戦勝報告へ加えた。

 三夜の予測幅を二夜目とだけ伝えたこと。雨なしの代替案を作らず、避難民三十四人と観測班を取り残したこと。イルヴァンが右脚と背へ重傷を負ったこと。軍印を評議会へ返し、監督条件付き四対二で留任したこと。

 セヴランを倒した記録の直後へ置いた。

 英雄譚の別冊に、失敗を隠さなかった。

 審理が終わった日の夕方、三都市の使者が同時に来た。

 タルサ再建評議会。

 ネレイ商業評議会。

 ヴァラド七席評議会。

 三通の文面は同じだった。

 敵軍の組織的降伏により、臨時総指揮権の戦争目的は達成された。

 期限満了を待たず、軍印、徴発権、三都市軍への指揮権を返還せよ。

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